T-62戦車(天馬号)

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▼2010年10月10日の軍事パレードで公開された新型の天馬号(天馬5号)。砲塔形状は新型の付加装甲により原型のT-62とは大きく変わっている。戦車砲は115mm滑腔砲のままと見られる。
▼2012年4月15日の軍事パレードに参加した天馬5号。

T-62性能緒元
重量 37.5トン
全長 9.34m
全幅 3.33m
全高 3.0m
エンジン V-55V V型12気筒液冷ディーゼル 580hp
最高速度 50km/h
航続距離 450km
武装 U-5TS 55口径115mm滑腔砲×1(40発)
  12.7mm重機関銃×1(300発)*北朝鮮では14.5mm重機関銃に換装された車両が多い
  7.62mm機関銃×1(2,500発)
装甲 242mm(砲塔前面)
乗員 4名(車長、操縦手、砲手、装填手)

T-62はソ連(ロシア)で開発された世界で初めて滑空砲を搭載した実用戦車。100mm砲を搭載したT-54が実用化されて以後、西側諸国は戦車火力の劣勢を取り戻すために懸命の開発作業が行われた。その結果1950年代末には英ビッカース社製の105mm戦車砲L7が完成し、独レオパルドや米M60など新型戦車に次々と搭載され、ソ連と西側の戦車火力は拮抗する事になった。これに対し火力面での優勢を確保するため、ソ連は1950年代から従来のライフル砲に代わり、有効射程の延伸と高い装甲貫徹力が期待できるAPFSDS弾と滑腔砲の開発に着手し実用化を図った。この滑腔砲を搭載した戦車をいち早く実用化するため、ソ連は1957年より第183工場設計局でT-55をベースにした新型戦車の開発に着手し、1961年T-62中戦車として制式採用されたのである。

T-62の外観的特長はT-54/55より平滑で、上面から見てほぼ真円に近い形状を持つ砲塔である。その浅めのお椀を逆さにしたような小ぶりの砲塔から、長大な排煙器付きの115mm滑腔砲が突き出している。115mm滑腔砲U-5TSはBR-5 HVAPFSDS弾を砲口初速1,680m/sで発射し、射程1,000mにおいて300mもの装甲貫徹力を誇っていた。これはT-54/55が搭載する100mm砲の1.5倍以上の威力に相当する。またHEAT弾も用意されており、ライフル砲と違って砲弾が回転しないために爆発ジェットが拡散されにくく、より高い威力を発揮できた。

【115mm滑腔砲の対装甲威力】
射程 500m 1,000m 2,000m
命中角度 0度 0度 0度
HVAPFSDS(BR-5) 350mm 300mm 270mm
HEAT(BK4M) 432m 432mm 432mm
参照[11]

車体はほぼT-54/55と同じだが、115mm砲弾は100mm砲弾に比べて大きいため約60cm車体を延長し、砲塔リング後部から機関室隔壁の間に新たに砲弾21発を収容できる弾庫を設けている。この車体延長にともない、後部転輪の配置間隔を広めに改めているのがT-54/55との違いである。搭載エンジンはT-55のものと同じだが、操行装置の改良で機動性はやや向上している。

T-62が西側諸国の目に初めて触れたのは、1965年5月のモスクワ赤の広場で行われた対独戦勝20周年記念軍事パレードの時だった。西側では開発途上であった戦車用滑腔砲をソ連がいち早く実用化している事に、関係者は大きなショックを受けた。恐るべき能力を持つ新型戦車として恐れられていたT-62だが、1973年に発生した第4次中東戦争で、エジプト軍やシリア軍が装備したT-62がイスラエル軍に多数撃破、捕獲され、その秘密のベールが剥された。まずT-62の大きな長所と考えられていた115mm滑腔砲は、射撃統制システムが第二次大戦水準のスタジアメトリック式で1,000m以上の距離になると測定距離の誤差が大きくなり、使用されるAPFSDS弾の加工精度の低さや設計上の問題も相まって遠距離での命中率は低いものであった[2]。第四次中東戦争でイスラエルに捕獲されたT-62をアメリカ軍がテストした際には、射程1,500mでの命中率は50%、2,000mでは30%と西側戦車に比べて著しく劣る結果がでている。また砲塔内の居住性の悪さ、戦闘動作の取り難さから実質的な発射速度は毎分4発程度に過ぎず、単車戦闘はもとより集団的な戦車戦闘においても西側戦車に3倍以上の数的優勢を確保しない限り、火力発揮面で対等に戦えない事も判明した。

このように1970年代末までに一挙に脅威度が低下してT-62だが、第一次チェチェン紛争では新型のT-80が構造上の弱点を狙われ次々と撃破されたにも関わらず、T-62は地雷やRPGの攻撃を受けても砲弾の誘爆を起こさないため意外なタフさを発揮したという。

