年表
2008年 | 6月11日(水) | 初スレッド |
6月13日(金) | wiki設立 | |
6月14日(土) | いつの間にかビリケツがドンケツになる いつの間にかドンケツがビリケツに戻る | |
6月17日(火) | スレ番50突破 多元鏡をしていたID:+pgwusu00のPCの電源が爆発し名誉の戦死を遂げる | |
6月21日(土) | スレ番100突破 単純計算で1日10スレ消費((;゚д゚) なん実Vが落ちて避難所設立 | |
7月5日(土) | スレ番200突破 突破記念動画 | |
7月6日(日) | wiki30000HIT | |
7月13日(日) | wiki40000HIT | |
7月19日(土) | スレ番300突破 突破記念画像集 | |
7月22日(水) | wiki50000HIT | |
7月31日(木) | 何者かに乗っ取られている間にwiki60000HIT | |
11月中旬 | 非常に空気が悪くなり議論やAAの荒らし別スレがたったりする | |
11月29日(土) | 686スレ目にて遂にスレが落ちる。 いつの日か復活する事を夢見て今はお疲れ様でした。 | |
2009年 | 3月19日(木) | 久々にスレが立ち、奇跡的に再開する。このまま続くかは俺達しだいだ! |
5月~7月 | 特定のゲームばかりが成立することによるマンネリ化、スレの空気の悪化、 諸々の配信者の脱去などによりスレが過疎っていく。 | |
7月22日(水)頃 | 過疎の末にスレ陥落。以降も時々スレが立つが大体すぐに落ちる。 | |
10月17日(土)頃 | 粘り強く募集や保守を続けていたスレにて 少人数ながらも成立するようになってきた。このまま続くかは俺達しだいだ! | |
10月25日(土) ~11月8日(日) |
全く成立しないまま過疎が続き、8日にてスレが落ちる。 翌日にスレが立て直されたが、数える程度しか成立せずに落ちた。 いつかまた復活することを夢見て、 罰スレの歴史はここにひとまずの幕を降ろしたのだった。 | |
12月29日(火) | 年末に立てられ、深夜に2回成立。 ゲームは SD F1グランプリ と ロックマンX2。 | |
2010年 | 2009年同様不定期で立ったり落ちたりを何度か繰り返す。 いくつか成立するが残念ながら続かず。 | |
2011年 | 1月1日(土) | 0時3分に立てられる。 同日19時、「超魔界村(SFC) 2面クリア ハンデ制」で参加者が二人現れ成立。 それからいくつかレースが回っていき、最終的には 2日3時40分頃に決定された罰主が「愛と勇気とかしわもち」と「マインスイーパ」のテンプレを出して成立せず、4時30分に罰主終了。流れタイム50分程度。 |
1月9日(日)以降 | 新年からの再出発に賛同する配信者、視聴者が現れ始める。勢いよく満スレを積み上げて現在も継続中 | |
3月15日(火) | 地震やそれに伴う輪番停電の関係などからスレを回すのが困難になる。 | |
2012年 | 12月31日(月) | 「同じゲームを一斉に始めてビリケツが罰ゲームin2013」という名前でスレが立てられる。 1日の深夜の間、スレ立て主がいくつかのテンプレを募集し続けるが成立せず。 昼にも募集するが成立せず。 21時に別の主が募集した「引っ越し奉行」にスレ立て主が参加して初成立。 その後も少人数でいくつかのテンプレが成立していく。 3日の夜の「がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻」では8人成立し、 なかなかの盛り上がりを見せた。 |
2013年 | 1~2月 | スレはおおむね盛況で進行。 開始時間を遅らせるハンデよりも クリア条件を別々にするハンデが主流になったり、 テンプレを張った時点で即募集開始することが主流になるなど、 テンプレの在り方も変わっていった。 |
2~3月 | 住人同士の見解の相違などによって、 一時的に空気が悪くなることが時々あった。 特に、張られたテンプレの良し悪しについて論議されたり 一悶着起きるケースが見られた。 スレを継続していくにあたって、 スレのテンプレが長すぎる点などを改善したいといった声も いくつか上がったが、改善には至らず。 3月には、マンネリを感じ始めたのか、 参加者の数は緩やかに減少傾向になっていった。 | |
