51.平凡なフライを掴み取るために

    

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空に白いボールが上がった。
平凡なフライ、暑い日差しを手で遮りながら落下地点を確認する。
少し後ろに下がる。そして、左手を伸ばす。
ふわりとボールが落ちてくる。赤い縫い目が見える。ほら、ボールはまっすぐグローブの中へ入…

甲斐雅人(57)はフライを捕球する寸前で目が覚めた。
霞がかった瞳で見えたのは、茶色い煤けた天井に張ってある蜘蛛の巣。
まだ目覚めない頭でゆっくりと起き上がってみると自分が寝そべっていた隣に誰かが座っている。
誰だろう、と掛けられた布団を体の下の方にやりながら向き直った。

「大丈夫? どこか痛いところとかない?」
いきなり話しかけられ、甲斐は一旦考えた。誰だったろうか、この声は。
瞼をもう2、3度右手の甲でこすると、目の前の霞が段々と晴れていく。
見えてきた姿に、ああ、と思い出した。

「…小山田、さん。はよございます…。」
「おはよう。うん…元気そうで何よりだよ。ご飯、もう食べた?」
甲斐の目の前の男―――小山田保裕(11)は早口でそう言うと、ほっと息を吐き出した。

目覚めの後、『朝ご飯作ったから』と言って部屋を出て行く小山田を見ながら、甲斐は段々と記憶を呼び戻していた。
突然告げられた殺し合いの説明から、木村一喜の死、そして―――『林の中』での出来事。
今更思い出してみると、何もかもが嘘のように感じられてしまう。甲斐はそっと目を閉じた。
(そう、今からでも遅くないから、夢であって欲しい。)
心の中でそう呟き、瞼を開く。
しかし先ほどまでの景色は一変することなく、ただ煤けた天井には蜘蛛の巣が張ってあり、扉は開け放たれたままだ。
甲斐は左手を見た。さっきまでグローブをはめていた手は何事も無かったかのように空気を掴んでいる。
ひっくり返してみると爪と肌の間に小さな木屑や砂が混じっているのが見えた。
短く甲斐は息を吐くと、開けられたままの扉を見つめた。

先日の夜、甲斐は浜辺近くの林で『死体』と化した井生崇光と出会った。
軽い混乱状態にあった甲斐にとっては余りにもそれは悪い意味で衝撃的な出会いだった。
目を閉じれば、今にもまざまざと思い出せる。黒く乾燥したカープのユニフォームにつけられた背番号64。
少なくとも2日前までは共に同じグラウンドで泣き、怒り、悲しみ、そして笑っていた『64』。
甲斐は左手を握り締めた。何故、あの人は死んだのか。いくら問いかけようとも答えなど出ないことは分かっている。
もう一度目を閉じ、深呼吸をした。瞼の裏にはまだ『あの』姿の64が映っている。
血の気が失せ、もう二度と動かない、『あの』姿の―――。

「甲斐?」
はっと目を開く。いつの間にか小山田が不安げに顔を覗き込んでいた。
「何か、凄い顔してたけどどっか痛いの?」
静かに小山田が話しかける。甲斐は肩の力を抜くと、いやと返事を返した。
「いや…考え事してただけです。」
「そう? どっか痛いならすぐ言ってね。出来るだけ何とかするから。」
小山田はまだ不安げな表情のまま笑いかけると、側に置いたおぼんを甲斐に手渡した。
不思議に思いながら受け取ると、若干ひびの入った椀から湯気が見える。
数回瞬きをした後に甲斐はお粥状の物と橙色の丸い物がそれぞれ椀と小鉢に入っていることに気付いた。

「……あの、これ。」
あぁ、と今度は小山田が思い出したように付け足す。
「パン粥…って言うほどのものじゃないけどそんな感じの奴と、この家にあった金柑の砂糖漬け。
ちゃんと毒見して、お腹壊さないって言うのは自分で実験したよ。それにあんまり素っ気無いのもあれかと思って。」
甲斐はパン粥と小山田を見比べる。小山田は首を傾げた後、自分は食べたと話した。

そういえば、と小山田の言葉を聞き、甲斐は部屋の中を見回した。
そういえばこの部屋には見覚えがひとつもない。
蜘蛛の巣がかかった天井も、薄汚れた掛け布団も、ひびの入った椀も、見た記憶がない。
思い出せる範囲での記憶は結局あの林の中で眠れないままとんでもない放送を聞いて、移動を始めたぐらいだ。
林を出て、道を進んでいって、開けたと思ったらそこは港で…。

「…あのう、俺なんでここに…。」
記憶が途切れたところで小山田に話しかける。パン粥はまだ湯気を出している。
小山田は鼻の下に指をやり、2回頬を親指でなぞった。
「うん…船小屋みたいな場所で何か、網に引っかかって倒れてたんだけど…」
「…網に。」
「うん、網に。」
甲斐はもう少し小山田に話を聞いた。

