「二人の武道」(2008/08/06 (水) 02:46:18) の最新版変更点
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**二人の武道(前編)
「うっひょー広っれえ~! くそぉ……サニーがいればすぐにでも大航海してやんのに!」
島の最南端、道路から少し外れたところにある崖。
本来なら人が落ちないようにするための柵が敷いてあるべきだが、この島に限っては一切そのようなものは見当たらず、そのために少しでも足を滑らせれば為すすべもなく崖下の海に転落してしまう。
にも関わらずその崖っぷちに自分から望んで向かうような者は、自殺志願者かもしくはよほどの命知らずぐらいなものだろう。
そして間違いなく後者に当たるであろう麦わら帽子を被った少年――モンキー・D・ルフィはそこに仁王立ちとなり、眼前に広がる広大な海を満面の笑みで見渡していた。
「何をしておる、置いてゆくぞルフィ!」
「え~? だってほら見てみろよ真夜! まだ今は見えねえけど、もう少し待てばあの海の向こうから太陽が出てきてすっげえきれいになるんだぞ!」
「今はそのような場合ではなかろうに……」
「まったく、あの頃の悟空を思い出させるのう」
一人気ままにはしゃぐルフィを横目に、棗真夜と武天老師……亀仙人の二人は深くため息をついた。
彼ら三人はとりあえず岩山から下りると、さてどこへ向かおうかと悩んだ際に地図を見て、とりあえず中央にある城周辺の町を目的地にしようと決めたのだが……
その矢先にこの海を見つけたルフィが勝手に突っ走って、慌ててそれを追いかけてきたのがこの現状だ。
まあ中央に向かうといってもそこに何があると決まったわけでもなし、これも数分で済むだろうからあまり腹を立てるべきではないのかもしれないが。
「それにしても老師、あの岩山でルフィが話したこと……真であろうか?」
彼の気が済むまでしばらく放置しておこうと決めたらしく、真夜は近くの建物を背にしてちょこんと座り込むと、同じく隣に座り込んだ亀仙人に向かって聞いてみた。
ルフィと初めて出会って少しの間話をし、彼から聞き出した情報は主に以下の通りだ。
まずルフィはとある海賊団の船長で、幼少時にゴムゴムの実とやらを食した結果、全身がゴムで出来たゴム人間になってしまったこと。
次に、あのワポルという男はルフィと同じようにバクバクの実を食べたらしく、それで岩だろうが鉄だろうが何でも食べることのできる特殊な体質になっていること。
そして最後に、ワポルはかつてドラム王国という国の王であったらしいが、事情はよく知らないがその国を一度出て行ってしまい、また舞い戻ってきたところをたまたま出くわしたルフィたちによって吹っ飛ばされたということ。
ルフィの説明はところどころに擬音が入ったり、本人もよくわかっていなかったりすることが多くていまいち不明瞭な点が多かったものの、なんとか聞き出せた情報はこのくらいだった。
……だがその話を聞いたところで、やはりワポルがこのような殺し合いを開くに至った経緯は一切わからない。
そもそも奴にそのような力はないはずだ。
せいぜいが何でも食べれるだけの一国の王にしか過ぎない男が、どうしてこんなことができる?
疑問は尽きなかったが、それでもこうなってしまった以上は何かしらの理由があるということなのだろう……
「…………」
「…………」
「……老師?」
さっきから隣で黙りこくっている亀仙人に不審なものを感じ、真夜は彼の顔を覗き込んだ。
サングラスに隠されているためにその目を見ることはかなわなかったが、亀仙人は真剣な顔をして真夜をじっと見つめている。
この老人はひょうきんな性格とは裏腹に実力は確からしい。それは今までの行動からも片鱗は窺える。
まさか敵がこちらを襲わんと、何処からか隙を狙っているのを察知したとでもいうのだろうか。
重々しい雰囲気が漂う中、亀仙人は静かに口を開いた。
「……のおマヤちゃん、やっぱり元のピチピチギャルに戻ったほうが」
「ふんっ」
小さい身体に全身全霊の力を込めてスケベ爺の顔面に拳をめり込ませる。
鼻っ面を押さえて転げまわる爺を無視して真夜はやれやれとばかりに頭を抱えた。
この老師といい、あのルフィといい、どうにも今一つ頼りにならない。
戦闘力はあるのかもしれないが、それ以前の問題としてなんというか、人間的にこう……
やはりここは、柔剣部部長の自分がリーダーとして引っ張っていくべきなのかもしれない。
なに、問題児集団をまとめるのは普段から慣れている。
