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(1567~1615)安土桃山時代の武将。知略に優れ、関ヶ原の合戦では西軍につき徳川秀忠の軍が関ヶ原に向かうのを食い止めた。合戦後は九度山に流されるが大坂の陣が始まると脱出。真田丸を築いて大活躍したが、大勢は変わらず、徳川家康の本陣を襲うも失敗して戦死した。が、死んだのは影武者で、本人は豊臣秀頼と共に薩摩に落ち延びたという生存説も残る。
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***渦潮の果て
大坂の陣の後、配下と共に秀頼を奉じて薩摩に落ち延びた。彼の地で巨船団を築き、再起を図るかに見えたが、その真意は日本を捨て、秀頼を世界の大将軍とすることにあった。知勇に優れた偉丈夫であり、木暮月之介をして苦杯を舐めさせたばかりか、完全に心酔させてしまった。
***虚無戦史MIROKU
かつて竜の艦の戦士だった阿邪羅王の転生。大坂の陣に敗れて首を取られるが、その状態から家康の眼前で復活。以来、富士に潜み、御神器を手に入れて竜の艦を飛ばさんと企んで、自分と同じ血を持つ夢幻美勒らと死闘を繰り広げた。ラ=グース細胞に敗れるも、未来での再来を予告して消え去る。
***真田剣流
九度山に籠もる真田一党の主。かつての真田家指南役の娘・桔梗の養父が丑三の術で殺害され、その魔手が豊臣恩顧の武将に迫ったことから、猿飛らに命じて丑三の術の秘密を追わせた。実は自身も忍びの心得を持つ。
***妖説五三ノ桐
大坂落城時に命を落とすが、“断末魔ノ術法”により四十九日のあいだ命をつなぎ、その間に秀頼を薩摩、そして南蛮に落ち延びさせようとした。刻限が来てまさに命尽きようとした状態で西念居士と単身対決し、相討ちとなって消えた。
(1567~1615)安土桃山時代の武将。知略に優れ、関ヶ原の合戦では西軍につき[[徳川秀忠]]の軍が関ヶ原に向かうのを食い止めた。合戦後は九度山に流されるが大坂の陣が始まると脱出。真田丸を築いて大活躍したが、大勢は変わらず、[[徳川家康]]の本陣を襲うも失敗して戦死した。が、死んだのは影武者で、本人は[[豊臣秀頼]]と共に薩摩に落ち延びたという生存説も残る。
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***渦潮の果て
大坂の陣の後、配下と共に秀頼を奉じて薩摩に落ち延びた。彼の地で巨船団を築き、再起を図るかに見えたが、その真意は日本を捨て、秀頼を世界の大将軍とすることにあった。知勇に優れた偉丈夫であり、[[木暮月之介]]をして苦杯を舐めさせたばかりか、完全に心酔させてしまった。
***虚無戦史MIROKU
かつて[[竜の艦]]の戦士だった阿邪羅王の転生。大坂の陣に敗れて首を取られるが、その状態から家康の眼前で復活。以来、富士に潜み、[[御神器]]を手に入れて[[竜の艦]]を飛ばさんと企んで、自分と同じ血を持つ[[夢幻美勒]]らと死闘を繰り広げた。ラ=グース細胞に敗れるも、未来での再来を予告して消え去る。
***真田剣流
九度山に籠もる真田一党の主。かつての真田家指南役の娘・[[桔梗>桔梗(真田)]]の養父が[[丑三の術]]で殺害され、その魔手が豊臣恩顧の武将に迫ったことから、[[猿飛>猿飛(真田)]]らに命じて[[丑三の術]]の秘密を追わせた。実は自身も忍びの心得を持つ。
***妖説五三ノ桐
大坂落城時に命を落とすが、“[[断末魔ノ術法]]”により四十九日のあいだ命をつなぎ、その間に秀頼を薩摩、そして南蛮に落ち延びさせようとした。刻限が来てまさに命尽きようとした状態で[[西念居士]]と単身対決し、相討ちとなって消えた。
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