通州事件

「通州事件」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

通州事件」(2008/09/14 (日) 21:21:12) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*通州事件 **事件発生までの状況 「廬溝橋事件」発生後、日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明。 国民党軍との間に停戦協定を締結していた。 当時、通州には、「廬溝橋事件」の避難民である婦女子や朝鮮人を含む日本人居留民が200余人が居住していた。 理由としては現地の軍閥「冀東防共自治政府」の首領が親日派として知られており、また比較的治安が良かったせいでもある。「冀東防共自治政府」はおよそ9千人の「保安隊」を組織。 日本軍はこの保安隊に対し、治安向上のために軍事訓練を施していた。 **事件の推移 日本軍守備隊主力が南苑攻撃の為、町を離れた隙に事件は発生した。 僅か百数十名ほどのの留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊が襲撃を開始。 支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させる。 そして、かねてから計画していたとおり、日本人居留民への暴行、強姦、虐殺、略奪を開始する。 >日本軍の第二連隊はおっとり刀で通州の現場に到着、あまりのむごたらしい惨殺死体に驚嘆、愕然、唖然となった。浜田巡査宅では長女が手榴弾で吹き飛び、長男は銃剣で刺され、夫人は凌辱された後女子師範学校まで引き立てられたが、途中で逃げ出した。付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、五人の女店員は射殺されていた。食堂・旭軒の女店員八人も強姦のあと裸体にされ、陰部には銃剣がさし込まれていた。他の場所には女の全裸死体が放置され、全員の陰部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ、カフェでも女店員が絞殺され、全裸のまま死体を放置してあった。或る店では女店員全員が強姦され、陰部に箸が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた。なかには死体から内臓がはみ出し、蝿がたかった現場もあった。 通州の高級割烹旅館だった「近水楼」では女中四人が射殺後に凌辱され、天井裏に隠れていた宿泊客十一人は北門付近まで数珠繋ぎにされて連行されたあと虐殺された。ことき同盟通信の安東利男記者が城外に転がり落ちて一命を取りとめ、北京まで這云の体で逃げた。こうして保安隊は事前にリストアップしていた日本人の民家を次々と襲撃し、財産を横領強奪、片っ端から日本人を殺戮し、凌辱を重ねた。逃げ遅れた日本人は手足を縛られ鼻や喉を針金で突き通され、ひきずられ、二ヶ所に集められたうえで射殺された。 日本軍守備隊に運良く逃げ込むことができた百二十人だけが助かった。 [[最初から謀られて通州の悲劇>http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tusyu_jiken_1.html]] **事件のその後への影響 「民間人」への殺戮行為という明らかな国際法違反に、日本の世論は沸騰。 朝日新聞などのメディアもさかんに「支那討つべし」との世論を煽りたてた。 しかし、日本側としては日中間の全面戦争を望んでおらず、むしろ事態収拾のため対応に苦慮していた。 その後、上海租界の日本人居留民を警備・保護する目的で駐屯していた日本海軍陸戦隊に対して、国民党軍は10個師団(20万人)もの大兵力で攻撃を開始する(第二次上海事変)。 海軍陸戦隊は、多勢に無勢で苦戦し、遂に陸軍に対して派兵を要請。 蒋介石はそれに対し、8月15日に「対日抗戦総動員令」を発令。 一方、日本は海軍の戦爆聯合で南京を空爆。 日中間の全面戦争 「支那事変」(日華事変・日中戦争)へと発展していく。
*通州事件 **事件発生までの状況 「廬溝橋事件」発生後、日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明。 国民党軍との間に停戦協定を締結していた。 当時、通州には、「廬溝橋事件」の避難民である婦女子や朝鮮人を含む日本人居留民が200余人が居住していた。 理由としては現地の軍閥「冀東防共自治政府」の首領が親日派として知られており、また比較的治安が良かったせいでもある。「冀東防共自治政府」はおよそ9千人の「保安隊」を組織。 日本軍はこの保安隊に対し、治安向上のために軍事訓練を施していた。 **事件の推移 日本軍守備隊主力が南苑攻撃の為、町を離れた隙に事件は発生した。 僅か百数十名ほどのの留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊が襲撃を開始。 支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させる。 そして、かねてから計画していたとおり、日本人居留民への暴行、強姦、虐殺、略奪を開始する。 [[最初から謀られて通州の悲劇>http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tusyu_jiken_1.html]] **事件のその後への影響 日本にとっては不幸な事件である以上に飼い犬に手を噛まれる、傀儡政権の軍隊に反乱を起こされるという不名誉な事件であり、日本側にとって恥ずべき事件として参謀本部では当初報道を控えさせ、内々かつ早々に処理している。 しかしメディアはこれを「支那の悪逆非道」と大々的に報道し、本件はそもそも日中間の外交事件ではなかったにも関わらず日本人の対中感情はさらに硬化する。 その後、上海租界の日本人居留民を警備・保護する目的で駐屯していた日本海軍陸戦隊に対して、国民党軍は10個師団(20万人)もの大兵力で攻撃を開始する(第二次上海事変)。 海軍陸戦隊は、多勢に無勢で苦戦し、遂に陸軍に対して派兵を要請。 蒋介石はそれに対し、8月15日に「対日抗戦総動員令」を発令。 一方、日本は海軍の戦爆聯合で南京を空爆。 日中間の全面戦争 「支那事変」(日華事変・日中戦争)へと発展していく。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。