戦地売春婦(従軍慰安婦)

戦地売春婦は当時は合法


一般に韓国内で喧伝される「従軍慰安婦」と呼ばれる存在は、日本軍によって無理矢理連行され、劣悪な環境のもと一日何十人もの日本兵の相手をさせられたとある。

さて、韓国人には次の米軍レポート(要約)をご覧頂きたい。
これは、敗戦直後に米軍が「慰安婦」の実体を米軍情報部が、当の慰安婦本人(北ビルマのミチナ慰安所)から聞き取り調査をしたレポートである。


曰く「女性たちはブローカー(および経営主)が、300~1000円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。経営者との収入配分比率は40~60%、女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、兵士の月給は15円~25円。慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。」


韓国で喧伝される慰安婦像とあまりにもかけ離れているではないか。
少なくとも、米軍が調査した慰安婦達は本人自身の理由(貧困など)により慰安所に入り、月に1000円~2000円(一般兵士の月給と比べても100倍以上の高給)を稼いでいたのである。
さらにその暮らしぶりは当時の米軍から見ても「贅沢」と写るものであったことが分かる。
また、慰安婦は無理矢理客を取らされていたのではなく、客を断る権利もあり、借金の返済が終われば朝鮮に帰る慰安婦達もいたことが記されている。
当時、日本は敗戦国家であり、米軍が日本に対して厳しくその戦争責任を追求していることから考えれば、「慰安婦」はある意味格好の攻撃材料だったはずである。
何も、日本側の有利にレポートを書く必要はなかったと考えるのが普通である。(普通ならその逆に日本に不利になるようにレポートするはずである)
にも関わらず、こういった「慰安婦」の実体がレポートされているのを見れば、当時の「慰安婦」は今現在韓国が捏造するような「従軍慰安婦」ではなかったと考えられるのではないだろうか?

また韓国側が慰安婦問題で引き合いに出す「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」(吉田清治 著)だが、後に吉田自らが「従軍慰安婦の強制連行など作り話であった」と認めている。
このような作り話の本を元にして、韓国は従軍慰安婦をでっち上げ、日本へ不当なる賠償を要求しているのが現状だ。
実際、吉田のこの本は1970年代に発刊されているが、それ以前には「従軍慰安婦」問題など全く存在していなかったのである。
この本が出版され、日本で騒がれるようになると、韓国内で我も我もと従軍慰安婦の被害者を名のる韓国人女性たちが出てくるのだ。
幾らでも日本を告発する機会があったにも関わらず、戦後25年以上もの間、何故彼女たちは日本の「不当行為」を告発しなかったのか?甚だ疑問である。

後に、元慰安婦であったという金学順は次のように韓国の新聞で語っている。「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊 の前だった」(ハンギョレ新聞1991年8月15日付)

何を意味するのかお分かりだろう。
当時、朝鮮では様々な形で人身売買が行われていた。
生活苦に年頃の娘を売りに出していたのである。
彼女たちは進んで慰安婦になったのではないかも知れないが、日本によって強制連行されて慰安婦になったわけでもないのだ。

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最終更新:2008年02月21日 17:00
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