片手に持った、子供用のサイズに縮めた如意棒をくるくると器用に回しながら、真夜はそんなことを心に思う。
そういえば、とその如意棒を扱っていたら思い出した。
真夜たち三人に配られた支給品のことだ。
彼女に与えられた支給品は結局これ一つだけだったが、亀仙人とルフィにも一応それぞれ用意されていた。
亀仙人には、何故か『44』と書かれたバッジと……正直、これはどう贔屓目に見ても戦いに役立つとは思えない……やけに鋭利に研がれた石の刃物の二つ。
大したものではないと最初は思ったが、この石で作られたナイフが意外にもとんでもない切れ味を誇っていた。
途中草木が生えているところで試してみたら何の手応えもないのにスパスパと綺麗に切れる。
その上、いくら切っても一切磨耗することはない。
さすがにもっと硬いものでもぶつければ刃こぼれくらいはするだろうが、下手すればこれは新品の包丁なんぞよりもよほど性能が良いのではなかろうか。
彼の支給品は特別良いというわけでもないが、ちゃんと使える武器が入っているだけまだ当たりだと言えるだろう。
しかしもう一人、ルフィの支給品はといえば……
――みかんだった。
何の変哲のない、悪魔の実とかいうものでもない、正真正銘のみかんが三つ。
当然、それらは既にルフィの胃袋の中だ。
……まあワポルがルフィに倒されたことがあるというのが本当ならば、嫌がらせ目的でわざとこれをルフィにあてがった可能性もある。
ルフィ本人は嫌がらせどころか、むしろみかんが食べられて大層満足していたのだが。
「やはり、前途多難かのう……」
なおも崖のほうで一人はしゃいでいるルフィを遠目に見つつ、真夜はもう何度目になるかもわからないため息をついた。
……と、気づくとさっきまで隣で背中の甲羅を地面につけてそれを支点に転がり続けていた亀仙人が、もう痛みからは復活したのか静かにその場から立ち上がっていた。
「……? どうした老師。また儂にセクハラまがいな発言をするつもりなら……――――ッ!?」
その時、真夜の息が止まった。
別に何かされたというわけではない、だが止めざるを得なかった。
――空気が一瞬にして重く、張り詰めたものへと変貌したのがわかったからだ。
真夜は完全に静止した時の中で、この空間を作り出した元凶を見出さんと自分もまた、亀仙人が見ている方向――道路が続いている先へと目を向ける。
この空気にいち早く気づいた亀仙人はといえば、何も言わず、何も構えず、だがサングラスの奥の目を鋭くして全身の筋肉に緊張を走らせていた。
遠くにいるルフィも、何か防衛本能が働いたのかさっきまではしゃいでいたのが嘘みたいに真剣な顔つきになり、じっと二人と同じ方向を見つめている。
――『何か』がいる。
瞬間的に、そしてある種必然的に三人の思考は一致する。
最初、それが人間の放つ殺気だとは思わなかった。敢えて言うならば餓えた野獣か。
だがそれでもまだ足りない……もはや、まったく未知の領域と言っていい。
この世の全ての負の感情を一つに凝縮したらこんな感じだろうか。
「何者じゃ……」
その時初めて、真夜は亀仙人の真剣な声を聞いた――はずなのだが、今の彼女はあまりにもこの尋常でない殺気に意識が向けられていたため、それに気づくことはなかった。
姿こそ見えないが、黒いものが少しずつこちらに近づいてきているのがわかる。
冷や汗が頬を伝い、顎へ向かい、そして地面に滴り落ちるに至るまで、真夜は微塵も動くことができなかった。
やがて、すぐ側にあるビルの扉が開き、中から一人の男が現れる。
その男は非常に恵まれた体格を黒いコートに包み込み、悠然とした足取りで一歩ずつ、確実にこちらに向かって歩いてきた。
オールバックに固めた髪、鼻の上あたりを横一文字に切り裂いた傷跡、何よりもその男の発するどす黒い闘気が、彼がカタギの人間ではないということをあらん限りに示していた。
「一つ、貴様らに問おう」
まだ少し距離が開いているところでぴたりと歩みを止めると、男は低い声で三人に問いかけた。
「貴様らは、俺が直接手を下すに値するか?」
「……先に質問をしたのはこっちの方じゃ。お主は何者じゃ」
男からにじみ出てくる圧倒的な圧力に、しかし決して呑まれることはなく亀仙人は冷静にそう聞き返した。
それと同時、背負っていた自身の甲羅を地面に落とす――すると、コンクリートで整備されていたはずの道路に、甲羅が落ちた衝撃で無数のヒビが走った。
この老人は、今までこんなものをつけて平気な顔で歩いていたのかと真夜は驚く。
