地域表示議論の総括
まとめられることなく延々と議論が続いてきたため一度総括し新しい段階へ進むべきという考えから書きました。
基本的にはあくまで私感であって公平性の保障はできません。
現在進行中の話題であるため非常にデリケートにならざるをえず、内容の妥当性については閲覧者の方々に深い思慮と寛容を求めます。
またそのために言葉の選び方にも苦慮し、初めに便宜上用いられた語の説明を記します。
無印 =アフィ速
賛成派 =地域表示復活派、変更賛成派
反対派 =表示反対派、現状維持派
【各主張のポイント】
<表示復活派・変更賛成派 便宜上-(賛成派)>
◆歴史問題
- 表示が消えた際に議論がなされていない。
- 無印では戻された、嫌儲においても同様に戻すべき。
◆工作員・自演の抑止効果
- 工作・自演を難しくする。
◆書き込みに熟考しクオリティー向上
- 地域名で所属が細分化されそのことによる責任感が生まれる。
- 表示があった時のほうがむしろ地域差別は少なかった。
<表示反対派・現状維持派 便宜上-(反対派)>
◆歴史問題
- 運営に話し合いなく直訴した自治厨への不審・嫌悪感。
◆工作員・自演への過剰反応
- 偶然同地域・同意見のレスを自演だと疑われかねない。
- 完全な防止にはならない。
◆地域差別を生む
- 一部地域への差別的なレスの増加が危惧される。
◆地域名で半コテ化、馴れ合いの増長
- 目立つ者が地域名で呼ばれ実質的に「コテハン」として扱われる。
- 地域名で半コテ化した者の周囲で過度な馴れ合いが生じる。
- またこれらが自主的でなくとも発生し、自由な書き込みが阻害される。
【議論概括】
1.歴史的な背景からの復活議論
議論の始まりとして、嫌儲設立当初から地域表示は実装されておりまた投票も行われ、少なくともその時は地域表示賛成が主流意見であった。しかし運営(FOX?)により無印と時同じく突然の廃止。この理由については説明もなく依然不明であるが運営側のミスとも言われている。
この事変は住民の意思とは無関係に起きたことである。そのためまずは地域表示のある当時の状態に立ち返り「廃止か存続か」を議論し判断がなされるべきだという手続の正当性に関する主張がある。
これに対しては反対派から「廃止以降の議論でも反対派が多数であり、蒸し返す必要はない」との反論もあり、また一度このことで別途議論を行い住民の賛同を得てから運営に掛け合う必要があるため現実的には難しくやや理想論的な主張と思われる。
またこの事後に一部先走った住民が運営に駆け込み「地域表示と強制名無しの復活、ポイント特典実装」を直訴し現在では地域表示以外の願いは叶えられた。しかしこれらの主張は嫌儲板住民の話し合いの結果ではなく独断によるものであったため非常に強い非難が反対派から起こった。これには賛成派からも同様の不快感を示す者もいる。この事件が現在でも喉の小骨として残り、議論が悪化する要因となったのは確かであろう。
2.工作員・自演への対応
嫌儲は設立の背景(アフィブログ騒動など)から危ういバランスのもと成り立っている。閑静であるがため足音は響きやすく、糞スレの乱立や過度のレス連投、それは時に起こる転載騒動で大きく揺れ動くことになる。
実際に転載騒動が起こる度に"不審人物"は現れ過剰反応を示し、常々妨害に走り悪態を吐く。幾度となく現れるこの"不審人物"が同一人物である確証はないが、以前にアフィブログ側工作員が潜んでいたのは事実であるため住民の中では怪しむ声も聞かれる。他板と違い明確に敵対する団体が存在し過去にも怨恨から工作活動の被害を受けた嫌儲板では所謂「見えない敵」が実体を持ってしまっている。
そういった疑心暗鬼の解消が賛成派の要望でもある。しかしこれには反対派から冤罪を危ぶむ声もあり「工作員・自演認定」は荒れる原因になり得る。ただ賛成派からは「地域表示が偏りまた主張が合致していれば少なくとも眉に唾をつけることができる」という主張もあり、ケースバイケース、個人の判断に依るものが強いと思われる。
また一部からは地域表示程度では工作員・自演は防げないから無意味であるという実践上からの批判もあがっている。しかしながら「完全に防ぐ」というのは現実的に不可能であり、あくまで作為を抑止する効果と無策より余程マシであるというレベルで語られるため齟齬があり、また過去に工作員を挙げた実績から実践上の効果は保証されるとする向きもある。
3.住民のレス意識
