(1002~1084)平安中期の天台宗園城寺の僧。博学徳行をもって知られたが、白河天皇の皇子降誕を祈祷し、恩賞として園城寺に戒壇造立を乞うたが、延暦寺の反対で許されず怨死。皇子がわずか四歳で死んだのはその怨霊によるものと噂された。
「源平盛衰記」「平家物語」においては、死後に数万の怪鼠となって延暦寺の経巻を食い破ったとされ、その姿は妖怪「鉄鼠」として知られる。また、滝沢馬琴?の読本「頼豪阿闍梨恠鼠伝」では、鼠に妖術を授ける僧として登場する。
「源平盛衰記」「平家物語」においては、死後に数万の怪鼠となって延暦寺の経巻を食い破ったとされ、その姿は妖怪「鉄鼠」として知られる。また、滝沢馬琴?の読本「頼豪阿闍梨恠鼠伝」では、鼠に妖術を授ける僧として登場する。