もうじき僕は歌わない。@Wiki

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( <もうじき僕は歌わない>

 寺田さんは名前を寺田勝彦と言った。名前も平凡なら姿かたちも平凡な中年の男性だ。
身長は自称163センチ、痩せてもいず太ってもいない。特徴と言えば、中年にしては髪がふさふさしていて白髪が一本もないことだ。
「もしかして、寺田さんって、ワカメばっか食べてるんじゃないっすか?」
と一度真顔で訊いたことがある。もちろん「まさか」と失笑されたけれど。
僕はそんな寺田さんと工事現場のアルバイトをしている時に知り合った。
僕は自分で言うのもなんだけど、かなり満たされている高校生だ。頭もそれなりに良かったし彼女にしてもいいと思うくらいの好きな子もいた。
両親と弟がいて、中学校から大学まである私立の高校に通っているせいで受験も関係なく、成績さえ落とさなければすんなりと立派な社会人になれるはずだ。

そんな僕がなぜ工事現場のアルバイトを始めたのかと言うと、かっこよく言えば社会勉強のため、本当のところは興味本位だ。
けっこう僕は好奇心があるほうなんだと思う。夜中にヘルメットをかぶり交通整理をする人、スコップを持って土を掘り返す人、小さめのショベルカーを操る人・・・。あの人たちはどんな人の集まりなんだろうか、あれは副業なんだろうか、昼は昼で違う職場があって、夜になると集まってくる人たちなんだろうか、体力的にどうなんだろうか、僕に勤まるんだろうか。そういうことを考え出すととにかくやってみたくなるのが僕の性分なのだ。
 両親にそのことを話すと、もちろん反対された。危険、健康を損なう、もっと違ったアルバイトの選択。理由はどれも納得できるものだった。だけど僕は両親を説得するのが得意なのだ、昔から。
 基本的に親っていうのは子供のことが好きなんだから(最近はそうでもない親もいるが)、子供の言うことはわかってくれる、っていう前提で話をするのが大切だ。
決して、お父さんお母さんを裏切るようなことはしないから僕を信じてほしい、危険な作業ならすぐにやめるし、睡眠不足を理由に家族に不機嫌な顔を見せたりしない、絶対に。そして、バイト料が入ったら家族みんなでおいしいものでも食べに行こうよ。 
 僕はいい加減な態度じゃなく、真剣に両親の目を見て時間をかけて説得した。そして友達の父親が経営している建設会社の下請けの会社のアルバイトとして雇ってもらうという話さえ出した。
「もし不安に思うんだったら、電話して確認してくれればいいよ。これが僕の友達のお父さんの会社の電話番号で、これが下請けの会社の電話番号」
 僕はそう言いながらメモを両親の前に出した。
 そして両親は2,3日後に「疲れたら無理をせずにすぐにやめること」を条件に許可してくれた。結局親っていうものは、子供の健康が一番気にかかるところなのだ。

 そういう過程を経て夏休み3日目から僕は工事現場のアルバイトを開始した。
 高校1年の僕が最年少で大学生が2人。残り4人は年齢もまちまちだったが、たぶん最年長は寺田さんだったんじゃないかと思う。夜10時に現場に集合。会社の現場担当が道具を持ってくると同時に作業が開始される。旗を持って交通整理をする仕事だけは誰でもいいわけじゃないらしく決まった人がやっていた。他の作業は毎日担当者がくるくると代わるシステムらしいのだがその理由は、そのほうが退屈しなくて済むからだそうだ。だけど僕はいつも掘り返された土をスコップで運んで集める仕事ばかりだった。さすがに5日も過ぎると体力的にきつさを覚えたし、昼間はどんなに起きようと思っても起きられなかった。1日の大半を寝て過ごし、日が暮れるころに起き出し、ご飯を食べて少しテレビを見たら仕事。そんな毎日を過ごした。母は毎日「大丈夫?きついようならやめなさいよ」を繰り返したが、そのたびに僕は「大丈夫、もう少し頑張る」と答えた。

 1週間がたった時、休憩時間に偶然寺田さんと隣り合わせになった。寺田さんはタバコを美味そうに吸いながら空を見上げて、
「近藤君は金がほしくてこの仕事を始めたの?」
 と言った。
「金が最大の目的じゃありません」
 僕はペットボトルのコーラを一口飲み、口をぬぐいながら言った。
「まあ言えば社会勉強ってとこです」
 真剣な顔で僕は答えた。ちょっと笑って「社会勉強か・・・」と寺田さんが言った。
「そんなに早くから社会勉強なんてしなくてもいいと僕は思うけどね。時期がきたらイヤでも勉強できるもんなんだから」
 僕は寺田さんの顔をじっとみつめて、次の言葉を待った。けれど、寺田さんはただタバコを吹かすだけだった。
 僕はもう一口コーラを飲んだ。現場から近いコンビニで買ったコーラだ。汗が体中から噴き出してきてベタベタした。首に巻いたタオルで何回も顔や体の汗をぬぐうのだが、なかなか汗は止まらない。
「道に反れたことをしないで生きる、っていうのは難しいことだ」
 寺田さんば少しうつむいて,地面に目をやりながらぽつんと言った。
「はい」
 僕はただ返事をした。
「人生っていうのは、道に反れようと思ったらいくらでも反れるけど、反れまいと思っていても知らず知らずのうちに反れてしまうもんなんだ」
 彼は地面から目線をはずし真っ直ぐ正面を見て言った。
 僕はただ彼を見ていた。
「僕はキミと同じような時に道から反れたんだ、反れようと思ってなかったのにね」
 彼は僕が自分の話に耳を傾けているか確認するかのように僕の方を見て、僕の視線を確認するとまたまっすぐ前を見た。
「僕の行ってた高校はすごい進学校でね。毎朝小テストがあって、その小テストがただちに席順になる。つまり教壇の前から得点の良いものが座り、一番得点の悪いものは廊下側の最後尾ってことになる。小テストの教科は曜日で代わる。そしてどの教科も範囲は指定されない。どの範囲から出題されるか全くわからないのに、得点のいい奴は決まってるんだ。だいたい同じメンバーで教壇の前の席をくるくる回っていたもんだ。僕はとりあえず、毎日授業についていくのに必死だった。クラスメートと私的なことを話したことは3年間で一度もないくらいだ。部活も出来なかったし、友達と呼べる奴と知り合うチャンスも全くなかった」
「部活も出来なかったんですか?」
「放課後は大学入試向けの授業が組み込まれてるんだ。だから部活なんかに行ってる奴はいなかった」
「でもその学校にクラブは存在してたんでしょ?」
「僕の行ってた学校は極端な学校でね、クラブも勉強もトップクラスしか取らないんだ。だから部活をする奴はそのためだけに学校にくる奴なんだ。特待生としてさ。で、他の奴らは必死に勉強して国立大に入る、それしか選択の余地はない学校だったんだ」
 寺田さんの口元が穏やかにゆるみ、少し微笑んでいるように見えた。
「大変な学校だったんですね」
「うん、今から思うとね。ただ、その中にいるとそれが大変なのかどうか、異様な世界なのかどうか認識出来なくなるんだ。毎日毎日カリキュラムをこなすことしか頭になかったから、他のことを考える余裕すらなかった」
 彼はタバコを吸い終わるとすぐに次のタバコを取り出した。僕はコーラを飲みきった。休憩時間はあと5分しかない。
「それでどうやって寺田さんは道から外れちゃったんですか?そんなに必死で勉強してたのに」
 寺田さんは口元をゆるめながら僕の言葉に頷いた。
「そんなもの、簡単なんだ。さっきも言ったけど、道から外れることなんか一瞬なんだよ」
「一瞬?」
「そう、たちまちさ」