それを見た男は一瞬目を大きく開いたが……次の瞬間には微笑を浮かべる。
「ふっ……なるほど、度胸だけはあるということか」
「もう一度だけ聞くぞ、若いの。お主は――何者じゃ」
「いいだろう、爺。他のガキ共は知らんが、たしかに貴様は戦い甲斐がありそうだ……答えてやろう。俺は宮沢鬼龍。流派は……――灘神影流」
「わしは武天老師……まあ、周りからは亀仙人と呼ばれておるがの。流派はその通称が示しておる通り、亀仙流じゃ」
「亀仙流……知らんな」
「それはお互い様じゃ。わしもお主の灘神影流なんぞ知らん」
その会話の内に、亀仙人とこの鬼龍というらしい男は互いに相手の力を推し量っていた。
流派はたしかに双方共に聞いたことがないが、それでもこの眼前にいる男が只者ではないということくらいわかる。
一触即発の空気……何がきっかけで爆発するかわからないこの場で、取り残された真夜はとても喋ることも、動くこともできなかった。
達人クラスの二人がこうして向かい合っているのだ。一体どうしてその中に割り込めることができようか。
――いや、一人だけそれができる者がいた。
意識しているわけではないだろうが、この静寂を最初に打ち破らんと拳を振り上げて猛然と駆けてゆく男。
「俺はルフィ! 流派は特になし! よろしく!」
「!」
この男もまた鬼龍の殺気に動じた風もなく、まったく奴を恐れていない。
鬼龍の強さを感じ取っていないはずはないだろうが、それでも決して臆することなく向かっていけるのは彼の精神力が強いためか、はたまた単純に馬鹿なだけか。
どちらにせよ、ルフィは鬼龍に目掛けて拳をぶち込まんと『彼特有の動作』を開始した。
「ゴムゴムのぉ……」
「小僧、貴様は邪魔――」
ルフィと名乗った小僧とこちらの間の距離、およそ十五メートル。
奴の攻撃が届くまで、まだあまりに距離が開きすぎている……あんなところから拳を放とうとしても到底届くはずがない。
――そう鬼龍は判断したために特に防御も回避も行わなかったのだが、それはあくまで彼の世界での常識に基づいた判断だ。
そんなものは、あらゆる異能力者が集まったグランドラインを冒険している男には通用しない。
「銃(ピストル)!!」
「!?」
一瞬、目の錯覚かと鬼龍は自分の目を疑った。
ここから随分と離れている――それはたしかだ。
故に、あんなところから放っている奴の拳が届くはずがないのだ。
だが、その届くはずのなかった拳が今こうして、今まで彼の培ってきたあらゆる常識を覆して猛スピードで飛んできている。
いかに幾多の戦いを経験してきた鬼龍とて、これはさすがに考慮の外と言うほかない。
瞬間、凄まじい轟音と共に鬼龍の巨体が一瞬宙に浮いたのを、真夜はたしかにその目で見た。
あのルフィという男、戦闘力はありそうだとは思っていたものの、実際こうして目の前にしてみると度胸、破壊力共に予想以上だ。
だが背中から地面に派手に倒れるかと思いきや、鬼龍は半歩分後ろに飛ばされただけで、相変わらずその二本の足は宿主をしっかりと支え続けていた。
見ると、鬼龍は自身の前に両腕を交差させており、確実に彼の顔面を捉えていたはずのルフィの拳はそれによって阻まれていた。
腕を多少痛めたかもしれないが、それでも鬼龍本人はさしてダメージは負っていない。
ルフィの強さが予想以上ならば、あの一瞬の間にガードが間に合ったという事実一つとっても、鬼龍の強さもまたこちらの予想を遥かに超えている。
「……小僧、貴様はなんだ?」
鬼龍はゆっくりと顔の前に掲げていた両腕を下ろすと、殴り損なって悔しげな顔をしているルフィを初めて本格的に意識した。
かつて鬼龍が闘ってきた相手にも、リーチを少しでも伸ばそうとパンチをする際に自身の間接を外したり、そう見せかけるために目の錯覚を引き起こさせたりする輩は存在した。
だがこの麦わら帽子を被った小僧は、それらとは確実に違う。
明らかに、人間である限りは有り得ない距離から腕を伸ばしてきた。
対してルフィは、非常にあっさりと答えてくる。
「俺はゴムゴムの実を食べた、ゴム人間だ!」
「…………」
意味がわからない。
まるで無邪気な子供の夢想した世界をそのまま具現化したような、そんな答えだった。
むしろこの男の存在自体がそんなものなのかもしれないが。
……だがその答えがどうであれ、奴の腕が驚異的なリーチを持っていることに変わりはない。
さらに言えば、ゴム人間などと豪語しているということは腕だけでなく、足や首も伸ばすことができる可能性が高い。
