(1624~1662)明末の遺臣。明人鄭芝竜?と日本人の間に平戸で生まれる。1644年に明の遺王を奉じて挙兵し、滅清復明の戦いを展開。王室から国姓の朱を賜り国姓爺と呼ばれるようになった。明の滅亡後、台湾を攻略、拠点として戦いを続けたが、江戸幕府に求めた援軍も拒絶され、台湾で病死した。
近松門左衛門の「国姓爺合戦」では明人老一官と日本人女性の間に生まれた和藤内三官として登場。ダッタン国に攻められて日本に落ち延びた明の皇女から祖国の危機を知って大陸に渡り、幾多の冒険を経て延平王国姓爺鄭成功の名を贈られ、ついに明朝を復興させる。
近松門左衛門の「国姓爺合戦」では明人老一官と日本人女性の間に生まれた和藤内三官として登場。ダッタン国に攻められて日本に落ち延びた明の皇女から祖国の危機を知って大陸に渡り、幾多の冒険を経て延平王国姓爺鄭成功の名を贈られ、ついに明朝を復興させる。