 休憩していた人たちがゆっくりと立ち上がりそれぞれの作業につき始めた。寺田さんは吸っていたタバコを地面にポトリと落とし、靴の底で揉み消した。そして「続きはまた」と言って立ち上がった。僕はもう一度タオルで汗を拭いてからスコップを手に寺田さんと反対の方向へ歩いていった。
 作業しながら、寺田さんの高校生活を考えた。毎日毎日テストに追いまくられ楽しいことのひとつもなかったんだなぁ、と。今の僕には楽しいと思えることもあるし、友達だっている。部活だって一応陸上部に所属しているし、タイミングさえ良ければ記録のひとつだって作れる。やっぱり僕は恵まれた高校生なのかもしれない・・・。
 寺田さんの話を頭の中で繰り返してはいても、自分に置き換えられないくらいそれは遠い話に思えた。今の僕からは想像できない世界だ。だから僕はきっと道に反れたりしないんだ。
 その時僕は不思議な確信をもちながら、スコップを繰り返し動かしていた。



 寺田さんと再会したのは、それから1ヶ月以上もたってからだ。
 寺田さんの話の続きを聞く機会がないままに僕はアルバイトを終え、誰とも満足に別れの挨拶をしないまま12万のアルバイト料を手にして現場を離れた。もともと2週間という期限付きだったし、その現場自体が2週間で終わる予定だったから、けっこう割り切って仕事を終えることが出来た。
 結局、僕の好奇心が満たされたのかどうかわからなかったが、寺田さんの話の続きが気になったのと、かなり身体が疲れていたことだけはわかった。残りの夏休みは部活も勉強もあまりうまく行かなかった。現場のアルバイトで身体が疲れきってたのと、朝と夜が逆の生活を2週間続けていたからか昼間に睡魔がおそってきてどうしようもなかった。
 僕は高1の夏休みをあまりパッとしないまま終えてしまった。

 そんな時、寺田さんと偶然会った。それは9月も半ばにさしかかろうとしていた頃で、僕は学校からの帰宅途中だった。僕と寺田さんは横断歩道の真ん中で再会した。
「あ、」
 寺田さんが僕の横を通り過ぎようとした瞬間、とっさに声が出た。彼はすぐに立ち止まり「よぉ」っと人懐っこい笑顔を見せた。
「元気か?」
「はい」
「学校か?」
「はい」
 僕たちは横断歩道の真ん中で少し照れながら挨拶みたいな会話をした。
「寺田さんは?何を?」
 僕の質問に、いや何も、と言い「久しぶりだな」と彼は言った。
「たしか、近藤君だったよな?」
「はい」
「たしか、高校生だったよな?」
「はい。現場で寺田さんに道に反れる話をしてもらいました」
 そう言うと彼は少し笑った。そして僕たちは、どちらからともなく同じ方向に向かって歩き出した。
「続きが聞きたいか?」
 寺田さんはちょっと意地悪っぽくそう言った。
「出来れば」
「そうか、聞きたいか。でもな、そんなに面白い話じゃないんだ」
「ええ。でも聞きたいです」
「そうか・・・」
 と言いながら、はにかんだように小さく笑う寺田さんを見て、まるでずっと前から知っている友達みたいだと僕は思った。


 寺田さんが一度入ってみたかった、っていうファーストフードの店に入り、僕らはカウンター席に並んで座った。僕の注文したソーセージサンドとコーラは寺田さんがおごってくれた。僕にだってそれくらいの金はあるんだ、って照れながらお金を払った寺田さんに丁重にお礼を言い、僕が席までトレーで運んだ。
 彼は美味しそうにハンバーガーを口に運びアイスコーヒーを飲んだ。ほんとにこういう店に入ったことがないのかどうかはわからなかったが、あまりこういう場所が似合うようにも思えなかった。彼にはもっと違った場所が似合うような気がしたのだ。
 ハンバーガーを全部食べてから寺田さんの話はちょっと唐突に始まった。



「僕が進学校に通っていた話は前にしたと思うけど・・・。僕は進学校にいながら大学受験にことごとく失敗したんだ、結局のところな。高1より高2。高2より高3とどんどん成績は落ちていった。原因はあきらかだ。初めからそんな学校に入るべきじゃなかったんだ。
 人間にはそれぞれ持ち合わせた能力ってもんがある。僕はまるっきりまぐれで入学出来たんだろう。だから3年生になる頃には全く授業に付いていけなくなった。親は焦って家庭教師をつけてくれた。だけど成績は奮わなかった。全くダメだった。前に言った席順で言うと、3年生になってからは廊下側の一番後ろの席かそのひとつ前かだった。情けなかった。学校なんか行く気ゼロだ。けど、その時の僕には学校以外のどこに行けばいいのかそれもわからなかった。友達もいず、部活もしていない。勉強しかないところで勉強が分からないときの苦痛がわかるか?耐えがたいものがあるよ。自分でどうすることも出来ない。だって、僕の能力外の話なんだからね。
 僕はとりあえず学校には行った。けれど誰ともしゃべらず、授業もわからないまま毎日を過ごした。結局僕はなんとか合格できるって言われてた大学さえとことん落ちた。挙句のはてに福岡にある大学に入ったんだ、しかも専攻は体育だ。運動になんか全く興味がない僕が体育科だ。自分でも笑えて仕方なかったよ、体育だなんて。
 だけど3次募集まである大学で、僕の高校から入ったとして、高校の進学先の経歴に傷をつけない大学っていえば体育科に進むしかなかったんだ。中途半端に有名な中流大学だとかえって進学校とすれば汚名になるからね。だから九州の体育科がある大学くらいにしておけば誰の目にも触れることがないから、かえって高校側にしちゃ都合がいいわけなんだ。高校の進路の先生が必死になってその大学を僕に薦めたのをよく憶えている。
 僕にすれば、どうだってよかった。福岡で一人暮らしが出来ることは僕にはちょっとした喜びだった。家族と離れて暮らすことが僕にとっていいことのようにも思えたし、それは家族のためであるとも思った。僕には弟がいたからね、僕にかけた期待を弟にかけることが家族にとって心のよりどころになるからね。僕は姿を消したほうがよかったんだ、本当に」