厄介な相手だ……とは、鬼龍は思わなかった。それならそうと認識した上で戦うまでのこと。
相手に手の内を見せた時点で、奴の伸びる能力はただの曲芸へと価値が下がる。
「もういっちょ! ゴムゴムのお~っ」
ルフィが再び攻撃を開始せんと突っ走ってくる。
先とゴムゴムの銃と似たような攻撃だが、違うところはルフィ本人が勢いをつけて既に鬼龍の懐に潜り込んでいるところだ。
腕を後方に伸ばすだけでなく、同時に自身も前に走ることでゴムの伸縮域を限界まで引き伸ばし、それによって更に拳の威力を高めた技。
「銃弾(ブレット)ォッ!」
ゴムゴムの銃と比して威力だけでなく、速さも格段に上がっている。
常人なら見切ることすら不可能なルフィのパンチ……しかしこの鬼龍という男に限っては話は別だ。
さっきのようにまるで対処していなかったのならばともかく、事前に何かしら来るとわかっているのならばこの程度の攻撃はどうとでもなる。
猛烈な勢いで飛んでくるその拳が自身の顔面に当たる直前、いとも簡単にそれを片手で払い、一瞬にして軌道を逸らす。
「おっ!?」
それによってルフィは一瞬バランスを崩してしまう。
そうなれば後に残るのは、不用意に鬼龍の間合いに飛び込んでいるルフィの体のみ。
その瞬間、ルフィはただ鬼龍に殺されるためだけに近づいてきた、哀れな羽虫そのものと化す。
何の容赦も躊躇もなく、彼は完全に無防備となっているルフィの身体に必殺の蹴りを浴びせた。
「!?」
……だがその時、鬼龍はその足に妙な感覚を覚えた。
まるで手ごたえがないのだ。
いや、正確には何かを蹴ったというのはわかるのだが、肝心の骨が折れ内臓が潰れゆくいつもの慣れた感覚が、まったくない。
――それによって鬼龍は理解する。
この男は単に体の一部をゴムのように伸ばせるだけというわけではなく、その名の通り全身がゴムでできているのだと。それも遺伝子レベルでだ。
「効かねえよっ」
威力自体は死んでいるわけではないらしく、鬼龍の蹴りによって空高く吹き飛ばされたルフィが叫ぶ。
「ゴムだから!」
そして、さっきのお返しだと言わんばかりに空中から蹴りを繰り出した。
鬼龍の左前方から、何もかもを粉砕するかのようなルフィの足が飛来してくる。
「ゴムゴムの鞭!」
多少の岩盤ならば一撃で粉砕できる破壊力を持ったルフィの蹴り。
だが鬼龍はそれを避けることも防御することもせず、ただ衝撃に備えるために体を低く構える。
奴が何をしようとしているのか、ルフィにはわからない。わからないが、とにかく彼にできることは全力で足を振りぬくことのみ。
これはさすがの鬼龍といえど、まともに当たればただではすまないはずだ。
――すまないはずだったのだ。
「い!?」
ルフィは驚愕する。
鬼龍はたしかに防御も回避も行わなかった。ただ、ルフィの蹴りを……その両手で掴んでみせただけだ。
蹴りの衝撃が体に伝わっていないはずはないだろうに、それでも掴んでみせたのだ。
まさか自分の蹴りが防がれるどころか掴まれるとは夢にも思わず、ルフィはあまりのショックに、次に自分の体がどうなるのかを忘れた。
ゴムという性質上、一度伸びたものは必ず収縮する。
そして一方が鬼龍によって捕えられているということはつまり、宙にいるルフィの体の方が足に引っ張られる形でどんどん鬼龍の元へ吸い寄せられるように縮んでいくのだ。
「打撃が効かないだと? 自惚れるなよ小僧……貴様に通用しないのはただ、力任せに撃つだけの初歩的なものに過ぎん」
その縮んでいく過程で、たしかにルフィは鬼龍のその言葉を聞いた。
――そして次の瞬間、彼の体に衝撃が走る。
「ぁぐあッ……!?」
鬼龍の突き出した掌底が、ルフィの鳩尾に突きこまれたのだ。
いつもならゴムという特性をもつルフィに普通の打撃は一切通用しない。衝撃を吸収してしまうからだ。
だが鬼龍の狙いはルフィの体ではなく、その中身……すなわち内臓器官そのものに『気』を送り込み、直接衝撃を与えること。
かつてルフィと戦った相手に『六王銃』という、これと似た技を使ってきた者がいたが、威力は恐らく同等かもしくはそれ以上だ。
ルフィは今度は吹っ飛ぶことはなく――血を吐いて、その場に崩れ落ちた。
「発勁……武道における本物の打撃とは、こういうものだ」
倒れ伏したルフィを見下ろしながら、鬼龍は呟く。
普段の状態ならともかく、内臓がいかれている今なら普通の攻撃も通用するかもしれない。
そう思い、鬼龍は彼に止めを刺さんと足を振り上げた。
「わしらを忘れてもらっては困るのお」
[[後編>二人の武道(後編)]]
