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「少年は涙を忘れ去り、少女は涙を拭い去る」(2008/08/06 (水) 02:41:17) の最新版変更点
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**少年は涙を忘れ去り、少女は涙を拭い去る
深夜の森の中は予想していた以上に怖かった。
直は暗いところは人並み程度には苦手だし、たった一人でまったく知らない場所に行くのも嫌いなほうだ。もちろん、肝試しなんてもってのほかだ。
だがこの状況は、今まで普段生活していた時に感じていたそれらとは比べ物にならないほどの恐怖だった。
孤独であることそれ自体は慣れているから大丈夫だと最初は自分に言い聞かせていたものの、これは普段のただ人と触れ合わないだけのものと違い、圧倒的な実感をもって直の心を支配していた。
どこまでも続く暗闇、その中で頼りなく揺らめくライトの光、湿った空気、自身が地面の枝を踏み折る音……それら諸々全てが直の感じている恐怖を容赦なく煽り立てる。
誰かに会いたい、せめてこんな森の中ではなくもっと安全な場所に移動したい、できれば秋山さんに助けてもらいたい……
直の頭にはずっとこれらの思考が渦巻いていたが、時間が経つとむしろこの頃のほうがマシだったと彼女は思い知ることになる。
最初は誰かに会いたいという一心だけだったが、次第にそれだけでなく――誰にも会いたくないという気持ちも同時に湧き出てきたのだ。
勘違いしてはいけない。これはわけもなく放り出されたわけじゃなく、殺し合いという目的が趣旨とされているのだ。
ライアーゲームのような多額の金を賭け、負ければ人生が破滅してしまうというものもごめんだが、これはもっと根源的な……直接命をやり取りする場。
以前の自分は、どこかでまだ余裕を持っていたのかもしれない。
負けるとその時点で人生は破滅だが、まだ命まではとられることはないと。
たとえ外国に売られることになろうともそこには自分と同じような境遇の人がたくさんいて、辛くてもその人たちと友情を育んだり、ささやかな幸せを手にしたり……
それが平和ボケした甘っちょろい想像だということはわかっているが、そんなことをどこかで思っていたことは否定できない。
あの時は未来があるというだけで、わずかだがたしかにまだ希望を持つことができたのだ。
……だが、今は違う。
だって死ぬのだ。未来も何もない、人生は破滅すらすることなく強制的にそこで見知らぬ第三者の手によって打ち切られる。
よく死んだほうがマシだという言葉を聞くが、今の自分にとって死ぬことよりもマシなことなんてとても想像できない。
もし誰かと遭遇してしまったら、襲い掛かられて殺されるかもしれない。いや、それだけでは済まずにもっと酷いことをされる可能性だって……
「うう……秋山さん……秋山さぁん……」
歩き続ける気力も失い、もう何度流したかもわからない涙を零しながら直はその場にへたり込んだ。
地面の草がちくちくと足に刺さってくるのも気にならない。
ただそこで泣き続けていれば何かが変わってくれるんじゃないか、などと馬鹿なことを期待すらして直は嗚咽をあげ続ける。
どうしてこんなことになったのか、まるで理解できない。
ここに送られてきたという事実は認識できる。世の中の不条理というものも今まで何度だって見てきた。
でもやっぱり、どんなに頑張っても完全に納得することなんてできなかった。
ライアーゲームの時といい今回のこの殺し合いといい、よりにもよってなんで自分がいつもこんなことに巻き込まれる羽目になるのだ。
もっとそれに見合った人なら他にたくさんいるだろうに、こんな何の変哲のないただの大学生である自分が、何故。
秋山さんはここに呼ばれていないのか。
今までどんな苦境に立たされても、最後の最後で必ずあの人は来てくれた。
あの人なら信用できる。きっと自分を助けてくれる。あの天才的な知能を駆使して、簡単にみんなを脱出させてくれる。
「うあぁ……うううぅ……秋山さぁん……」
なのに今、彼はここにはいない。
どんなに泣いても喚いても、決して自分の前に現れてくれない。
頼れる人がどこにもいないというのが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。
「私、どうしたらいいんですか? ここで死んじゃうしかないんですか? そんなの嫌……嫌です……」
死にたくない。
これまでせいぜい18年かそこらの平凡な人生しか送ってきていないけど、それでもこんなところで終わりたくない。
元の世界には、末期ガンでもうあまり先の長くない父親もいる。ここにきて彼を悲しませるようなことはしたくない。
故に直は、その場でただ泣いて助けを求め続ける。
「誰か――誰か助けて……」
秋山さんじゃなくてもいい。それがフクナガさんでも誰でもいい。
お願いだから、自分を――
「あれ?」
――その誰かがあげた声を、たしかに直の耳は聞き取った。
瞬間、自分でも驚くほどの早さで地面に転がっているライトを手探りで拾い当てると、声のした方へと向ける。
その先には……見間違いでもなんでもなく、たしかに人がいた。
「わっ、眩しいなあ」
その直の前に現れた人物は、突然自身を襲ってきた光を遮ろうと片手を眼前にかざしたようだった。
性格の問題なのか、直は彼のその言葉を聞いて反射的に「ご、ごめんなさいっ」と謝ると顔に向けていたライトを少し下に落とす。
すると光は彼の胸あたりに移動して、それと同時にかざしていた手をどけた彼の顔がさらされる。
最初は何か違和感を感じていたものの、彼の表情を見た瞬間から直はそのことを忘れた。
(優しそうな人……)
それが、直がその少年に抱いた感想だった。
年は自分と同じくらいだろうか、もう少し下にも見えないこともないが、いずれにせよそう変わらないだろう。
何故か和服を着ているが、さして気にならなかった。現代日本でも平時から和服を着ている人はいないことはない。ただ、若い人で和服姿はたしかに珍しいが。
そんなことはどうでもよく、何よりその柔和な笑顔からにじみ出る雰囲気が恐慌に陥りかけていた直を心底安堵させた。
「よく知りませんけど、最近は提灯も発達したんですねえ。南蛮のものかな?」
妙なことに感心しながら、少年は一歩ずつこちらに近づいてきた。
それにより、だんだん彼の表情がよく見えるようになる。
遠くからでもわかったその笑顔の印象は近くで見ても変わることはない。やっぱり、優しそうな顔立ちだ。
よかった――直は心底そう思った。
この人は、きっと大丈夫だ。こんな柔らかな雰囲気を持った人が殺し合いになんか乗るわけない。
頼れる人がいなくて不安に思っていたが、最初にこんな人と出会えるなんて自分はついている。
「お姉さん、泣いていたんですか?」
「え?」
突然、少年――瀬田宗次郎は直にそんなことを聞いてきた。
言われて初めて、直は自分の顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていることに気づく。
途端に赤面し、汚れを拭おうとあげていた顔を慌てて下げた。
そんな直の様をどこか可笑しげに宗次郎は眺めていたが、やがてしゃがんでいる直のすぐ側までたどり着くとようやく歩みを止めた。
いつまでも頭を下げていては、彼に失礼だと思われるのではないだろうか。
そんなどこか場違いなことを考えていると、宗次郎は……やはりいつもと変わりのない、まったく邪気のない声で続ける。
「涙はあまり流すものじゃないですよ、お姉さん」
顔を下げているために少年の声しか聞こえない。早く顔を整えなければ。
「泣くってことは、自分が弱者だってことを他の人に明かしているのと同じですからね」
心なしか、彼の声のトーンが少し落ちた気がする。
注意深く聞いていないとわからないような、微少な差異にすぎないが。
だけど彼の表情を確認しようにも、まだ顔をあげることができない。あともう少しだ。
「強ければ生きて、弱ければ死ぬ……これがこの世の理だって、ある人が僕に教えてくれたんです」
さっきから少年がしきりに話しかけてくれている。早く返事をしないと、気分を害してしまうかもしれない。
「あっ、あのっ、それ知ってます。『弱肉強食』ですよね」
「はい、その通りです」
ようやく顔をあげて立ち上がった直を見て、宗次郎はにっこりと笑った。
なんで彼がこんな話をしているのか直にはよく理解できなかったが、とりあえず笑っているのだからこれでいいのだろう。
場にそぐわぬなごやかな空気が深夜の森に流れ……そして宗次郎はその空気を少しも壊すことなく、そのまま言葉を続けた。