 僕は黙って寺田さんの話を聞いた。寺田さんの高校時代の話を。それが何年前の話なのかもわからないままに。そして今の僕の高校生活とはかけ離れた世界の話だと思いながら。
 寺田さんはTシャツにジーンズ姿で、僕は白い半そでシャツにグレーのズボンの制服姿だった。僕の学校はそんなに校則に厳しいわけじゃないけれど、みんなそれほど違反はしてこない。たぶんみんな校則違反をしたくなるほど今の生活に満たされてないわけじゃなく、また、校則違反をするほどエネルギーがあるわけでもなかったんだろう。まあ、たぶん僕の場合は前者だと自分では思っているけれど。
 寺田さんはコーヒーを2センチほど残すとタバコに火を付けた。僕はここが禁煙席じゃないだろうかと気が気でなかったけれど、彼はそんなことは気にしていないようで、なんのためらいもなくライターを手にした。そして灰皿をトレー置き場から持ってきてまた僕の隣に座った。



 「大学生活は楽しかった。初めて味わう楽しさだった。僕は大学生活4年間を寮で過ごした。両親は一人でアパートを借りてもいいって言ってくれたけど、僕は寮を選択した。親にあまり金を遣わせたくなかったこともあったけど、この大学に入ることを決めたとき、ちょっと僕は投げやりになってた。大学生活に全く期待していなかったしどうでもよかった。その頃の僕はいろんなことを考えることが出来なかった。大学の寮があるんなら入ればいいや、って感じだった。寮に入ったってアパートで一人で暮らしたってどうでもよかったんだ。
 けど、結論的には僕の寮生活はそれなりに楽しかった。1年生のときは一部屋に4人もいて、プライバシーのかけらもないような生活だったけど、それなりにみんな気を遣いながら暮らしていたしイヤな思いをすることもなかった。今から思えば、あの生活が今までで一番良かったのかもしれないと思う。僕が僕らしくいられたのはあの大学の4年間だけだったのかもしれない」


「僕の人生で一つ目の挫折と言うなら、やはり大学受験失敗だと思う。そして二つ目が留年だと思う。しかもその留年のしかたがどうしようもなく情けないものだった。
 僕は体育なんか全然得意じゃなかったけど、なぜか体育科に進んだ。大学を卒業した連中はたいてい体育の教師になるか、スポーツインストラクターかスポーツメーカーのサラリーマンになるかだ。僕は別に何になりたいか、なんて考えたことがなかった。ただ与えられた単位を淡々と取っていくだけだった。だけど、ただ一つ、どうしても越えられないものがあった。・・・ハードルだ。そう、陸上のだよ。・・・ハードル・・・。
 僕は見てのとおり、この身長だ。決して高くない。はっきり言って足も長くないしね。それが原因かどうかわからないけど、とりあえずハードルがどうしても跳べなかった。高跳びや棒高跳びは出来ても、どうしてもハードルだけはうまく行かない。8台あるハードルの半分は倒してしまう。ハードルを完璧に跳ぼうとすると今度は絶望的なタイムになる。単位をもらうには、ハードルをうまく跳んでタイムも最低ラインはクリアしなくちゃいけないんだ。どちらに重点をおいたってダメなんだ。
 結局僕はハードルの単位だけを1年生から4年生までずっと残したままだった。そしてとうとう4年生の最終試験の日を迎えた。
 僕は考えた。僕の寮の同室のヤツでハードルの単位を1年生で取ってしまってるヤツがいた。まあ、だいたいのヤツは1年生の時に軽々クリアしてるわけなんだけどね・・・。っで、僕はそいつに僕の代わりにハードルを跳んでくれるように頼んだ。僕になりすまして。
「どうせバレやしないよ、教授なんて学生の顔と名前をきっちり把握してるわけないんだから」って言って。それでも渋る彼に、もう一度僕は言った。「跳んでくれたら1万やるから」って。
 彼は1万っていう報酬ですぐに折れた。「いいよ」ってね。
 試験は4年生の秋で単位取得の最後のチャンスだった。僕は小さなスポーツ店に内定をもらっていた。「卒業見込み」ってことでね。
 試験当日、僕は彼が寮を出て大学のグラウンドに行き、僕になりすまして点呼を受けるところを確認した。その後グラウンドの柵の外から、彼がハードルを跳ぶところを見届けた。 
 完璧な跳躍だった。ハードルをひとつも倒すことなく、タイムだって6人走った中でダントツの1位だった。柵の外で、ちょっとやりすぎだよ、って思ったくらいだった。ヤツに2番か3番でゴールするように言っておけばよかったかな、って思うくらいに彼は美しい走りをしたんだ。僕は彼の走りを見終えるとすぐに寮に戻り彼の帰りを待った。
 これで一生ハードルを跳ぶこともないんだ、ハードルに悩まされることもないんだ、って思うことは素晴らしい開放感だった。ようやく自分に自由がやってきたような気分だった。僕はベットに仰向けに寝転び天井に目をやりながらこの喜びをかみ締めた。涙だって出そうになった。自分では意識していなかったけど僕にとってハードルの単位が取れないってことはすごく重荷だったんだ。でも今日でその重荷から開放されるって思うと嬉しくてたまらなかった。彼に支払う報酬の1万円なんか安いもんだって思った。僕に出来ないことを彼はやってくれたんだから。
 彼が帰ってくるまでの間、社会人になってからの僕の生活を考えた。この寮を出て、自分の給料で一人暮らしを始めるんだ。ようやく勉強の束縛から開放されるし、もう親のことを気にしなくてもいいし、自分らしく生きていける。自分らしく、自分らしく・・・。自分の興味のあることは何なのか探そう。そしてそれをやろう。今まで出来なかったことをいっぱいしよう。
 僕は、見上げる天井のどこかから明るい光が射すのを見ることが出来た。それは僕のこれからの生活への光だと自分で思った。それは誰からもどんなことからも束縛されない自分らしい生活への希望だった。

 それから何分かして彼が帰ってきた。「ありがとう」と僕は1万円が入った封筒を彼に差し出した。彼はちらっと中を確認すると、
「トップでゴールしてやったから絶対単位はもらえるからな」と満足そうに微笑んだ。
「見てたよ」
「来てたのか?そうか。3年ぶりとは思えない走りっぷりだっただろう?」
「ああ、キレイに走ってたし、跳躍も完璧だった」
 僕はお世辞でもなくひがみでもなく、素直にそう言った。彼も素直に僕の言葉を受け止めているようだった。彼はたぶん育ちがいいんだろう、物事を屈折して取らない。僕は良いヤツとルームメートになったもんだと自分の幸運を思った。そして彼のこれから先の人生の幸運をも祈った。
 僕は満たされていた。

