もうじき僕は歌わない。@Wiki blog > 2006年03月04日 > もうじき02

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高校時代、気がつくと僕は一人だった。いや、もっと以前から僕は一人だったのかもしれない。窓の外を眺めれば、楽しそうに笑いながら通り過ぎる女子生徒や、木の下で寄り添って時間を過ごすカップルもいた。同級生たちは人並みに学校生活を楽しんでいた。賑やかな笑い声や廊下を駆ける靴音が、大きくなったり小さくなったりした。
僕はと言えば、一人でぼんやりと空を眺めたり、ウォークマンで音楽を聞いていることが多かった。耳元で流れる音とはまったく違った情景が、僕の目の前を広がっている。僕はただ、それを眺めて暮らす。そうやって、ほとんど人と関わりを持つことなく一日が過ぎていった。
しかし、僕はいつから一人だったのだろう。もともと一人でいることにそれほど苦痛も感じることはなかった。そして、いつしかそれにも慣れてしまっていた。一人でいることは、他人が思うよりも僕には自然なことだった。余計なことで神経を使う必要もなく、気楽だった。自分のペースで、自分の世界で、生きて行ける。いろいろなことに僕は過敏になっていたのかもしれない。そしてきちんと真っ直ぐに向き合うことができていなかったのかもしれない。突っ張らなければやんわりいくことも、なかなか素直になれない。自分の個を譲るくらいなら、最初から関わらない方が良かった。自分のことなんて誰も理解できないと思っていた。けれども、誰かにわかって欲しかった。気付いて欲しかった。そんな都合のいいことなんて通る訳ないことは十分にわかっていた。そんなことあるはずがないことはわかっていた。意味のない、行き場のない自分を抱えて生きている時間の連続に、失望感を拭い去ることなんてできなかった。そして、こんな自分の未来を不安に思った。
何度か、もっと別の人生も想像してみた。たとえば、今と正反対の人生。誰とでも気軽に話す気さくな人柄。今の僕のように自分の殻に閉じこもっていない、外向きの人生。でも、それは僕らしくなかった。淡々と静かな口調で話す、一人で窓の外を眺めて暮らす、感情の浮き沈みの少ない穏やかな時間の継続、それが僕らしい暮らし方だった。
ある意味、僕の自分自身である純度は高い。他のものからの影響で余計な色に染まることなく、自分の考えと感情で満たされる純粋な自分を保つことができる。僕は僕自身を見失わぬように、この世界を守った。
世界、それは僕という個人の存在を基にして、刺激と受容により構築される。自分以外から得られる刺激、自分の内部から得られる刺激、あらゆる刺激が世界に流れ入ってくる。そうすると、入り口の番人はきちんと振り分け、自分自身の世界へと取り込む。時には、番人が気付かないうちにすごい勢いで侵入してしまうものもある。忙しくなると、番人は応援を呼び、複数で素早く作業を行う。取り扱いが難しいものは時間を掛けて行う。そして取り込まれたものたちは反映され、世界は再構築される。世界は僕自身であり、らしさであり、感情や思考の誕生する場所でもある。つまり、世界は始まりであり、終わりである。そして存在の象徴の一つである。
世界の純度を問う時、外部からの刺激が少ない僕の世界は、純度が低いと言えるだろうか。実はそうでもない。なぜならば、それが僕の世界を構成するルールの一つであるからだ。僕の世界は他人のとの干渉の少ないもの。自分の内側に向いているもの。外部からの刺激を必要としないもの。そういった設定がきちんと存在している。その設定を守っているという点では、僕の世界は純度がむしろ高いと言えるだろう。
勿論、それが良いことだとは必ずしも言えないが、「自分らしさ」という点では良いことなのかも知れない。誰かに惑わされたりしない。誰かに染まったりしない。自分を見失ったりはしない。
付け加えておくと、世界は必ず存在している。その人間がもつ思考や感情には必ず傾向があるように、それがきちんと世界を築き上げている。もちろん、世界はなくとも、意識しなくとも生きていけるだろう。ある人間は意識し大切にし、ある人間はまったく捉われず、下手すると一生向き合うことなく終わる。もっとも、世界の純度や存在意義について、これほどまでに重要視する必要があるのかという疑問は大いに残るけれど。
それならば、生き方を変えることができれば、幸せなのかもしれない。しかし、僕はそこで何を話せばよいのかわからなかったし、その生き方には価値や意味のようなものを感じることはできなかった。そういうことで悩んだのは、中学生の頃までの話だった。今の僕は、この生活を割り切れていると思っていた。
しかし稀に、会話のない僕であっても、話しかけてくれる人たちもいた。傍から見ていると、何を考えているのか不思議に映るらしい。誰かと話している姿を見たこともなく、声が思い出せない人も多かった。彼らの多くに共通していたのは、「僕が何を考えているのか」「一人で淋しくないのか」、突き詰めるとその二つが主な関心事だった。
僕に関心を持ってくれるのは嬉しいことだったが、いつだって嬉しさはすぐに煩わしさに変わった。僕の心をそうさせるのは、僕自身を彼らの一時的な好奇心の餌食にされることだった。彼らは本当に僕を心配しているわけではなく、ただ自分たちの好奇心を埋めることしか頭にないように見えた。もちろん、好奇心を持つことは良いことだと思う。しかし、それほど親密でもない人間に簡単に自分の内側を見せるほど、僕は社交的ではない。もし、そうであったならば、今もあの頃も僕は一人でいることはなかっただろう。彼らの独りよがりな好奇心は、僕の人間関係を余計に億劫にさせていたのかもしれなかった。そして、僕の中のことをどのように説明したら、彼らに上手くわかってもらえるだろうか。僕はそのための言葉を思いつくことができなかったし、彼らもきっと理解できないだろうと思った。「もう、よしてくれよ」と心の中で呟いた。そして、また僕は一人途方に暮れた。

