「痛風記 その2」(2005/11/28 (月) 14:12:55) の最新版変更点
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なにはともあれ、この痛みはなんとかしなければ仕事どころではありません。</p>
<p>私は病院に行く決心をしました。</p>
<p>しかし、ここからがまた試練が待っています。<br>
仕事には当然トラックで来ているので、帰りも運転して帰らなければならないのです。</p>
<p>
会社まで約30分、痛いのは右足です。右足はアクセルとブレーキを担当しています。普段は意識していないけれど結構忙しいそうです。私の右足はこの激務に耐えられるだけの能力があるかどうか全くの未知数ですが、「とにかく行けるところまで行こう」と考え、トラックに乗り込みました。</p>
<p>
身体の他の部分は正常です。右足も痛いだけで動かすことはできます。幸いアクセルもブレーキも踏むことはできるようですが、しかしその踏みかえには1秒以上かかるようです。はたしてこれで事故を起こさずに帰れるだろうか。とっさの時に急ブレーキは踏めそうにありません。</p>
<p>
これだけのことを確かめてからエンジンをかけ、どうにかこうにか車は動き出し、急ブレーキをかけることもなくやっとの思いで病院までたどり着きました。娘も母親もお世話になった自宅近くの整形外科です。<br>
さっそく問診をし、患部を診るなり、</p>
<p>「あー、痛風だね」。</p>
<p>
間違いようがありません。本で読んだとおりの痛みです。<br>
「チョット我慢してくださいよ」と、言いながら先生は右足をアルコールで消毒し始めました。<br>
「オイオイ、まだ心の準備ができてないぜ」と、内心かなり恐ろしさを感じましたが、大の大人がそれを口に出すことはできません。</p>
<p>
「ウッ!」いきなり右足に今までにない激痛が走りました。先生が注射針を患部に突き刺してきたのです。</p>
<p>泣き出したいのをググッとこらえ、</p>
<p>
「てやんでー、べらぼうめ、こちとら江戸っ子よー」と心の中で叫んでいました。<br>
ところが次の瞬間、江戸っ子の意地も心意気も消し飛んでしまいました。</p>
<p>
「ウワオゥッー」私はかなりハッキリとうめき声を上げてしまいました。</p>
<p>
あろうことか先生は右足の親指を逆方向に折り曲げてきたのです。それはまぎれもなくわが人生最大級の痛みです。診察室に入ってからまだ3分とは経っていないでしょうに。<br>
「ホラッ、ご覧なさい。こんなに濁っているでしょう。健康ならもっと透明なんです」先生は勝ち誇ったような顔で注射器に溜まった液体を私に見せました。</p>
<p>
私はそれどころではない、声を上げ泣き出したいのを辛うじて堪えるのが精一杯の状態でした。<br>
先生は私の最も痛い部分に針を刺し、足の指を逆に折り曲げることで、この濁った液体を採りだしたのです。少々の我慢というレベルの痛さではありません。確実に私の心に恐怖心が芽生えました。</p>
<p>
湿布をしてもらい、血液検査を受け、痛み止めの薬を出してもらうことで本日の診察は終了です。<br>
ところが、帰る間際になって先生がとんでもないことを言いだしたのです。<br>
「酒はダメッ!、絶対いかん」。</p>
<p>
私の人生における良きパートナーであったアルコールをさも悪者扱いするように切り捨てたのです。</p>
<p>
私は激しい痛みとこの絶望的な宣告に本当に泣きそうな思いで家に帰りました。<br>
部屋で横になってもまだ痛みは治まりません。針を刺されたぶん、治療前より痛いような気がします。</p>
<p>
本当に痛みというのは、病気の症状の中で最も深刻なものです。たとえそれが足の指一点であっても、それを無視して生活していくことはできません。</p>
<p>
しかも痛風は一度かかると一生治らないと言われています。</p>
<p>
私は痛みの中でこれからのことを考え始めました。この痛みが同じレベルでズーッと続くようなら、今のような身体を使う仕事は無理だろう、そのうえ酒が飲めないとなると、私の人生における楽しみのかなりの部分を削り取られることになります。<br>
また、妻や娘、母親に対する私の役割もまだ大きなものがあり、まさに暗澹たる気持ちです。</p>
<p align="right">(2005年10月1日)</p>
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なにはともあれ、この痛みはなんとかしなければ仕事どころではありません。</p>