 だけど、その幸運は幻想でしかなかった。僕は留年になった。そして原因はやはりハードルだった。
 僕は、すぐに教授のもとに出向き抗議した。
「僕はちゃんとハードルを跳んだじゃないですか。タイムだってトップクラスだったはずです」ってな。だが教授は僕の熱さとは反対に、すごく冷静な口調で言ったんだ、
「試験の日、ハードルを跳んだのはキミじゃない、石川くんだろ?キミは彼に代走を頼んで単位を取ろうとしたんだろ?全部バレてるよ、寺田君」
 ってな。 
 僕は凍りついた。返す言葉もなかった。「誰がばらしたんだ?」とか「どこでバレたんだ?」とか「いつから見破られてたんだ?」という疑問が次々に頭の中に浮かんできたけど、そんな言葉を口にすることも出来ないまま僕はその場に立ちすくんだ。血の気がひいて、身体全体が冷えていくのがわかった。それなのに、顔だけが熱くなって額から汗がにじんでくる。
 負けだ、と僕は思った。完璧な僕の敗北だと。
「僕の卒業は・・・?」
「残念だが、来年以降になる」
 僕の恐れていたことを教授は抑揚のない声で言った。
「留年ってことですか?」
「そうだな」
 僕はうつむき、身体を凍りつかせながら、でも、徐々に怒りににも似た感情に両手で握りこぶしをつくりながら、教授のその言葉を聞いた。
 一瞬の間に僕の頭の中で色々なことが浮かんだ。就職が内定しているスポーツ店にどう言えばいいんだろう?親にはどう報告すればいいんだろう?一人で住むはずのアパートだって契約してあるし、スーツだって2着買った。あれもこれも全部パァーだ。
 頭の中の混乱をどうすることも出来ないまま教授に一礼すると教授室のドアに向かった。これ以上抗議しても意味がない。
「来年の試験には代役なんか頼まないことだな。自分で跳ぶんだ。跳べなかったら跳べるように努力するんだ。人に頼っちゃいけない」
 僕の背中越しに教授が言った。その声は僕にとって激励のようでもあったし、罵声のようにもとれた。僕は振り向きも返事もしないで「失礼します」とだけ言って教授室を後にした。

 ハードルの代役をしてくれたヤツは、もう卒業を見込んで寮を出ていた。地元で就職先が決まっていたらしく11月なかばには荷物を引き上げ大学にも出てこなくなった。僕の受けた仕打ちを彼も受けるんだろうか、と思った。彼の卒業も取りやめになったりしなかっただろうか。
 彼に確かめたかったけど連絡をとる方法がなかった。どうしようもない・・・。でも彼の卒業に影響が出たとしたら僕はものすごく悪いことを頼んでしまったことになる。僕の浅はかな考えが人の人生まで左右させてしまった・・・。
 情けなさと悔しさと腹立たしさで僕はどうすることも出来なかった。教授は言った、「跳べるように自分で努力しなさい」と。努力、努力、努力・・・。努力すればハードルが跳べるようになるんだろうか?4年かかって跳べなかったものが跳べるようになるんだろうか?僕は逃げていたんだろうか?人に頼ってばかりいたんだろうか?
 どうしようもない自己嫌悪、立ち直れそうにない屈辱だった。自責の念にかられ、僕は行き場を失った」



 「退屈か?僕の話は」
 寺田さんはふと話をやめ、僕を見た。
「いいえ、全然退屈じゃないです」
 僕は首をふりながらそう言った。
 寺田さんが財布から1000円札を取り出し、
「これで、キミの飲みたいものとコーヒーをもう一杯買ってきてくれるか?」
 と言った。
「ありがとうございます」と頭を下げ、僕はバニラシェイクとアイスコーヒーを買ってきた。

 
「原則的に、寮での生活は大学4年間に限る、という決まりがあった。だから僕は寮を出なくてはならなくなった。
 仮契約していたアパートの家賃はその当時でひと月3万8000円だった。いくら小さなスポーツ店と言ったってそのくらいの家賃は払えるだろうと思ったし、軽く貯金も出来るんじゃないかと考えていた。けど、また来年も身分は学生だ。学生のままだ。気持ちの整理をし、これから自分がどうやって生きていくか考え始めなければならない。
 両親には留年のことを電話で報告した。
「どうして!?いったいあなたは4年間何してたの!?」
 と、ヒステリックになっている母親の甲高い声が電話越しに響いた。
 ヒステリックになるのは仕方がない。僕がまさか留年するなんて母親にしてみれば思ってもみないことだったんだから。
 高校を進学校に通わせるために中学から進学塾に入れ、希望通りの高校に合格したときは涙を流して喜んでいた母だ。高校生活では全面的に僕を支えてくれたし、どんなに成績が落ちたって僕を励ましつづけた母だ。
 その母の緊張の糸がプツンと切れたのが僕の大学受験失敗で、僕が九州の大学に進むことに決まったとたん、僕と会話をしなくなった。寮生活に必要なものを揃えなければならない時だって、彼女は僕に5万くれただけで済ませてしまったし、寮への引越しに立ち合ってもくれなかった。 彼女は落胆の色を隠す人じゃなかった。一度落ち込んでしまったら、ひと目をはばからず、その落ち込みを見せる人だった。そして一度沈んだ気持ちをなかなか取り戻すことが出来ない人だった。
 父や弟に申し訳ないなぁと思った。母がまた極端に感情的な態度をとり、父や弟に当たるのが目に見えたからだ。離れて暮らしている僕はいいけれど一緒に住んでいる家族にはたまったものじゃない。
 翌日母のいない時間を見計らって弟と電話で話した。
「悪いな、迷惑かけて。母さんの機嫌わるいだろ?」
 僕が言うと
「昨日から愚痴ばっかり言ってる。『私には運がないのかしら、こんなに一生懸命やってるのに、大学も満足に卒業できない息子を持つなんて』とか、『どこでどう子育てを間違ったのかしら』とかね、そんなことばっかり繰り返しては涙ぐんでる。・・・バカみたいだよ」
「悪いな。フォローするのが大変だろう?」
「フォローなんてしないよ。放ったらかしさ。僕だって勉強に忙しいんだ。兄さんには言いにくいけど、兄さんみたいになっちゃいけないって毎日のように言われてるからね、どうしようもないんだ。兄さんの分まで、僕が親を喜ばせてやるから心配しなくていいよ。僕、一応今のところ学年トップ10をキープしてるからさ」
「そうか、がんばれよ。母さんのこと、頼んだ。もう少し時期をあけてまた連絡するから」

