ブラックイーグルス(韓国空軍アクロバット・チーム)



韓国空軍のアクロバットチーム。正式な結成は1994年だが、1967年から1978年まで同じ名称で活動していた。初代ブラックイーグルスは導入されたばかりだったF-5Aを装備し、毎年9月1日にソウルで行われる韓国空軍火力展示のために各部隊からパイロットを集めて3ヶ月の集中訓練を実施、たった1回のディスプレイを実施した後に解散してパイロットは原隊に戻るというシステムを採っていた。初代ブラックイーグルスは、ソウルに高層ビルが増えて火力展示の実施が難しくなったのとF-5の老朽化のため1978年に解散、その後韓国空軍では15年以上もアクロバットチームが存在しなかった。なお韓国空軍最初のアクロバット飛行展示は朝鮮戦争休戦直後の1953年10月に行われたもので、この時はF-51(P-51)4機で行なわれたという。その後1962年からはF-86「セイバー」4機からならる「ショー・フライング・チーム」による本格的な飛行展示が行なわれるようになり、1967年の初代ブラックイーグルス結成まで続いた。

1996年にソウル・エアショーが初めて開催されると、この国際イベントに彩を添えるためにブラックイーグルスが再結成される事になった。使用機に選ばれたのはアクロバット向きとは言い難いA-37Bで、これは韓国空軍が第一線の戦闘用機をアクロチームに提供する余裕が無かったための苦渋の選択だったA-37Bを運用していたのはウォンジュウ基地の第238戦術戦闘飛行隊だけだったため、ブラックイーグルスも同飛行隊の1フライトとして1994年に公式編制された。再結成の際、韓国ではアクロチームの伝統が長く途切れていた為、当時のリーダーとリードソロが航空自衛隊のブルーインパルスを研修に訪れ学んでいる。再結成当初は韓国国内での認識も低かったが、現在はソウル・エアショーを含め年間30回近いディスプレイを行うようになり、第238戦術戦闘飛行隊から独立して第239戦術戦闘飛行隊として活動している。

ブラックイーグルスが装備するA-37Bはアクロバット向きの機体ではない。最大のネックは翼端の大型燃料タンクで、このタンクが起こすタービュランスのために開き気味のフォーメーションが採用されている。練習機に大推力エンジンを積んだため基本的にオーバーパワーの機体で、垂直系の機動は余裕をもって行うことができる。だが空力的には極端なノーズヘビーなので、ピッチ変化に伴うコントロールは難しく、安定した背面飛行の実施は不可能に近い。A-37Bはコクピットがサイド・バイ・サイドのうえに単独操縦が左席でしかできず、特に左ウィングの2番機と5番機からの視界が大きく制限される。そのためフォーメーションは、6機でもデルタとアロー、ダブルウェッジの3種類に過ぎない。なお各機の右席スペースはスモーク用のタンクが積まれているため、アクロバットの訓練飛行でも複座訓練機のアドバンテージを生かす事はできない。

2006年に展示飛行中のブラックイーグルス所属機がエンジンの老朽化が原因で墜落した事を受け、韓国空軍は生産から30年以上経ち老朽化の激しいA-37Bに換えて国産超音速練習機T-50の導入を計画している。まだ計画は正式なものではないが、決定されれば10機前後のT-50がブラックイーグルスに配備される。ただし予算の関係からT-50がブラックイーグルスに配備されるのは2010年以降になる予定。このため、2007年のソウル・エアショーを最後にA-37Bが退役する事を受けて、T-50が配備されるまでの間、ブラックーグルスは一時的に解体されることになった。

【2009.04.30追記】
▼ブラックイーグルスメンバーによるT-50の編隊飛行
▼T-50のブラックイーグルス専用カラーリング
韓国空軍のアクロバット・チーム「ブラックイーグルス」が2009年10月に予定されているソウル・エアショーから、T-50に機種転換して飛行展示に臨む事になった。なおブラックイーグルスは2010年にアクロ専用の改修を行なった特別仕様のT-50を受領する予定で、カラーは公募から選ばれたブラックを基調にしたものになる。

2006年5月5日、水原空軍基地で展示飛行中のブラックイーグルスのA-37B 1機が墜落し、パイロット1名が死亡した。

【参考資料】
月刊航空ファン(文林堂)
連合ニュース
朝鮮日報
PowerCorea
DefenseNews
Kojii.net

【関連項目】
A-37B戦場統制機


2009-05-17 02:07:04 (Sun)

最終更新:2009年05月17日 02:07