33.「鬼」

    

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海が見える。
うっすらと白くなり始めた空の下に、どこまでも続く凪が見える。
穏やかな波の上を、眠りから醒めた海鳥が滑るようにして飛んでいく。

緒方は枝を伸ばした木の根元に腰掛けながら、それを見詰めていた。
レーダーで回りに誰もいないのを確認してから、銃を取り出す。
(減音器といっても、無音になるわけじゃないんだな…これが安物なだけかもしれないが)
MK23“ソーコムピストル”。銃の名は聞いたこともなかった。
説明書を渡されたのは出発の三日前だ。
それから広島を出発するまでの時間の大部分は、その扱い方を頭に入れることに費やした。
たいていのことはわかって臨んだつもりだったが、実際に撃ってみると随分と勝手が違うものだ。
発砲時の反動、火薬の匂い、乾いたような破裂音。
この銃を、撃った。
この銃で、井生を殺した。

夜明けまでの6時間は、島の地勢を把握するのに使おうと決めていた。
地図も予め渡されていたとはいえ、確認しなければならないことは山ほどあった。
どの程度なら全力で走ることが出来るのか。死角は。
川の水量・市街地の見通し・山道の傾斜。目測・距離感。全てを身体に叩き込む。
それはまるで、初めて訪れたスタジアムの照明の加減や、芝の状態を確認する作業と似ていた。

迂闊という他に言いようのないような遭遇だった。
森と梅津が近くを歩いていることにばかり、気を取られ過ぎていたのかもしれない。
油断が、全力で走ってきた井生を緒方の前に立たせた。
「井生」
初めて口に出してその名を呟いてみる。
彼は本当は、生き残るべき人間ではなかったのだろうか。
今更の後悔が少しだけ胸に残っている。
覚悟なら疾うに決めてこの島に来たはずだったのに。

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「正気ですか?そんな…そんなこと!」
両脇から押さえつけてこようとした奉文と田村を、力任せに振りほどく。
怒りで唇が震えているのが自分でもわかる。
それでも、その話を語った目の前の人間を張り倒さなかったのは、その名が「山本浩二」だったからだ。
心から尊敬し、信頼していた人から呼び出しを受けたのは、一週間前のことだった。
そこで聞かされた悪魔のような計画……今期一軍公式戦に出場した全選手による殺し合い。
「わしは本気じゃけぇ、メグ」
「どうして…」
その時の山本浩二の口調はいつもと同じものだった。
だから緒方は聞き返しながらも、悲しいほどに確信を持ってしまった。この人は“本気”なのだ。

「どうしてそんなことを?カープをどうしようというんですか?」
返事の変わりに、机の上のクリアファイルから一枚の紙を取り出した。
受け取れというように緒方の目の前にひらりと差し出されたので、手を伸ばす。
「わしはカープを強くしたい。ただ、それだけよ。」
そこに描かれているのは升目で区切られた…地図?
「これは、どこかの島ですか?」
「会場だ。お前には渡しておくから、他の連中に見られんようにな。」
「え?」
「武器はまだここにはないが、お前の希望を聞いて使いやすそうなものを用意させる。
ああ、それでも説明書くらいは、先に渡しておかんといかんかのぅ。」
「待ってください、それはどういうことですか?説明してください監督!」
緒方はまだ、目の前の人を他の名では呼べないでいた。
今では“元”監督となったその人は、少し寂しげに笑ったようにも見えた。

「監督はこんなことで、本当にカープが強くなると思ってるんですか?」
「思っとるよ。」
「そんな!だからといって殺し合いなんて、許されるわけがない!」
「メグ、どうしてカープは弱くなった?強かったあの頃と何が違う?」
語気を強くする緒方とは対照的に、静かな口調でぽつぽつと言葉を落としていく。
「簡単なことよ。あのころは皆、ギラギラしてた。勝ちに飢えて、命さえ賭けるほどの気持ちでいた。
今は試合をやって、ただ負けた、ただ勝った。それだけだ。
闘争心っちゅうもんがないんよ。それは、わしも含めて。」
最後の言葉が、殊更に悲しい語調を孕んでいるように聞こえたのは気のせいか。

いつの間に出て行ったのか、部屋から奉文と田村の姿が消えている。
緒方は、そんなことに気がつかないほどに狼狽していた。
目の前で語られた言葉の一つ一つが、破片となって散らばってまるで形にならない。
「…俺は、何をすればいいんですか」
何か自分に伝えたいことがあるのだということは分かっていた。
たった一人だけこの球団事務所に呼ばれたことには、何か意味があるはずだ。

漠然とした悪い予感が胸を渦巻く。それは予感だが、確信でもあった。
それでも聞いておかなければならない。
「メグ、お前にしか頼めんことだ。殺す役を引き受けて欲しい」