「ですから、あなたはここで死んでくださいね」
◆
最初は、かん高い鳥の鳴き声かと思った。
だが、それにしてはどうも様子がおかしい。
声のあとに続いて聞き取れるこの音は、明らかに何者かが地面を踏みしめて走っていることを示している。
となれば恐らく今のは鳥ではなく、女性の悲鳴か。
そう判断すると男は事実を確かめるべく、自分もまた森の中を駆け出していった。
◆
――何故彼女を仕留め損なったのかと聞かれれば、特に理由はない。
殺そうと思えばいつでも殺せた。
たとえば彼女を見つけた瞬間に手に持ったくないを投げつける。
出会ってすぐ、反応し切れない内に素早く近づいて喉を掻っ切る。
そうでなくともしゃがみこんでいたのだから、その隙を狙って脊椎あたりを刺突することだってできた。
それなのに自分はその機会を全て、自らの意思で逃がした。
強いて言うなら、いつでも殺せるからこそ逆に何もしなかったのかもしれない。
「……いや、違うか」
宗次郎は笑った。
それ以外の表情はあの場所に全て置いてきた。
だから彼は何があろうとも笑い続ける。
「あのお姉さんはきっと、あの時の僕なんだ」
だからなのかもしれない。
あのよく涙を流していた昔の自分を、まだまだ弱かった時の自分を、もう少しだけ見ていたくて。
そして、確実にそれを殺したという実感が欲しくて。
だからこそ、自分は彼女を一時的に逃がしたのかもしれない。
彼女は必死に逃げるだろう。それ以外に自分のできることを知らないから。
追い詰めた先で命乞いをするかもしれない。これ以上ないくらい無様に。みじめに。
それでいい。その姿は全て、かつての自分なのだから。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
この世で一番弱い者……すなわち昔の自分であり、今の彼女だ。
――最も殺さなければならない相手だ。
「さて、行こうかな」
逃げる時間は十分にくれてやった。あとは追い詰めるだけだ。
宗次郎はだらりと垂らしたくないをしっかりと構えなおすと、過去との決裂をするために森の中を静かに走り出した。
◆
直は必死で逃げていた。
時折、木々の枝が自身の顔や服を小さく切り裂いてくるがそんなことはどうでもよかった。
なりふりなんて構っていられない。今逃げなければ、確実に自分は殺される。
後ろを振り向くのが怖い。
そうすることで走るスピードが落ちる可能性があるし、何よりすぐ側まであの少年が近づいてきているのが目に入ったらと思うととても振り向けない。
思えば最初から違和感はあった。
自分が泣き崩れていて、そして初めて彼の声を聞いた時。
あの時、たしかに声は聞くことができた――だが逆に言えば、『声しか聞くことができなかった』のだ。
近づいていたのなら何故、彼が草木を掻き分けたりする音が聞こえなかったのだろう。
いくら泣いていたからといって、それを聞き逃すほど注意力は散漫じゃなかったつもりだ。
それはつまり、彼がそれほどの達人で……かつ、意識して忍び寄っていたからに他ならない。
たしかにそれだけじゃ殺し合いに乗った人間と決め付けるには根拠が薄い。だが、警戒するには十分すぎる理由だ。
……なのに自分は、彼の顔を見た瞬間に何の根拠もなく彼を信じる心地になってしまっていた。
秋山さんの言葉が思い出される。
多くの人間が信じるという名の下にやってる行為は実は他人を知ることの放棄……つまり思考停止であり、だからこそ人を疑って疑って、そしてその心の中をじっと見つめることこそが大事なのだと。
さっきの自分はまさに、他人を知るということを放棄していたのだろう。
ただ一人でいるということの不安から逃れたい一心で盲目にこの人なら助けてくれると思い込み、そして何の警戒心もなく……殺されかけた。
「ハッ、ハッ、ハッ……ゼハッ……あ、あき、やま……さんっ!」
息絶え絶えながらも、直はまた秋山の名を呼んだ。
怖い。死にたくない。誰かに助けを求めたい。秋山に頼りたい。
だけどここに、秋山はいない。そう……いないのだ。
自分と同様に島には送り込まれているかもしれないが、それでも今この場には、彼は決して現れない。
『だったら、どうする?』
彼がいつもの不敵な笑みを浮かべながら話しかけてきたような気がした。
『だったら今、お前が生き抜くために必要なことはなんだカンザキ? このまま逃げ続けることか? それとも無謀を承知で殺し合いに参加することか?』
(私……私は……)
木の根に躓いてしまったことで、直の思考は強制的に中断された。
全力で走っていたために勢いを止めることができず、敢え無く直は顔から地面に突っ込む。
「痛っ……だぁ」
急いで起き上がると、ぼたぼたと鼻血が滴り落ちた。
思わず手の甲で拭うが、そこについた大量の赤を見ると痛みよりもむしろ、敢えて意識しないようにしていた今の自分のみじめさが思い出されてまた泣きそうになってくる。
しかもさらに悪いことに、顔だけじゃなく今ので体のそこかしこを打撲したらしく、手足を動かそうとすると激痛が襲いかかり、走りたくても走れない。
だけど、ここで止まるわけにはいかない。今は這ってでも前に進まなくちゃ、あの人が……
「案外早く追いついちゃいましたね」
――今一番聞きたくない声が、直の後方から飛んできた。
壊れたブリキ製のおもちゃかそれ以下の緩慢な動きで、直は倒れたまま身体ごと後ろを振り返った。
そこにはたたずまいも表情も、先の優しげな雰囲気も何もかもが先ほどと一切変わった様子のない少年が立っていた。
「あれれ、お姉さん顔ぶつけちゃったんですか? せっかくかわいいのに台無しですよ」
そんなことを指摘される……が、今度は鼻血を拭う気にもなれなかった。
ただ直の顔は青ざめ、今までそうならなかったのが不思議とばかりに身体が震え始めた。歯の根がガチガチと音をたてて、まるでくるみ割り人形のようだ。
彼が一歩こちらに向かってくるごとに後ろに後ずさろうとするが、思ったよりは自分の身体は進んでくれなかった。
怖い……どうしようもないほどに、怖い。
あんなに優しそうな顔をしているのに、今はそれが何よりも怖い。
「どうします、命乞いでもしてみますか? 僕は別に構いませんけど」
「……!」
宗次郎のその言葉に、直は目を一瞬大きく見開いた。
不思議と彼はすぐに自分を殺そうとはしていない。
獲物をいたぶる趣味があるようには見えないが、とにかく喋る機会が与えられたのは自分にとって幸運なことだ。
覚悟を決めなければ。怖いけれど、もう逃げ場はないのだから。
「あ……」
背中を冷や汗が伝い、喉がカラカラだ。声というものはこんなにも出しにくいものだったか。
あ、そういえば今鼻血が出ているんだった。それなら声が出にくいのも当然だ。
そんなこともわからないくらいに自分は今、焦っているのだろうか。
「あなた、は……わ、わた、私が弱者だって言って、い、いって、言ってましたよね?」
「はい」
「た、たし、たしかに私は、弱いです。馬鹿だし、運動神経もそんなによくないし、ひ、人を殺したことだってありませんし……で、でも――」
「……?」
てっきり命乞いをしてくるのかと思いきや妙なことを口走り始めたため、不思議に思ってそうな顔だった。
自分でも驚いているくらいだ。
言葉はしどろもどろながらも、逃げ場所がなくなったここにきてやっと、自分の意思がこんなにも明確な形で目に見えてきたのだから。
本当なら、秋山に助けてもらいたい。
だけど彼はここにはいない。
だったら自分のするべきことはただ一つ……
「私は、戦います」
その一言だけは言いよどむことなくはっきりと告げることができたことに、直は若干嬉しさを覚えた。そんな場合でないことはわかってはいるのだが。
――すると目の前の少年は……笑顔そのものは変わらないまでも直のその言葉に何故か落胆と、そして若干の嬉しさが混ざったような複雑な表情になった。
ゆっくりとしゃがみこみ、直の顔を覗き込むようにして問いかけてくる。
「戦うって、それはつまり僕と戦うってことですか? 殺し合いに乗って、優勝を目指すと」
「い……いえ、違います」
身体の震えは治まらない。相手はいつでも自分を殺せるのだと思うと、恐怖で吐き気すらしてくる。
だが直はそれらを必死に押さえつけ、決して逸らすことなく宗次郎の、底の見えない目を直視した。
「私は、殺し合いそれ自体を止めるんです。なるべく犠牲は最小限に抑えて、ここからみんなで脱出するんです。そのためには、一人でも多く仲間が必要なんです。それはもちろん……あなたも含めて」
秋山だったら、きっとそうするだろう。ここから脱出するための、現状考える上で唯一の道。
そしてその秋山がいないとなれば、自分がその役割を担ってみせる。みんなを脱出させてみせる。
