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2008-08-01T11:57:52+09:00
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&html(<div style="background-color:#ee0000; width: 40px; "><font color="#ffffff"><b>目次</b></div></font>)
詩歌を読んで行きます。
[[十数える>十数える]]
[[春の酔い>春の酔い]]
[[同宿に>同宿に]]
[[秋の田の>秋の田の]]
[[不覚の春>不覚の春]]
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[[千年灸の話>千年灸の話]]
千年灸という製品があります。自分で自分にやったりする簡易灸です。
本物の灸はやはりプロの技術が必要ですが、千年灸なら、少し慣れると、かなり簡単に自分の体の面倒を見てやれるようになります。
[[more>千年灸の話]]
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[[お昼と深夜の映画館]] イグジステンズ
[[お昼と深夜の映画館2]] 元大統領危機一髪
[[お昼と深夜の映画館3]] M:i-2
[[お昼と深夜の映画館4]] プリティー・ウーマン
[[お昼と深夜の映画館5]] ワグ・ザ・ドッグ/目撃
[[お昼と深夜の映画館6]] 奴らを高く吊せ
[[お昼と深夜の映画館7]] ギャラクシー・クエスト
[[お昼と深夜の映画館8]] スターシップ・トゥルーパーズ
#ref(ikd0001s.jpg)
[[喜劇・個人情報保護法]]
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2008-08-01T11:57:52+09:00
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十数える
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/22.html
&ref(tanka10.jpg)
心せく旅にしあれど幾度か
思はず花に駒留めにけり
こころせく
たびにしあれど
いくたびか
おもわずはなに
こまとめにけり
乃木希典が任地に赴く途中に詠んだ歌です。軍務で馬を駆る若き日の乃木が、道々、花に目をやっています。
乃木は、心せくのに、駒を止め、路傍の花を見愛でる人であった。
&ref(tanka11.jpg)
はれてさへをぐらきものを夏木立
賤が伏屋の五月雨の空
はれてさえ
おぐらきものを
なつこだち
しづがふせやの
さみだれのそら
昼間なのに真っ暗になってしまうほどの激しい雨のせいで、伏屋に雨宿りしています。こういう光景を詠う乃木の作品はいいです。何でもない事が驚きとなり、しみじみと染みこんでくる感覚があります。
&ref(tanka12.jpg)
咲くことをなどいそぎけむ今更に
ちるををしとも思ふ今日かな
さくことを
などいそぎけん
いまさらに
ちるをおしとも
おもうきょうかな
長男勝典、次男保典を追悼し「悼両典」と題して詠まれた歌です。
日露戦争です。名将乃木は両典を亡くしています。この歌の乃木の思いを思う、さらりとした歌なのだけれど、惜しいと言っているのです。
&ref(tanka13.jpg)
乃木希典辞世 二首
神あがりあがりましぬる大君の
みあとはるかにをろがみまつる
かみあがり
あがりましぬる
おおきみの
みあとはるかに
おろがみまつる
&ref(tanka14.jpg)
うつし世を神さりましゝ大君の
あとをしたひて我はゆくなり
うつしよを
かみさりましし
おおきみの
あとをしたいて
われはゆくなり
乃木の辞世の二首。いい歌です。屈折なく、まっすぐに「我はゆくなり」というところに身を置いています。見事な歌です。
静子夫人の辞世も紹介しましょう。
&ref(tanka15.jpg)
静子夫人辞世
いでましてかへります日のなしときく
けふのみゆきにあふぞかなしき
いでまして
かえりますひの
なしときく
きょうのみゆきに
あうぞかなしき
これも実に見事な歌です。引き締まった調べです。
十数えるのに、
「のぎさんはえらいひと」
と数えるようになるのは、大正時代のことだったでしょう。
2006.5.13
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2006-05-13T00:59:40+09:00
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お昼と深夜の映画館5
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/11.html
**真相を見るのは犯人だけ
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「ワグ・ザ・ドッグ」は大統領が幼女に性的いたずらをしたのを隠すために、情報操作でテロリストがアメリカを狙っている事にし、ありもしない内戦をデッチ上げる物語だ。政治的な黒いファンタジーとして良く出来ている。
細かな部分をうまく皮肉に作ってある。