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**二人の武道(前編)
「うっひょー広っれえ~! くそぉ……サニーがいればすぐにでも大航海してやんのに!」
島の最南端、道路から少し外れたところにある崖。
本来なら人が落ちないようにするための柵が敷いてあるべきだが、この島に限っては一切そのようなものは見当たらず、そのために少しでも足を滑らせれば為すすべもなく崖下の海に転落してしまう。
にも関わらずその崖っぷちに自分から望んで向かうような者は、自殺志願者かもしくはよほどの命知らずぐらいなものだろう。
そして間違いなく後者に当たるであろう麦わら帽子を被った少年――モンキー・D・ルフィはそこに仁王立ちとなり、眼前に広がる広大な海を満面の笑みで見渡していた。
「何をしておる、置いてゆくぞルフィ!」
「え~? だってほら見てみろよ真夜! まだ今は見えねえけど、もう少し待てばあの海の向こうから太陽が出てきてすっげえきれいになるんだぞ!」
「今はそのような場合ではなかろうに……」
「まったく、あの頃の悟空を思い出させるのう」
一人気ままにはしゃぐルフィを横目に、棗真夜と武天老師……亀仙人の二人は深くため息をついた。
彼ら三人はとりあえず岩山から下りると、さてどこへ向かおうかと悩んだ際に地図を見て、とりあえず中央にある城周辺の町を目的地にしようと決めたのだが……
その矢先にこの海を見つけたルフィが勝手に突っ走って、慌ててそれを追いかけてきたのがこの現状だ。
まあ中央に向かうといってもそこに何があると決まったわけでもなし、これも数分で済むだろうからあまり腹を立てるべきではないのかもしれないが。
「それにしても老師、あの岩山でルフィが話したこと……真であろうか?」
彼の気が済むまでしばらく放置しておこうと決めたらしく、真夜は近くの建物を背にしてちょこんと座り込むと、同じく隣に座り込んだ亀仙人に向かって聞いてみた。
ルフィと初めて出会って少しの間話をし、彼から聞き出した情報は主に以下の通りだ。
まずルフィはとある海賊団の船長で、幼少時にゴムゴムの実とやらを食した結果、全身がゴムで出来たゴム人間になってしまったこと。
次に、あのワポルという男はルフィと同じようにバクバクの実を食べたらしく、それで岩だろうが鉄だろうが何でも食べることのできる特殊な体質になっていること。
そして最後に、ワポルはかつてドラム王国という国の王であったらしいが、事情はよく知らないがその国を一度出て行ってしまい、また舞い戻ってきたところをたまたま出くわしたルフィたちによって吹っ飛ばされたということ。
ルフィの説明はところどころに擬音が入ったり、本人もよくわかっていなかったりすることが多くていまいち不明瞭な点が多かったものの、なんとか聞き出せた情報はこのくらいだった。
……だがその話を聞いたところで、やはりワポルがこのような殺し合いを開くに至った経緯は一切わからない。
そもそも奴にそのような力はないはずだ。
せいぜいが何でも食べれるだけの一国の王にしか過ぎない男が、どうしてこんなことができる?
疑問は尽きなかったが、それでもこうなってしまった以上は何かしらの理由があるということなのだろう……
「…………」
「…………」
「……老師?」
さっきから隣で黙りこくっている亀仙人に不審なものを感じ、真夜は彼の顔を覗き込んだ。
サングラスに隠されているためにその目を見ることはかなわなかったが、亀仙人は真剣な顔をして真夜をじっと見つめている。
この老人はひょうきんな性格とは裏腹に実力は確からしい。それは今までの行動からも片鱗は窺える。
まさか敵がこちらを襲わんと、何処からか隙を狙っているのを察知したとでもいうのだろうか。
重々しい雰囲気が漂う中、亀仙人は静かに口を開いた。
「……のおマヤちゃん、やっぱり元のピチピチギャルに戻ったほうが」
「ふんっ」
小さい身体に全身全霊の力を込めてスケベ爺の顔面に拳をめり込ませる。
鼻っ面を押さえて転げまわる爺を無視して真夜はやれやれとばかりに頭を抱えた。
この老師といい、あのルフィといい、どうにも今一つ頼りにならない。
戦闘力はあるのかもしれないが、それ以前の問題としてなんというか、人間的にこう……
やはりここは、柔剣部部長の自分がリーダーとして引っ張っていくべきなのかもしれない。
なに、問題児集団をまとめるのは普段から慣れている。
片手に持った、子供用のサイズに縮めた如意棒をくるくると器用に回しながら、真夜はそんなことを心に思う。