4月上旬 | 過疎が本格化。例年通りにスレの空気も悪くなる。 過疎の主な原因としては、春休みが終わったことと、 マンネリによって住人が飽きたことが指摘されている。 |
詳細
スレの消滅と復活
罰スレは過去に何度も、
「諸々の要因で空気が悪くなり過疎っていき、機能しなくなって落ちた」経緯がある。
「諸々の要因で空気が悪くなり過疎っていき、機能しなくなって落ちた」経緯がある。
一度死んだスレを復活させるのは容易なことではなく、時と場合の運にもよるため、
何度テンプレが流れても粘り強く募集し続けるしかない。
また新たに立ったスレの存在を知らない者も多く、復活しにくさに拍車をかけている。
(しばらくスレを存続させていくうちに
「このスレ復活してたのか」と言う者が次々現れるという具合である)
何度テンプレが流れても粘り強く募集し続けるしかない。
また新たに立ったスレの存在を知らない者も多く、復活しにくさに拍車をかけている。
(しばらくスレを存続させていくうちに
「このスレ復活してたのか」と言う者が次々現れるという具合である)
もし今後罰スレが復活することがあるのなら、
過去の歴史を教訓とし、どうすれば罰スレがより良くなっていくかを考えながらやっていこう。
過去の歴史を教訓とし、どうすれば罰スレがより良くなっていくかを考えながらやっていこう。
1期 2008/06/11~2008/11/29
2期 2009/03/19~2009/07/22
3期 2009/10/17~2009/11/08
4期 2011/01/09~
5期 2012/12/31~
2期 2009/03/19~2009/07/22
3期 2009/10/17~2009/11/08
4期 2011/01/09~
5期 2012/12/31~
事の始まり
08/6/11(水)
ID:FX+5s/hc0が 「同じゲームを一斉に始めてビリケツが罰ゲームスレ」を立てる。
スレ前半では「ルールがややこしい」「今の何実では人手不足」「gdgd」等のレスが多く、
流れはあまりよくなかった。
グラディウスIIIや超魔界村のプレイもあったが、多元鏡もおらずまるで盛り上がらなかった。
(というよりは、只流れ者の配信者が勝手に一人でゲームを始めて勝手に終わっただけというのが正しい。)
ID:FX+5s/hc0が 「同じゲームを一斉に始めてビリケツが罰ゲームスレ」を立てる。
スレ前半では「ルールがややこしい」「今の何実では人手不足」「gdgd」等のレスが多く、
流れはあまりよくなかった。
グラディウスIIIや超魔界村のプレイもあったが、多元鏡もおらずまるで盛り上がらなかった。
(というよりは、只流れ者の配信者が勝手に一人でゲームを始めて勝手に終わっただけというのが正しい。)
次に出された安価 "ストⅡレベル7ベガ撃破" から初多元鏡が出現し、
スレは勢いを増していったのである。
叩かれながらも粘った>>1、過疎の中張り付いていた視聴者、実況者のおかげで今に至る。
スレは勢いを増していったのである。
叩かれながらも粘った>>1、過疎の中張り付いていた視聴者、実況者のおかげで今に至る。
2008年 夏頃
罰スレが稼動し始めて数ヶ月が経った頃。
罰スレ発足初期からの慣例となっていた現状のルールを疑問視する声が出始めていた。
罰スレ発足初期からの慣例となっていた現状のルールを疑問視する声が出始めていた。
曰く、深夜や朝などの「参加者が全く現れない時間帯」に
何時間も罰主がテンプレを流し続けるだけの時間が不毛、可哀想すぎる、とのこと。
何時間も罰主がテンプレを流し続けるだけの時間が不毛、可哀想すぎる、とのこと。
これに関して、「自分もそう思う」
「可哀想といっても、罰スレはそういうものだから」といった賛否両論が飛び交った。
「可哀想といっても、罰スレはそういうものだから」といった賛否両論が飛び交った。
そして「テンプレが5回流れたら罰主はリタイア(終了)しても良い」
という新ルール(通称リタイア案)が提案され、この新ルールを設けるか否かという議論に。
主な反対意見は、
「わざとテンプレを流し続けてリタイアする罰主が現れるのではないか」
「誰も何もやってない時間帯があると過疎る」というもの。
という新ルール(通称リタイア案)が提案され、この新ルールを設けるか否かという議論に。
主な反対意見は、
「わざとテンプレを流し続けてリタイアする罰主が現れるのではないか」
「誰も何もやってない時間帯があると過疎る」というもの。
最終的には投票による多数決で新ルールが可決されたが、