「配管工」という言葉が出てくるが、ウォーターゲート事件で民主党を盗聴していたチームの暗号名が「配管工」だった。
それに、303部隊というのが出てくるが、『マクナマラ回顧録』に出てくる303は、ホワイトハウスの会議室の番号だ。
私などにはわからない部分が、もっとあるのだろうと思う。
世の中、表と裏があって、一般的に裏のように思われているのも、実は表の一部であって、本当の裏では何が行われているのか、分かったものじゃないというのが、このコメディーだ。
実際に事を取り仕切った者の事は、誰にも知られず、世間的にはしたり顔の宣伝屋が注目され、間抜け面をさらして能書きをたれるあたりはよくわかる。
主人公は政治的仕事人と映画プロデューサーだが、仕事人が報酬として、どこかの大使にならないかと映画プロデューサーに持ちかける場面がある。大使というのは、そういう存在なのだろうか。
「ワグ・ザ・ドッグ」はクリントン大統領のセックス・スキャンダルを題材とした映画だが、もうひとつ、クリント・イーストウッドの「目撃」も同じ題材を扱っている。
「目撃」の方は、留守のはずの大金持ちの家に侵入した泥棒が、大統領と大金持ちの女房の不倫と、女房が殺される現場を目撃するところから始まる。
大統領役はジーン・ハックマンだが、副島隆彦が「許されざる者」の批評で、ハックマン扮する保安官の名がビルである事から、これはクリントンだと言っていた。ハックマンは、イーストウッド映画で、クリントン役を割り振られた人なのだ。
最後に大金持ちが大統領を殺す。その殺人も隠され、真相は明らかにならずに終わる。
この結末を深読みすれば、大統領を殺すのは内々の人間だよと言っている事になるし、大金持ちは殺人を犯しても罪に問われないという話でもある。
大統領は大金持ちの飼い犬だという事にもなるし、政治やメディアへの絶望も言っている。
このあたりになると、クリント・イーストウッドと「ブルワース」のウォーレン・ビーティーが重なってしまうのは興味深い。
2004.12.23
2006-05-08T03:10:49+09:00
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メニュー
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/2.html
2006-05-07T02:20:30+09:00
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不覚の春
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/18.html
&ref(kansi001.jpg)
この詩は、春暁(しゅんぎょう)という詩で、
春眠暁を覚おぼえず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ
と詠む。五言絶句である。
しゅんみんあかつきをおぼえず
しょしょていちょうをきく
やらいふううのこえ
はなおつることしんぬたしょうぞ
である。
大体、これを学校で習った後は、寝坊をすると「春眠暁を覚えず」と口にするようになる。後の三行は忘れてしまう場合が多い。漢詩好きには信じられない話だと思う。
後は、女房にやいのやいの言われた時に、「不覚=覚えず」の状態となる。気がつかないという意味だが、転じて、逃避し幽体離脱状態になる場合に使われるようになった。
春はお寝坊しちゃうよ
あちこちから鳥のさえずりが聞こえる
昨夜は雨風の音がした
花が散ってるだろうけど、まだわかんないや
二行目と三行目の、朝に鳥の啼く声と、昨夜、雨風の音が対比になっている。
両方とも聴覚から、外の様子をたぐりよせているあたりに寝床でゴロゴロしている光景を浮かび上がらせる。
春だけでもなく、また、暁だけでもない、のべつまくなしに「不覚」であると、歌になどはならない。
2006.4.19
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2006-04-29T06:12:12+09:00
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秋の田の
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/19.html
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=19&file=tanka001.jpg)
百人一首から、天智天皇の御製である。
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
我が衣手は露に濡れつゝ
あきのたのかりほのいおのとまをあらみ
わがころもではつゆにぬれつつ
字余りである。
あきのたの
かりほのいおの
とまをあらみ
わがころもでは
つゆにぬれつつ
本居宣長の字余りについての考えから言うと、声に出して読む時に、
あきのたの
かりほのいおの
とまをあら
みわがころもでは
つゆにぬれつつ
という気持で読むと読みやすいという。
あまった音を後ろにくっつけてしまうのである。
字余りについて、吉本隆明さんが、五七五七七の姿というのは、四六四六六も、六八六八八も含み込んでいると言っている。
