MiG-21戦闘機(フィッシュベッド? > 殲撃7? > J-7? > F-7)(北朝鮮)



MiG-21PF性能緒元
重量 5,150kg
全長 14.10m
全幅 7.15m
全高 4.71m
エンジン ツマンスキーR-11 6,120kg 1基
最大速度 マッハ2.1
航続距離 1,600km
上昇限度 19,000m
武装 Gsh-23L 23mm連装機関砲
  R-3赤外線誘導空対空ミサイル(AA-2 Atoll)
  各種爆弾等最大2,000kg
乗員 1名

MiG-21(NATOコード:Fishbed/フィッシュべッド)は旧ソ連(ロシア)で開発された近距離迎撃戦闘機である。ミコヤン・グレビッチ設計局で1954年から開発が始まり、後退角付きの主翼を持つYe-2とデルタ翼のYe-4が試作され、これを元にさらにYe-6が開発されてMig-21の原型となった。Ye-6は1957年に初飛行に成功、1958年からMiG-21として生産が承認された。MiG-21は世界中に輸出され、各型合わせて10,000機以上が生産されたといわれる。現在でも東欧やアフリカで第1線戦闘機として使用されている。

MiG-21は機体が軽量・小型で取り扱い易く、素晴らしい運動性能を持つ戦闘機である。翼端を切り落としたデルタ翼を中央に配し、機首にショック・コーン付きの空気取り入れ口を持つ。ショック・コーン内にレーダーを装備するが、大きさが制限されるためアンテナの小さな物しか搭載できず、これがMiG-21の弱点の一つとなっている。MiG-21PF(NATOコード:Fishbed-D/フィッシュベッドD)は最初の全天候型MiG-21で、R2L「ハイ・フィックス」全天候レーダーを装備している。またエンジンをR-11F-2SV-300に換装し、さらにドラッグ・シュートやKAP-2K自動操縦システムを新たに装備、コックピット後方のドーサルも大型化されて燃料搭載量が増加している。MiG-21PFMフィッシュベッドFはさらに操縦席周りを大幅に改良し、KM-1射出座席を装備したタイプ。キャノピーが前ヒンジ型から右ヒンジの横開きになり、機関砲ポッドも携行可能になった。

北朝鮮はソ連からMiG-21PF/PFMを200機以上供与されたとされている。また中国からもMiG-21の中国版コピーであるF-7B(J-7II/殲撃7II)を供与されたようだ(数量不明:30~50機程度?)。そのうち現在稼動状態にあるのは約120機といわれ、北朝鮮空軍戦闘機の主力を成していると思われる。MiG-21は構造が簡素なだけに運用が容易で、恐らくMiG-29やMiG-23よりも高い稼働率を維持しているだろう。韓国国防部の発表によれば、2000年に北朝鮮はカザフスタンから40機(34機の説も有)のMiG-21bisを部品の状態で輸入し、国内で組み立てて実戦配備したという。カザフスタンはこの後に韓国政府から猛烈な抗議を受け、独断でMiG-21を北朝鮮に輸出した国防相を更迭した。北朝鮮はMiG-21(J-7)を各戦闘機連隊に分散配置している。

1969年4月15日、北朝鮮空軍のMiG-21 2機がアメリカ海軍第1艦隊偵察飛行隊(VQ-1)所属のEC-121M電子偵察機(PR21/135749)を撃墜した。北朝鮮は定期的に偵察に来るEC-121Mを厄介者と考えており、これを叩き落す計画を綿密に立てた。まず彼らは平壌の北にある北倉(プクチャン)基地から2機のMiG-21を分解して運び出し、米軍の偵察衛星に察知されないよう夜の間に鉄道で朝鮮半島北東部のオラン基地運んだ。オラン基地では大型のテントが張られ、到着したMiG-21はすぐにその中で組み立てられた。さらに鉄板を敷いた急造滑走路が海岸に近い砂地に造られ、米軍EC-121Mの接近情報を待った。4月15日、北朝鮮のレーダーがいつも通り早朝の厚木基地を離陸し、新潟から日本海に入って北朝鮮東岸に接近するEC-121Mを探知した。待機していたMiG-21のパイロットは軍高官からの直接命令を受けて直ちに発進、海岸線を越えたところでアフターバーナーに点火して、敵のレーダーを逃れるため海上超低空を高速で目標に向かった。2機のMiG-21はそのまま気付かれる事無くEC-121Mに接近しこれを肉眼で確認、EC-121Mの正面で急上昇し反転降下してから後方に付き、まず1番機がR-3赤外線誘導空対空ミサイル(NATOコード:AA-2 Atoll/アトール)2発を発射、ミサイルはEC-121Mのエンジンに吸い込まれて爆発した。続いて2番機が後方からK-13 2発を発射、胴体部分に直撃しEC-121Mは爆発して四散した。この後、現場に急行したソ連の情報収集船が大急ぎでEC-121Mの残骸を回収したという。なおEC-121Mは常に公海上を飛んでおり、北朝鮮領空は侵犯していなかった。撃墜されたのも公海上である。

1968年1月19日、東海で韓国海軍哨戒艇と北朝鮮沿岸砲が交戦した時、MiG-21 2機が上空で援護した。
1968年1月23日、ウォンサン沖の米海軍情報収集艦プエブロ号を拿捕した時、MiG-21数機が上空で援護した。
1969年4月15日、MiG-21 2機がウォンサン沖上空で米海軍EC-121M電子偵察機を撃墜した。
1977年6月17日、MiG-21が非武装地帯の北朝鮮管理地区に不時着した米陸軍のCH-47を攻撃、撃破した。
2000年12月13日、夜間訓練飛行中のMiG-21 2機が空中衝突で墜落した。

▼点検中のMiG-21
▼夜間発進訓練を行うMiG-21
▼R-3赤外線誘導空対空ミサイル(AA-2 Atoll)を搭載するMiG-21
▼爆弾を投下するMiG-21
▼北朝鮮空軍のF-7B

▼北朝鮮の飛行場に置かれたMiG-21/F-7のダミー

▼北朝鮮の順川基地(第1戦闘機師団)に駐機するMiG-21/F-7
▼北朝鮮の元山基地(第2戦闘機師団)に駐機するMiG-21/F-7
▼北朝鮮の谷山基地(第3戦闘機師団)に駐機するMiG-21/F-7

【参考資料】
月刊航空ファン(文林堂)
Jウイング特別編集 戦闘機年鑑2005-2006(青木謙知/イカロス出版)
別冊航空情報 世界航空機年鑑2005(酣燈社)
北朝鮮軍の全貌(清水惇/光人社)
Grobal Security


2009-04-05 01:42:33 (Sun)

最終更新:2009年04月05日 01:42