もうじき僕は歌わない。@Wiki blog > 2006年10月03日 > 自発的な呼吸停止について

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

#blognavi
以下、カオさんに感想をいただいてから、ヒナの感想が出るまでの間に載せるか載せないか悩んでいた(間に出すタイミングを失っていた)お返事です。重複があるかもしれませんが、今は自分語りが許されそうですので、読んでいただけると幸いです。

前回のチャットで書いた通り、僕の作品の作り方は「鍋いっぱいのスープを作って、お玉いっぱい分を作品として提出」ですので、鍋にはまだ作品クオリティのスープが残っている場合もあります。今回はそんな感じでしたし、必要に応じて北海道へ行った後の話も書くことは(たぶん)できます。そのくらいには、大きな鍋でスープを作りました。
ただ、最初(「も。」着想時点)からこの展開を考えてあった訳ではありません。構想から書き始めから書き終わりまで、実質二週間くらいです。勢いがあるって素晴らしいことです。僕にしては仕事が忙しい時期で、通勤の電車にノートパソコンを持ち込んで三十分くらいの間に書いたりして(これは「も。」「humansystem」の推敲も同様ですが)かなり無茶はしましたけど。

執筆動機。
ちえこさんから、「も。」「humansystem」の感想で、「何かをしてどうかなる話じゃないよね」という批判をいただいたので、なら何かをしてどうかなる話を書こう、というコンセプトで書いたのが今回の話です。「キスして目を覚ます話」。

最初は交通事故で下半身不随になるとか、脳溢血とか、具体的な事故・疾病にしようかとも考えていました。ただ、ひねくれものとしては、普通の病気からの奇跡の復帰じゃ嫌だったみたいです。どうしても悲劇のヒロインは美化されて、対等な関係じゃなくなっちゃいますし。
逆に、あの後セックスをするかどうか(そこを書くかどうか)、というのも悩みました。チャットでも「書け」って流れだったし、僕としても性描写は書きたいネタでした。展開としてはそこまで書いても可だとは思ったんですが、ただ、病室でするのはやりすぎだろうと思って、今回は見送りました。どうでしょう、やっぱり書くべきだったでしょうか?

津坂さんが自分の意思で意識不明になっていた、っていう
設定(?)・事実がうまく飲み込めない感じがしてます。 

これ、ただ「フィクションです」ってことにしてもいいんですが、たとえば、不登校の子どもは「学校に行きたくない」という気持ちだけで発熱します。保育園に預けられたばかりの子どもは、親と離れるのが嫌だという理由で風邪を引きますし、親が忙しいときに限って熱を出すと言われています。親が構ってくれないと、親が構うしかない状態に持っていく、という理由だそうです。
もうひとつ、拒食症(今は摂食障害と言うのが正しいそうです)の例も挙げます。自意識が食欲を左右するのは、思春期の女子にはよくある症状です。他の例だと精神的ショックで(一時的に)失明とかも、ある話らしいです。もっと身近な例なら、緊張するとお腹を下したりしますよね? 心と身体のリンクって、けっこうあるものじゃないかと思っています。

何しろ、僕がずっと振り回されてきた(まだ振り回されています)喘息は、あれは親に構ってほしい子どもが親の関心を引くために発作を起こす病気だ、という説だってあるくらいです。証拠に、子どもは喘息では(なかなか)死なないじゃないか、と言われています。もちろん、喘息の発作で死ぬひともいますので、「ひとは自分の意志で死ぬこともできる」のかもしれません。ただコントロールに失敗したら死んじゃうだけかもしれないですけど。
自主的に呼吸を止めるということができるかどうかは分かりません。今回、物語的な誇張を加えているのはもちろんです。でも「現実にありえない」かどうかまでは僕には約束できません。少なくとも、僕の現実(僕の物語世界)では「あり」です。
ただ、作品に書いた時に不自然に見えるようでは、僕の物語を書くチカラが足りない、ということだと思います。その点はごめんなさい。

もういっこ。

自殺の理由が「気づいてほしい」である不自然について、ええと、そのコメント(「ふつうは自分ではっきりと気持ちを伝えるでしょう」)はカオさんが大人だからです。
子どもって、というか津坂さんというキャラクターは、まだそんなに成熟していません。
「自分では求めたくない、ただ与えて欲しい。求めるくらいなら、手に入れられなくてもいい」。
それが僕(の考える津坂さん)の考え方です。自分ではコントロールできない他人に何かを求めるよりは、自分にコントロールできる死を求める方が楽だから、津坂さんは告白より死を選ぶんです。(なんで死がコントロールできるのか、については物語の話ですので、ちょっと目をつむってください。)
僕、と自分のことを呼ぶ津坂さんは、精神年齢としては第二次性徴前から育っていません。作中で母が言うように、幼児退行しています。津坂さんが、自分の欲しいものについて「欲しい」と、きちんと言えるようになるのは彼との関係の中で成長してからの話で、それは次の話を書かないとたどり着けません。(「せはへの」の勢いを駆って書こうと考えていたんだけど、露骨に性描写が必要になるので書けませんでした。)

ここまでです。続き、また何かありましたら返信をください。


カテゴリ: [io] - &trackback- 2006年10月03日 23:21:50

#blognavi