つまり、「あきのたの」は、音としては「あぁきぃのぉたぁのぉ」という風に分解できるがそれをつめたり、伸ばしたりする事が可能だと言うのである。
「あきのた」だった場合は、「あきいのた」として五に持っていってしまうのである。
先に挙げた本居式は、反対に「とまをあらみ」の「み」の音をなくしてしまうやり方という事になる。
秋の田 というのは刈り取りの時期の田で、
かりほの庵 は仮の庵
そこで寝ずの番をしていると夜露で衣服が濡れてしまうと歌っている。
これは天皇が自分の事を歌ったと見る「由注するはわろし」と尾崎雅嘉が『百人一首夕話』で言っている。百姓が寝ずの番をする苦労を思いやり「土民になり代わりて詠ませられたる御歌」と解釈しているのである。
秋の田で仮設番小屋で徹夜の見張り、夜露でそでが濡れてます
袖が濡れてるあたりは寒そうな感じがするけど、湿気が多いのは、まだ暑くて、湿気が多いという事かもしれない。
秋の夜は長い。
2006.4.20
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2006-04-29T06:11:35+09:00
1146258695
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同宿に
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/20.html
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka002.jpg,center)
与謝野鉄幹に
同宿に窪田通治の歌をめでて泣く人みたり浪花江の秋
あいやどに
くぼたつうじの
うたをめでて
なくひとみたり
なにわえのあき
という歌があります。
窪田通治は窪田空穂(うつぼ)の事で、その歌は、
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka003.jpg,center)
死なんとぞしつつもあはれうれしげの笑顔見するか父と母とに
しなんとぞ
しつつもあわれ
うれしげの
えがおみするか
ちちとははとに
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka004.jpg,center)
笑ふより外はえ知らぬをさな子のあな笑ふぞよ死なんとしつつ
わらうより
ほかはえしらぬ
おさなごの
あなわらうぞよ
しなんとしつつ
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka005.jpg,center)
この父を怠けものとぞなしはててわが子のなつ子墓に隠るる
このちちを
なまけものとぞ
なしはてて
わがこのなつこ
はかにかくるる
などの作品かと思います。胸を打たれる歌です。不覚(おぼえずではなく、ふかくです)をとるに決まっているので、人前では読まない歌です。
他の作品では、
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka006.jpg,center)
其の子らに捕へられむと母が魂蛍となりて夜を来たるらし
そのこらに
とらえられんと
ははがたま
ほたるとなりて
よをきたるらし
という情緒を歌う人です。
また、
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka007.jpg,center)
親達のいまさむ界に往くべくはよからむと思え愉しくはあらず
おやたちの
いまさんさかいに
ゆくべくは
よからんとおもえ
たのしくはあらず
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka008.jpg,center)
われ死なば泣くらむ二三の者あるにこころ惹かれて延命を恋ふ
われしなば
なくらんに
さんのものあるに
こころひかれて
えんみょうをこう
などの作品も好きです。ものすごく真剣に死ぬ事と向かい合ってしまった人の心のありようです。伝記的な事は何ひとつ知らないのですが、それでも、生活を包む空気に微粒子となった死が漂う感覚があります。
その微粒子が少しずつ、丸くなっていくのですが、やはり胸を刺し続けます。
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=20&file=tanka009.jpg,center)
妻が蒔ききし椿の実椿の木となりて濃紅白たへ花あまた咲く
つまがまきし
つばのみ
つばのきとなりて
こべにしろたえ
はなあまたさく
という歌も好きです。死ぬことも生きることも寂しいですが、いたわりあい、思いやりあう気持が、それをやわらげてくれます。
少しやわらげてくれると、大きく、深く、助かります。
2006.4.22
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2006-04-29T06:10:28+09:00
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春の酔い
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/21.html