 あの家に、僕はもう必要ないのかもしれないと思った。両親から僕の記憶が消えたほうが両親は穏やかに人生を送れるのかもしれない。弟が僕の分まで両親に幸福をもたらせてくれるんなら安心だ・・・。
 僕は自分の生活だけを考えることにした。少なくともこれから1年間、僕は誰にも頼らず学生の身分のままで生活していかなければならないのだ、たった8台のハードルのせいで。
 僕が代役を頼んでそれがバレて留年になったってことは、すぐに寮内に広まった。寮母さんからは、これからどうするの?と心配されたけど、後輩達からはバカな先輩という視線を感じた。そりゃあそうだ、ここに来ている奴らは運動するのが得意で、言い換えれば、運動だけは誰よりも出来る奴らなんだから。ハードルを跳ぶのに代役を立てるなんてこと、考えもつかない奴らなんだから。
 僕は一日も早く寮を出る段取りをしなくてはならなくなった」




 寺田さんがふと僕を見て、
「ハードルを跳ぶのにコツみたいなものはあるのか?」
 と聞いた。「たしか近藤君は陸上部だって言ってたよね?」
 僕は「ええ」と言って軽くうなずき、ちょっと考えた。
「ハードルを上手く跳ぶには・・・。ハードルを上手く跳ぶには、ハードルを上手く跳ぼうとしないことです。ハードルがあることを意識しないで、目の前にやってきた山をちょっと跳び越える、ってくらいの感覚で跳ぶことです。ハードルを意識しすぎると、走るときのスタンスや腿(もも)の上げ方なんかも気にしなくちゃならないし、そんなこと気にしながら跳ぶと今度は上手く走れなくなります。僕はいつでもハードルなんか気にせず走ります。走っていく途中にちょっとした障害があるけど、そんなものは勢いで越えればいいや、って感じで跳んでます」
「なるほどね、ちょっとした障害か・・・」
 寺田さんは柔からな口調でそういうと、何度もうなずいた。
「僕はハードルを意識しすぎたのかもしれないね。もっと簡単に跳べばよかったのかもしれない」
 そう言うと寺田さんは真っ直ぐ前を見た。
 僕たちは道路が正面に見えるカウンターに並んで座っていた。ガラス越しに道路を行き交う人たちや車の流れが見えた。太陽の熱気が残る9月の夕暮れだった。人々はハンカチを手にしたり日傘をさしたりしていた。ペットボトルを手に、笑いながら通り過ぎる学生の姿も見えた。

 「それで、ハードルの単位は結局取れたんですか?」
 少し間をおいて僕は聞いた。
「ああ、簡単に取れたんだ」
 寺田さんは僕のほうにちらっと顔を向けてちょっと笑った。
「留年1年目の5月に新1年生と一緒に試験を受けて、1回でパスしたんだ」
「良かったじゃないですか!ハードル跳べたんですね?!」
 僕は自分でもわからないくらい嬉しくてちょっと大きな声をあげてしまった。気を許せば寺田さんに手を差し出して握手を促してしまうくらいの勢いだった。
 思いもしない僕のリアクションに少し戸惑いながら、
「ああ、良かったよ」と言って彼は小さく笑った。
「どうやって跳んだんですか?もちろん自分で跳んだんでしょ?」
「ああ、自分で跳んだんだ。1回目の測定で1台も倒さずに、タイムも合格ラインを軽く越えてね」
「スゴイじゃないですか!? どうやって克服したんですか?」
 僕は特ダネでもにぎったように声を高くして聞いた。寺田さんはそんな僕を見て、笑いながら、
「キミはいい奴だね」と言った。
「キミはきっと家庭環境がいいんだね」
「え?」
「人の話を聞いて、心配したり喜んだり出来るっていうのはそういうことさ」
 そう言って寺田さんは微笑んだ。そして、
「僕がなぜ一回でハードルを跳べたかというとね」
 と言うと、すぐに真面目な顔になり、
「僕がハードルを跳ぶことが出来たのはね、それは努力したからなんだ」
 と言った。
「努力?」
「ああ、努力さ。僕は留年が確定してから猛烈に練習したんだ、ハードルを跳ぶね。これは自分で跳ぶ以外に方法はない、逃げられない、って覚悟をしたんだ。人間、覚悟をすると強いもんさ。色々迷うから弱いんだ。迷いがなくなった人間は強い。
 僕は、脚を高く上げるストレッチから始めた。毎日カリキュラムを作って絶対にやり通すと決めたんだ。ストレッチに時間を費やして180度開脚出来るくらいにしたし、脚だって高く上がるようになった。腕の振りだって研究した。どんなふうに腕を振れば早く走れるか、どんなふうに腕を振ればハードルを跳ぶのに役立つか。色々丁寧に調べればそれはそれなりに方法があるんだ。
 それから走る時のフォームだって考えた。フォームが完成されれば、あとは脚を上げてハードルを跳ぶためのタイミングをうまくやればいいんだ。フォームさえ崩れなければハードルを跳び越えたあとでも速く走れる。そして、ハードルを跳ぶ瞬間は、膝と額をくっつける。それだけだ。
 僕は毎日毎日ストレッチとフォーム作りをし、常にうまく跳べるイメージトレーニングをした。1,2,3,1,2,3,・・・。僕は毎日毎日真剣にハードルと向き合った」
 寺田さんは、「1,2,3,1,2,3,」と言いながら、腕を前後に振った。その指先はピンと伸びていてきれいだった。腕の振りも鋭く速かった。僕は学生時代の彼を見たような気がした。

「人間は、努力すればたいがいのことは何とかなるのかもしれない」
 まっすぐ前を向いたまま寺田さんが言った。
「ハードルの試験の日、僕はイメージどおりの走りが出来た。ハードルを1台も倒すことなく、触れることさえなく走ることが出来た。
 僕を留年にした教授は定年なのか転任なのか知らないが、新しい教授に代わっていて、僕と会話することもなく単位をくれた。まあ、当たり前だよね、跳べたんだからね。跳んでみると、どうしてこんな簡単なものにつまずかなくちゃならなかったんだろう、って思った。こんな簡単なものにね。僕はこんなもののために1年を棒にふらなきゃならなかったのか、ってね。・・・虚しかったよ。ハードルを跳べた喜びより虚しさのほうが強かったね」
 寺田さんは顎に手をやり、なでるようにしながら小さなため息をついた。
「でも、良かったじゃないですか。これでもうあとは自由に過ごせるわけだし」
 僕は少し不服そうな顔をしている寺田さんを見ながらそう言った。
 彼は、ふふ、っと含み笑いをしながら僕の顔を見て、
「時間は大丈夫か?」
 と聞いた。
「ええ、大丈夫ですけど」
 と僕が答えると、
「その自由ってのが落とし穴なんだ。それが人生の道に反れる始まりなんだ」
 寺田さんはそう言うと、氷の溶けたアイスコーヒーを一口飲んだ。そしてもう一度、ふふっと静かに笑った。




