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ヒナタ版「もうじき僕は歌わない」について、僕なりの(たぶん他の誰もしない)アプローチで再度解釈を試みよう、という企画です。ここの書き込みがなくなるのも淋しいので誰かが何かを書くまでのつなぎ、程度ですが。・・・って、既に僕しかここを使っていない、という話もある。
もし、ヒナタ師に余裕があったら、返事をいただけると幸いです。
第一回、キャラクター名に秘められた謎について。
<マコトくん>
いちばんインパクトがあった名前は彼、「蔦井真言(つたいまこと)」くん、でした。もちろん「真言」って基礎的な宗教用語で(密教系?)、個人的にヒナの知り合いの仏教関係者で思い出した方がいるのはここだけの秘密です。
たぶん、意図したのは「真実の言葉を伝えるひと」(つたい=つたえる)でしょう。性格も、だいたいその通りのように見えます。ということは、マコトくんの言うことは真実である、というのが物語の基本構造なんでしょうか?
<僕>
フルネームはあまり出てこないけど、「ナガミネ・サトシ」くん。漢字変換は分からないけど、単純に考えたら「ながめる」+「さとる」(あるいは「かしこい=さとい」?)というメッセージを託された名前でしょうか。物語の主人公=傍観者の視点であることが、それを裏付けます。何かをこの後で悟るのか、悟ったようなことを言っている現在までを指しているのか、「さとし」が意図するところは僕は読み切れていません。でも、今後も物語を続けていくなら、たぶんサトシくんが何かを悟っていく話にはなるんだろうなあ。
<姉>
「ナガミネ・結子」。「ながめる」+「結う=結びつける」でしょうか。傍観者の視点を持つサトシくんをさらに俯瞰する視点を持ち、マコトくんをサトシくんとくっつけるあたりが名前そのものです。本当は、サトシくんを世界とくっつける仕事をする予定だったらしいんだけど、その働きを今後どうするのか。
<円谷さん>
とても性格が円満だとは思えないけど、頼りになる先輩だったり社会人だったり、サトシくんの先を行く存在であり、サトシくんに欠けている部分を持っている存在「円=欠けるところのない存在」でしょうか。姉亡き後の、サトシくんの導き役?
<飛田くん>
性格が軽く地に足の着かないさまを「飛」に託した感じかなあ。
<朝子さん>
本名が「市野 朝子」。この名前の解釈に困ったので、この記事を立ち上げたようなものです。この名前は、どう解釈すればいいんでしょう?
@仮説1
朝子の「朝」は、サトシくんの夜明けを象徴する。朝子さんと出会うことで、サトシくんは異性と交流できるようになったから。
@仮説2
「朝=あさ=浅」で、結局のところ深い関係なんて結べていなかったじゃないか、というアピール。
@仮説3
結子さん(姉)の「ゆう=夕」に対比して「朝」。サトシくんが姉から卒業して、姉と違うひとと仲良くできるようになったことを表現。
@仮説a
円谷さんの「円」に対比して、「市=いち=一」。尖っている。他人を傷つける。
@仮説b
「市=他人が集まるところ」と考えて、サトシくんが他人の中に出てきた、ということをアピール。
基本構造は、傍観者サトシくんを中心に置いた時に、円谷さん・姉・マコトくんは上位存在、飛田くん・両親等他の人たちは下位存在で、対等な関係の他人がいないように見えました。朝子さんとは対等な関係だ、という話なのか、やっぱり朝子さんのことも見下しているのか(年上の女性であるはずなのに、見上げる感じがしないのはどうしてでしょう?)。
名前の字面だけを見ても、朝子さんの置き場に困っていて、他のひとたちは機能に合わせた名前を持っているのかなあ、と思いました。昼休みが終わるのでこのへんで。
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