「――助かりたくてそんなことを言っても無駄ですよ。それに、仮にそれができたとしても誰が信じますか? そんなただの理想論を」
「い、いいえ理想論じゃありません! 脱出はできるんです……それに誰だって、無事生き残って元の世界に戻りたいという気持ちはあるはずです! ですから、耳くらい傾けてくれるはず――」
「…………」
もう話を聞く価値もないと判断したのか、宗次郎は右手に持ったくないの刃を直に向けると、空いた左手で彼女の首根っこを優しく掴んだ。
少年の手はひやりとして冷たかった。そしてそれ以上の冷たさをもった凶器の刃が、直の頚動脈に押し当てられる。
鳥肌が全身に立っているのが、自分でもわかった。
「さっきの話……」
その時不意に、宗次郎は口を開いた。
「断言してもいいですが、絶対に誰もその話には乗りませんよ。結局、最後に信じられるのは誰でもなく自分だけなんですから」
「そ、そうかもしれません。けど……それが、わた、私の戦いですから。私にはそ、それしかできませんから――」
刃が押し当てられた部分から、血が伝って落ちているのが感覚でわかった。
震えが止まってくれない。押し留めていたはずの涙も、タガが決壊したかのように溢れてくる。ああ、やっぱり自分はダメだなあ、と直は深く思う。
やっぱり自分はどう頑張っても、秋山さんのようにはなれない。
――秋山さんのようには、なれないけれど。
「それでも……それでも私は、戦います!」
「よくぞ吼えられた」
――その時、一陣の風が吹いた。
◆
「!?」
唐突な男の登場に、宗次郎は反射的に左足で地面を蹴って後方へ跳んだ。
すると次の瞬間、彼がさっきまでいた場所が……凄まじい音と共に陥没した。
「ひっ!?」
何が起きたのか把握できないのは直も同じ。
命が助かったという実感もなく、ただ突然の出来事に頭をついていかせることができず、呆然としているだけだ。
もうもうと巻き起こる粉塵。その中に巨大な影を確認した時、得体のしれないものへの不安と恐怖で直の心臓はけたたましく鐘楼を鳴らす。
自分もまた、さっきの少年のようにこの人間らしき影から離れたいのだが身体が痛くて無理だ……というより、情けない話だが腰が抜けてしまった。
「どなたですか?」
宗次郎が、まるで気後れしていないように気軽な声をその男にかける。
その時ようやく土煙が晴れ、乱入者の姿が露となった。
「ひっ……」
その姿を見て、直はさっきとそう変わらない悲鳴をあげた。
自分を助けてくれた(のだと思う)その人は隆々とした肉体と鋭い目、なまずを思い起こさせる髭を持った偉丈夫で、きれいに剃りこんだ頭に『大往生』という三文字の刺青を彫っていた。
学生服を着ているが、その顔はとてもそうは見えない。強いて言うなら、大学の応援団団員を直は連想した。
……そしてその腕には妙な形状の鉄甲を身につけていた。全面に傾斜が施されて丸みを帯びており、防御に徹することを目的として作られたような。
正直、圧倒されて言葉が出なかった。
いつもの自分なら、先ほどまで自分を殺そうとしていた少年とこの男性なら、ほぼ間違いなく少年のほうについていくことだろう。
「拙者は男塾三面拳が一人、雷電」
大男は口を開くと、直をかばうように宗次郎の前に立ちはだかった。
猛々しい外見とは裏腹に、どこか知性を感じさせる声だった。
「其処にいる婦人の中に男の魂を見たが故、彼女の手足となりて己が命を捧ぐ者! 故に……貴様には、大往生あるのみ!」
その男――雷電は宗次郎だけでなく、この島に送られてきた者たち全てに宣言するかのごとく叫んだ。
あまりの気迫に当の直本人が気圧されてしまい、口を金魚のごとく開閉させるしかない。
だが宗次郎はというと柳に微風が吹いただけのようにまるで動じた様子もなく、冷静に雷電の姿を観察していた。
――やがて。
「……いえ、せっかくですけどやめておきます。僕の手持ちの武器じゃ敵いそうにありませんからね」
存外あっさりと、宗次郎は退くことを選択した。
くないを手早く懐に入れると、後ろから狙われる可能性だって考慮しているだろうにくるりとこちらに背を向ける。
だがそれを見ても、雷電のほうは拳を収めるわけにはいかない。
「逃さぬ!」
宗次郎の背中を目指し、駆け出そうとする。
……が、その時雷電は自身の足元に何か妙な感触があることに気づいた。
「待ってください!」
見ると、直がへばりついた状態のままで雷電の右足を両手で抱きかかえるようにしてしがみついていた。
さすがに彼女を蹴り払ってまで走れるはずもなく、雷電は仕方なくその動きを止める。
すると何の気まぐれか……去ろうとしていた宗次郎もまた直のその言葉に立ち止まり、こちらを向いてきた。
彼が話を聞いてくれたことに安堵を覚え、直は宗次郎に向かって声をはりあげる。
「あ、あの……お名前は何と言いますか!?」
「あれ、まだ名乗っていませんでしたっけ? 瀬田宗次郎と申します」
「私は神崎直です――瀬田さん、私が先ほど話したこと。あれは本当なんです。ですから、私と一緒にきてくれませんか?」
その言葉に驚いたのは宗次郎ではなく、雷電だった。
驚愕に目と口を大きく開くと、地面の直に向かって抗議の声をあげる。
「な!? 直殿と申されたか、あまりにそれは――」
「甘いですよ、神崎さん」
雷電の言葉に被せるように宗次郎は告げる。
「強ければ生き、弱ければ死ぬ。それがこの世の理です。ですから僕には、あなたのその話は必要ないんです。たとえ死ぬことになっても、それは僕が弱かっただけのことですから」
「でも――」
直の返事は待たず、踵を返すと再び森の中へ消えようとする……が、ふと何かを思い出したように、宗次郎は一度だけ振り返った。
「……ああそれと、あなたは僕が思っていたよりもずっと強かった。その点に関してだけは、お詫びします」
予想はしていたがやはり最後まで屈託のない笑みを浮かべ、宗次郎はぺこりと直に向かっておじぎをすると、それを最後に今度こそ音もなく走り去っていってしまった……
◆
「何故、あのようなことを?」
宗次郎の去ったあと、直は雷電と共に木の根に座り込んでいた。これは主に直の体力が限界に近かったためであるが。
夜が明けようとしているためか、森の木々の間から見える空が白み始めている。それに伴って暗かった森の中も徐々に明るくなってきた。
たったそれだけのことなのに、どうして人の心というものはこんなにも不安から解放されるのだろう。
……と言いたいところなのだがこの雷電という男は特に朝だろうが夜だろうがまったく変わった様子はなく、直はそれと比べてつくづく自分が凡人であることを自覚させられることになる。
「敵に情けをかけるも結構。しかし、時と場合を考えなければそれは己の命を失うことになりかねませぬぞ」
休んでいる間、雷電はずっとこの調子で直にくどくどと説教じみたことを聞かせ続けていた。
普通なら落ち込むところだろうが……直は何故か、彼のその様子に安心感を覚えていた。
本当にこちらを心配してくれていることが伝わってくるからだ。
だがそれでも、人は疑うべきだという秋山の言葉を忘れたわけではない。
これまで自分はなんとなく、人を疑うということは悪いことだと思っていた。
だが、違うのだ。本当に悪いのは、他人に対して無関心になること。そうなればそこには決して信頼関係というものは生まれない。
だからこそ疑う。疑うということは逆に、徹底的に相手のことを知ろうとする努力なのだから。
「あの……」
長々と続く彼の説教を途切れさせることに少し罪悪感を覚えつつも、直はおずおずとその間に口を挟んだ。
とはいっても雷電は別に気を悪くした様子もなく、その言葉の続きを促すように直の目をじっと見つめてきた。
……普段一対一で話すときにあまり目を合わせたりはしないため、少々怯む。
「あ、あの、なんで雷電さんは私を助けてくださったんですか?」
「…………」
その問いかけは、直にしてみればかなり踏み込んだものだった。
せっかくの雷電の善意を、いわば踏みにじる行為をしているような気がしたからだ。
案の定雷電は目を閉じると、なにやら考えているように黙り込んでしまった。
やはりまずかっただろうかと直は強い焦りを覚える。
もしかして今ので機嫌を損ねてしまったのではないだろうか。
今からでも遅くはない、すぐに謝ってさっきの質問を取り消してしまったほうが……
「あ……」
「勘違いめされるな」
直が口を開いたと同時、雷電は重々しい口調で彼女に告げた。
「拙者は、直殿をただ助けたわけではござらん」
「!」
あんなことを聞いたくせに、雷電のその答えは直にとって予想していないものだった。
まさかこの雷電も、さっきの瀬田宗次郎のように……?