これは、何も学校だけに限ったことではなかった。家に帰ると、それは両親との関係に置き換えられた。自分の息子が何を考えているのか、どう関わりを持ったら良いか、掴みきれずにいる両親がいた。会話のきっかけもつかめずにいたし、たまに話しかけられても、僕は一言返すだけで会話にはならなかった。もちろん、これはこれまでの経過あってこその現状と言えた。両親は早くから共働きに出ていたので、そばにいないことはいつものことだった。
こういう場合、極端に分ければ人間は二つのタイプに分かれるだろう。一つは、寂しさの反動で誰かに自分を主張し、受け入れられることを望む、外向きのタイプ。もう一つは、その逆である。一人でいることに慣れ、自分自身の中で多くを解消し、他に何かを求めたりしない内向きのタイプ。僕は言うまでもなく、後者だった。両親は、僕がそんな人間に育っていることをきちんと把握していただろうか。一日の多くは親が家にいない。そして帰りも遅ければ、わずかな時間で親子の関係を築かなければならない。つまりは、限られた時間でその人間の動きによって結びつきは決まる。目の前にある選択肢だけに捉われなければ、つまりはあらゆる方法を用いれば、もっと結びつきを強める可能性はあるのだが。僕と両親の場合、それは存在しなかった。姉は自分から歩み寄り、両親はそれに応えた。僕は姉を介し言葉を聞いた。それ故に、僕と両親には互いが認識する以上の距離感が存在してしまっていた。
両親はそれをきちんと理解することができず、「今どきの子ども」に僕を染めることで、何とか理解しようとするしかなかったようだ。実際、僕も両親との会話はクラスメイト同様に煩わしさを感じていた。針でも触るような触れ合いは、瞬間で話す意欲を削いだ。もちろん、元々意欲など存在していなかったのだが。自分の子どもをきちんと理解できない親を、僕はとても非力に思い、関わりを知らず知らずに拒んでいた。そして煩わしさばかりが先に立ち、僕と両親の間に何も生まれなかった。両親だってそれほどバカじゃない。きちんと僕の感情や態度から何かしらを察知していた。それでも手立てがないのは変わりなく、時々姉にぼやいていた。
「あの子は一体何を考えているのかわからない」「私たちにはあの子は理解できない」「何であんなふうになってしまうのだろうか」、更には「あの子はそのうち頭がおかしくなるんじゃないだろうか」などとさえ言っていた。姉は包み隠さず、ストレートに僕に両親の言葉を伝えた。さすがに僕もその言葉はショックだった。
姉とは時々話をした。幼い頃から両親は共働きに出ていて、姉と二人の時間が長かったので、姉と話したりすることは僕にとって習慣のようなものだった。姉との時間は、幼い僕の中で大切なものだった。だから自然と姉は僕の姉であり、時に母親の代役さえしていた。つまりは、両親と僕の間柄はそういうもの(過去の親子関係)も少なからず影響を及ぼしながら、今まで来てしまった結果といえるかもしれない。そう思った。
姉は僕の部屋に入ってくると勉強机の椅子を前後逆に座り、手を乗せて顎をついた。 僕はイヤホンをつけて音楽を流したまま、姉の行動を横目で追った。
「ねえアンタ、そんな風に生きていて何が楽しいの?」
いつだって姉はストレートだ。両親は僕から一歩引いてしまっているのに、この姉ときたら僕には容赦はない。それを今ここで口にすれば、「何でアンタに遠慮する必要があるのよ」と言い返されるに決まっている。姉との間での不用意な言葉は、まさに命取りになる。だから、黙って聞いていることが多かった。そうしていれば、一応話を聞いているように見え、不用意に自分で地雷を踏みに行くようなこともない。もしかしたら、僕の人生がこれほどまでに内向きに進んでいるのは、この姉のせいかもしれないと思った。もちろん、そんなことは口に出せるわけはないのだが…。
さて、困ったものだ。何が楽しいと聞かれても答えが見つからない。別にこんな生き方は何も楽しくもない。ただ、これが一番自分にしっくりくる暮らし方だった。誰にも気を使わない。自分を誰かに誇張させて見せたりしない。他人の印象に振り回されたりしない。僕が純粋に僕でいるための生き方だった。理屈を抜きにすると、そういう生き方しかできなかった。違う生き方は、息遣いがどこかぎこちない。
僕が頭の中でそんなことをごちゃごちゃと考えているうちに、姉はぼんやりとする僕を横目で見ながら話を進めた。
「そんなんじゃ、アンタ本当におかしくなるよ。だいたい話し相手はいるの?」
僕は黙って姉を指さした。
姉は呆れていた。言われてみれば、僕は姉以外とあまり話してはいなかった。ヘッドホンを外し、僕がさっき頭の中で考えていたことを話すと、姉は「アンタ、バカじゃないの?」とため息を吐いて呆れていた。
しかし姉と言えども、いくら何でもひどすぎる…。こんな僕だって一人前に傷ついたりする。呆れ半分で言われると、まったく冗談味を感じない。それでは、本当に僕がバカみたいじゃないか。もちろん、姉は僕に対してはそんなことはお構いなしなのだが。
「いい?自分に一番合っているからってこんなこと続けてたら、本当に取り返しがつかなくなるのよ。そりゃ、確かに自分らしく生きることは大事よ。でも、それだけじゃダメなのよ。ねえサトシ、何も知らないアンタがまだ見ぬ未来を否定するのはおかしなことだと思わない?生きてみて、後から大したことないというのでもいいんじゃない?アンタが思うより、世界はずっと広くて深いのよ」
姉の言葉はいつだって真っ直ぐで強く温かい。それが僕の心をどれほど揺さぶることだろう。そして、僕は戸惑いをどこにぶつければ良いのかわからず、いつも苦しまなくてはならなかった。
姉の強い眼差しはやがて重たげに降りた瞼によって隠され、穏やかな柔らかなものになった。僕よりたった五つ上の姉が、随分と大人に見えた。十八歳の高校三年生と大学卒業して就職した社会人とは、これほどまでに違うものなのだろうか?それとも姉が大人なのか?僕が子どもなのか?そして、具体的に僕は何をすれば良いのか?
「せめて、お母さんとお父さんに挨拶くらいはきちんとなさい」
姉はそう言うと、ため息をついて部屋を出て行った。ちなみに姉が僕の部屋に入ってくることは許されていたが、僕が姉の部屋に入ることは許されなかった。僕は自分の生き方よりも、こちらのことの方がよっぽど気になった。なぜ、僕だけ締め出されるのか?
部屋を後にした姉がドアの隙間からひょっこりと顔を出し、「休みの日でも髭は剃りなさい。本当はそれなりに良い顔立ちしてるんだから」と言って再び自分の部屋に戻っていった。
その後、自分の顔を鏡で見て、やれやれと思った。確かに、冴えない顔だと思った。最近自分ばかり見ている。いや、本当は自分さえも見ていなかったかもしれない。このままでは姉の言う通り、僕は引きこもりや、おかしくなってしまうかもしれない。僕はこうしていることで何か大切なことを見逃してしまっているのだろうか。そう思うと、少し焦りを感じた。しかし、今は不思議と動く気がしない。じっと何かを待ち続けているのかもしれない、と思った。しかし、僕は「いつか良いことある」なんて何の根拠もない言葉は嫌いだったはず。大体、一体何に期待をするというのか。まだ見ぬ未来にだろうか。それこそバカげている。姉の言葉が頭の中に響いていた。
「アンタ、バカじゃないの?」
ああ、僕はバカだ。どうしようもないバカだ。誰かこんな僕でよければ救ってくれ。道端に捨てられた猫のように、僕を拾ってくれればいい。少し扱いにくいけれど、それほどバカじゃない。いや、やっぱりバカなのかもしれない。雨ざらしから、寒さから、飢えから、この凡庸な日々から僕を救ってくれ。もちろん、誰も僕なんかを救いやしない。
そして一通り考えを巡らすと、現実逃避をした。
誰か僕を殺してくれないか、と。


