第一話

ファイナル・ギア -Ghost in side-

第一話
「雪解けの街」

 大学の卒業式典を早々に抜け出して、一人向かった場所
それは俺が所属していた車レースのサークルが所有する小さい掘立小屋のような
ガレージだった。夜で、綺麗な満月に照らされた冬が終わりかける3月のことだ。
サビだらけのリフト、くたびれて地肌の見えかかった工具箱。そして漂うオイルの匂い
嗅ぎ慣れた匂いの中に、今まで過ごした記憶が鼻を通り抜けて、俺の頭の引出を開けていく
まるで幽霊になって、記憶の旅をしている気分だった。
「よぉ俊。やっぱお前もここに来たのかよ」
「御手洗か。こっちのセリフだよ」
 同じくくたびれたガレージにやってきたのは、当時サークルの副部長だった
御手洗広人という男だった。サークルの予算が少ない中、大学に無理言って資金を
取り繕って、チームの戦略やペース配分。メカの補助までなんでもやった。
一方で、俺はというとメインドライバー兼メカニック。ただでさえまともにサークルに参加するヤツは
俺と御手洗だけの中、お手伝いで安く雇った学生バイトをしり目に俺と御手洗で
ピット作業をしたり、運転したり。とんだ自転車操業なサークルをしてたものだった。
「卒業式、楽しかったか?」
 御手洗がそういう。彼の表情はいつも通りのマイペースな笑顔の下に本心を隠すような
そんな表情をしていた。
「俺がレース以外で楽しそうにしてたことあるかよ」
「またまた。お前、同じ経済学専攻の女子と酒飲みながらげらげら笑ってたじゃんよ」
「・・・ったく。そりゃあ俺も男だしよ、女子と喋ったら嬉しくだって楽しいって思ったりするさ」
「はは!違いないな。俺もそうだよ・・・」
 御手洗は一瞬笑って、言葉の最後には何か思いこんでいるような表情になった
「どうしたんだよ御手洗」
「・・・いや。こんな話も、中々できなくなるのかと思ってさ。俺達4年のレースも終わってまうのか
ってな。臭いかな?」
「少なくともここらに漂ってるオイルの匂いよりは臭いと思うよ。まったく同意だけどな」
「はは。ここの匂いともおさらばか」
 二人で見るガレージの風景は、ぼろぼろだが輝いて見えた。
最後だというのに、どこに何を閉まったか。完全に覚えている工具の配置。
俺たち二人にとっては言い当てるのだって容易いことだった。
「・・・ところで俊」
 御手洗は廃油の溜まったペール缶を眺めて口を開く。
いつしか視線はペール缶ではなく、サビだけらの四柱リフトの間に収まった
一台の車を見ていた。
「・・・言わなくてもわかったよ。トルネオ・・・だろ?」
「ああ。こいつ、どうしようかってずっと考えてたんだ」
「大学の連中が、二次会どこいくかって考えてる時にか?車バカだよな、二人そろって。
捨てたくはないよな」
 リフトに収まった車。それはホンダ トルネオユーロR。アコードの姉妹車として販売された
2200ccの4ドアセダン。外装の違いだけで中身は一緒だが
俺たちが作ったこのトルネオは、世界でたった一つのとびきりの車だ。
搭載されるK22A VTECエンジンを二人でばらして、S2000 AP2のピストンをフルインストール。
それに対応するようにカムプロフィールも加工して、強化バルブスプリング。
吸排気関係も総じて弄り込んで、トランスミッションはクロス+ワイドの絶妙な調整で
ベストにし、クラッチ板、フライホイールも軽量強化されたものにし。何より俺たちのポリシーだった
車のフィーリング。という要素に磨きを重ねてシフトリンゲージもベストなものを選択した。
チューニングカーであっても、乗っていてなめらかでシフトフィーリングが最高な車を作る。
マニュアル車の醍醐味を速さを生かしながら強化したかったという気持ちの表れだ。
他にもさまざまな改造箇所がある。数えきれないほどに。
この車っていうのは、そういう車なのだ。
「ああ。だから、俺としては・・・メインドライバーだったお前に乗り続けてほしいんだ」
「街乗りで・・・か?」
「ああ。幸いお互い就職先の入社式まで時間あるし。最後に二人でよ、公道用に合わせようって
考えに至ったんだよ」
「・・・俺はいいけどよ。お前、いらないのかよトルネオ。俺だけじゃなくてお前の手だって入ってる
んだぜ?エンジン触ったのは俺だけど、シャシいじったのはお前だぜ?」
「俺は・・・いいんだ。」
「なんでだ?二人で作ったマシンだ。理由聞かなきゃ気持ちよく乗れないさ。メインドライバー