そんなことを考えていると、雷電は既に鉄甲を外した両手で直の肩を力強く掴んだ。
一瞬彼が何をしようとしているのか理解ができず、直は思わず悲鳴をあげかけた。
……だが雷電はそれ以上何もすることなく、ただ直の顔を正面から見据えたまま口を開く。
「直殿……そなたはあの時、瀬田という少年の手により己の命が失われようとしている際に断固として吼えられた。『自分は戦う』と……
故に拙者はそなたの前に現れた。いつまでも逃げ続けているようであれば、いっそ見捨てていたやもしれぬ」
「……!」
「だが、そなたは戦うことを選択なされた。さればこそ、我らはこの時より対等なる関係。どちらが上も下もない、共に戦う同志にござる。
直殿にそうなる価値を見出したからこそ、助け申した……それだけのこと。もしこれからまた、直殿が逃げ出すようなことがあれば、拙者は再びそなたを見捨てかねませぬぞ」
その言葉からは、隠しようもない強い意志が感じられた。
直は元来、『馬鹿正直の直』と呼ばれるほど人を信じやすい性格だ。
だからこそ他人に騙されやすいというものもあるが、ともあれ今の雷電の言葉に嘘偽りは見受けられなかった。
彼は誠心誠意、魂をぶつけるように語り掛けている。
「ただし直殿が戦うことを放棄さえしなければ、拙者は命を賭してそなたを護ろう。たとえ何があろうとも」
「は……はい」
自分はそれほどまでに重い責任を背負っていたのかと、内心直は驚く。もちろん、逃げるつもりはない。
隅でガタガタ震えているだけでは、決して生き残ることはできないのだから。
生き抜くためには、自分から動かなくては。この雷電が手足だとすれば、頭は自分の役目だ。
正直知能には自信がないが、それでもライアーゲームや秋山と共にいることで培ってきた経験が自分の唯一の武器だといえる。
……その時、雷電はようやく両肩を掴んでいた手を放すと自身もまた直に対して問いかけてきた。
「では、こちらも聞かせてもらいますぞ直殿。そなたはあの瀬田という少年をも我らの同志に引き入れようとなされた。それは、ただの慈悲からきたものでござろうか?」
雷電の疑問はもっともだった。
いくら直が心優しい少女だからといって、ついさっきまで殺そうとしていた男を仲間にしようなどとは、正直ただの馬鹿としか思えない。
「いいえ……それは絶対というわけではありませんが、そうすることが必要だと思ったからです」
「?」
直のその答えに、雷電は片眉を吊り上げた。
たしかに瀬田宗次郎は十分な戦力にはなるだろうが、それでも仲間に引き入れる意義は見出せない。
……すると直は、今度は自分のほうから雷電の目を見据えてきた。
「雷電さん、先ほども言いましたが、私の戦いはこの殺し合いを止めることです。では具体的に、どうしたら止められると思いますか?」
「む……」
逆に問い返されて、雷電は言葉に詰まった。
直にはあんなことを言ったが、実際は襲われている者を見過ごすことなどできるはずがない。
弱者を護り、殺し合いに乗った者を倒す……いつもならそれだけで済むのだが、今回はそういうわけにもいかないのだ。
これは殺し合い。最後の一人になるまで続けられる、最低最悪の遊戯なのだから。
「私、考えたんです。どうしてあのワポルさんという方がこんなものを開いたのか。ただの娯楽にしては、あまりにもリスクが高すぎるんです」
「……どういうことにござろう?」
「だって、最初に全員が集まった場所を見たでしょう? あんなに大勢の人たちを集めるということはつまり、元の世界では一斉にあの人数が失踪したということになります。一人や二人ならともかく、五十人以上が同時に消えたとなるとマスコミに隠しきれるはずがありません」
「!?」
「にも関わらず、私達はこうして集められている。それなら、たとえ本当の目的が何であろうともワポルさんは絶対にこれを成功させたいはずなんです。二十四時間以内に誰も死ぬことがなければこの首輪が一斉に爆発すると言っていましたが、
あれは殺し合いを促進させるためのブラフで、実際はそんなことないと思うんです。そうなればこの催しは確実に失敗ですからね……では、現実に二十四時間以内に誰も死ななそうな場合、主催の観点から見てどういう手を打つか――」
「主催者本人の、何らかの形での殺し合いの直接的な介入……?」
「……恐らく、そうだと思います。ですからそこを狙うことができれば、私達は最低限の犠牲で元の世界に帰ることができるんです」
「しかし、そのようなことが実際にできるものでござろうか? 今我らがこうしている時にも、きっとどこかで殺戮は行われているはず」
すると、直はどこか沈痛な面持ちになる。
「はい……ですから、明らかに失敗だと思われる残り人数――全体の数を五十人と考えれば残り二十人から三十人を目安に全ての人を仲間にすることができれば、きっと成功します」
「…………」
再び雷電は黙り込む。
実際、直のこの計画は可能なのだろうか?
たしかに、この島にいるほとんどの人間は元の世界に戻りたいだけだろう。それは殺し合いに乗っている者も同様だ。
そういった人々に、帰れる方法があると説けば話に乗ってくる可能性は決して低いとは言えない。
あのワポルという主催者の言っていた、なんでも願いを叶えるという言葉を鵜呑みにして優勝しようとしている者もそうはいないはずだ。
そんな本当かどうかもわからないことを信じるよりは、具体的な道の示されているこちらに乗ってきてもおかしくない。
そのためには、少しでも多く仲間が必要だということは理解できる。
……しかし。
「直殿、そなたの申されることは拙者にもわかる。だがこの世界には、そなたの想像もつかないような異常者がいることも念頭に置かれた方が良い。たとえばあの、瀬田宗次郎のような……」
「…………」
あの男は間違いなく、自分たちとは違う存在だ。己の命よりも先に、独自の価値観で動いている。
それは雷電とて同じだが、その価値観のベクトルがあまりに外れすぎている。あのような手合いには、何を説いても無駄だろう。
それ以外にも、一旦こちらの仲間に入った上で内部分裂を狙う者もいるかもしれない。
この計画に穴があるとすれば……まず、そういった者たちの見極めだろう。
「直殿。拙者はあくまでもそなたの手足に過ぎぬ。故に、相手を仲間に引き入れるかどうかは全て直殿に一任する……だがもし本当にそのような者と相対した場合、いっそその場で屠ることこそ犠牲を最小限に食い止められる一番の手だということを覚えていてもらいたい」
「……はい」
本当は、直は宗次郎も含め全員を無事に元の世界に帰したかった。
根っからの悪者なんて、この世に一人もいない。ただ環境が悪かったせいで捻じ曲がってしまっただけなのだ。
できれば全員を救いたい……しかしそうもいかないだろうことは彼女にもわかっている。
今まで何度も何度も騙されてきたのだから。
その時、雷電は立ち上がると再び外していた鉄甲を身につけ、先ほどの重い雰囲気を一掃するように殊更明るい口調で直に話しかけた。
恐らく気を遣ってくれたのだろう。
「……さて、休憩も終わりにしてそろそろこの森から出ることにしよう」
「はいっ」
雷電にとっては明るい口調のつもりでも実際は大して変わりはなかったのだが、直はその些細な違いに気づくと笑顔で返事をした。
【E-5 ジャングル /一日目 黎明】
【神崎直@LIAR GAME】
【装備】:なし
【所持品】:支給品一式 懐中電灯 支給品1~3(本人確認済み)
【状態】:健康
【思考・行動】
1:殺し合いを止めるため、一人でも多く仲間を増やす
2:人の見極めは慎重にする
【雷電@魁!男塾】
【装備】:無敵鉄甲@るろうに剣心
【所持品】:支給品一式
【状態】:健康
【思考・行動】
1:直の手助けをし、外敵から彼女を護る
2:人の見極めは直に一任するものの、自身も警戒は怠らない
◆
「痛たた……やっぱり縮地を使うにはまだ無理があるよなあこりゃ」
宗次郎は最初に自分の休んでいた場所まで戻ると、そこに放置していた自分のもう一つの支給品である医療箱を開いた。
とはいえこれが本当に自分だけに配られたものなのか、それとも食料などのように全員に配られている基本的なものなのかは宗次郎には判断つかなかったが、まああるに越したことはない。ありがたく使わせてもらうとしよう。
幸い弾は貫通していたため、手当てにさほど手間はかからない。
袴をめくり負傷した右足を露にすると、包帯でまかれたところが血に赤く染まっていた。
普通に走る程度なら……それでも常人に比べればはるかに速いのだが……まだ支障はないかと思ったのだが、この調子では縮地を扱えるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
少なくとも、傷口が塞がるまでは。
「安静にしてろってことかな? もちろんそんなつもりはないんだけど」
それにしても、さきほどの女性……神崎直はとんだ見込み違いだった。
昔の自分と同じ、弱い存在だとしか思っていなかったのに、最後の最後で立派にこちらに牙を剥いてみせた。