これが僕の高校時代だ。暗く陰鬱とも言えるような陰が付きまとっていた。それは不安であり、虚しさであり、失望であり、悲しみであり、苛立ちであった。ただ、それはどうしようもないもので、忘れることが僕にできる精一杯のことだった。「本当に何も僕にはできなかったのか」と26歳の現在に自問自答した。あの頃、僕は自分を失わないように、自分自身の世界を守っていた。他のものの影響の少ない純粋な自分を守るために。他人の印象や言葉、世の中のくだらないルールや、でたらめなものに心を汚されたりしないように。
しかし、本当に僕自身、僕の世界にそれだけの価値はあったのだろうか。
大切な時間を一人で過ごしてまで、守るべきものだったのだろうか。
そもそも何から守り、何を基準に純粋と言うのか。
他のものからの影響が少ないことは、本当の意味で純粋と言えるだろうか。
純粋とは、偏った独りよがりなものを指すのだろうか。
他のものの影響を受けながら作り上げていく自分に、純粋という言葉は当てはまらないのだろうか。
孤独であることに寂しさを感じていたはずなのに、どうして人と分かり合おうとしなかったのだろう。
あの頃、現状に満足しているはずの僕は、いつだって耳を塞いでいた。余計なものが聞こえたりしないように。それは誰かの声だったり、感情の塊だったり、自分自身のため息だったり。そんなものが塞いだ手をすり抜けて心に届くときは、その辺にあるものをひっくり返し、荒ぶる心を振るわせたかった。自分の中にあるものすべてをぶちまけて、何もかもを破壊し、粉々に燃やし尽くしたかった。けれども結局それはできずに、ぐっと胸の奥に押し込んで奥歯をかみ締めた。そんなときは、僕はあれが精一杯だった、どうしようもなかったと思い込んだ。そうやって何も解消されないまま、糸は絡まったまま時は進み、僕は十九歳になった。

