「ブログ以前/2004年11月16日/背中」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

ブログ以前/2004年11月16日/背中」(2005/11/02 (水) 19:15:41) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#blognavi  背中が丸まる季節になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?  僕は猫背なので、一年中丸まってますが。しかもなで肩です。  さて、いきなりですが、人の背中を見る場面とはどんなときでしょうか?  例えば夏場に女性の背中を見ると、ブラが透けて見えるとか。男性的にはちょっとウキウキしますよね。中学生のような物言いで申し訳ない次第でありますが、他に例が思いつきません。  背中フェチって人もいるかもしれませんね。「あの肩のライン、あの背筋の伸ばし方、あの肉のつき具合、どれをとっても最高の背中だ」とか言うのでしょうか。  ストーカーは背中を見ながら歩くのでしょうか。したことないからわかりません。警察や探偵の尾行もやはり背中を見ながら歩くでしょうね。  「背を向ける」という言葉は、「無関心な態度をとる。また、そむく」という意味です。背信行為とか言いますよね。  「背に目は無し」という言葉は、「自分の背後は見えないものだ。陰で働く悪事には気がつかないことのたとえ」という意味だそうです。あんまし使わない言葉ですね。  「背中合わせ」という言葉は、「互いに仲の悪い関係にあること」という意味を持ちます。  「背負う」という言葉は、「負担になることや重い責任のあることを引き受ける」って意味でよく使いますね。一生罪を背負って生きていく、みたいな。  エビの「背綿」は取るのがめんどくさいですよね。  そんな背中。どうにも悪い意味ばっかに感じます。つっても悪い意味ばっか集めてみたんですが(笑)  「セイタカアワダチソウ」は漢字で書くと「背高泡立草」であり、キク科の多年草である、ということは余談です。  で、何が言いたいかというと、『いい背中を見せてあげたい』ですね。  フェチが喜ぶ背中という意味ではなく、人が憧れ、尊敬できるような背中を魅せてあげたいです。そんな人になりたいです。そんな人になれるように日々精進しております。  それは、私もそんな背中を持つ人々を見て育ったからです。  背中を見て育った人の背中を見て育って、また、その背中を見た人が背中を見せて生きていく。その背中には言葉では語りきれない何かがあるのでしょう。感じ方は人それぞれだと思いますが、そこには大事な何かがあるはずです。  そして人の列ができて、次世代へ繋がっていく。  そんな背中の話。 #right{ カテゴリ: [[[2004年>ブログ以前/カテゴリ/2004年]]] - &trackback() - 2004年11月16日 00:00:00 } #blognavi

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
記事メニュー
人気記事ランキング
目安箱バナー