もうじき僕は歌わない。@Wiki

自分の小説に対するコメント

最終更新:

匿名ユーザー

- view
管理者のみ編集可
#blognavi
以前維緒が僕に宛てて書いてくれた書き込み「感想2」を受けての書き込みになります。カオさんが何も書き込みをしない間にこんなに書き込みを連ねて良いのだろうか?と思いますが、今答えられることを答えておくことにします。

小説としては(誤字・脱字と思われる部分は、それ以前の問
題です)もっと完成度を上げられるはずで、たとえば文章の
つながりとか文末表現とかにも言いたいことはいろいろある
んだけど、それは僕の都合です。

上の発言についてですが、まず誤字脱字の件を抜きに考えたとして、たとえばで挙げてくれている文末のつながりや文章表現で思っていることを教えてください。
完成度を上げられると思う具体的な理由もよろしければ教えてください。


<維緒が語る自分の作品の記述より>

維緒が作品発表後に度々口にする「その先」とは具体的にどういうものでしょうか?お聞かせください。

どの章でも書きたいこと(つまらないけど、放っておけ)や同じことを書いてるとありますが、それでも良かったんじゃないでしょうか?
それがキャラクターの存在感をより強めていたと個人的には感じています。それに章ごとにストーリー展開も違いましたから、そういう変化の中で共通したものが感じられることは、安定感があると感じました。
ただ、「その先を書きたくて、現状ではまだまだ足りない」と思っているんですよね?それならばその通りなのかもしれませんが。

ここで、また質問。
「つまらないけど、放っておけ」とありますが、「つまらないけど」の「けど」という言葉を用いた理由を、よろしければお聞かせください。


<僕自身の作品についての自己評価>

まず、誤字脱字が多かったのは、本当に残念です。

維緒が「何ともならないけれど淋しいというのが今回の作品のあらすじ」と言ってくれていますが、おそらくはその通りだと思います。よく簡潔にまとめてくれてたと思います。

ただもう少し細かいことを言うならば、「何ともならないけれど」の「けれど」はニュアンスとしては違うように思います。
ただ、これは僕と維緒の表現方法や意図するものが異なっているからかもしれません。
そういう意味ならば、特に気にはしません。

まあ、少しショックだったのは、一言でまとめられてしまったことです。
文章量が多い分簡潔にまとめることは、語る上でとても効率的だと思いますので、それも当然かなとは思っています。
ただ、今回の作品は「どうにもならない」「どうにかしたい」「淋しい」そういったものを描くつもりで書いたので、短くまとめられてしまうと「半減してしまった」という印象がありました。

分かりやすく言えば、そこが僕と維緒を比べた場合の大きな違いと言えるでしょう。なぜなら、維緒が先を目指しながら現状で物語の終わりを迎えたのに対し、僕は迎えるべくして迎えた終わりだからです。
僕はこの作品中でその先を書くつもりはなくて、この物語はここで終わるものと決めていましたのでね。


この作品は3部作の第1部になることは、これまでにも触れてきたと思います。つまり、この作品の役割は主人公がこれから迎える時間へのつながりを作ることにあったと感じています。

それにたとえ3部作ではなかったとしても、その先を書くことに関して、僕にとっては大して意味を持たなかったように思います。なぜならば、上に書いたように、ここに書いたことが書きたくて作った作品だからです。勿論全てを書ききれたわけではありませんが。

なかなか他人に伝えることは難しいのですが、僕はお2人の作品も含めて、常に映像のようなもの(ヴィジョン)を頭の中に映し出しながら読んでいます。まるで映画でも見るように。
勿論そこに浮かぶ絵が皆さんの意図するものと同じかどうかは分かりませんが、それが1つの楽しみでもあります。

今回は3部作ということで、最後に少しは前向きになれそうな兆しでもと思い、そういう類の文章を入れましたが、そうでなければ、その文章はいれば入れなかったかもしれません。

つまり、もうじき僕は歌わないのだから、何も希望を入れる必要はないということです。

維緒が触れてくれていたので、少し先のことについて。
正直「その先」の言葉の意味を僕がきちんと理解していないので、それについて語るのは難しいのですが、きちんと物語りも時間も動かしていくつもりでいます。
彼がその後歩んだ道を書いていくつもりです。元々この物語の始まりのきっかけは第2部にあったので、是非いつか書き上げたいと思っています。


カテゴリ: [ヒナタ] - &trackback() - 2006年06月11日 02:09:18

#blognavi
目安箱バナー