彼女は自分とは違う存在なんだと気づいた時、落胆と同時に……どこか、羨望のようなものを抱いている自分がいたことを宗次郎は知っていた。
とはいえ、精神的にいくら強かろうとも実際に力がなければ何の意味もないのだが。
「まあ、どうせ長くは生きられないでしょうけど頑張ってくださいね……神崎さん」
あの女の人が雷電という『力』を手に入れて、果たしてどこまでやれるのか。
さして興味があるわけでもないが、とりあえず宗次郎は直へと激励の言葉を呟いた。
【E-6 南・ジャングル / 一日目 黎明】
【瀬田宗次郎@るろうに剣心】
【装備】:クナイ@るろうに剣心
【所持品】:支給品一式 クナイ×19@るろうに剣心 チョッパーの医療セット@ONE PIECE
【状態】:右足負傷(応急手当て済み)
【思考・行動】
1:包帯を貼り変える
2:弱肉強食の言葉に従い弱い者を殺す。
|021:[[笑えよ]]|CENTER:[[投下順>本編(投下順)]]|023:[[聞く耳持ちません]]|
|018:[[鬼]]|CENTER:[[時間順>本編(時間順)]]|023:[[聞く耳持ちません]]|
|003:[[クライモリ]]|神崎直||
|002:[[どうでもいいことに限ってなかなか忘れない]]|瀬田宗次郎||
|&color(skyblue){初登場}|雷電||
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**少年は涙を忘れ去り、少女は涙を拭い去る
深夜の森の中は予想していた以上に怖かった。
直は暗いところは人並み程度には苦手だし、たった一人でまったく知らない場所に行くのも嫌いなほうだ。もちろん、肝試しなんてもってのほかだ。
だがこの状況は、今まで普段生活していた時に感じていたそれらとは比べ物にならないほどの恐怖だった。
孤独であることそれ自体は慣れているから大丈夫だと最初は自分に言い聞かせていたものの、これは普段のただ人と触れ合わないだけのものと違い、圧倒的な実感をもって直の心を支配していた。
どこまでも続く暗闇、その中で頼りなく揺らめくライトの光、湿った空気、自身が地面の枝を踏み折る音……それら諸々全てが直の感じている恐怖を容赦なく煽り立てる。
誰かに会いたい、せめてこんな森の中ではなくもっと安全な場所に移動したい、できれば秋山さんに助けてもらいたい……
直の頭にはずっとこれらの思考が渦巻いていたが、時間が経つとむしろこの頃のほうがマシだったと彼女は思い知ることになる。
最初は誰かに会いたいという一心だけだったが、次第にそれだけでなく――誰にも会いたくないという気持ちも同時に湧き出てきたのだ。
勘違いしてはいけない。これはわけもなく放り出されたわけじゃなく、殺し合いという目的が趣旨とされているのだ。
ライアーゲームのような多額の金を賭け、負ければ人生が破滅してしまうというものもごめんだが、これはもっと根源的な……直接命をやり取りする場。
以前の自分は、どこかでまだ余裕を持っていたのかもしれない。
負けるとその時点で人生は破滅だが、まだ命まではとられることはないと。
たとえ外国に売られることになろうともそこには自分と同じような境遇の人がたくさんいて、辛くてもその人たちと友情を育んだり、ささやかな幸せを手にしたり……
それが平和ボケした甘っちょろい想像だということはわかっているが、そんなことをどこかで思っていたことは否定できない。
あの時は未来があるというだけで、わずかだがたしかにまだ希望を持つことができたのだ。
……だが、今は違う。
だって死ぬのだ。未来も何もない、人生は破滅すらすることなく強制的にそこで見知らぬ第三者の手によって打ち切られる。
よく死んだほうがマシだという言葉を聞くが、今の自分にとって死ぬことよりもマシなことなんてとても想像できない。
もし誰かと遭遇してしまったら、襲い掛かられて殺されるかもしれない。いや、それだけでは済まずにもっと酷いことをされる可能性だって……
「うう……秋山さん……秋山さぁん……」
歩き続ける気力も失い、もう何度流したかもわからない涙を零しながら直はその場にへたり込んだ。
地面の草がちくちくと足に刺さってくるのも気にならない。
ただそこで泣き続けていれば何かが変わってくれるんじゃないか、などと馬鹿なことを期待すらして直は嗚咽をあげ続ける。
どうしてこんなことになったのか、まるで理解できない。
ここに送られてきたという事実は認識できる。世の中の不条理というものも今まで何度だって見てきた。
でもやっぱり、どんなに頑張っても完全に納得することなんてできなかった。
ライアーゲームの時といい今回のこの殺し合いといい、よりにもよってなんで自分がいつもこんなことに巻き込まれる羽目になるのだ。
もっとそれに見合った人なら他にたくさんいるだろうに、こんな何の変哲のないただの大学生である自分が、何故。
秋山さんはここに呼ばれていないのか。
今までどんな苦境に立たされても、最後の最後で必ずあの人は来てくれた。
あの人なら信用できる。きっと自分を助けてくれる。あの天才的な知能を駆使して、簡単にみんなを脱出させてくれる。
「うあぁ……うううぅ……秋山さぁん……」
なのに今、彼はここにはいない。
どんなに泣いても喚いても、決して自分の前に現れてくれない。
頼れる人がどこにもいないというのが、こんなにも辛いものだとは思わなかった。
「私、どうしたらいいんですか? ここで死んじゃうしかないんですか? そんなの嫌……嫌です……」
死にたくない。
これまでせいぜい18年かそこらの平凡な人生しか送ってきていないけど、それでもこんなところで終わりたくない。
元の世界には、末期ガンでもうあまり先の長くない父親もいる。ここにきて彼を悲しませるようなことはしたくない。
故に直は、その場でただ泣いて助けを求め続ける。
「誰か――誰か助けて……」
秋山さんじゃなくてもいい。それがフクナガさんでも誰でもいい。
お願いだから、自分を――
「あれ?」
――その誰かがあげた声を、たしかに直の耳は聞き取った。
瞬間、自分でも驚くほどの早さで地面に転がっているライトを手探りで拾い当てると、声のした方へと向ける。
その先には……見間違いでもなんでもなく、たしかに人がいた。
「わっ、眩しいなあ」
その直の前に現れた人物は、突然自身を襲ってきた光を遮ろうと片手を眼前にかざしたようだった。
性格の問題なのか、直は彼のその言葉を聞いて反射的に「ご、ごめんなさいっ」と謝ると顔に向けていたライトを少し下に落とす。
すると光は彼の胸あたりに移動して、それと同時にかざしていた手をどけた彼の顔がさらされる。
最初は何か違和感を感じていたものの、彼の表情を見た瞬間から直はそのことを忘れた。
(優しそうな人……)
それが、直がその少年に抱いた感想だった。
年は自分と同じくらいだろうか、もう少し下にも見えないこともないが、いずれにせよそう変わらないだろう。
何故か和服を着ているが、さして気にならなかった。現代日本でも平時から和服を着ている人はいないことはない。ただ、若い人で和服姿はたしかに珍しいが。
そんなことはどうでもよく、何よりその柔和な笑顔からにじみ出る雰囲気が恐慌に陥りかけていた直を心底安堵させた。
「よく知りませんけど、最近は提灯も発達したんですねえ。南蛮のものかな?」
妙なことに感心しながら、少年は一歩ずつこちらに近づいてきた。
それにより、だんだん彼の表情がよく見えるようになる。
遠くからでもわかったその笑顔の印象は近くで見ても変わることはない。やっぱり、優しそうな顔立ちだ。
よかった――直は心底そう思った。
この人は、きっと大丈夫だ。こんな柔らかな雰囲気を持った人が殺し合いになんか乗るわけない。
頼れる人がいなくて不安に思っていたが、最初にこんな人と出会えるなんて自分はついている。
「お姉さん、泣いていたんですか?」
「え?」
突然、少年――瀬田宗次郎は直にそんなことを聞いてきた。
言われて初めて、直は自分の顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていることに気づく。
途端に赤面し、汚れを拭おうとあげていた顔を慌てて下げた。
そんな直の様をどこか可笑しげに宗次郎は眺めていたが、やがてしゃがんでいる直のすぐ側までたどり着くとようやく歩みを止めた。
いつまでも頭を下げていては、彼に失礼だと思われるのではないだろうか。
そんなどこか場違いなことを考えていると、宗次郎は……やはりいつもと変わりのない、まったく邪気のない声で続ける。
「涙はあまり流すものじゃないですよ、お姉さん」
顔を下げているために少年の声しか聞こえない。早く顔を整えなければ。
「泣くってことは、自分が弱者だってことを他の人に明かしているのと同じですからね」
心なしか、彼の声のトーンが少し落ちた気がする。
注意深く聞いていないとわからないような、微少な差異にすぎないが。