そういえば、とその如意棒を扱っていたら思い出した。
真夜たち三人に配られた支給品のことだ。
彼女に与えられた支給品は結局これ一つだけだったが、亀仙人とルフィにも一応それぞれ用意されていた。
亀仙人には、何故か『44』と書かれたバッジと……正直、これはどう贔屓目に見ても戦いに役立つとは思えない……やけに鋭利に研がれた石の刃物の二つ。
大したものではないと最初は思ったが、この石で作られたナイフが意外にもとんでもない切れ味を誇っていた。
途中草木が生えているところで試してみたら何の手応えもないのにスパスパと綺麗に切れる。
その上、いくら切っても一切磨耗することはない。
さすがにもっと硬いものでもぶつければ刃こぼれくらいはするだろうが、下手すればこれは新品の包丁なんぞよりもよほど性能が良いのではなかろうか。
彼の支給品は特別良いというわけでもないが、ちゃんと使える武器が入っているだけまだ当たりだと言えるだろう。
しかしもう一人、ルフィの支給品はといえば……
――みかんだった。
何の変哲のない、悪魔の実とかいうものでもない、正真正銘のみかんが三つ。
当然、それらは既にルフィの胃袋の中だ。
……まあワポルがルフィに倒されたことがあるというのが本当ならば、嫌がらせ目的でわざとこれをルフィにあてがった可能性もある。
ルフィ本人は嫌がらせどころか、むしろみかんが食べられて大層満足していたのだが。
「やはり、前途多難かのう……」
なおも崖のほうで一人はしゃいでいるルフィを遠目に見つつ、真夜はもう何度目になるかもわからないため息をついた。
……と、気づくとさっきまで隣で背中の甲羅を地面につけてそれを支点に転がり続けていた亀仙人が、もう痛みからは復活したのか静かにその場から立ち上がっていた。
「……? どうした老師。また儂にセクハラまがいな発言をするつもりなら……――――ッ!?」
その時、真夜の息が止まった。
別に何かされたというわけではない、だが止めざるを得なかった。
――空気が一瞬にして重く、張り詰めたものへと変貌したのがわかったからだ。
真夜は完全に静止した時の中で、この空間を作り出した元凶を見出さんと自分もまた、亀仙人が見ている方向――道路が続いている先へと目を向ける。
この空気にいち早く気づいた亀仙人はといえば、何も言わず、何も構えず、だがサングラスの奥の目を鋭くして全身の筋肉に緊張を走らせていた。
遠くにいるルフィも、何か防衛本能が働いたのかさっきまではしゃいでいたのが嘘みたいに真剣な顔つきになり、じっと二人と同じ方向を見つめている。
――『何か』がいる。
瞬間的に、そしてある種必然的に三人の思考は一致する。
最初、それが人間の放つ殺気だとは思わなかった。敢えて言うならば餓えた野獣か。
だがそれでもまだ足りない……もはや、まったく未知の領域と言っていい。
この世の全ての負の感情を一つに凝縮したらこんな感じだろうか。
「何者じゃ……」
その時初めて、真夜は亀仙人の真剣な声を聞いた――はずなのだが、今の彼女はあまりにもこの尋常でない殺気に意識が向けられていたため、それに気づくことはなかった。
姿こそ見えないが、黒いものが少しずつこちらに近づいてきているのがわかる。
冷や汗が頬を伝い、顎へ向かい、そして地面に滴り落ちるに至るまで、真夜は微塵も動くことができなかった。
やがて、すぐ側にあるビルの扉が開き、中から一人の男が現れる。
その男は非常に恵まれた体格を黒いコートに包み込み、悠然とした足取りで一歩ずつ、確実にこちらに向かって歩いてきた。
オールバックに固めた髪、鼻の上あたりを横一文字に切り裂いた傷跡、何よりもその男の発するどす黒い闘気が、彼がカタギの人間ではないということをあらん限りに示していた。
「一つ、貴様らに問おう」
まだ少し距離が開いているところでぴたりと歩みを止めると、男は低い声で三人に問いかけた。
「貴様らは、俺が直接手を下すに値するか?」
「……先に質問をしたのはこっちの方じゃ。お主は何者じゃ」
男からにじみ出てくる圧倒的な圧力に、しかし決して呑まれることはなく亀仙人は冷静にそう聞き返した。
それと同時、背負っていた自身の甲羅を地面に落とす――すると、コンクリートで整備されていたはずの道路に、甲羅が落ちた衝撃で無数のヒビが走った。
この老人は、今までこんなものをつけて平気な顔で歩いていたのかと真夜は驚く。
それを見た男は一瞬目を大きく開いたが……次の瞬間には微笑を浮かべる。