だった俺からすればな」
 二人で作ったマシン。俺が乗るとか乗ってくれとか。今さらそんなことはどうだっていい。
ただ俺は御手洗が俺にマシンを託す意味、理由を知りたかった。
「・・・俺はよ、今まで言ってこなかったけどマニュアル、大の苦手・・・なんだよ」
 御手洗は満面の笑みでそう答えた。御手洗も素直じゃないなと内心思ったものだが
理由は聞かなくてもいいと、このとき納得した。顔に出てたからだ「お前しか相応しい奴はいない」
と、表情は語っていた。
「・・・いいよ、わかったよ。俺が乗る、乗り続けるよ」
「よし、決まりだな。これで俺もケジメがつけられる。」
 何か突っかかるような物言いの中、俺たちは来ていたフォーマルスーツを脱いで
Yシャツの袖を腕まくりに、4年ぶりに触る純正の保安部品の入った箱を取り出すと
今ついているパーツの脱着作業と、保安部品の装着を始めた。
 その作業は4年前、大学に入って車レースサークルに入った時のことを思い出した。
高校のオープンキャンパスの時、学校の授業内容よりも、元来好きだった車に対して好き放題
できると、胸を躍らせ、俺の偏差値よりも高い今の学校へ入学した。
当時のキャンパスであった先輩達は、俺が入った時には既に辞めてしまっていた。
理由は危険運転で暴走行為を繰り返し、大事故を起こしたからだった。
今でも、サークルに入会届を出しに行った時を思い出す。与えられていたサークルルームが
もぬけの殻だったことを。そして、その直後俺と同じ気持ちでやってきた御手洗のこと。
それからは二人で強力して、なんとかサークルとしての活動をやってきた。
このトルネオを破格の値段で手に入れて、サービスマニュアルを見ながら全部手直しをして
ボディのフレーム以外の全てのネジと部品を触った。
匂いと、ラチェットレンチのギヤがカリカリとまわる音。その音がただガレージの中を響いていた。
 気が付けば、時間は深夜になっていた。終電の時間が近づき、そろそろ今日はここまでという
所であった。
「ふぅ・・・。とりあえず、今日はこのくらいでいいんじゃないか?Yシャツ、少し灰色に
なっちまったよ」
「でもあんま汚れないもんだな、辛うじてジャケット着れば目立たないだろ」
 俺がそう口を開くと、御手洗も工具を置いてそう喋る。
こんな作業、サイドメンバの取り外しやエンジンの脱着とオーバーホール。そんな作業に
比べれば楽なほうだった。
「悪い御手洗、今日酒飲んで運転できないしよ終電で一旦帰るよ」
「そうか。んじゃまあ俺はとりあえず、できるだけやってくよ。」
「あんま急ぐなよ、まだ入社・・・俺にとっては入行だけど、まだ時間あんだからよ」
「・・・そうだな。っても暇なんだよ、俺」
「はは、好きにしろって。でも無理すんなよ?」
「わかってるよ、んじゃな」
「おう、おやすみ」
 そう言って、御手洗の顔を横目に俺はジャケットを肩に乗せてその場を去った。
御手洗は俺が去るのを見送ると、再び作業に戻る。
周りに月の明かりしかないような所で、ぽつりと人口の光が照らすガレージの中からは
御手洗のラチェットを回す音だけがカリカリとずっと響いていた。
 当初こそほろ酔いだった俺の体も、3月とはいえまだまだ続く寒空の中
Yシャツ一枚で作業をしていたおかけで、すっかりと酒は抜け大学近郊の人里離れたガレージ
とはうって変って、俺は街中を歩いていた。東京の明るい光の中、ただただ駅へと向かう。
この道もこの4年間で何度も通ったものだと、いまさらになって卒業の余韻をかみしめていた。
 余裕だったのも束の間、迫る終電の時間に焦り足取りが早足から全力疾走に切り替えると
早々と俺の住んでいるアパート付近にある駅の切符を買い、急いでホームを駆け下り
終電発車1分前に乗り込むことができた。ここがアメリカだとかイギリスだったら
既に電車は発った後だろうと考えると、つくづく日本でよかったと思うものである。
レースで耐えるために自分なりに鍛えた体だったが、酒が入った後の運動は
応えるものである。
 息遣いを安定させるために、ひとまず座席に座ると俺は溜まっていた空気を勢いよく
吐き出して、呼吸を安定させた。
「はぁ・・・間に合ったな」
 間に合った安堵感から、俺はぼそっと言葉を放つ
深夜の終電、車内にはちらほらとしか人影はなかったからこそできる芸当だ。
 俺は車内を見渡す。先頭の車両にも人こそいるが、酔って寝てしまったり