だけど彼の表情を確認しようにも、まだ顔をあげることができない。あともう少しだ。
「強ければ生きて、弱ければ死ぬ……これがこの世の理だって、ある人が僕に教えてくれたんです」
さっきから少年がしきりに話しかけてくれている。早く返事をしないと、気分を害してしまうかもしれない。
「あっ、あのっ、それ知ってます。『弱肉強食』ですよね」
「はい、その通りです」
ようやく顔をあげて立ち上がった直を見て、宗次郎はにっこりと笑った。
なんで彼がこんな話をしているのか直にはよく理解できなかったが、とりあえず笑っているのだからこれでいいのだろう。
場にそぐわぬなごやかな空気が深夜の森に流れ……そして宗次郎はその空気を少しも壊すことなく、そのまま言葉を続けた。
「ですから、あなたはここで死んでくださいね」
◆
最初は、かん高い鳥の鳴き声かと思った。
だが、それにしてはどうも様子がおかしい。
声のあとに続いて聞き取れるこの音は、明らかに何者かが地面を踏みしめて走っていることを示している。
となれば恐らく今のは鳥ではなく、女性の悲鳴か。
そう判断すると男は事実を確かめるべく、自分もまた森の中を駆け出していった。
◆
――何故彼女を仕留め損なったのかと聞かれれば、特に理由はない。
殺そうと思えばいつでも殺せた。
たとえば彼女を見つけた瞬間に手に持ったくないを投げつける。
出会ってすぐ、反応し切れない内に素早く近づいて喉を掻っ切る。
そうでなくともしゃがみこんでいたのだから、その隙を狙って脊椎あたりを刺突することだってできた。
それなのに自分はその機会を全て、自らの意思で逃がした。
強いて言うなら、いつでも殺せるからこそ逆に何もしなかったのかもしれない。
「……いや、違うか」
宗次郎は笑った。
それ以外の表情はあの場所に全て置いてきた。
だから彼は何があろうとも笑い続ける。
「あのお姉さんはきっと、あの時の僕なんだ」
だからなのかもしれない。
あのよく涙を流していた昔の自分を、まだまだ弱かった時の自分を、もう少しだけ見ていたくて。
そして、確実にそれを殺したという実感が欲しくて。
だからこそ、自分は彼女を一時的に逃がしたのかもしれない。
彼女は必死に逃げるだろう。それ以外に自分のできることを知らないから。
追い詰めた先で命乞いをするかもしれない。これ以上ないくらい無様に。みじめに。
それでいい。その姿は全て、かつての自分なのだから。
強ければ生き、弱ければ死ぬ。
この世で一番弱い者……すなわち昔の自分であり、今の彼女だ。
――最も殺さなければならない相手だ。
「さて、行こうかな」
逃げる時間は十分にくれてやった。あとは追い詰めるだけだ。
宗次郎はだらりと垂らしたくないをしっかりと構えなおすと、過去との決裂をするために森の中を静かに走り出した。
◆
直は必死で逃げていた。
時折、木々の枝が自身の顔や服を小さく切り裂いてくるがそんなことはどうでもよかった。
なりふりなんて構っていられない。今逃げなければ、確実に自分は殺される。
後ろを振り向くのが怖い。
そうすることで走るスピードが落ちる可能性があるし、何よりすぐ側まであの少年が近づいてきているのが目に入ったらと思うととても振り向けない。
思えば最初から違和感はあった。
自分が泣き崩れていて、そして初めて彼の声を聞いた時。
あの時、たしかに声は聞くことができた――だが逆に言えば、『声しか聞くことができなかった』のだ。
近づいていたのなら何故、彼が草木を掻き分けたりする音が聞こえなかったのだろう。
いくら泣いていたからといって、それを聞き逃すほど注意力は散漫じゃなかったつもりだ。
それはつまり、彼がそれほどの達人で……かつ、意識して忍び寄っていたからに他ならない。
たしかにそれだけじゃ殺し合いに乗った人間と決め付けるには根拠が薄い。だが、警戒するには十分すぎる理由だ。
……なのに自分は、彼の顔を見た瞬間に何の根拠もなく彼を信じる心地になってしまっていた。
秋山さんの言葉が思い出される。
多くの人間が信じるという名の下にやってる行為は実は他人を知ることの放棄……つまり思考停止であり、だからこそ人を疑って疑って、そしてその心の中をじっと見つめることこそが大事なのだと。
さっきの自分はまさに、他人を知るということを放棄していたのだろう。
ただ一人でいるということの不安から逃れたい一心で盲目にこの人なら助けてくれると思い込み、そして何の警戒心もなく……殺されかけた。
「ハッ、ハッ、ハッ……ゼハッ……あ、あき、やま……さんっ!」
息絶え絶えながらも、直はまた秋山の名を呼んだ。
怖い。死にたくない。誰かに助けを求めたい。秋山に頼りたい。
だけどここに、秋山はいない。そう……いないのだ。
自分と同様に島には送り込まれているかもしれないが、それでも今この場には、彼は決して現れない。
『だったら、どうする?』
彼がいつもの不敵な笑みを浮かべながら話しかけてきたような気がした。
『だったら今、お前が生き抜くために必要なことはなんだカンザキ? このまま逃げ続けることか? それとも無謀を承知で殺し合いに参加することか?』
(私……私は……)
木の根に躓いてしまったことで、直の思考は強制的に中断された。
全力で走っていたために勢いを止めることができず、敢え無く直は顔から地面に突っ込む。
「痛っ……だぁ」
急いで起き上がると、ぼたぼたと鼻血が滴り落ちた。
思わず手の甲で拭うが、そこについた大量の赤を見ると痛みよりもむしろ、敢えて意識しないようにしていた今の自分のみじめさが思い出されてまた泣きそうになってくる。
しかもさらに悪いことに、顔だけじゃなく今ので体のそこかしこを打撲したらしく、手足を動かそうとすると激痛が襲いかかり、走りたくても走れない。
だけど、ここで止まるわけにはいかない。今は這ってでも前に進まなくちゃ、あの人が……
「案外早く追いついちゃいましたね」
――今一番聞きたくない声が、直の後方から飛んできた。
壊れたブリキ製のおもちゃかそれ以下の緩慢な動きで、直は倒れたまま身体ごと後ろを振り返った。
そこにはたたずまいも表情も、先の優しげな雰囲気も何もかもが先ほどと一切変わった様子のない少年が立っていた。
「あれれ、お姉さん顔ぶつけちゃったんですか? せっかくかわいいのに台無しですよ」
そんなことを指摘される……が、今度は鼻血を拭う気にもなれなかった。
ただ直の顔は青ざめ、今までそうならなかったのが不思議とばかりに身体が震え始めた。歯の根がガチガチと音をたてて、まるでくるみ割り人形のようだ。
彼が一歩こちらに向かってくるごとに後ろに後ずさろうとするが、思ったよりは自分の身体は進んでくれなかった。
怖い……どうしようもないほどに、怖い。
あんなに優しそうな顔をしているのに、今はそれが何よりも怖い。
「どうします、命乞いでもしてみますか? 僕は別に構いませんけど」
「……!」
宗次郎のその言葉に、直は目を一瞬大きく見開いた。
不思議と彼はすぐに自分を殺そうとはしていない。
獲物をいたぶる趣味があるようには見えないが、とにかく喋る機会が与えられたのは自分にとって幸運なことだ。
覚悟を決めなければ。怖いけれど、もう逃げ場はないのだから。
「あ……」
背中を冷や汗が伝い、喉がカラカラだ。声というものはこんなにも出しにくいものだったか。
あ、そういえば今鼻血が出ているんだった。それなら声が出にくいのも当然だ。
そんなこともわからないくらいに自分は今、焦っているのだろうか。
「あなた、は……わ、わた、私が弱者だって言って、い、いって、言ってましたよね?」
「はい」
「た、たし、たしかに私は、弱いです。馬鹿だし、運動神経もそんなによくないし、ひ、人を殺したことだってありませんし……で、でも――」
「……?」
てっきり命乞いをしてくるのかと思いきや妙なことを口走り始めたため、不思議に思ってそうな顔だった。
自分でも驚いているくらいだ。
言葉はしどろもどろながらも、逃げ場所がなくなったここにきてやっと、自分の意思がこんなにも明確な形で目に見えてきたのだから。
本当なら、秋山に助けてもらいたい。
だけど彼はここにはいない。
だったら自分のするべきことはただ一つ……
「私は、戦います」
その一言だけは言いよどむことなくはっきりと告げることができたことに、直は若干嬉しさを覚えた。そんな場合でないことはわかってはいるのだが。
――すると目の前の少年は……笑顔そのものは変わらないまでも直のその言葉に何故か落胆と、そして若干の嬉しさが混ざったような複雑な表情になった。
ゆっくりとしゃがみこみ、直の顔を覗き込むようにして問いかけてくる。
「戦うって、それはつまり僕と戦うってことですか? 殺し合いに乗って、優勝を目指すと」
「い……いえ、違います」
身体の震えは治まらない。相手はいつでも自分を殺せるのだと思うと、恐怖で吐き気すらしてくる。
だが直はそれらを必死に押さえつけ、決して逸らすことなく宗次郎の、底の見えない目を直視した。