 「本来なら4年間で寮を出なくちゃならなかったんだけど、部屋の空きもあったし、僕の生活態度も良好だったことから、単位が取れるまでっていう約束で、特別に僕は寮にいさせてもらってた。だから単位が取れた僕は寮を出て行かなければならなくなった。
 まず住むところの確保と収入の確保だ。僕は毎日不動産屋に寄っては物件を眺め、本屋に寄っては求人雑誌を立ち読みした。1年分の学費はもう既に親が学校の口座に振り込んでくれたいた。だけどさすがに僕の生活費までは工面してくれなかった。
 留年が決まった後に、一度だけ母から手紙が来て、学費だけは援助するけど生活費は自分で稼ぐようにと書いてあった。僕はもちろん納得した。今までに僕にかけてきた教育費を考えるだけで相当な額になるし、これ以上僕の生活の面倒まで見てもらうのは申し訳なかった。そして第一に、今の両親の心のよりどころは唯一弟に注がれてる。僕に遣う金があれば弟の教育費に充てたいだろうと思ったし、実際そうだった。僕はこれ以上親に負担をかけたくなかった。だから学費を振り込んでくれただけでも有り難いと思った。
 僕はその気持ちを素直に手紙に書いた。学費を出してくれてありがとう、留年なんかして申し訳ない、自分のことは自分でやっていくから心配しないでほしい。そういうことを書いて送った。返事はなかったけどね。
 だけど、そう簡単に仕事も見つからない。住む所だって決まらない。保証人になってくれる人も周りにいなかったし、もともと九州に知り合いなんていなかった。僕は何日たっても前に進めなかった。
 一度、内定をもらってたスポーツ店を訪ねたことがある。もしかしたらもう一度採用してくれるかもしれないと思ってね。小さなスポーツ店だったけど、地元の中学校や高校の体操服や体育の授業に使う用具なんかを中心に販売していたし、堅い商いをしている印象だった。店のオーナーは優しそうな人だったし、頼んでみればなんとかなるんじゃないかと思ったんだ。なんて言ったって、面接も受けて一度は内定をもらったんだから、事情を話して頼んでみればあのオーナーだったらもう一度採用してくれるんじゃないかと思った。
 だけど、だめだった。・・・店がなくなってたんだ。
 僕は1年前の記憶を辿って店を訪ねた。周りの景色は全く変わっていなかった。店の隣にあった本屋だってあったし、正面には小学校だってちゃんとあった。僕の記憶が間違ってるわけじゃなかった。ただそのスポーツ店だけがなくなっていたんだ。この1年の間にね。
 店のあったところはコンクリートで整備された月極めの駐車場になっていた。白線で区切られた箱は30番まであって4,5台車が止まっていた。1年前にスポーツ店があったことを疑ってしまうくらい、完璧な駐車場になっていた。
 寮に帰ってから就職活動の時の資料を引っ張り出して、電話をかけてみた。もしかしたら移転しただけの話かもしれないしね。
 だけど、電話もつながらなかった。現在使われておりません、って聞こえてくるだけだった。
 それから僕は大学に行って、就職課で去年の資料と今年の求人を探してみた。だけどそこにも去年僕が就職活動していた時の資料はなくなっていた。そのスポーツ店の資料だけがすっぽりなくなってた。もちろん、今年そこから求人は来ていない。
 僕はあのオーナーのことを考えた。たしか奥さんがいて、子供がいた。面接の時に「キミは大学で部活やサークル活動をやっていなかったようだけど、何をしていたの?」と聞かれた。僕が言葉につまっているのを見て「答えを用意してなかったのか」と言って楽しそうに笑っていた顔を思い出した。
 色んなことが変わっていく、と思った。僕の知らない間にどんどん世の中は変化していくのだと。
 過去にこだわるのはやめようとその時思った。僕は僕で変わっていかなければならないとね。

 結局僕は住み込みでパチンコ店で働くことにした。保証人なしで住むところだって同時に確保することが出来た。食事だって3食付いていた。面接のようなものが簡単にあったけど、僕の顔と身体つきを見て歳を確認すると、持って行った履歴書さえ見ずに「明日から来て」とその場で言われた。僕は素直に嬉しかった。その時の僕にとってはこれ以上ない条件だったし、第一僕は疲れていた。アパート探しにも仕事探しにも。そしてこの宙ぶらりんな生活にも。とりあえず、僕は自分で自分の面倒をみなくちゃならなかったし、親に負担をかけないためにもお金を稼ぐ必要があった。本当は、ちゃんとした就職活動をして来年から正社員として働く場所を見つけておくべきだったと思う。だけど、その時の僕は来年のことなんか考える余裕がなかった。今の生活を確保しなければならなかった。
 僕は簡単に荷物をまとめるとその日のうちに寮を出た。

 パチンコ店が用意してくれたアパートはとても粗末なものだった。大学の寮のほうがはるかに立派だった。4畳半に小さなシンクがあるだけでトイレも洗面所も共同だった。たぶん寝るだけに帰るための住まいなんだろう。それだけで十分なのかもしれない。
 僕は荷物を運びこむとぼんやり天井を眺めた。食欲もわかなかったし何をする気にもならなかった。明日から働くんだという強い気持ちも意欲もなかったし、自由になれたという開放感もなかった。

 僕はあの日の夜のことを今でもよく憶えている。暑い夏の夜で、開け放してるはずの窓なのに全然風が入ってこなかった。空には星ひとつ見えなかった。だけど雨も降らなかった。
 隣人が意味もなくドアを開けたり締めたりした。その度にバタンバタンと大きな音がした。時々若い女のキャハハっていう下品な笑い声がした。どこかの部屋のテレビから野球のナイター中継の音がしていた。地元の球団の応援をしているのか、時々手をたたいたりなじったりする声が聞こえた。
 その夜、「ここはこの世の果てかな」と思ったのを憶えている。そして心から「家に帰りたい」と思ったこともね。あの時の部屋の暗闇とドアが立てるバタンバタンという大きな音と、女の下品な笑い声とナイター中継のアナウンサーの声が、いつまでたっても記憶から消えなかった。
 自然と涙が流れて止まらなかった。その時僕は初めて涙の味を知った。僕はその日まで泣くことなんてなかったんだ。涙なんか流したこともなかった。その時、涙ってこんなに塩の味がするんだ、って変に感動したことも憶えている。
 僕はテレビもラジオも、1冊の本さえない部屋で、ただ涙を流しながら一晩過ごした。