そのところによると、自分は港に来た後、この家近くの船小屋らしき場所に入って行き、網に足を絡めて倒れた。
たまたまその自分が倒れた音をこの家に居た小山田が聞きつけ、倒れたまま動かない自分に驚いて、家に担ぎ込んだ。
もしかすればどこか打ち所が悪かったかも知れないと不安になりながら、ずっと眠っている自分の傍らで看ていた。
だから目が覚めたときはほっとした、と少し駆け足な喋りで小山田は甲斐に説明した。
まったくその記憶がないと言うことは、と甲斐は思った。気絶していたのだろう。

「でも本当によかったよ。久々に人に逢えたし…こうやって話も出来たし。」
俺もよかったです、と言いかけてまた甲斐は考えた。
「久々に、ですか?」
「うん。俺勘違いして黒田さん待ちそびれちゃったし、それにずっとこの家に居たんだけど…誰も来なくて。」
苦笑いを浮かべた小山田に、甲斐はもう一度話を聞いた。

自分の次に出てくる黒田を待つべく、小山田は待っていた。
地図を見ると学校を中心に半径50mほどだと思い、そのぐらいの場所で隠れていた。
が、隣の人物の顔もよく見えない真夜中、50m先に人物が現れたかどうかが見えず、小山田は困り果てた。
そこでもう少し近づいてみようと立ち上がった時、それは起こった。
首輪が突然鳴り出したのだ。出発直前に聞いたあの緊急音を再び小山田は耳にした。
当然、驚く。自分は思っていたよりもずっと学校の近くに居たことに気付き、慌ててその場を離れた。
そして気付けば10分以上経っていて、黒田はどこかに行ってしまい、他の選手たちも自分が来た道とは別の方向に行くか走り去るかして

話し掛けるには程遠くなってしまった。
しばらくその場に留まっていた小山田だったが、その後銃声が鳴り、誰か怪我をしていないか心配になり、その方向に行こうと決意。
しかし地図を見なかったせいか迷子になり、結果としてこの家に辿り着いた…との事だった。

「…凄いですね。」
甲斐はそれだけ言うと、苦笑いをしたままの小山田を見た。
「うん、この年で迷子になるとは…思わなかったね。」
あ、と小山田が言い、甲斐はその視線の先にあったパン粥を見る。
冷めないうちに食べた方がいいとの小山田の言葉に頷きながら、スプーンを手に取った。

さっきよりかは湯気は出ていないが、それでも微かな匂いは鼻に届く。
いただきますと口にし、甲斐は椀を持ち上げ、スプーンで中身をすくい上げた。
どろりとした液体はところどころ茶色がかっている。パンの外側の部分だろうか。
食べる。程よい塩味が水とパンに混ざって…。
…それほど美味しくはない。パンと塩水の味がする。
それでも空腹な甲斐にとっては途轍もなく嬉しい事だった。このパン粥も、小山田の心遣いも。

「ウマいっす。」

甲斐が笑いかける。心からの笑顔。
それに答えるかのように小山田も笑って見せた。

ご馳走様でした、と甲斐が空になった椀をこれまた空になった小鉢の隣に置く。
「いや、嬉しいっす。小山田さんに逢えて、飯まで作って貰って。」
「こっちこそ。やっぱりこんな状況だけど笑えるっていいなー、って思ったよ。」
普段のように饒舌になる小山田。甲斐はおぼんを片付ける小山田の後ろについて、部屋から出ることにした。
部屋を出るとすぐに階段があり、野球選手2人分の体重を支えられるのか不安なようにギシギシと音を立てる。
そして廊下につくと、小山田は迷わず左手の方向へ進んだ。
その行き止まりには台所があり、東窓なのか朝日が差し込んでいて、甲斐の目に埃かぶったダイニングテーブルが見えた。
シンクの中に小山田が椀と小鉢を置き、テーブルに着く。
甲斐は手招きする小山田に答えるように向かい合う席に座った。

「さっきは、ご馳走様でした。」
「いやいや…。うん、無事で何よりだよ。」
そっと小山田が言うと会話が途切れた。その間に甲斐はちらちらと辺りを見渡す。
小山田の後ろには古びた冷蔵庫があり、横には不自然に開いたスペースがある。電子レンジでも置いていたのだろうか。
このように生活感がところどころ抜けている部分が無人島と呼ぶに値する空気を作り出しているような気がする。

