ノウハウ

ここでは技術より、構成力より、何より一番大事かもしれない精神論についてです。
作品を作るということは、いつも表面にない、自分の根底にあるものが作品としてあらわれてくるということで、
そこには深く精神的なものが影響されるように思います。
万人に合致する精神論は存在しないように思いますが、
あくまで参考として紹介します。

~作品を作るということ~

やっぱり作品を作るということは自己表現の一部であります。
作品自体どんな作品を作ったところで生きる死ぬという問題ではありませんが、
めったに無い自己表現の場、この場をいかさずどうするのでしょう。

作品は自己満足で終わってはいけません。
自己満足は内部的に完結していて、社会からは評価されません。
社会から評価される作品とは、やはり熟考が重なり、客観的に分析されて作られた作品ではないでしょうか。

だから、「自己満足から一歩前へ」それだけで見違える作品になること間違いなしです。
第三者に評価されることが嫌ということは、
製作者がその作品に対して自信を持っていないということ。
自信が無いというのは自己満足すらできていないということではないでしょうか?

作品を作る目的を、もう一度確かめてみてはいかがでしょうか。
人が生きる理由のように漠然として答えがないものかもしれませんが、
作品を作ることの意義はかならず大きいはずです。

また、作品への努力によって、自己実現の一歩、
自分の大きな進化ができることは間違いありません。

どうか「自己満足」から一歩前へ。


~TODO/問題点~

制作において、
  • 今、自分が何をしなければならないか。
  • 今、ぶちあたっている問題は何か。
の二点をしっかりとおさえなければなりません。

TODOとは「しなければならないこと」
問題点は「解決されなければならないこと」

この二点を常にリストすると
作業効率がぐっとあがります。

~技術を使うということ~

技術は「使うもの」です。
決して「使われるもの」ではありません。

では、人間が技術に
「使われて」いるとき
とはどういった状況のことを言うのでしょうか。

それは、
こういったエフェクトがあるなら、使おう!
とか
このエフェクトはすごいから絶対作品にいれたい!

という状況ではないでしょうか。
ここでは、自分の創造性に関係なく、
技術を使いたいということが優先してしまい、
技術に使われてしまっている、ということになっています
↑冗長。

では、技術に使われないためには?

まず、技術を把握することが必要です。
今持っている機材でどのようなことが可能なのか、
それをしっかりと把握することが大事です。

しかし、今時の編集ソフトは無限の可能性を開いているように思います。
つまり、「何でもできる」と。

ならば、自分の構成を想像上で創造し、
それを実現するために「技術を使う」というのが良いのではないでしょうか。

これからどんどん進歩する技術。
技術は想像を実現しますが、
技術によって構成が変わることはよくないです。
ね。

~音楽を押し出した作品~


ビートの乗った音楽は作品の雰囲気を大きく変えます。
映像作品とは本来「映像」と「音楽」が両方あってこそなりたつのではないでしょうか。

しかし、映像に気がいきすぎて音楽が適当になっていることがおおいです。
BGMが適当であったり、効果音が適当であったり。

素人にはわからないかもしれませんが、一度作品を作ったことのある人には
すぐにバレます。

カッコいいBGMはどうしたら手に入るでしょうか?
今、ネット上には多くのフリーアーティストがいます。
直接コンタクトをとって了承を得れば良いだけの話です。

しかし、このサイトではより創造的になってもらうために
BGMを自分で作る、ということを奨励しています。

それが「DTM」の項目です。
ぜひ自分でもチャレンジしてみてください。

また、効果音は
絶対に!自分で集めるようにしてください!
この作業はまさに自分の納得のいく音を手に入れることと
さらなる発想が得られ事の両方が得られます。
ぜひ音を集めてみてください。


~音が先か映像が先か~


一般的に台詞のなく
「緩急」の「急」にあたる部分は音が先でもかまわないと思います。
「音が先」というのは
音源が決まってから、そのあとに映像を編集する、
ということです。

あと、全体にわたって音が先になることは無いと思います。

「緩」の部分ではBGMを抜いたりということも大事だと思います。


~ドキュメンタリーであるからこそのBGの重要性~

ドキュメンタリーの作品の多くはBGMが無かったり、
無音の時間が長かったりします。

でも、これは単に味気の無さを演出しているだけで、
まったく意味無い!と僕は思います。

というのはTVがあることがすでに「あたりまえ」
となった現在では

誰もの目が肥えています。
おもしろくない作品、味気の無い作品は
瞬時に見ている人の思考停止を招き、
どんなに内容がすばらしくても
ぜんぜん評価されないでしょう。

プロはドキュメンタリーであろうとなんであろうと
どこにも手は抜きません。

同様にBGMに手を抜く必要性は無いのではないでしょうか?


