(1601?~1615)真田幸村の嫡男。母は大谷刑部?吉継の娘。幸村とともに大坂城に入城、大坂冬の陣では、真田丸で父とともに活躍した。夏の陣でも活躍するが、父の命を受けて秀頼の側に従い、大坂城落城の際に切腹して果てた。
講談等では、ボサボサの髪で裸足で野山を駆け回ってばかりいるような子供だったが、実は陰で修練に努めていた人物。年少ながら次々と妙計を進言し、また戦では真田十勇士の先陣を切って敵陣に向かったという。豊臣秀頼と共に島津に逃れたという説もある。
講談等では、ボサボサの髪で裸足で野山を駆け回ってばかりいるような子供だったが、実は陰で修練に努めていた人物。年少ながら次々と妙計を進言し、また戦では真田十勇士の先陣を切って敵陣に向かったという。豊臣秀頼と共に島津に逃れたという説もある。