【北朝鮮におけるT-62/天馬号戦車】
北朝鮮は1970年代、ソ連から合計500輌のT-62戦車の供給を受けた[1]。ソ連におけるT-62の生産は1970年代末に終了したが、1980年代に入ると役割を終えた生産プラントが北朝鮮に譲渡され、北朝鮮におけるT-62のライセンス生産が行われるようになった[2]。

北朝鮮ではT-62に「天馬号」戦車の名称を付与して自国向けに生産を行うと共に、イラン・イラク戦争中のイランに対して150~200輌のT-62を輸出している[1][2]。

1980年代に入ると、在韓米軍ではM60戦車に代わってM1A1エイブラムズ戦車の配備が開始され、韓国軍においてもアメリカのGDLS社の技術支援を受けて開発された新型戦車K-1主力戦車の量産が本格化するなど、戦車戦力の近代化が進められていた。北朝鮮では、これに対抗するためソ連にT-72主力戦車の供与を要請したが、ソ連側からの同意を取り付けることはできなかった[3]。これは一説には、北朝鮮経由で中国にT-72の技術が流出することをソ連が懸念したために供与が認可されなかったとされる[3]。

韓国の戦車戦力の近代化に対抗するためには、北朝鮮にとってはその時点で量産体制にあるT-62/天馬号戦車の能力向上を行う以外の選択肢は存在しなかった。これを受けて、北朝鮮では独自の改修を施した「天馬号」戦車の各種改良型が開発されることになった。

「天馬号」は、最初のライセンス生産型でありソ連のT-62に準じた内容の戦車[4]。ただし、ソ連では1970年代以降、一時廃止していた対空機関銃を復活させ、T-62の砲塔上部に12.7mm重機関銃を搭載したが、北朝鮮では対空機関銃として14.5mm重機関銃を搭載しているのが特徴[5]。これは、圧倒的な米韓両軍の航空戦力と対峙する北朝鮮軍にとって、自軍のエアカバーを期待できない状況下でわずかでも戦車の対空能力を向上させようとする試みであり、それ以降の「天馬号」にも受け継がれることになった[10]。ソ連から輸入されたT-62の近代化改修型には「天馬1号M」の名称が付与されている[4]。

最初に登場した北朝鮮独自の「天馬号」改良型は「天馬2号」と命名された。遠距離射撃能力に劣るT-62の欠点を解消するために戦車砲基部にレーザー測遠器を搭載したが、これはソ連のT-62Mに習った改造と思われる[4][5]。(シリアから入手したT-62Mの情報が元になっているとの情報も[10])。ただし、このレーザー測遠器は北朝鮮で独自開発されたものであり、T-62Mのものとは外観が異なっている[6]。レーザー測遠器とあわせて射撃統制装置や弾道計算機も導入された[10]。エンジン出力の向上も図られており、原型の580馬力から750馬力に強化された事で機動性が向上している[10]。

「天馬3号」は、1992年の軍事パレードに登場したことでその存在が明らかになった[5]。北朝鮮の技術者は、山地や隘路の多い朝鮮半島の地形では、対戦車ミサイルや歩兵携行対戦車兵器による戦車への攻撃が多発すると判断し、「天馬3号」では防御力の改善を改造の主眼に置いた[10]。「天馬3号」では直接的な防御力の強化として、砲塔側面には爆発反応装甲、車体側面にはサイドスカートを装着。(不鮮明な写真から判断すると砲塔自体の形状がやや角ばったものに変化している可能性も有る)。間接的な防御性能の向上としては、従来のエンジン排気管にオイルを噴射して白煙を発生させる煙幕発生装置に加えて、即応性の高い発煙弾発射機4連装4基が新たに搭載された。レーザー測遠器や14.5mm重機関銃などについては「天馬1/2号」を踏襲している。

「天馬4号」は、「天馬3号」の防御力をさらに改善したタイプであり、爆発反応装甲が砲塔前面にも装着されるようになっている[4]。砲塔の形状自体にも手が加えられたとされる。

2010年の軍事パレードに登場した「天馬5号」は、爆発反応装甲に代わって砲塔周囲に溶接構造の付加装甲を装着したのが最大の改良点。車体前面にも付加装甲を装着、車体側面のサイドスカートの前半分には爆発反応装甲らしき付加装甲が装着されている。発砲塔前面下部と車体前面下部には成型炸薬弾対策としてゴムスカートが取り付けられている。煙弾発射機は5連装2基に変更。改良は主に防御面が中心で、その他の要素は前タイプを踏襲していると見られる。