この結果に納得いかない反対派の不満も根強かった。
この結果に納得いかない反対派の不満も根強かった。
- 【リタイア案採用後】
- リタイア案が採用されたことで、
- 人がいない時間帯の罰主は2~4時間ほどでリタイアすることが慣例となっていった。
- 罰主の中にはリタイア案によって救われる者も少なくなかったが、
- 罰主になった時に、一瞬で終わるミニゲームや
- メジャーゲーのテンプレばかりを出す者も多かった。
- また、罰主が不在で誰もいない時間帯が増えたことにより、
- 誰かが新たにテンプレを出すまで保守するだけの時間が増えた。
- 誰かがテンプレを出したとしても、人が食い付くかどうかは定かではないため、
- 新たにテンプレを出す者は、見本としてそのゲームを配信することが慣例化した。
- これは参加者が現れないまま数十分ゲームを配信して見せただけで終わる、
- というケースが発生し得るということでもある。
- また「テンプレだけ出しておいて参加者が現れない限り配信はしない」
- という行為は許されないために、そういった行為をする者は非難の対象となった。
- 参加者が現れてレースが盛り上がり始めると、次第に参加者も増えてくるが、
- 人のいない時間帯になると急速に参加者がいなくなる。
- 往々にして盛り上がる時というのは
- 「面白いマイク配信者がいる時」や「人気の高いゲームの時」が大部分を占めるものであり、
- また「そういう時にしか参加しない参加者」が大勢いるなど、
- 現在の罰スレの傾向を指摘する向きが現れ始めた。
- リタイア案が採用されたことの是非を問う声も多くなり、
- 小さな論争も時々発生するようになった。
- 次第に、レースが成立せずスレが盛り上がっていない時には、
- 議論関係のレスが度々飛び交うようになった。
- 特に避難所ではその傾向が強く、
- 「本スレの動向や特定のレスなどに文句を付ける場所」と化している面もあった。
- 罵詈雑言・誹謗中傷などの暴言も目立つようになり、避難所の空気は劣悪を極めた。
- そして諸々の要因により本スレの空気が悪くなり、罰スレは急速に過疎りだしていく。
- 【調和を乱すような参加者の出現と参加者叩き】
- 罰スレが稼動するにつれて、
- 一人だけ圧倒的なビリになり、レースを寒いものにしてしまった参加者
- ゲームのルールから外れた行為・ルール的に微妙な行為をした参加者
- スレの空気・流れにそぐわないテンプレを出した罰主
- スレのまともな進行管理ができない罰主
- が時々見られるようになった。
- また、そういう参加者が現れた時には、
- 参加者を痛烈に非難する「参加者叩き」のレスも必ず書き込まれた。
- これにより、スレの空気の悪化に拍車が掛かることとなる。
2008年10月~11月中旬
あまりの過疎により、テンプレを出しても参加者が現れないことが多くなる。
「面白いマイク配信者がいる時」や「メジャーゲーの時」しか盛り上がらない
といった傾向はますます強くなり、過疎とマンネリ化が更に進んでいった。
といった傾向はますます強くなり、過疎とマンネリ化が更に進んでいった。
罰主が何時間も延々とテンプレを流し続けるだけの
通称「流れタイム」が目立つようになり、
流れタイムの不毛さを指摘する声も出始めた。
通称「流れタイム」が目立つようになり、
流れタイムの不毛さを指摘する声も出始めた。
流れタイムの辛さが際立つことで、参加者の中にも
「自分が罰主になって流れタイムを経験したくない=参加しない」
といった心理が出始める。
結果として、「参加者が多い時」や「自分の得意なゲームの時」しか参加しない
という者が多くなり、またそのことを指摘する声もあった。
「自分が罰主になって流れタイムを経験したくない=参加しない」
といった心理が出始める。
結果として、「参加者が多い時」や「自分の得意なゲームの時」しか参加しない
という者が多くなり、またそのことを指摘する声もあった。
流れタイムを無くす、もしくは短縮するようにルールを改正して、
罰主の負担及び参加のリスクを減らしてはどうか、といった提案をする者も少なくなかったが、
「リタイア案が可決されたせいで過疎ったのに、更に負担を減らすのか」
といった反対意見も根強かった。
罰主の負担及び参加のリスクを減らしてはどうか、といった提案をする者も少なくなかったが、
「リタイア案が可決されたせいで過疎ったのに、更に負担を減らすのか」
といった反対意見も根強かった。
