(1607~1650)江戸前期の剣豪。柳生宗矩の嫡子。剣の実力は父以上で、早くから徳川家光の小姓として仕えたが、勘気を被って致仕。以来再出仕するまで柳生で新陰流の研鑽につとめていたというが、隠密として諸国を廻っていたという説もある。父の死後は家督を継いだ。本当に隻眼であったかは不明。
西海水滸伝
父・宗矩の命により大和三之丞の変名で九州に渡り、キリシタンたちの不穏の動きを探っているうちに、豊臣秀頼・真田大助らの奇怪な動きを知り、戦いを挑む。が、奇怪な敵の術の前にはいまいち分が悪く、しばしば苦戦した。
東京魔人學園外法帖
柳生宗崇を追う龍閃組と鬼道衆の前に現れた老人。その正体は十兵衛が宗崇の外法により老人の体で甦ったもので、宗崇の野望を止めようとしつつも、龍閃組らの力を図るためにあえて敵対し、柳生新陰流の極意を蓬莱寺京梧に伝えて消えた。