 パチンコ店での仕事はここでは問題にならない。問題にならない、っていうのは、これから先いつかキミも働くだろうから僕があれこれ仕事のことを話したって意味がないってことだ。キミも夏休みに現場で働いたんだ、働くことっていうのがどんなものかは言わなくったってわかるだろう?
 金を稼ぐってことは楽なことじゃない。たとえどんな仕事だってそれなりに頭も使うし神経だってすり減らすもんだ。それが仕事ってもんだ。
 もちろん、パチンコ店での仕事はハンパじゃなくキツかった。途中で投げ出したくなった。一度、ケースいっぱいにたまったパチンコ玉を思いっきりぶちまけてやろうと思ったことがある。このパチンコ玉を思いっきり投げたらどんな気持ちがするだろう、ってね。どんなにせいせいするだろうって。・・・だけど、結局そんなことはしなかった。ぶちまけたあとの始末を想像してしまうんだ。パチンコ玉が散乱している床をどうやって片付けるか、って思うだけで気持ちが萎えた。片付ける時間が惜しかった。そんなことをするより、早く部屋に帰って眠りたかった。あの頃は怒りを爆発させる気力さえなかったんだ。
 あんなに粗末に思えた部屋も慣れてしまえばどうってことなかった。本当に寝るためだけに帰る部屋だったからね。雨風ふせげればいい、ってくらいのもんだ。夏だというのにエアコンはおろか、冷蔵庫だって僕の部屋にはなかった。なにしろ食事は3食出るし、喰うに困ることがないのが有り難かった。何の楽しみもなかったけど、楽しみたいことも見つからなかったから大して不自由は感じなかった。

 ただ、その頃一番つらかったのは、大学時代の知り合いに会うことだった。同級生だったヤツらや後輩がパチンコをしにやってくるんだ。そしてケースいっぱいに玉を出して金に替えて帰って行くんだ。それを見るのが一番つらかった。ヤツらは何の苦労もしていないように思った。何の苦労もせずに金を手にしているってね。学生の身分でいて、昼間っからパチンコをして金を手にして帰っていくヤツらを見ると無性に腹がたった。そして自分が情けなかった。
 ヤツらは僕と視線が合うと、決まって知らないフリをした。目が合っているのに知らん顔するんだ。無視ってやつだ。同級生だったヤツらは一様にスーツを着て会社帰りに軽く寄って帰るんだ。それが社会人としてのステータスとでも言うようにね。負けても勝っても週に何回かは顔を見せる。だけど、僕と口を利くことは無い。僕はまるで自分が透明人間になったかのようだった。昔の知り合いに会っても誰も僕と口を利かないんだ。昔って言ったって、たった1年前なのにね。
 その時の気持ちは本当にうまく言えない。なんとも言えない気分なんだ。僕の存在が否定されてるような気持ちになるんだ。生きてること自体が否定されてるように感じるんだ。ヤツらを見るたびにそういう気持ちになった。そして、そういう気持ちには、いつまでたっても慣れなかった。部屋の粗末さには慣れたのに、そういう自分の感情には最後まで慣れることが出来なかった。
 そしてそれが僕にとって一番つらい感情だった。



 そんな時だ。
 会社の先輩でちょっと面倒見の良さそうな先輩がいた。その人は会社のアパートの隣の部屋に住んでいて、働き出した時から割によく話しかけてくれた人だった。歳は僕より10くらい上だったと思う、確かめたことはないけどね。
 その人がある時僕に
「ちょっと俺の仕事を手伝ってくれないか」と言った。「もちろん金は出す」と。
「俺の言ったようにしてくれればいいんだ。俺とチームを組んでやるだけだから他には誰もいない。どこかに働きに出るとかそういうんじゃない。ただ俺の言うとおりに動いてくれればいい。言っておくけど、金はかなり手に入る。金が貯まればこんなところで働く必要はなくなる。おまえにとっちゃ、都合のいい話だと思う」
 彼は、僕のことは何でも知っているような口ぶりでそう言った。
 僕が黙ってると、
「とりあえず、次の休みはいつだ?おまえの休みに俺も合わせて休みを取るからその日に一回やってみよう。一回やってみて、イヤならやめればいい。言っとくが、金は保障する。俺は絶対にウソはつかない」
 彼は自信に満ち溢れた顔でそう言った。
 その時の僕は正直言って、生活に疲れていた。今の生活から抜け出したいとか不満があるとか、そういう気持ちすら抱かなかった。上昇志向ってものが全く欠如してたんだ。上昇志向がないから不満だって出てこない。満足とか不満足とか、そういう感情すら持ち合わせていなかったんだ、その当時は。毎日仕事と睡眠の繰り返しだ。ただ、唯一、僕がイヤな気持ちになったのは、大学の知り合いに会った時だけだったんだ。
 僕は正直、彼の話なんかどうでもよかった。休みの日を潰されるのはイヤだと思ったけど、その話を断って隣人と気まずくなるのもイヤだった。一回だけやって次回から断ろうとぼんやりそんなことを考えた。
 僕のあいまいな気持ちとは反対に、その先輩は段取り良くコトを運んだ。
 そしてそれから4日後に僕たちはチームを組んで仕事をすることになった。


 後になって、僕はこの先輩の話に乗ったことを思いきり後悔することになる。あの時断っていれば、と何度も思うことになる。でも、あの時の僕は、毎日いっぱいいっぱいで暮らしていたんだ。余計な思考力を持ち合わせていなかった。生活に余力っていうものが全く無かった。
 その先輩を信用したから、とか、儲け話に目がくらんだから、とかそういう簡単な話じゃないんだ。その時の僕は、僕が僕じゃなかったんだ。自分が自分であっても、感情ってものがなかった。物事をうまく天秤にかけることが出来なかったし、しようとも思わなかった。天秤にかけることすら考えなかったし面倒くさかった。その話がどんな話であれ、その時の僕なら受けていたかもしれないと思う。それほど僕は疲れていたんだ。
 だけど、どんな事情があったにせよ、僕はこの先輩の話に乗るべきじゃなかった。あとでどんなに後悔しても元には戻らないのが人生なんだから。前にも言ったけど、道に反れようと思って反れる人はそれほどいない。だいたいの人は反れることを意識しないままに反れてしまうものなんだ。ちょっと集中力を欠いただけでね。あとは転落の人生さ・・・。