オフの球団事務所は静かだった。
緒方は静寂の重さが、心を折ろうとするのに耐えていた。
一方でその沈黙が永遠に続けばいいとも思う。聞きたくない。これ以上、何も。
だが、その願いは叶わなかった。山本浩二は、いとも簡単に沈黙を破ってみせる。
「殺し合えと言われても、実際に出来るわけがない…お前はそう思うか?
だがわしは、殺し合いが起こる状況にはすぐになると思う。
始めにちょっと追い込んでやれば、精神的に弱い連中は錯乱して、何かをしでかすだろう。
でも、そんな奴らは、殺し合いを始めるのには役立っても、結局は使い物にならん。
最終的には、強い意志を持って戦って生き抜いた奴が欲しいんじゃ。
だが、そうなると話は難しい。基本的には甘っちょろい奴らばかりじゃけぇ…わかるな?」
「わかりません」
その緒方の答は無視される形になった。語尾の疑問符には意味はなかったのだろう。
「弱い奴が殺される。錯乱して弱い奴を殺した連中も誰かに殺される。
残った奴は、どんどんと追い詰められる。追い詰められて、追い詰められて。
最後に、自分自身に強い執着を持った連中が生き残る。そうなって初めて、この殺し合いが意味を持つんじゃ。」
「……監督!」
もしかしたら泣いてしまえば楽だったのかもしれないと、今になって思う。
泣いて、わめいて、嘘だと否定するだけの若さがあったなら。
だが、緒方はにはそれは出来なかった。
目の前に突きつけられた、その人の“本気”から目を逸らすことが出来なかった。

「もう止めてください、そんな無茶な話は!
第一、殺し合いをすれば選手が足りなくなる。ペナントが戦えなくなる。
それでどうやって、優勝なんてできるんですか!」
「選手は足りる。メグ、わしは“来年”優勝するチームにするとはいっとらんだろう。」
「…え?」
「わしらが目指すのは、2009年の優勝だ。」
ざあっとつま先から何かが這い上がるような感覚があって、足が震えた。2009年。

2009年の優勝。そうだ、それはカープの至上命題。
新球場建設。そして
「謙二郎に強いカープを渡してやりたい。」
「…………野村さん」
「この殺し合いに残った連中を核としてチームを作り直す。
選手の数が減れば、ドラフトに金が回せる。いい外国人も呼べる。コーチも揃える。
メグ、今年のカープのキャッチフレーズを覚えてるか?」
「Reborn…赤ヘル、再生…」
「そう、文字通り“再生”だ。カープは生まれ変わるんじゃ。」
散らばった全ての欠片が一つに纏まって、緒方の頭の中でパズルを組み上げた。
財政難の球団。低迷する成績。
選手の選抜。チームの再建。
許されることではない。それでもやらなければいけない。
そう、全ては2009年のために。

「もしも」
なんてことだ、声がかすれている。
「もしも、“断ります”といったらどうなりますか。」
「その時は残念だが、お前の家族の命を預からせてもらうことになる。」
「馬鹿な!」
「だがな、メグ」
泣いてしまえ。叫んでしまえ。
今ならば間に合うかもしれない。今なら……
「お前はきっと、断りはせんよ。」

================

海が見える。
躊躇いもなく一直線に海と空を分けて、水平線が伸びている。
東の空がオレンジ色を溶かしたように染まっていく。夜が明ける。

緒方は手首を捻って、拳銃を裏返した。
あまり大きい武器は走れなくなるから止めて欲しい。そんな希望を汲んで用意された銃。
チームメイトを殺す。その役割を果たすために、選んでバッグに入れられた武器。
(かなこ、俺はこの銃で人を殺したよ。お前は信じないだろうな・・・でも、これは真実なんだ。)

まず、闘争心のないものを殺す。
次に、緊張感に負けた心の弱いものを殺す。
三年後のチームで優勝の戦力にならないであろうものを殺す。
この、チーム再建のための選抜を邪魔しようとするものを殺す。
― もし、俺が三年後に必要だと思った選手が、他の奴に殺されたら? ―
― それは気にせんでええ。それは、そいつがその程度の人間だったということだ ―
本来ならば、選手の可能性を見極めるのは監督の仕事ではないのか。
その問いに、“それが出来ていれば、殺し合いなんて必要なかったのぅ”と、その人は呟いた。
それ以上は言葉もなかった。

(野村さん、俺は井生を殺しました。伸び悩んでいた若手です。
俺の姿を見て、泣きそうになってた。恐怖に震えていた。だから、殺しました。
そのために俺はこの島にいるんです。そう思って、その時は迷いもせずに撃ちました。
でもね、野村さん。もしかしたらアイツは、これからいい選手になったかもしれない。
可能性はありました。不器用だけど、前向きで、一生懸命練習する奴だった。
……何様のつもりなんでしょうね、俺は。人ひとりの夢と可能性を潰しました。
井生を、殺しました。そんな資格なんて、あるはずないのに。)

己の判断のみを拠り所として人を殺す。そんな資格を持った人間などいるはずがない。
もしもいるとするならば、それは人ではなく無慈悲な神か、あるいは冷酷な鬼だろうか。
緒方は目を閉じて深く息を吸い込み、そしてゆっくりと開けた。

ポケットから小さな機械を取り出せば、中央に赤い光と“9”の表示。
それは武器とともに荷物に入れられていた、首輪の発信機の位置を示す装置だった。
もう、油断はしない。今は周りには人影はない。
確認してボタンを操作する。表示を全島に切り替えると、たくさんの赤が画面にあらわれた。
この中にはもう64の数字はない。他にもいくつかの光が失われたはずだ。
だがまだ、これだけの光が残っている。本当の勝いはこれからだった。

(野村さんは怒るでしょうね。あなたの愛したカープの選手を殺した。でも、これからも殺します。
俺はどうしてもあなたと優勝したいんです。新しい球場で選手としてグラウンドに立っていたい。
そこで、あなたを胴上げしたい。だから………)

夜が明ける。
最強のカープを作るための殺し合い。もう後に戻ることはできない。

― だから俺は、鬼になります ― 


【生存者 残り36名】


リレー版 Written by ◆yUPNqG..6A
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