&ref(http://www6.atwiki.jp/kozymemory/?cmd=upload&act=open&pageid=21&file=kansi002.jpg)
豊楽亭游春
欧陽修
緑樹交加山鳥啼
晴風蕩漾落花飛
鳥歌花舞太守酔
明日酒醒春已帰
七言絶句
豊楽亭游春
緑樹交加して 山鳥啼き
晴風蕩漾として 落花飛ぶ
鳥は歌い 花は舞い 太守は酔う
明日 酒醒むれば 春 已に帰らん
ほうらくていゆうしゅん
りょくじゅこうかして さんちょうなき
せいふうとうようとして らっかとぶ
とりはうたい はなはまい たいしゅはよう
みょうにちさけさむれば はるすでにかえらん
交加というのは、ふたつの事物が同時に来るという意味です。
緑と樹が同時に来るという、強いイメージが前に出て、広がります。そこに、後から、鳥の声が聞こえて来ます。
その光景を晴れやかな風がかきまわし、花が舞い飛びます。
その光景の中に入り、太守は酔います。
酔っている中身は明日酔いが醒めた時に、この春はすでに帰ってしまった後だろうなと分かっている。そんな醒めた酔いです。それがわかっているからこそ、今、酔うのです。
一行目で、強く生命の横溢を歌い、二行目でそこに花を添え、三行目で風景をまとめながら、人を配し、四行目ですべてを去らせています。
見事だと思います。
帰るという言葉は、一行目の交加を受けています。交加にやって来るというニュアンスがあるようです。
一行目で来て、四行目で帰るのです。大きな生命の流れから、春が私たちのところに来て、帰って行く。豊かな春を楽しみ、遊ぶ私たちの人生は、明日には醒める酔いかもしれません。
2006.4.28
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2006-04-29T06:09:37+09:00
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千年灸の話
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/16.html
*千年灸の話
2005.11.14 up
千年灸という製品があります。自分で自分にやったりする簡易灸です。
本物の灸はやはりプロの技術が必要ですが、千年灸なら、少し慣れると、かなり簡単に自分の体の面倒を見てやれるようになります。
触って腹が冷えていたら、そこに灸を打ってやるといった使い方が出来るのです。
おとつい、足の裏に打ったら、朝から出ていた鼻水が止まりました。とても助かります。
血圧が高い時にも、足に打ちます。
ただし、簡易灸をやったがために、深刻な体の異変であるのに、目先を誤魔化して悪化させ、命取りになるといった事も考えられますので、ちょっとした事の対処としてやるだけにしています。
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2006-04-19T14:13:49+09:00
1145423629
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お昼と深夜の映画館6
https://w.atwiki.jp/kozymemory/pages/12.html
**「奴らを高く吊せ」――法の行方
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マカロニ・ウエスタンで名を上げてから、アメリカに帰国してのクリント・イーストウッドの西部劇。
牛泥棒に間違えられ、縛り首のリンチにあった主人公が、保安官となって、私刑を行った者たちを追って行く。
主人公の視野は私的な復讐から、法の公正な執行に向かって行く。しかし、主人公を保安官に任命した判事は、乱暴な判決を下し続け、やたらと縛り首にするのをやめない。
判事はその地域が州に昇格すれば判事も増えて、もっとキメ細かい法の執行ができる。それまでは現状で行くしかないのだと言う。
ラスト・シーン、主人公は答えを出せないまま、犯人逮捕の旅に出る。
セイモア・ハーシュの『アメリカの秘密戦争』(ひどい邦題だと思う。原題は『命令系統』。ここのところやたらと出ている反米本とはひと味違う)を読んでいたら、アメリカがアフガンで捕まえた人たちを収容している、キューバのグアンタナモ収容所での訊問を準備した陸軍予備役少将マイケル・ダンラビーが、ペンシルベニア州判事でもあるという記述があった。
グアンタナモに収容された人たちは、国際法が適用される捕虜ではなく、アメリカの国内法が適用される犯罪者でもない。いかなる法規も適用されずに、ひどい目にあっている。
イラクでの米軍の囚人虐待が発覚し、大問題となったアブグレイブ刑務所の原点が、グアンタナモと言われている。
ダンラビーが判事であるというのは、「奴らを高く吊せ」のあの判事が、今も活躍しているのと同じだ。そして、あの保安官は、ラストシーンから抜け出して、今でも旅を続けている事になる。
アメリカは今でも「奴らを高く吊せ」の状態のままなのだ。そして、今では、その状態は私たちにも関わりのあるものとなっている。
グローバリゼーションによって、私たちの法も、アメリカの法に連結されようとしているのである。
2004.12.23
2005-11-05T09:36:08+09:00
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