「私は、殺し合いそれ自体を止めるんです。なるべく犠牲は最小限に抑えて、ここからみんなで脱出するんです。そのためには、一人でも多く仲間が必要なんです。それはもちろん……あなたも含めて」
秋山だったら、きっとそうするだろう。ここから脱出するための、現状考える上で唯一の道。
そしてその秋山がいないとなれば、自分がその役割を担ってみせる。みんなを脱出させてみせる。
「――助かりたくてそんなことを言っても無駄ですよ。それに、仮にそれができたとしても誰が信じますか? そんなただの理想論を」
「い、いいえ理想論じゃありません! 脱出はできるんです……それに誰だって、無事生き残って元の世界に戻りたいという気持ちはあるはずです! ですから、耳くらい傾けてくれるはず――」
「…………」
もう話を聞く価値もないと判断したのか、宗次郎は右手に持ったくないの刃を直に向けると、空いた左手で彼女の首根っこを優しく掴んだ。
少年の手はひやりとして冷たかった。そしてそれ以上の冷たさをもった凶器の刃が、直の頚動脈に押し当てられる。
鳥肌が全身に立っているのが、自分でもわかった。
「さっきの話……」
その時不意に、宗次郎は口を開いた。
「断言してもいいですが、絶対に誰もその話には乗りませんよ。結局、最後に信じられるのは誰でもなく自分だけなんですから」
「そ、そうかもしれません。けど……それが、わた、私の戦いですから。私にはそ、それしかできませんから――」
刃が押し当てられた部分から、血が伝って落ちているのが感覚でわかった。
震えが止まってくれない。押し留めていたはずの涙も、タガが決壊したかのように溢れてくる。ああ、やっぱり自分はダメだなあ、と直は深く思う。
やっぱり自分はどう頑張っても、秋山さんのようにはなれない。
――秋山さんのようには、なれないけれど。
「それでも……それでも私は、戦います!」
「よくぞ吼えられた」
――その時、一陣の風が吹いた。
◆
「!?」
唐突な男の登場に、宗次郎は反射的に左足で地面を蹴って後方へ跳んだ。
すると次の瞬間、彼がさっきまでいた場所が……凄まじい音と共に陥没した。
「ひっ!?」
何が起きたのか把握できないのは直も同じ。
命が助かったという実感もなく、ただ突然の出来事に頭をついていかせることができず、呆然としているだけだ。
もうもうと巻き起こる粉塵。その中に巨大な影を確認した時、得体のしれないものへの不安と恐怖で直の心臓はけたたましく鐘楼を鳴らす。
自分もまた、さっきの少年のようにこの人間らしき影から離れたいのだが身体が痛くて無理だ……というより、情けない話だが腰が抜けてしまった。
「どなたですか?」
宗次郎が、まるで気後れしていないように気軽な声をその男にかける。
その時ようやく土煙が晴れ、乱入者の姿が露となった。
「ひっ……」
その姿を見て、直はさっきとそう変わらない悲鳴をあげた。
自分を助けてくれた(のだと思う)その人は隆々とした肉体と鋭い目、なまずを思い起こさせる髭を持った偉丈夫で、きれいに剃りこんだ頭に『大往生』という三文字の刺青を彫っていた。
学生服を着ているが、その顔はとてもそうは見えない。強いて言うなら、大学の応援団団員を直は連想した。
……そしてその腕には妙な形状の鉄甲を身につけていた。全面に傾斜が施されて丸みを帯びており、防御に徹することを目的として作られたような。
正直、圧倒されて言葉が出なかった。
いつもの自分なら、先ほどまで自分を殺そうとしていた少年とこの男性なら、ほぼ間違いなく少年のほうについていくことだろう。
「拙者は男塾三面拳が一人、雷電」
大男は口を開くと、直をかばうように宗次郎の前に立ちはだかった。
猛々しい外見とは裏腹に、どこか知性を感じさせる声だった。
「其処にいる婦人の中に男の魂を見たが故、彼女の手足となりて己が命を捧ぐ者! 故に……貴様には、大往生あるのみ!」
その男――雷電は宗次郎だけでなく、この島に送られてきた者たち全てに宣言するかのごとく叫んだ。
あまりの気迫に当の直本人が気圧されてしまい、口を金魚のごとく開閉させるしかない。
だが宗次郎はというと柳に微風が吹いただけのようにまるで動じた様子もなく、冷静に雷電の姿を観察していた。
――やがて。
「……いえ、せっかくですけどやめておきます。僕の手持ちの武器じゃ敵いそうにありませんからね」
存外あっさりと、宗次郎は退くことを選択した。
くないを手早く懐に入れると、後ろから狙われる可能性だって考慮しているだろうにくるりとこちらに背を向ける。
だがそれを見ても、雷電のほうは拳を収めるわけにはいかない。
「逃さぬ!」
宗次郎の背中を目指し、駆け出そうとする。
……が、その時雷電は自身の足元に何か妙な感触があることに気づいた。
「待ってください!」
見ると、直がへばりついた状態のままで雷電の右足を両手で抱きかかえるようにしてしがみついていた。
さすがに彼女を蹴り払ってまで走れるはずもなく、雷電は仕方なくその動きを止める。
すると何の気まぐれか……去ろうとしていた宗次郎もまた直のその言葉に立ち止まり、こちらを向いてきた。
彼が話を聞いてくれたことに安堵を覚え、直は宗次郎に向かって声をはりあげる。
「あ、あの……お名前は何と言いますか!?」
「あれ、まだ名乗っていませんでしたっけ? 瀬田宗次郎と申します」
「私は神崎直です――瀬田さん、私が先ほど話したこと。あれは本当なんです。ですから、私と一緒にきてくれませんか?」
その言葉に驚いたのは宗次郎ではなく、雷電だった。
驚愕に目と口を大きく開くと、地面の直に向かって抗議の声をあげる。
「な!? 直殿と申されたか、あまりにそれは――」
「甘いですよ、神崎さん」
雷電の言葉に被せるように宗次郎は告げる。
「強ければ生き、弱ければ死ぬ。それがこの世の理です。ですから僕には、あなたのその話は必要ないんです。たとえ死ぬことになっても、それは僕が弱かっただけのことですから」
「でも――」
直の返事は待たず、踵を返すと再び森の中へ消えようとする……が、ふと何かを思い出したように、宗次郎は一度だけ振り返った。
「……ああそれと、あなたは僕が思っていたよりもずっと強かった。その点に関してだけは、お詫びします」
予想はしていたがやはり最後まで屈託のない笑みを浮かべ、宗次郎はぺこりと直に向かっておじぎをすると、それを最後に今度こそ音もなく走り去っていってしまった……
◆
「何故、あのようなことを?」
宗次郎の去ったあと、直は雷電と共に木の根に座り込んでいた。これは主に直の体力が限界に近かったためであるが。
夜が明けようとしているためか、森の木々の間から見える空が白み始めている。それに伴って暗かった森の中も徐々に明るくなってきた。
たったそれだけのことなのに、どうして人の心というものはこんなにも不安から解放されるのだろう。
……と言いたいところなのだがこの雷電という男は特に朝だろうが夜だろうがまったく変わった様子はなく、直はそれと比べてつくづく自分が凡人であることを自覚させられることになる。
「敵に情けをかけるも結構。しかし、時と場合を考えなければそれは己の命を失うことになりかねませぬぞ」
休んでいる間、雷電はずっとこの調子で直にくどくどと説教じみたことを聞かせ続けていた。
普通なら落ち込むところだろうが……直は何故か、彼のその様子に安心感を覚えていた。
本当にこちらを心配してくれていることが伝わってくるからだ。
だがそれでも、人は疑うべきだという秋山の言葉を忘れたわけではない。
これまで自分はなんとなく、人を疑うということは悪いことだと思っていた。
だが、違うのだ。本当に悪いのは、他人に対して無関心になること。そうなればそこには決して信頼関係というものは生まれない。
だからこそ疑う。疑うということは逆に、徹底的に相手のことを知ろうとする努力なのだから。
「あの……」
長々と続く彼の説教を途切れさせることに少し罪悪感を覚えつつも、直はおずおずとその間に口を挟んだ。
とはいっても雷電は別に気を悪くした様子もなく、その言葉の続きを促すように直の目をじっと見つめてきた。
……普段一対一で話すときにあまり目を合わせたりはしないため、少々怯む。
「あ、あの、なんで雷電さんは私を助けてくださったんですか?」
「…………」
その問いかけは、直にしてみればかなり踏み込んだものだった。
せっかくの雷電の善意を、いわば踏みにじる行為をしているような気がしたからだ。
案の定雷電は目を閉じると、なにやら考えているように黙り込んでしまった。
やはりまずかっただろうかと直は強い焦りを覚える。
もしかして今ので機嫌を損ねてしまったのではないだろうか。
今からでも遅くはない、すぐに謝ってさっきの質問を取り消してしまったほうが……
「あ……」
「勘違いめされるな」
直が口を開いたと同時、雷電は重々しい口調で彼女に告げた。
「拙者は、直殿をただ助けたわけではござらん」
「!」
あんなことを聞いたくせに、雷電のその答えは直にとって予想していないものだった。
まさかこの雷電も、さっきの瀬田宗次郎のように……?