 
 その先輩の名前をここでは「R」と呼ぼう。
 その日、一緒にアパートを出たRと僕はRの用意した軽トラックに乗り込んだ。Rが運転して僕が助手席だ。Rが言ったとおり他に人はいない。二人きりだった。
 車内での話題は平凡なものだった。パチンコ店での仕事の話や同僚の話。不思議と僕の経歴には触れてこなかったし、僕もRのプライベートなことは聞かず、ただRの話にテキトウに相槌を打っていた。どうせ今日限りの仕事なんだ、という軽い気持ちもあったし、これからずっとRと付き合っていく気持ちもなかったから、彼が僕のことを聞いてこないのは有り難かった。
 1時間ほど車を走らせると、田舎くさい町に入った。僕は大学時代に九州を回ったりしなかったし知ろうともしなかったから、そこがどこだか全くわからなかった。ただ民家が点々とある田舎町だとしか思わなかったしRにもそこがどこなのか聞きもしなかった。
 しばらくして、Rが車を止めた。かれこれ2時間ほど走っていたのかもしれない。Rは「ふぅ~」と息をついた。そして、
「今から仕事だ」
 と言った。
「いいか、今から俺がすることをよく見ておいてくれ。おまえはただ黙って俺のすることを見て、憶えてくれればいいんだ。あとでおまえ一人でやってもらうことになるから。なっ、ただそれだけだ」
 Rの目が急に鋭くなったのが気になったが、僕は黙って頷いた。
「よし、行こう」
 Rはそう言うと背中を向けて歩きだした。


 「こんにちは~」
 民家の戸を開けると大きな声で挨拶をする。出てくるのはたいがい70過ぎのおばあさんだ。
「はい、何でしたか?」
 おばあさんは何の疑いもなくRと僕を招き入れる。Rは一歩家の中に入り丁寧にお辞儀をする。
「こんにちは。わたくしどもは消防局から参りました。5年に1度、消火器の交換をするのが市の条例で定められております。こちらのお宅は今年で5年になります。消火器の交換時期にあたります。ですので、わたくし、一軒一軒訪問させていただき消火器の交換をさせて頂いております」
 Rは大きなはっきりした声を出し、愛想のいい笑みを浮かべている。
「奥さん、こちらのお宅の消火器はどちらにありますか?」
 Rは相手に隙を与えない。
「はぁ、消火器の交換ですか・・・」
 明らかにおばあさんは困惑している。突然消火器を交換すると言われても・・・。
「よろしければ、わたくしどもで消火器をお探しいたしますが」
 Rは僕に目で合図をすると、消火器のありそうな場所に目をやる。僕も自然に消火器を探し始める。すぐに、
「ありました、ありました。奥さん、ここにありました」
 と言って、Rが消火器を持ってくる。消火器はたいがい「消火器」と赤く大きく印刷されたシールが貼られた場所に置いてあるものだ。そしてそれは大体台所に近い庭の片隅にある。
「奥さん、こちら、交換して参ります。あと2時間ほどしましたら新しいものを持って参ります。新しいものと交換するだけです。ただ、手数料として、2000円かかります。これも市の条例で定められているんです」
 Rは間髪入れずにしゃべる。おばあさんはただ「はぁ」「えぇ」を繰り返すだけだ。
「手数料は今すぐじゃなくても新しいものと交換する時で結構です」
 そう言うとRは「山元様、消火器1」と書いた簡単なメモを渡し、
「それでは交換して参ります。また2時間後にお伺いいたします。失礼いたします」
 と言って丁寧に頭を下げる。続いて僕も頭を下げる。


 回収した消火器を軽トラックの荷台に載せると、
「わかったな。今の要領でやるんだ。俺はあっち、おまえはこっち側だ。今からみっちり1時間かけて回収するんだ。いいな。回収した消火器はまとめてここに放り込むんだ。いいな。わかったな」
 Rはそういうとメモとボールペンを僕に渡し、もう一度、
「いいな、ちょうど1時間たったらここに集合だ」
 と言って、さっさと次の訪問先に向かって歩き始めた。
 僕は何がなんだかわからなかった。Rの後ろ姿が次の訪問先に到着したところをぼんやり見ながら、僕がこれからあの芝居をやるんだと思った。
 不思議と誰も通らなかった。町全体が死んでいるかのようにひと気のない町だった。残されたのは軽トラックに積まれた1個の消火器と僕だけだった。
 僕は「こっち側」とRが指さした方へ向かって歩き出した。



 僕の芝居は完璧だった。僕はまさに、この暑い中条例に従って町の安全を守るため、真面目に働く消防員だった。人々は皆、僕を疑うどころか、「ご苦労様です」と言ってくれた。麦茶を出そうとする人だっていた。そして、中には「先にお支払いしておきますね」と言って、2000円を差し出す人だっていた。
 僕は自分がしていることが本当のことなのかウソのことなのかよくわからなくなった。ふと意識をゆるめると、僕が本当の消防員で5年に1度の消火器の交換に奔走しているように思えた。そしてちょっとした満足感もあった。全部作り話なのにだ。不思議なもんだ。そしてそれは実際、とても怖い感覚だった。
 1軒2軒うまくいくと、あとはもう慣れだ。初めはあった罪悪感もすぐになくなった。それどころか、仕事をしているっていう充実感みたいな感覚が出てきた。そうなるとあとはどんどん行ける。笑顔だって作れるし、大きな声だって出せる。ちょっと突っ込まれても作り話でごまかせるようになる。怖いもの無しってやつだ。
 僕は1時間で20本の消火器を回収することが出来た。田舎は家が広いから1軒に消火器を3本持ってる家だってあった。思った以上の収穫だった。・・・収穫っていうのも変だけどね。
 Rは12本回収してきた。僕が軽トラックの荷台に積んだ20本の消火器を見せると、ちょっと言葉を失ってた。そして「すごいな」とだけ言うと、
すぐにトラックを走らせた。
 Rはどんどんどんどん山奥に入って行く。車道と呼べるかどうかわからないくらい狭くて急な山道だ。僕はシートベルトを締め、しっかりつかまっていたけど、頭や肩をガンガン打った。車が揺れるたびに僕は「イテッ」とかそういう言葉を出してたと思うけどRは全然気にしていないようだった。速度を落とすこともしなかったし運転を丁寧にするわけでもなかった。目的地に着くまで口も利かなかった。そして、10分ほど走らせたあとで、
「着いた」とだけ言うとさっさと車を降りてしまった。


 僕らは軽トラックの荷台に乗り込むと回収してきた消火器を必死で磨いた。
 Rは荷台に積んであった汚いカバンを取り出すと、「こうするんだ」と言って消火器を磨き始めた。
 カバンの中から色々なものが出てきた。訳のわからない薬品もあればベンジンや歯磨き粉やミシン油もあった。新聞紙やボロ布、歯ブラシやタワシ。とにかく、磨くことに必要な道具がすべて揃っていた。そして、Rは細かく素早く手を動かし無言で汚れを取っていった。5分もたたないうちにさっき回収したばかりの消火器は新品同様の輝きを見せた。それは
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