罰というシステム自体を疑問視する声も出始め、罰を無くしてはどうかという提案から
別スレでやればいいという話になり、
実際に罰無しスレが立てられることもあったが、ほとんど成立せずに短期間で消滅した。
別スレでやればいいという話になり、
実際に罰無しスレが立てられることもあったが、ほとんど成立せずに短期間で消滅した。
こういった混沌に乗じて、
「スレが盛り上がっている時やメジャーゲーにしか参加しない参加者が悪い」
「同じようなテンプレしか出さないのが悪い」
など、様々な意見が飛び交った。
また誹謗中傷を含んだ否定的な声も強いためにスレの空気の悪化が加速し、
あまりの賛否両論と空気の悪さにより、もはや議論は実を結ばないものとなっていた。
「スレが盛り上がっている時やメジャーゲーにしか参加しない参加者が悪い」
「同じようなテンプレしか出さないのが悪い」
など、様々な意見が飛び交った。
また誹謗中傷を含んだ否定的な声も強いためにスレの空気の悪化が加速し、
あまりの賛否両論と空気の悪さにより、もはや議論は実を結ばないものとなっていた。
そして11月中旬、罰スレは過疎によるdat落ちにより消滅した。
初代罰スレ終了後
本スレが落ちた後も避難所では
賛否両論の議論が度々発生し、その度に空気が悪くなった。
しかし時間の経過と共に避難所も過疎っていき、レスが付かなくなる。
賛否両論の議論が度々発生し、その度に空気が悪くなった。
しかし時間の経過と共に避難所も過疎っていき、レスが付かなくなる。
また罰スレを再び立ち上げてレースを成立させようとする動きもあったが、
そのどれもが全くレースが成立せずに終了したり、
レースが成立しても参加者や視聴者が少なく、ほとんど盛り上がらずに短時間で消滅していった。
そのどれもが全くレースが成立せずに終了したり、
レースが成立しても参加者や視聴者が少なく、ほとんど盛り上がらずに短時間で消滅していった。
2009年3月
ある日立った罰スレに参加者や視聴者が食いつき、奇跡的に成立。
スレは徐々に人と活気が増えていき、二代目ともいえる罰スレになった。
スレは徐々に人と活気が増えていき、二代目ともいえる罰スレになった。
復活当初の罰主の中には、
テンプレが1~2個流れただけでも、人がいない空気であれば終了宣言をする者や、
スレがお開きムードの時には罰になっても罰主をやらずに終了する者もいたが、
それを咎める者はおらず、むしろ容認する者が多かった。
テンプレが1~2個流れただけでも、人がいない空気であれば終了宣言をする者や、
スレがお開きムードの時には罰になっても罰主をやらずに終了する者もいたが、
それを咎める者はおらず、むしろ容認する者が多かった。
復活当初の罰スレは一日あたりのレースの回転数が少ないこともあってか、
勢いは小さいが、まったりとした温厚な空気のスレだった。
勢いは小さいが、まったりとした温厚な空気のスレだった。
2009年5月~7月
日を追うごとに人が増え、罰スレは勢いを増していった。
そしてスレはかつての勢いを取り戻したかに見えたが、
次第に特定のゲームばかりが成立することによるマンネリ化などが問題視され、
スレの空気の悪化、諸々の配信者の脱去などにより、早々にスレが過疎っていった。
次第に特定のゲームばかりが成立することによるマンネリ化などが問題視され、
スレの空気の悪化、諸々の配信者の脱去などにより、早々にスレが過疎っていった。
その様相は本スレ・避難所ともにかつての罰スレの末期とそう変わらず、
賛否両論の議論や誹謗中傷などの暴言が飛び交うものだった。
賛否両論の議論や誹謗中傷などの暴言が飛び交うものだった。
そして7月22日、罰スレは再び終了した。
二代目罰スレ終了後
以降も何度かスレが立ったり短期間で消滅したりを繰り返しており、今に至る。
近年での類似のゲーム勝負配信
各所のライブストリーミングサービスでは、複数のゲーム配信者同士によるゲーム勝負が行われることがあり、2020年以降でも活発に行われている。
特にニコニコ生放送で行われるRTA大会などは、罰スレを参考にしたり、罰スレの影響を受けた部分もあるのかもしれない(敗者に罰ゲームが課せられる場合もある)。
特にニコニコ生放送で行われるRTA大会などは、罰スレを参考にしたり、罰スレの影響を受けた部分もあるのかもしれない(敗者に罰ゲームが課せられる場合もある)。
スレ番200突破記念
随時補完おねがいします。過去に遡った分も可能であればおねがいします。