もうじき僕は歌わない。@Wiki blog > 2006年08月23日 > humansystem(2)

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読んでいただいてありがとうございました。
感想の感想です。

この前の作品からそれほどの時間が経過していないにも関わらず、
こうしてまた新たな作品を読むことができて嬉しかったです。

誤解です。
前回の『も。』と今回の【humansystem】は、同時進行で 書いていたもので、内容としても二重構造になっていますので、全然「新たな作品」ではありません。


(旧ブログ「もうじき僕は歌わない。」→「もう僕は歌わない。」→「レモンノコウタイ」→現ブログ「うたつみ」。内容は同じですが、こちらに「もうじき僕は歌わない。」を一本化したかったので、名称変更しました。)



性描写はなかったけれど、性に関するものが作中に登場してくるようになったのは、
これまでの作品と1つ異なる点だったと思いました。
 
その点は意識されていたのでしょうか? 

性描写を避けたのは、ひなた氏の作品を読んで、僕には時期尚早だと思ったからです。チャットか何かで語ったことがある通り、いずれ避けては通れない道だと思っているんですけど、まだ、この作品じゃないな、と。
ただ、「性に関するもの」(と、死に関するもの)は、今、僕が何かを書く上では避けて通れない材料だと思っています。それはひなた氏も同じなのかと個人的には思っているんですが、いかがでしょうか。

失礼なことを書くと、ひなた氏の性描写を読んで、この書き方なら性描写がない方が僕の作品としての整合性は取れると判断した、という側面もあります。
いずれにしても、「性に関するもの」は書きたいことを書くための手段にはなりますが、それそのものは目的ではありません。

ところで、(タイトル未定)でも性に関するものは書いたし、書きかけだけど「けものみち」はアオカンから始まる物語だし、「も。」になりそこなった書きかけの作品「呼吸困難」は近親相姦の話です。知ってた?



書かなかったこと、書けなかったことについて語った方がよいでしょうか?
それとも、きちんと書かれたものだけで勝負するべきでしょうか?

「設定がきちんと詰められていた」というのが、書ききれなかった分まで設定が用意してあるということなら、あります。控えめに見積もっても、【humansystem】は2004年10月末に京都で会ってから、ずっと暖めていた物語です。
さらに言えばアオイ・タクミは、平成14年の「嘘つき」に登場します。


登場人物が、みんな斉藤和己(SAITOH KAZUMI)というアルファベットに含まれる名前であることなんて、今さら言う必要もないですよね?
(といっても、【humansystem】で四人、『も。』で一人しか名前のあるキャラクターは登場しませんけど。)


カテゴリ: [io] - &trackback- 2006年08月23日 12:11:44

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