(1521~1573)戦国時代の武将。名は晴信。信玄は法号。父、信虎を追放して家督を継ぎ、信濃に進出。越後の上杉謙信と川中島で数度に渡り対決した。軍略家としてすぐれ、「信玄家法」を制定、鉱山開発・治水にも業績をあげた。
信玄忍法帖
自分の死期が近いことを悟り、自らの死を三年の間秘することを周囲に命じ、山本勘助と六人の影武者に後事を託して逝く。
藤丸地獄変
透波忍軍と結ぶ戦国大名で、はぐれ透波の生みの親。百地三太夫の正体と野望を知り、それに抗するために密かにはぐれ透波を結成したが、それを知った三太夫に暗殺された。はぐれ透波にも透波にもその死を悼まれるどころかむしろ喜ばれるあたり、その人望には疑問が残る。