江戸前・中期の浄土宗の高僧。12歳の時に増上寺で剃髪、名利を求めず隠棲していたが、徳川綱吉?と生母・桂昌院などの帰依を受け、その懇請により諸寺の住持を経て、1711年には増上寺三六世を継ぎ、大僧正となった。多くの廃寺復興に功績を残し、晩年は目黒に庵居してそこで没した(祐天寺は弟子がその地に開いたもの)。
実録や講釈で庶民にも人気があり、その中では前世の因縁で愚かだった祐天が、成田不動の力で叡知を得て、様々な奇瑞を示したと描かれた。また、累を成仏得脱させた物語も有名。
実録や講釈で庶民にも人気があり、その中では前世の因縁で愚かだった祐天が、成田不動の力で叡知を得て、様々な奇瑞を示したと描かれた。また、累を成仏得脱させた物語も有名。