~映像の時間の掟~

同じ映像が流れるのは最大4秒。
インタヴューでも10秒~15秒。

よほど内容が面白く無い限り、
それ以上になると、完全に「飽き」がきます。

人間、多くの映像が出てきても結構大丈夫なものです。


~一本の木思考~

番組を制作しているうちに、製作者側はのめりこんでいって多くのことを目的とするが、実際にはごちゃごちゃとした作品になってしまうことが多い。
それを避けるための方法として「一本の木思考」というものがある
(勝手に作ったw)

基本的にはロジカルツリーと同じだが、
根から葉へ向けて時系列が存在することが違う。
つまり、
根の部分でなんらかの「問題」や「それを感じる深層心理」、つまり問題提起をし、幹の部分で「承・転」。
葉の部分で結びとする。

途中で自分の伝えることが2個になったりすると、幹が二つになったりするので自分の確認として非常に役に立つ。

あくまで自分で伝えたいことは1つ。
これを前面に出すことを優先すること。


~結論を出すということ~

番組の最後にはいずれにせよ結論を出さなければならない。
しかし、直接製作者の意見を最後にのべては、
「結局これだけいえばよかったんじゃないの?」
と、非常に薄っぺらい作品となってしまう。

番組の経過というものはその結論までの道のりであって、
最後に直接言ってしまってはそれまでの経過の意味がなくなってしまう。

しかし、無いよりはあったほうがいいので
やむをえない場合は直接言ってもしかたがないと思う。

では直接言わずにどう伝えるのか?
非常に難しいことだが、これは自分自身で考えてもらうしかない。

人にはそれぞれの表現方法があり、違う人がまったく同じ作品をつくるということは到底ありえない。
それぞれがそれぞれの味というものを持っているからだ。

その味こそ、その経過であり、結論をどう提示するかにあるように思う。

第三者が見たときにすんなりとその番組の言おうとしていることがわかれば、製作者側からすれば「思いの通じる作品」となるのではないだろうか。


~強みを持つということ~

弱みの無い作品ははたして良い作品なのかということ。

なんかよくわからないけど、筋道はしっかり通ってるし、
技術的にも問題なく、いいたいことは分かる。

そんな作品と

すごい熱意あふれまくって、ここがすごい!あれがすごい!
といえるところがあるけど、なんかまとめきれてない

作品だったら僕は後者を押します。
もちろん強みがあって欠点が無い方がいいですけど
なかなかそれはきびしいものです。

だから、まず作品を作るうえで自分の「強み」を決めましょう。
そしてそれを前面に押し出すことよって自分に自信がわいたりして
どんどんよくなる!

それに自分に強みがあるとそれを生かすための作品になって
全体的に良い仕上がりになるように思います。

なによりその「強み」とはその人のアイデンティティに間違いなく、
完成した後の充実感は「強み」のあるなしでずいぶん変わるように思います。

武器を持たずに戦にいったもしゃーないっすね。
武器を持ちましょう。


~学ぶということ~

人は無知です。どんなに物事を極めたところで全知にはなれません。
そう思うのは物事には物理的には変えられない「事実」と
解釈によってどうともかわる「意見」が存在すると思うからです。

ちょっと脱線しますが、
憲法であれ法律であれ、書いてあることは変えようがありません。
しかも、変な解釈をされないようにわざとお堅い、修飾を省いた文章で書いてあります。

それでも人間は自分の有利になるように考えます。
そして新しい解釈、道理にかなった解釈をするのです。

その解釈が今まで認められなくても道理にあっていればそれは反対する余地はありません。

だから解釈は無限にあるように思えて仕方が無い。w
だから政治家は口がうまい人やディベートが強い人がなりやすい。

社会とは、人間とは、そういった不完全であるように思います。

一方科学は反対に
普遍的な事実を求めようとします。
そこには解釈が存在せず、ある法則、原則によってこの曖昧な社会を解き明かそうとします。

だから科学っていいね!

話戻します(笑)
作品を作ることというのは非常にこの社会の縮図といえる気がします。

つまり、作品には製作者の精神論がこめられていますし、
見る側もそれを勝手に解釈します。

一方技術は事実です。
よりより技術があるのは事実ですし、
カメラワークはうまいほうがいい。
演技もうまいほうがいい。
照明もきれいなほうがいい。

つまり技術は事実で習得することが可能です。
そしてそれらは過去の偉人たちによって間違いなくまとめられているはずです。

技術者はあまり自分の技術をおおっぴらにしたくないものです。
でも、今、さまざまな本で、インターネットで、
知識は公開されているじゃないですか。
また、映像にかかわって生きている人は無限にいて、
さらに私たちは日々、テレビという最高の技術提供者がいるじゃないですか。

だから、技術を教えている人がいないとかは絶対無いです。

構成は非常に難しいかもしれませんが、間違いなく技術は身につきます。

それはテレビ番組を分析したり、テレビ局に遊びにいったり、
いろいろ自分でやってみたり。

だから、無知の状態で作品を作り始める前に、
少しでも多くの知識を手に入れましょう。
そしてフルに使ってやりましょう。

それが「知」というものを作ってきた今までの偉人への恩返しとなるのではないでしょうか。

なんて宗教的になってしまったorz...


最終更新:2008年03月11日 20:54