(?~1613)江戸初期の盗賊で寛永三甚内の一人。高坂とも。武田家の臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、盗賊の首領となり江戸を荒らしたが、慶長18年に捕らえられ刑死し、その後瘧の治癒に霊験ありと崇められた。また、宮本武蔵の弟子であったが、不行跡のため破門されたと言われる。
番町皿屋敷の物語ではお菊の父であり、甚内が青山主膳に捕らえられたためお菊は主膳の侍女とされた。
番町皿屋敷の物語ではお菊の父であり、甚内が青山主膳に捕らえられたためお菊は主膳の侍女とされた。