通州事件


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通州事件


事件発生までの状況


「廬溝橋事件」発生後、日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明。
国民党軍との間に停戦協定を締結していた。

当時、通州には、「廬溝橋事件」の避難民である婦女子や朝鮮人を含む日本人居留民が200余人が居住していた。

理由としては現地の軍閥「冀東防共自治政府」の首領が親日派として知られており、また比較的治安が良かったせいでもある。「冀東防共自治政府」はおよそ9千人の「保安隊」を組織。
日本軍はこの保安隊に対し、治安向上のために軍事訓練を施していた。

事件の推移


日本軍守備隊主力が南苑攻撃の為、町を離れた隙に事件は発生した。
僅か百数十名ほどのの留守部隊しか残っていなかった所へ、支那保安隊が襲撃を開始。

支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させる。
そして、かねてから計画していたとおり、日本人居留民への暴行、強姦、虐殺、略奪を開始する。


事件のその後への影響


日本にとっては不幸な事件である以上に飼い犬に手を噛まれる、傀儡政権の軍隊に反乱を起こされるという不名誉な事件であり、日本側にとって恥ずべき事件として参謀本部では当初報道を控えさせ、内々かつ早々に処理している。

しかしメディアはこれを「支那の悪逆非道」と大々的に報道し、本件はそもそも日中間の外交事件ではなかったにも関わらず日本人の対中感情はさらに硬化する。

その後、上海租界の日本人居留民を警備・保護する目的で駐屯していた日本海軍陸戦隊に対して、国民党軍は10個師団(20万人)もの大兵力で攻撃を開始する(第二次上海事変)。

海軍陸戦隊は、多勢に無勢で苦戦し、遂に陸軍に対して派兵を要請。
蒋介石はそれに対し、8月15日に「対日抗戦総動員令」を発令。
一方、日本は海軍の戦爆聯合で南京を空爆。
日中間の全面戦争 「支那事変」(日華事変・日中戦争)へと発展していく。
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