「ふっ……なるほど、度胸だけはあるということか」
「もう一度だけ聞くぞ、若いの。お主は――何者じゃ」
「いいだろう、爺。他のガキ共は知らんが、たしかに貴様は戦い甲斐がありそうだ……答えてやろう。俺は宮沢鬼龍。流派は……――灘神影流」
「わしは武天老師……まあ、周りからは亀仙人と呼ばれておるがの。流派はその通称が示しておる通り、亀仙流じゃ」
「亀仙流……知らんな」
「それはお互い様じゃ。わしもお主の灘神影流なんぞ知らん」
その会話の内に、亀仙人とこの鬼龍というらしい男は互いに相手の力を推し量っていた。
流派はたしかに双方共に聞いたことがないが、それでもこの眼前にいる男が只者ではないということくらいわかる。
一触即発の空気……何がきっかけで爆発するかわからないこの場で、取り残された真夜はとても喋ることも、動くこともできなかった。
達人クラスの二人がこうして向かい合っているのだ。一体どうしてその中に割り込めることができようか。
――いや、一人だけそれができる者がいた。
意識しているわけではないだろうが、この静寂を最初に打ち破らんと拳を振り上げて猛然と駆けてゆく男。
「俺はルフィ! 流派は特になし! よろしく!」
「!」
この男もまた鬼龍の殺気に動じた風もなく、まったく奴を恐れていない。
鬼龍の強さを感じ取っていないはずはないだろうが、それでも決して臆することなく向かっていけるのは彼の精神力が強いためか、はたまた単純に馬鹿なだけか。
どちらにせよ、ルフィは鬼龍に目掛けて拳をぶち込まんと『彼特有の動作』を開始した。
「ゴムゴムのぉ……」
「小僧、貴様は邪魔――」
ルフィと名乗った小僧とこちらの間の距離、およそ十五メートル。
奴の攻撃が届くまで、まだあまりに距離が開きすぎている……あんなところから拳を放とうとしても到底届くはずがない。
――そう鬼龍は判断したために特に防御も回避も行わなかったのだが、それはあくまで彼の世界での常識に基づいた判断だ。
そんなものは、あらゆる異能力者が集まったグランドラインを冒険している男には通用しない。
「銃(ピストル)!!」
「!?」
一瞬、目の錯覚かと鬼龍は自分の目を疑った。
ここから随分と離れている――それはたしかだ。
故に、あんなところから放っている奴の拳が届くはずがないのだ。
だが、その届くはずのなかった拳が今こうして、今まで彼の培ってきたあらゆる常識を覆して猛スピードで飛んできている。
いかに幾多の戦いを経験してきた鬼龍とて、これはさすがに考慮の外と言うほかない。
瞬間、凄まじい轟音と共に鬼龍の巨体が一瞬宙に浮いたのを、真夜はたしかにその目で見た。
あのルフィという男、戦闘力はありそうだとは思っていたものの、実際こうして目の前にしてみると度胸、破壊力共に予想以上だ。
だが背中から地面に派手に倒れるかと思いきや、鬼龍は半歩分後ろに飛ばされただけで、相変わらずその二本の足は宿主をしっかりと支え続けていた。
見ると、鬼龍は自身の前に両腕を交差させており、確実に彼の顔面を捉えていたはずのルフィの拳はそれによって阻まれていた。
腕を多少痛めたかもしれないが、それでも鬼龍本人はさしてダメージは負っていない。
ルフィの強さが予想以上ならば、あの一瞬の間にガードが間に合ったという事実一つとっても、鬼龍の強さもまたこちらの予想を遥かに超えている。
「……小僧、貴様はなんだ?」
鬼龍はゆっくりと顔の前に掲げていた両腕を下ろすと、殴り損なって悔しげな顔をしているルフィを初めて本格的に意識した。
かつて鬼龍が闘ってきた相手にも、リーチを少しでも伸ばそうとパンチをする際に自身の間接を外したり、そう見せかけるために目の錯覚を引き起こさせたりする輩は存在した。
だがこの麦わら帽子を被った小僧は、それらとは確実に違う。
明らかに、人間である限りは有り得ない距離から腕を伸ばしてきた。
対してルフィは、非常にあっさりと答えてくる。
「俺はゴムゴムの実を食べた、ゴム人間だ!」
「…………」
意味がわからない。
まるで無邪気な子供の夢想した世界をそのまま具現化したような、そんな答えだった。
むしろこの男の存在自体がそんなものなのかもしれないが。
……だがその答えがどうであれ、奴の腕が驚異的なリーチを持っていることに変わりはない。
さらに言えば、ゴム人間などと豪語しているということは腕だけでなく、足や首も伸ばすことができる可能性が高い。
厄介な相手だ……とは、鬼龍は思わなかった。それならそうと認識した上で戦うまでのこと。