嫌儲板は設立時からしばらくは混沌としていたものの、狂騒が止むと自然に「煽り」「コピペ・定型文」「地域差別」等々の不穏当なレスは排除され2ちゃんねる有数の高い民度が形成されていった。これが現在まで続く住民意識の礎となっている。
この運動に地域表示が少なからず寄与した。無印のように人口流入が続く板と違い同地域名が複数人も重なることは少なく、雰囲気が落ち着いてゆくに従い不穏当な人物は否でも応でも出る杭となり嫌儲板から去っていった。単に荒らし側が飽きただけであるとも言われるが、どちらにせよ住民側にとっての判断材料となった点は認められるものである。
こういった外部への働きかけだけではなく内部への働きかけについても言及される。地域名によって所属する母集団が細分化され匿名性が薄れることにより、個人としての自覚、責任感の発生が望めるというものだ。自らの個性が他人に見られているとの自覚が書き込みに慎重さと熟考をもたらす、というのが賛成派に語られる。これには書き込みの気楽さが引き替えにされているという批判もあるが、同時にその気楽さは駄レスを増やし、糞スレを伸ばす害悪に繋がるということもあり、思弁的な部分での決着がつく様子はない。
4.地域差別
嫌儲板は無印の分裂で生まれたために受け継いでいる形質・文化がある。その一つが地域差別であった。嫌儲板では極希であったものの大阪叩きを代表としその他表示される地域に対して無差別な中傷が見られた。地域差別を少なくとも表だって好むと明言する者はおらず、大多数から蛇蝎の如く嫌われる因習でもありこの点では派に拘らず一致している。
そして反対派からは地域名が表示されることによる差別が危惧されている。この危惧は過去に一部コテハンが地域差別ネタを執拗に繰り返したこともありトラウマや非常な嫌悪感として今も根強い。しかしながら賛成派からは、極一部のコテハンを大きく取り上げることの手法やそういった者は単に叩ければいいのであって、その材料にこだわることはなく地域表示が無くても彼らは暴挙を止めないだろうという反論がある。また地域表示廃止後の方が地域叩きは悪化したとも言われている。単純な比較であって複雑な要素を無視したものであるが、確かにその傾向も見られる。むしろ地域表示が地域差別をする人間を絞ることにより板全体でのステレオタイプが形成されづらくなるとの指摘もあり、一概に差別を助長するとは言い切れないようである。
5.地域馴れ合い
この問題は前述の4とあわせ反対派による批判の双璧をなしている。匿名の幕から時折覗く個性が意識せずとも個人を輪郭付けてしまう。術語、文法、語り口、そしてそれらに長じて地域名が彼らをより鮮烈に照らし出すのだ。コテハンまでは自己主張しないものの実質的にはコテハンと同類の意味で「半コテ」とも呼ばれる者が彼らである。
例示には犯罪予告の愛知やキチガイ山口(みかん)がよく挙げられる。それぞれへの言及は控えるが、彼らが何かしらの行動を起こすとそれに呼応するように半コテとして扱い馴れ合いだす「取り巻き」の弊害が散見され、馴れ合いを邪視する傾向の強い多数の住民からは嫌悪の対象となっている。また望まない者も不意に巻き込まれいつの間にか取り巻きの中心に据えられてしまう、という事態も問題の一つである。
これに対しては賛成派の方でも同様の危惧を見る向きもあるが、しかし反論もある。この馴れ合いの弊害が見られるのは主に「雑談スレ」のようなニュー速板としての本義にはイレギュラーなスレであった。つまり本義であるニューススレにまで波及するほどの弊害ではないというものだ。確かに彼ら半コテによって真っ当なニューススレが荒れるような事態はほとんど確認できない。大きく荒れるのはやはりイレギュラーなスレばかりであって、地域名を気にしたり雑談を好まない住民にとってこの「半コテ」というのは寝耳に水なほどであった。イレギュラーなスレはニューススレの避雷針としての側面も認められるものであり、そこに価値を見る者と見ない者の溝は深いように思われる。中立的な意見として馴れ合いのような受け手によって定義の違う曖昧なものを理由にすることへの批判もある。
6.その他
以上5点が大きな議論であるがそれ以外にも細かな主張があるためこの項で紹介する。
賛成派から
- 表示のおもしろさ
- その地域から書き込んでいる人がいるというあたたかみを感じられる、ライブ感。
反対派から
- 地域表示のある無印との差別化
- レスの方向性が見えてしまうとおもしろくない。
- 嫌なこと、嫌なやつをすぐに忘れられる。
といった主張もある。
以上で議論の総括を終わります。
これを叩き台にしてより良い議論が行われることを願います。
著:ダブルダレ