<p>私は病院に行く決心をしました。</p>
<p>しかし、ここからがまた試練が待っています。<br>
仕事には当然トラックで来ているので、帰りも運転して帰らなければならないのです。</p>
<p>会
社まで約30分、痛いのは右足です。右足はアクセルとブレーキを担当しています。普段は意識していないけれど結構忙しいそうです。私の右足はこの激務に耐
えられるだけの能力があるかどうか全くの未知数ですが、「とにかく行けるところまで行こう」と考え、トラックに乗り込みました。</p>
<p>
身体の他の部分は正常です。右足も痛いだけで動かすことはできます。幸いアクセルもブレーキも踏むことはできるようですが、しかしその踏みかえには1秒以上かかるようです。はたしてこれで事故を起こさずに帰れるだろうか。とっさの時に急ブレーキは踏めそうにありません。</p>
<p>
これだけのことを確かめてからエンジンをかけ、どうにかこうにか車は動き出し、急ブレーキをかけることもなくやっとの思いで病院までたどり着きました。娘も母親もお世話になった自宅近くの整形外科です。<br>
さっそく問診をし、患部を診るなり、</p>
<p>「あー、痛風だね」。</p>
<p>
間違いようがありません。本で読んだとおりの痛みです。<br>
「チョット我慢してくださいよ」と、言いながら先生は右足をアルコールで消毒し始めました。<br>
「オイオイ、まだ心の準備ができてないぜ」と、内心かなり恐ろしさを感じましたが、大の大人がそれを口に出すことはできません。</p>
<p>
「ウッ!」いきなり右足に今までにない激痛が走りました。先生が注射針を患部に突き刺してきたのです。</p>
<p>泣き出したいのをググッとこらえ、</p>
<p>
「てやんでー、べらぼうめ、こちとら江戸っ子よー」と心の中で叫んでいました。<br>
ところが次の瞬間、江戸っ子の意地も心意気も消し飛んでしまいました。</p>
<p>
「ウワオゥッー」私はかなりハッキリとうめき声を上げてしまいました。</p>
<p>
あろうことか先生は右足の親指を逆方向に折り曲げてきたのです。それはまぎれもなくわが人生最大級の痛みです。診察室に入ってからまだ3分とは経っていないでしょうに。<br>
「ホラッ、ご覧なさい。こんなに濁っているでしょう。健康ならもっと透明なんです」先生は勝ち誇ったような顔で注射器に溜まった液体を私に見せました。</p>
<p>
私はそれどころではない、声を上げ泣き出したいのを辛うじて堪えるのが精一杯の状態でした。<br>
先生は私の最も痛い部分に針を刺し、足の指を逆に折り曲げることで、この濁った液体を採りだしたのです。少々の我慢というレベルの痛さではありません。確実に私の心に恐怖心が芽生えました。</p>
<p>
湿布をしてもらい、血液検査を受け、痛み止めの薬を出してもらうことで本日の診察は終了です。<br>
ところが、帰る間際になって先生がとんでもないことを言いだしたのです。<br>
「酒はダメッ!、絶対いかん」。</p>
<p>
私の人生における良きパートナーであったアルコールをさも悪者扱いするように切り捨てたのです。</p>
<p>
私は激しい痛みとこの絶望的な宣告に本当に泣きそうな思いで家に帰りました。<br>
部屋で横になってもまだ痛みは治まりません。針を刺されたぶん、治療前より痛いような気がします。</p>
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本当に痛みというのは、病気の症状の中で最も深刻なものです。たとえそれが足の指一点であっても、それを無視して生活していくことはできません。</p>
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しかも痛風は一度かかると一生治らないと言われています。</p>
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私は痛みの中でこれからのことを考え始めました。この痛みが同じレベルでズーッと続くようなら、今のような身体を使う仕事は無理だろう、そのうえ酒が飲めないとなると、私の人生における楽しみのかなりの部分を削り取られることになります。<br>
また、妻や娘、母親に対する私の役割もまだ大きなものがあり、まさに暗澹たる気持ちです。</p>
<p align="right">(2005年10月1日)<br></p>
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