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2006年12月27日


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 この頃私事ににより、軆氣道活術勉強会に参加することができなかった。

 季節のご挨拶にお伺いしたところ、仁張先生のご好意で、勉強会に参加させていただくことができた。事前に高弟の東先生が仁張先生に話を通していただいたおかげでこの好意に預かることができた。東先生の無償のやさしさには、感謝し、頭が下がる思いだ。

 この8月にも季節の挨拶にお伺いしたところ、仁張先生にその日の研究課題を体験させていただいたが、今回は違った体験をさせていただいた。

 仁張先生は絶えず進化されている。すごすぎるの一言しかでない。この機会しか体験できないから、どこからやってこようと逃さないと神経を集中させて、受けさせていただいた。しかし、私の小さな視界など関係ないとんでもないところからやってくるとしかいえない何かが一瞬にして、私の何かを変えた。何をどう変えたのかもわからないが、その時思わず笑ってしまった。自分はなんて小さな人間なんだろう、何をこだわっていたのだろう。あるものはある、実体を見ずに、何にこだわっているだろう。私が感じていたものが、一瞬にして馬鹿らしくなるぐらいの変化だった。

 仁張先生の言う大きな流れに乗るということがどれだけの力を持つのか改めて実感することができた。今の私はその余韻を引きずりながら、このブログを書いている。その心境を一言で表すなら、とても気楽である。このことが一体、この世に生きる人間にとって重要かは、もちろん認識の程度もあると思うが、身体が捻じれている、痛んでいる、といったものから超越している、人間にとってとても重要な感覚であると考えている。例え身体が捻じれていようとも、私のような一種のうつのようなものでも、怪我でも気楽であれば乗り越えられる。仁張先生の捕えられている身体は、一般社会に生きる人々の認識から超越されているものであり、計り知れない。しかし、その気楽さを体験することができれば、理屈など関係ない世界が自然と感じることができる、その実体こそが必要なのだ。

 この勉強会に参加している先生方はとてもすごい。私は相変わらず自分の非力さに直面してしまった。この非力さを解決するために、独学を選んだが、果たして進歩などなく、大きな壁を実感してしまった。しかし、今はとても気楽である。なんだろうなと思わず微笑んでしまった。

 このような機会を与えてくださった東先生、仁張先生に改めて感謝したい。