 今思い返しても、できることならば目を閉じてやり過ごしたい記憶だった。まるで井戸の中に落ちてしまったように、狭い世界で僕は一人、空を眺めていた。いつもイヤホンを耳に当て、音楽を聴いていた。人の話し声や車の走る音や、そんなものは何も聞こえていなかった。まるで音楽を聴きながら、テレビの映像だけを眺めている、そんな風に物事を見ていたように思う。ほとんどの言葉は僕には届かなかったし、僕も言葉を必要としていなかった。いや、本当は欲していたのに、受け入れようとしなかっただけなのだ。 
そして、時が過ぎ行くのをただ黙って眺めていた。今という時間をやり過ごすように。
今あの頃を振り返れば必ず思う。あの頃、僕は一人で空を眺めて何を考えていたのだろう。長く時が過ぎた今となっては、それもわからなかった。ただ、虚しくて不安だった気持ちを隠して暮らした日々があったということは覚えている。そして思い出せば、自然にあの頃の気持ちがふっと浮き上がって、僕の胸をつまらせた。もう、こんなことは終わりにしなければならない。あれから八年経った今、再び僕はそう思っていた。

朝が来ると、僕はまだ寒い部屋に暖房を入れ、やかんを火に掛けた。そして、タバコを一本吸った。眠りから覚めたばかりの僕の頭は、まだすっきりせずに少しボーッとしていた。そして頭の中に残っている記憶が昨夜のものであったのか、夢の中のものであったのか確かめていた。それは昨夜から夢の中へ、そしてこの朝へとつながっていた。
僕はタバコを吸い終わると、コーヒーを入れゆっくりと飲み干した。温かな液体が体の中へと滲み渡る様をしっかりと感じることができた。そして一つ大きくため息をついた。
久しぶりの休日は、思い出探しから始まった。僕は押入れにしまいこんだダンボールを引っ張り出し、その中から一通の封筒があり、中には便箋と写真が一枚ずつ入っていた。写真は僕と朝子さんが二人並んで撮った唯一の写真だった。二人ぎこちなく寄り添う様が当時を思い出させた。彼女の名前が僕の記憶に問いかけ、僕の脳は静かに記憶の断片をランダムに再生し始めた。過去の記憶をたどるということは、懐かしい反面どこか切ない。浮かび上がる記憶は僕の意図とは関係なく呼び起こされ、おかげで僕はしばしばつらい思いをしなければならなかった。
あれから四年経ち、僕はいつしか過ちを恐れ後悔の少ない人生を選んで歩くようになった。おかげで窮屈な思いもするけれど、それにも随分と慣れた。飼い馴らされた猫のように自由を失い、次第に自分の名前さえ忘れていくことだろう。ただ、僕の世界のどこか片隅で、静かに何かが動き始めているような気がした。



カテゴリ: [ヒナタ] - &trackback- 2006年03月04日 20:35:18

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