「なぁ、甲斐。」
小山田が話しかける。さっきの晴れやかな表情は消え、またどこか不安そうなものになっている。
思考を別のところに働かせていた甲斐は反応が一瞬遅れた。
「何ですか?」
しかしそれを気にすることなく、小山田が続ける。
「あいつら…ヨコとか新井とか、嶋とかカサとか、あの辺見てないか?」
あの辺。甲斐は考えた。
いつも仲がよく、小さな嫌がらせをしては嫌がらせで返して、笑っていた輪のことを思い出した。
「…小山田さんと同じ年の人たちですか?」
「うん、あいつらなんか凄い怒ってる奴とか顔青い奴とかなんか、その、こう突っ走る奴らだから、凄い不安で。」
口調が早まる。よほど心配していると甲斐は受け取った。
いいな新井さん達、こんなに心配してくれる人が居て―――甲斐は小山田達の友情に少しだけ顔がほころぶ。

「見てないですけど、」
一旦そこで言葉を切ると、思っていた通りに小山田が溜息をついた。
「…でも、あの人たちならきっと大丈夫です。新井さんと横山さん、絶対みんなで生きて帰るって言ってましたから。」
「えっ?」
ぽかんと小山田の口が開く。言った後に甲斐は思い出した。
「あのー、実は2人が出発する時、絶対にみんなで生きて帰るって言って…」
小山田の顔がどんどん青くなっていく、かと思いきや今度は赤くなる。

あれ、と甲斐が思った時、小山田が不意にテーブルに突っ伏した。
「あのバカ…何も出発する時に言わなくても…。」
ぶつぶつと小山田が呟く。甲斐が耳を立てると、どうやらすでに走り出した2人にショックを受けているらしい。

「でも…あれですよ。2人の言葉には励まされましたよ。」
慌てて甲斐がフォローを入れる。小山田は顔だけ甲斐に向けた。
「うん、それは分かるけど…どうせあの2人のことだから、大声で叫んだんだろ?」
「正解です。」
「やっぱり…。」
あの2人、どう考えても天然だからなぁ…との溜息交じりの台詞が聞こえ、甲斐は苦笑いを浮かべた。

「まぁ…あいつらだから出来たっていうか、したんだろうな。そんな事。」
小山田が顔を上げる。どこか寂しげながらも満足そうな表情。
「そうですね。だからきっと、やってくれますよ。」
みんなで生きて帰るってこと、と甲斐が呟く。
そしてまた台所に静けさが戻り、朝日が大分昇りつつあるのが見えた。

「…俺、ヨコと新井に逢いに行く。」
ぽつりと小山田が呟く。その目は太陽を見つめたまま。
甲斐はテーブルに肘をつき、黙って小山田の口を見ていた。
「2人に逢って、どうにかして残ったみんなでこの島を出る。」

出る、と甲斐が繰り返す。出たい、ではなくて、出る。
その時甲斐の脳裏には『64』と放送の言葉が浮かんだ。
黒ずんだ『64』とすでに6人が死んでいると言う、『あの』言葉。
(もうみんなは『みんな』じゃ無くなった。…それでも俺は、『みんな』で、野球がしたい。
生きている奴の傲慢かもしれないけど、俺は『みんな』と野球がしたい。)
微笑む小山田を見て、甲斐は不意に夢を思い出した。
平凡なフライを掴み取る、さっき見た夢を―――。

「ヒーローっすね。横山さん、新井さん、嶋さん、森笠さん、小山田さんでちょうど5人だし。」
「ゴレンジャー?」
思わず甲斐の脳裏にゴレンジャーの格好をした5人が浮かび、吹き出す。小山田は不思議そうに甲斐を見つめた。
「っていうか福井も同じ年なんだけど…」
思わぬ突っ込みに甲斐の微笑みが凍る。
「…あれ、俺言いませんでしたっけ。」
「何だよその間。それに言ってない。」
決まりが悪そうに甲斐が笑う。小山田は不服そうに口先を尖らせた。

「……ま、いいんじゃないですか。俺も2人に逢いたいし。」
苦笑いをようやく普通の表情に戻せるまでの時間が経ち、甲斐は小山田に向かってそう呟く。
「え、ついてくるの?」
「ダメですか。」
「荷物持ちな。」
「後輩こき使わないでくださいよ。」
ぽんぽんと交わした会話がやけに面白く、甲斐と小山田はにやりと笑いあう。
そして小山田は思い出したように顔を上げると、甲斐の後ろの瓶を手に取った。

「ならさ、これ持っていこうよ。美味しかったでしょ、これ。」
金柑の砂糖漬けの入った瓶を持った小山田に、甲斐は笑い返す。
でもしばらくはこの優しい空気にしばらく浸っていたい。甲斐は笑いながら、そう思った。

平凡なフライをきちんと掴み取るために、まずは歩き始めようと。
薄く差し込んでくる朝日に包まれながら、甲斐は小山田と共に新井と横山を探すことに決めた。

【生存者 残り34名】



リレー版 Written by ◆ASs10pPwR2
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