相手に手の内を見せた時点で、奴の伸びる能力はただの曲芸へと価値が下がる。
「もういっちょ! ゴムゴムのお~っ」
ルフィが再び攻撃を開始せんと突っ走ってくる。
先とゴムゴムの銃と似たような攻撃だが、違うところはルフィ本人が勢いをつけて既に鬼龍の懐に潜り込んでいるところだ。
腕を後方に伸ばすだけでなく、同時に自身も前に走ることでゴムの伸縮域を限界まで引き伸ばし、それによって更に拳の威力を高めた技。
「銃弾(ブレット)ォッ!」
ゴムゴムの銃と比して威力だけでなく、速さも格段に上がっている。
常人なら見切ることすら不可能なルフィのパンチ……しかしこの鬼龍という男に限っては話は別だ。
さっきのようにまるで対処していなかったのならばともかく、事前に何かしら来るとわかっているのならばこの程度の攻撃はどうとでもなる。
猛烈な勢いで飛んでくるその拳が自身の顔面に当たる直前、いとも簡単にそれを片手で払い、一瞬にして軌道を逸らす。
「おっ!?」
それによってルフィは一瞬バランスを崩してしまう。
そうなれば後に残るのは、不用意に鬼龍の間合いに飛び込んでいるルフィの体のみ。
その瞬間、ルフィはただ鬼龍に殺されるためだけに近づいてきた、哀れな羽虫そのものと化す。
何の容赦も躊躇もなく、彼は完全に無防備となっているルフィの身体に必殺の蹴りを浴びせた。
「!?」
……だがその時、鬼龍はその足に妙な感覚を覚えた。
まるで手ごたえがないのだ。
いや、正確には何かを蹴ったというのはわかるのだが、肝心の骨が折れ内臓が潰れゆくいつもの慣れた感覚が、まったくない。
――それによって鬼龍は理解する。
この男は単に体の一部をゴムのように伸ばせるだけというわけではなく、その名の通り全身がゴムでできているのだと。それも遺伝子レベルでだ。
「効かねえよっ」
威力自体は死んでいるわけではないらしく、鬼龍の蹴りによって空高く吹き飛ばされたルフィが叫ぶ。
「ゴムだから!」
そして、さっきのお返しだと言わんばかりに空中から蹴りを繰り出した。
鬼龍の左前方から、何もかもを粉砕するかのようなルフィの足が飛来してくる。
「ゴムゴムの鞭!」
多少の岩盤ならば一撃で粉砕できる破壊力を持ったルフィの蹴り。
だが鬼龍はそれを避けることも防御することもせず、ただ衝撃に備えるために体を低く構える。
奴が何をしようとしているのか、ルフィにはわからない。わからないが、とにかく彼にできることは全力で足を振りぬくことのみ。
これはさすがの鬼龍といえど、まともに当たればただではすまないはずだ。
――すまないはずだったのだ。
「い!?」
ルフィは驚愕する。
鬼龍はたしかに防御も回避も行わなかった。ただ、ルフィの蹴りを……その両手で掴んでみせただけだ。
蹴りの衝撃が体に伝わっていないはずはないだろうに、それでも掴んでみせたのだ。
まさか自分の蹴りが防がれるどころか掴まれるとは夢にも思わず、ルフィはあまりのショックに、次に自分の体がどうなるのかを忘れた。
ゴムという性質上、一度伸びたものは必ず収縮する。
そして一方が鬼龍によって捕えられているということはつまり、宙にいるルフィの体の方が足に引っ張られる形でどんどん鬼龍の元へ吸い寄せられるように縮んでいくのだ。
「打撃が効かないだと? 自惚れるなよ小僧……貴様に通用しないのはただ、力任せに撃つだけの初歩的なものに過ぎん」
その縮んでいく過程で、たしかにルフィは鬼龍のその言葉を聞いた。
――そして次の瞬間、彼の体に衝撃が走る。
「ぁぐあッ……!?」
鬼龍の突き出した掌底が、ルフィの鳩尾に突きこまれたのだ。
いつもならゴムという特性をもつルフィに普通の打撃は一切通用しない。衝撃を吸収してしまうからだ。
だが鬼龍の狙いはルフィの体ではなく、その中身……すなわち内臓器官そのものに『気』を送り込み、直接衝撃を与えること。
かつてルフィと戦った相手に『六王銃』という、これと似た技を使ってきた者がいたが、威力は恐らく同等かもしくはそれ以上だ。
ルフィは今度は吹っ飛ぶことはなく――血を吐いて、その場に崩れ落ちた。
「発勁……武道における本物の打撃とは、こういうものだ」
倒れ伏したルフィを見下ろしながら、鬼龍は呟く。
普段の状態ならともかく、内臓がいかれている今なら普通の攻撃も通用するかもしれない。
そう思い、鬼龍は彼に止めを刺さんと足を振り上げた。
「わしらを忘れてもらっては困るのお」
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