イヤホンをつけてスマホをいじっている人などである。
ただ、そんな中に異様なオーラを放つ女性がいた。
綺麗な顔立ち綺麗なブロンドの持ち主で、紺色がかったビシネススーツを
ピッチリと着こなしつつも、頬はうっすらと赤くなって寝ていた。
なんて綺麗な人なのだろうと、つい見とれてしまいそうになるくらい綺麗な人だった。
だが、脳裏に何かデジャブに似た感覚を覚える。この人を知っているような気がしたのである。
「ん・・・んぅ」
 そう思ったのも束の間、その女性は電車の揺れのおかげか目が覚めたようだった
今まで思っていた考えはすべて吹っ飛び、俺はただがん味していないように見せるために
すぐに目をそらし、普通のフリをした。
地下鉄の暗いトンネルの中、見えないはずの景色をみようとしてみたり
視線を変な方向へやったりと、正直傍から見れば挙動不審なように見えることだろう。
そして、しばらく経った時 ちらっと俺は彼女へ視線を向ける。
すると、どういうことか、彼女は俺を鋭い目で見ていた。
俺はそれにビックリすると、彼女は突然走ってる電車の中を立ち
俺の座っている座席へと移り座ってきたのである。
その威圧にビックリした俺は、急いで席を離れようとした時
彼女の口が開いた。
「立つと危ないわよ」
 そんな彼女も立って俺へと向かってきたのだから、人のことも言えないだろうと内心思った
ものだが、それ以前になんだかわからない恐怖に駆られていた。
「えっと・・・その。な・・・何かしましたか?」
「あなた・・・広瀬 俊君、でしょ」
「・・・!」
 その瞬間頭のどうでもいいこと全てが吹っ飛び、全てを思い出した。
その女性は、俺が決まった就職先である桜柱銀行の入行試験の際
面接官をやっていた、牧瀬二乃融資課長だということを思い出してしまったのである。
年齢24歳という入行2年目で世界でも指折りのビックバンクの本社融資課課長として
務める超、いや化け物級の手腕を振るう秀才である。
 さかのぼること大学3年の秋。経済学部を専攻していた俺、いや大学の皆は
専門学校と違って、専門職でもなく他分野の進路の中、自分の将来を決める就活に
追われている頃である。俺は一時期レースの分野にでも行こうかとも思ったのだが、
現実的に経済学や社会知識が得意だったため、面接を3社受けたのだった。
受けた2社はどちらとも面接をパスし、候補を絞ってもよかったのだが、少し興味のあった
桜柱銀行も受けてみようと、いつしか一次審査用の履歴書を出していたのを思い出し
偶然にも一次審査は受かっていたので面接を受けようと思ったのだった。
その時、彼女こと牧瀬二乃融資課課長が採用試験の面接官として参加していたのである。
通常人事課や一部役員が担当する試験面接に融資課課長が招かれているのは
後々聞いた話では異例のことだったと聞いたのは後の祭りであった。
二乃課長からの面接試験の内容は素晴らしく手厳しいものだったのは今思い出したことである。
俺の苦手な分野を的確に見抜いて質問攻めにし、最後は可愛そうだから
得意そうな質問でもしてやるか。のような顔で質問で締め、極めつけは
「それでは面接結果を考慮し、当行に必要な人材であるかないか、精査させていただき、
結果は別途書類にて返答させていただきます。なお不採用だった場合は御縁がなかったという
ことで勘弁していただければと思いますので、あらかじめご了承ください。」
という五寸釘で打つかのような言葉で終わったのを覚えている。
とはいえ何の因果か、受かってしまったのだからこちらも後の祭りというものである。
 記憶がよみがえったのも束の間、そんなことを思い出している暇ではない。
さる3分間ほど、二乃さんは俺の返事を待っているがの如く
俺を鋭く見つめていた。
「そ・・・そうです、面接の時は大変お世話になりました」
「・・・やっぱりね。見たことあると思ったのよ」
 やっと返事が聞けたかという顔で、二乃さんはイスを座りなおす。
俺が22歳。二乃課長が24歳という歳の近さでも、こんな威圧感が違うものなのかと
圧巻させられる。
「そ・・・その牧瀬課長も御帰りですか?」
「まぁそんなところね。融資課の集まりがあって、お酒飲んできた帰りなの」
「な・・・なるほどですね」
 話の突破口を一瞬見つけるも、すぐに突破口は土砂崩れをおこし
言葉に詰まる。どんなことを話せばいいのか、正直検討もつかなかった。
にしても綺麗な人である。このプレッシャーさえなければだが