「天馬号」のバリエーションに関する北朝鮮の公式発表はなく、資料によって記述の異同も多く、上記の区分も完全なものではない。なお、2010年と2012年の軍事パレードに参加した「天馬号」シリーズは、履帯に路面破損防止用のゴムパッドを装着しているのが確認されている、

【総括】
「天馬号」戦車は、レーザー測遠器の装備や付加装甲の装着によって段階的に性能を向上させてきたが、戦車砲は115mm滑腔砲のままで、砲発射対戦車ミサイルの導入が行われなかったため[3]、その攻撃力はT-62を大きな差は無いと考えられる。

「天馬号」の115mm滑腔砲は、K-1以前の韓国戦車を撃破するには十分な威力を備えているが、砲塔をコンパクトにした代償で砲の府仰角が少ないというT-62の問題点を継承しており、山地の多い朝鮮半島の戦闘では不利になる局面が生じる危険性がある。暗視装置についても原型のT-62と同じ赤外線投光ライトを装着し続けていることから、探知距離に劣り被発見率の高いアクティブ赤外線方式を維持していると思われ、これは現在の戦場では大きな弱点になることが想定される。

北朝鮮のT-62/天馬号の具体的な生産・配備数は不明だが、500輌輸入+470輌生産[1]、600輌[3]配備、1,400輌配備[7]、1,800輌保有[8]、2,000輌生産(うち200輌輸出)[2]など各種の数字が上がっている。いずれにせよ、T-62/天馬号は合計3,800輌を数える北朝鮮陸軍の戦車戦力の中核を占める存在であることには間違いない[8]。配備数はここ数年横ばいを続けているとされ、新規生産はほとんど行われず、既存の車輌に対するアップグレードが図られていると見られている[3]。

天馬号は、発展型である「暴風号」戦車と共に、韓国との国境付近や平壌周辺の部隊に集中的に配備されている[9]。T-62/天馬号は戦車師団のみならず、歩兵師団の戦車大隊にも配備されている模様。

【派生型一覧】
天馬1号 ソ連から輸入されたT-62と北朝鮮国内でライセンス生産されたT-62。ライセンス生産型は対空用に14.5mm重機関銃を装備するなどの改修が施された
- 指揮戦車型
- 装甲回収車型
天馬1号M ソ連から輸入されたT-62の近代化改修型
天馬2号 レーザー測距器を追加装備した国内改良型
天馬3号 1992年の軍事パレードに登場。西側からはM-1992のコード名が付与。砲塔側面に爆発反応装甲と発煙弾発射機を装着した国内改良型
天馬4号 砲塔形状が変化。爆発反応装甲の装着範囲を拡大した国内改良型
天馬5号 2010年10月の朝鮮労働党65周年軍事パレードに登場。砲塔周囲を新型の溶接構造の付加加装甲を装着
暴風号 当初は天馬5号と目されていた車輌。天馬号をベースとして開発された拡大改良型、砲塔は天馬5号と類似した形状の付加装甲で覆われており、車体延長に伴って転輪が1つ増えている。戦車砲は115mm滑腔砲のままと見られる。

▼天馬1号(T-62)

▼砲身基部上にレーザー測距器を装備した天馬2号

▼爆発反応装甲を砲塔側面に、発煙弾発射機を砲塔前/側面に装備した天馬3号

【参考資料】
[1]SIPRI Arms Transfers Database
[2]古是三春『ソビエト・ロシア戦車王国の系譜』(酣燈社/2009年)
[3]古是三春「北朝鮮地上軍の最近の装備」(『月刊PANZER』2012年9月号/アルゴノーツ社)28~41ページ
[4]JED「CH¹ONMA-HO MAIN BATTLE TANK SERIES」
[5]GlobalSecurity「Ch'onma-ho」
[6]古是三春「ソ連戦車T-62」(『月間グランドパワー』2003年5月号/ガリレオ出版)128ページ
[7]聯合ニュース「北朝鮮が新型戦車公開、経済難でも持続的に火力増強」(2010年8月17日)
[8]金元奉・光藤修 編著『最新朝鮮半島軍事情勢の全貌』(講談社/2000年)
[9]聯合ニュース「北朝鮮が新型戦車「暴風号」初公開、旧ソ連製を改良」(2010年8月17日)
[10]孔軍・鄭奎「在苦難中行軍-朝鮮的坦克工業」(『坦克装甲車輌』2012.03A/《坦克装甲車輌》雑誌社)40~45ページ
[11]デービット・C・イスビー著 林憲三訳『ソ連地上軍 兵器と戦術の全て』(原書房/1987年)117ページ

軍事研究(株ジャパン・ミリタリー・レビュー)
戦車名鑑-現用編-(後藤仁、伊吹竜太郎、真出好一/株式会社コーエー)
Pakistani Defence Forum
など


2013-04-30 02:21:36 (Tue)