そんなことを考えていると、雷電は既に鉄甲を外した両手で直の肩を力強く掴んだ。
一瞬彼が何をしようとしているのか理解ができず、直は思わず悲鳴をあげかけた。
……だが雷電はそれ以上何もすることなく、ただ直の顔を正面から見据えたまま口を開く。
「直殿……そなたはあの時、瀬田という少年の手により己の命が失われようとしている際に断固として吼えられた。『自分は戦う』と……
故に拙者はそなたの前に現れた。いつまでも逃げ続けているようであれば、いっそ見捨てていたやもしれぬ」
「……!」
「だが、そなたは戦うことを選択なされた。さればこそ、我らはこの時より対等なる関係。どちらが上も下もない、共に戦う同志にござる。
直殿にそうなる価値を見出したからこそ、助け申した……それだけのこと。もしこれからまた、直殿が逃げ出すようなことがあれば、拙者は再びそなたを見捨てかねませぬぞ」
その言葉からは、隠しようもない強い意志が感じられた。
直は元来、『馬鹿正直の直』と呼ばれるほど人を信じやすい性格だ。
だからこそ他人に騙されやすいというものもあるが、ともあれ今の雷電の言葉に嘘偽りは見受けられなかった。
彼は誠心誠意、魂をぶつけるように語り掛けている。
「ただし直殿が戦うことを放棄さえしなければ、拙者は命を賭してそなたを護ろう。たとえ何があろうとも」
「は……はい」
自分はそれほどまでに重い責任を背負っていたのかと、内心直は驚く。もちろん、逃げるつもりはない。
隅でガタガタ震えているだけでは、決して生き残ることはできないのだから。
生き抜くためには、自分から動かなくては。この雷電が手足だとすれば、頭は自分の役目だ。
正直知能には自信がないが、それでもライアーゲームや秋山と共にいることで培ってきた経験が自分の唯一の武器だといえる。
……その時、雷電はようやく両肩を掴んでいた手を放すと自身もまた直に対して問いかけてきた。
「では、こちらも聞かせてもらいますぞ直殿。そなたはあの瀬田という少年をも我らの同志に引き入れようとなされた。それは、ただの慈悲からきたものでござろうか?」
雷電の疑問はもっともだった。
いくら直が心優しい少女だからといって、ついさっきまで殺そうとしていた男を仲間にしようなどとは、正直ただの馬鹿としか思えない。
「いいえ……それは絶対というわけではありませんが、そうすることが必要だと思ったからです」
「?」
直のその答えに、雷電は片眉を吊り上げた。
たしかに瀬田宗次郎は十分な戦力にはなるだろうが、それでも仲間に引き入れる意義は見出せない。
……すると直は、今度は自分のほうから雷電の目を見据えてきた。
「雷電さん、先ほども言いましたが、私の戦いはこの殺し合いを止めることです。では具体的に、どうしたら止められると思いますか?」
「む……」
逆に問い返されて、雷電は言葉に詰まった。
直にはあんなことを言ったが、実際は襲われている者を見過ごすことなどできるはずがない。
弱者を護り、殺し合いに乗った者を倒す……いつもならそれだけで済むのだが、今回はそういうわけにもいかないのだ。
これは殺し合い。最後の一人になるまで続けられる、最低最悪の遊戯なのだから。
「私、考えたんです。どうしてあのワポルさんという方がこんなものを開いたのか。ただの娯楽にしては、あまりにもリスクが高すぎるんです」
「……どういうことにござろう?」
「だって、最初に全員が集まった場所を見たでしょう? あんなに大勢の人たちを集めるということはつまり、元の世界では一斉にあの人数が失踪したということになります。一人や二人ならともかく、五十人以上が同時に消えたとなるとマスコミに隠しきれるはずがありません」
「!?」
「にも関わらず、私達はこうして集められている。それなら、たとえ本当の目的が何であろうともワポルさんは絶対にこれを成功させたいはずなんです。二十四時間以内に誰も死ぬことがなければこの首輪が一斉に爆発すると言っていましたが、
あれは殺し合いを促進させるためのブラフで、実際はそんなことないと思うんです。そうなればこの催しは確実に失敗ですからね……では、現実に二十四時間以内に誰も死ななそうな場合、主催の観点から見てどういう手を打つか――」
「主催者本人の、何らかの形での殺し合いの直接的な介入……?」
「……恐らく、そうだと思います。ですからそこを狙うことができれば、私達は最低限の犠牲で元の世界に帰ることができるんです」
「しかし、そのようなことが実際にできるものでござろうか? 今我らがこうしている時にも、きっとどこかで殺戮は行われているはず」
すると、直はどこか沈痛な面持ちになる。
「はい……ですから、明らかに失敗だと思われる残り人数――全体の数を五十人と考えれば残り二十人から三十人を目安に全ての人を仲間にすることができれば、きっと成功します」
「…………」
再び雷電は黙り込む。
実際、直のこの計画は可能なのだろうか?
たしかに、この島にいるほとんどの人間は元の世界に戻りたいだけだろう。それは殺し合いに乗っている者も同様だ。
そういった人々に、帰れる方法があると説けば話に乗ってくる可能性は決して低いとは言えない。
あのワポルという主催者の言っていた、なんでも願いを叶えるという言葉を鵜呑みにして優勝しようとしている者もそうはいないはずだ。
そんな本当かどうかもわからないことを信じるよりは、具体的な道の示されているこちらに乗ってきてもおかしくない。
そのためには、少しでも多く仲間が必要だということは理解できる。
……しかし。
「直殿、そなたの申されることは拙者にもわかる。だがこの世界には、そなたの想像もつかないような異常者がいることも念頭に置かれた方が良い。たとえばあの、瀬田宗次郎のような……」
「…………」
あの男は間違いなく、自分たちとは違う存在だ。己の命よりも先に、独自の価値観で動いている。
それは雷電とて同じだが、その価値観のベクトルがあまりに外れすぎている。あのような手合いには、何を説いても無駄だろう。
それ以外にも、一旦こちらの仲間に入った上で内部分裂を狙う者もいるかもしれない。
この計画に穴があるとすれば……まず、そういった者たちの見極めだろう。
「直殿。拙者はあくまでもそなたの手足に過ぎぬ。故に、相手を仲間に引き入れるかどうかは全て直殿に一任する……だがもし本当にそのような者と相対した場合、いっそその場で屠ることこそ犠牲を最小限に食い止められる一番の手だということを覚えていてもらいたい」
「……はい」
本当は、直は宗次郎も含め全員を無事に元の世界に帰したかった。
根っからの悪者なんて、この世に一人もいない。ただ環境が悪かったせいで捻じ曲がってしまっただけなのだ。
できれば全員を救いたい……しかしそうもいかないだろうことは彼女にもわかっている。
今まで何度も何度も騙されてきたのだから。
その時、雷電は立ち上がると再び外していた鉄甲を身につけ、先ほどの重い雰囲気を一掃するように殊更明るい口調で直に話しかけた。
恐らく気を遣ってくれたのだろう。
「……さて、休憩も終わりにしてそろそろこの森から出ることにしよう」
「はいっ」
雷電にとっては明るい口調のつもりでも実際は大して変わりはなかったのだが、直はその些細な違いに気づくと笑顔で返事をした。
【E-5 ジャングル /一日目 黎明】
【神崎直@LIAR GAME】
【装備】:なし
【所持品】:支給品一式 懐中電灯 支給品1~3(本人確認済み)
【状態】:健康
【思考・行動】
1:殺し合いを止めるため、一人でも多く仲間を増やす
2:人の見極めは慎重にする
【雷電@魁!男塾】
【装備】:無敵鉄甲@るろうに剣心
【所持品】:支給品一式
【状態】:健康
【思考・行動】
1:直の手助けをし、外敵から彼女を護る
2:人の見極めは直に一任するものの、自身も警戒は怠らない
◆
「痛たた……やっぱり縮地を使うにはまだ無理があるよなあこりゃ」
宗次郎は最初に自分の休んでいた場所まで戻ると、そこに放置していた自分のもう一つの支給品である医療箱を開いた。
とはいえこれが本当に自分だけに配られたものなのか、それとも食料などのように全員に配られている基本的なものなのかは宗次郎には判断つかなかったが、まああるに越したことはない。ありがたく使わせてもらうとしよう。
幸い弾は貫通していたため、手当てにさほど手間はかからない。
袴をめくり負傷した右足を露にすると、包帯でまかれたところが血に赤く染まっていた。
普通に走る程度なら……それでも常人に比べればはるかに速いのだが……まだ支障はないかと思ったのだが、この調子では縮地を扱えるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
少なくとも、傷口が塞がるまでは。
「安静にしてろってことかな? もちろんそんなつもりはないんだけど」
それにしても、さきほどの女性……神崎直はとんだ見込み違いだった。
昔の自分と同じ、弱い存在だとしか思っていなかったのに、最後の最後で立派にこちらに牙を剥いてみせた。
彼女は自分とは違う存在なんだと気づいた時、落胆と同時に……どこか、羨望のようなものを抱いている自分がいたことを宗次郎は知っていた。
とはいえ、精神的にいくら強かろうとも実際に力がなければ何の意味もないのだが。
「まあ、どうせ長くは生きられないでしょうけど頑張ってくださいね……神崎さん」
あの女の人が雷電という『力』を手に入れて、果たしてどこまでやれるのか。
さして興味があるわけでもないが、とりあえず宗次郎は直へと激励の言葉を呟いた。
【E-6 南・ジャングル / 一日目 黎明】
【瀬田宗次郎@るろうに剣心】
【装備】:クナイ@るろうに剣心
【所持品】:支給品一式 クナイ×19@るろうに剣心 チョッパーの医療セット@ONE PIECE
【状態】:右足負傷(応急手当て済み)
【思考・行動】
1:包帯を貼り変える
2:弱肉強食の言葉に従い弱い者を殺す。
|021:[[笑えよ]]|CENTER:[[投下順>本編(投下順)]]|023:[[聞く耳持ちません]]|
|018:[[鬼]]|CENTER:[[時間順>本編(時間順)]]|023:[[聞く耳持ちません]]|
|003:[[クライモリ]]|神崎直||
|002:[[どうでもいいことに限ってなかなか忘れない]]|瀬田宗次郎||
|&color(skyblue){初登場}|雷電||
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