 それにしても、なにを話せばいいかわからないものである。
でも何か話さないと印象が悪くなって、入社後にも影響するかもしれない
俺は必死に話題を探した。そんな時、酒が少し残った頭の中に、就職面接の時に聞かれた
もう一つの一文を思い出した。
「履歴書読ませてもらったけど、この趣味の欄。車好きって書いてあるけれど、車。好きなの?」
 今でも鮮明に思い出すことのできる緊張張り詰める入行面接の風景。
俺の頭だけあの時に戻ったようだった。
二乃課長が放ったその言葉。彼女はどう返していただろう。
「はい。小さい頃から車が大好きでして、その関係からか大学でもレース活動をするサークルを
選択。そのせいかメインドライバーとして腕を振るっております。」
 その時の二乃さんの顔は今でも覚えている。どこか嬉しそうで、どこか寂しそうな
どちらとも合わせたような顔をしていた。そして、不思議なことにその言葉を言った後には
相槌を打たれ、特に深い質問に発展することなく終わってしまった。
あれが何を意味するのか。俺にはわからないが
「シャツ汚れてるけど、何かしてきたの?ものすごく灰色だけど」
 ふと現実に戻る。牧瀬課長の言葉にハッとし自分の姿を見てみると
トルネオをいじっていたおかげか、シャツが灰色になっているのを思い出す。
「車、好きだったのよね」
 自分の体の汚れを気にする俺に続けて牧瀬課長は言葉を放つ。
面接の時は、すぐ流されてしまっていたと思っていた言葉。聞いていないようで
しっかりと聞いていてくれていたみたいだ。
「ああ、すいません・・・。大学のサークルで使ってた車イジってました」
「ふーん。野暮な質問するようであれなんだけど、車は何?」
「トルネオです。ホンダ トルネオユーロR、CL1の」
「トルネオ・・・。それってアコードの姉妹車よね。K型E/gの2200CCセダン」
「牧瀬課長、車お詳しいんですね」
「まぁ人並みには車の知識あるつもりだけれど、結構マイナーな車よね。アコードっていえば
中年のオジサンとかに通じる時もあるけど」
 牧瀬課長は、その後たんたんと車の話を続けた。やはり牧瀬課長くらい
若くして課長になれるくらいなのだから、こういった特に興味のなさそうなことを覚えないと
人生経験豊富な重役の世界の話についていけないのだろうかと悟ってしまう。
「牧瀬課長凄いですね。僕よりも詳しいみたいで」
「車の知識は男の子に負けるわよ。」
「すんません自分も野暮ったいですけど、質問よろしいですか?」
「牧瀬じゃなくていいわ。今は別に銀行員ってわけでもないし、二乃でいいわよ」
「そ・・・それじゃあ二乃さん。二乃さんってどんな車に乗られてるんですか?」
 その瞬間、牧瀬課長改め二乃さんの顔つきが変わる。どこか戦慄漂う
独特の空気感。二乃さんが「クーペの・・・」と喋った時。電車は駅のプラットフォームへ停車
する。
「ごめんなさい、私ここだから。」
「い・・・いえいえ!なんかすいません」
「謝ることじゃないわよ。私の方こそごめんなさいね、次は入行式ね。頑張ってね期待してるわ」
「は・・・はい!」
 そう俺が返事すると、二乃さんは茶色のカバンを肩にかけて駅へと降りて行った。
面接の時しか喋ったことがなかった人に対して、当初こそ緊張を覚えたが
車の話を通じて仲がよくなった気がする。
こうなってしまうと、二乃さんの事をいろいろと知りたくなっていく。
どんな食べ物が好きなのか、そして聞きそびれてしまった車のこと。
まだまだたくさん知りたいこともある。入行したら仕事のこともいっぱい教えてもらいたいし、
それに対しての恩返し。食事に言って御礼したり、どうでもいいようなことを自販機の前で
話してみたりと、社会人への期待と緊張が一気にくるようだった。
「・・・明日、御手洗にこの事話してやろう。すんげぇ美人な課長さんだったってな」
 俺はぼそっとつぶやく。まだ御手洗はトルネオを仕上げている頃だろうが
俺は明日の用意しつつ、引き続き電車に揺られ帰路につく。
春の息吹が芽生える町を見ながら揺れる景色を見ながら。そして、本格的に
銀行員として、社会人としてこの町に飛び立つことを思いながら。
窓の景色には、3月終わりだというのに、微かに雪が舞っていた

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最終更新:2016年09月08日 11:26