国家社会主義の綱領-第一章-第三節


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第一章

第三節 資本主義批判

競争の批判

 日米中の市場原理主義は、これから包括的な崩壊に向かう事になります。これは、市場は万能であるという仮説が、ただの信仰心の類に過ぎなかったという事の証拠になるでしょう。ここから、米国流の市場原理主義の誤謬について論じさせて頂きます。まず、市場原理主義という経済機構の基本は、自由競争にあります。しかし、自由競争の枠組みで経済というゲームに参加する人間を全員稼がせ続けるためには、経済をバブル化させて経済規模を永久に拡大し続けるしかありません。仮に、経済成長が終われば、今度は過当競争から企業が潰し合いをして共倒れするため、結果的にデフレが起こってしまいます。つまり、バブルを作るのを止めれば、今度はデフレが起こります。したがって、資本主義という経済機構においては、バブルかデフレという二つの経済状態しか原理的にありえません。仮に膨らませるべき投機材料が枯渇して、バブルを演出できなくなれば、じきにデフレが起こります。しばらくすれば、バブルを作るために重ねてきた膨大な累積債務によって、国家財政が破綻してハイパーインフレが起こります。これが、資本主義のライフサイクルです。以下のバブル化とデフレ化の項目で、その過程を詳細に説明します。
 そもそも、自由競争の枠組みでは、誰かが競争に勝利して利益を得る背後で、誰かが必ず競争に敗北して損失を被る事になります。したがって、いくら競争を加熱させた所で、富の総量が増えるわけではないため、全体から見ればこれはゼロサムゲームに過ぎません。これは富の取り合いであるため、富豪が生まれる背後には必ず貧困も生まれる事となります。そのため、競争の勝敗が決定される事によって、貧富の格差が広がるのは当然の事です。また、より直感的に市場原理主義の間違いを指摘する事ができます。例えば、井上雄彦氏著の漫画『バガボンド』の中では、伝説の剣豪宮本武蔵が、たった一人で吉岡道場の弟子七十人を全員斬り殺す描写があります。これはあくまで漫画の話ですが、この描写は市場原理主義の正体を表していると言えます。つまり、自由競争を徹底的に押し進めれば、最終的にはたった一人の勝利者しか残らないのです。そして、経済においては、この最後の勝利者は独占金融資本であると定義できます。膨大な数の屍の上にたった一人の勝利者が生き残るのですが、その勝利者は何一つ得られるわけではありません。なぜなら、勝利者は敗北者を全て殺害する事によって、生活の基盤を自ら破壊してしまっているからです。これは労働者を搾取しすぎた結果、経済全体の消費が冷え込んでデフレスパイラルが起こり、資本家の側まで損をする構造と全く同じものです。これは、労働者と資本家の共倒れであり、敗北者と勝利者の共倒れでもあります。したがって、こういった過当競争は何の富も生み出さないと断言できます。

搾取批判


 加えて、投資によって貧富の差が広がるのも事実です。なぜなら、既に富を所有している資本家は、投資によって利殖を行う事が出来るからです。一方で労働者は投資を行うための原資がないため、利殖は不可能です。したがって投資を活性化させればさせるほど、貧富の格差は開く一方になります。つまり、全く労働者に富を還元せずに、ただ資本家が一方的に搾取する経済機構が市場原理主義です。そのため、市場原理主義においては、利子による搾取で経済が二極化するのは当然の事です。この二極化現象は、全体の二割の人間が、全体の八割の富を所有するパレードの法則として知られています。こういった富の偏在の詳細な過程は、複雑系の研究で既に解明されています。2005年初版発行のマーク・ブキャナン氏著『複雑な世界、単純な法則ネットワーク科学の最前線』においては、投資によって貧富の差が拡大し、税や品の売買によって貧富の差が縮小する過程が詳細に説明されています。したがって、投資による貧富の格差の拡大への批判は、よく言われる「貧乏人の嫉妬」などではなく、数学的に説明のできる客観的事実なのです。ちなみに、本来は貸し付けを焦げ付かせないためには、債務者を支援育成するのが長期的な利殖につながるのです。そのため、富の再分配は合理的な政策なのです。
 そして、現実世界においては、たった一人の勝利者とは中央銀行を運営している金融資本家を指します。なぜなら、政府も銀行も、実は中央銀行が刷った金を借りているからです。この中央銀行の貸付残高の膨張が、「信用創造」と「経済成長」の正体です。しかも、貨幣の増刷によって中央銀行の貸付残高が右肩上がりで膨張し続けるため、経済成長も永久に続けなければなりません。つまり、中央銀行への利払いのために経済規模を永久に膨張させ続けなければならないのです。この中央銀行ですが、欧米においては実はごく一部の金融資本家によって経営されています。もちろん、貨幣を刷る特権を持っている彼らは、明らかに例外的な存在です。そのため、この金融資本家は、市場原理主義においては実質的に神同然の存在です。なぜなら、貨幣を刷って金利をつけて貸し付けるだけで、いくらでも金を稼ぐ事が出来るからです。これは、一方的な搾取構造そのものです。ちなみに、この一方的な搾取構造はヘブライズムの一神教的な宗教観とも相通じるものがあります。そして、国家破産の正体とは、中央銀行が通貨の増刷で行った政府への貸し付けが、全て焦げ付いてしまうと言う事です。しかし、連邦準備銀行にとっては、たとえ貸し付けが焦げ付いても、原資は紙とインクですので、損失などは最初からないのです。
 彼ら金融資本家の常套手段は、ある場所へと行っていた投資を突然引き、その相場を暴落させて、株や通貨の空売りで差益を稼ぐ手段です。そのため、彼らは新興市場の株を上げる所まで上げてバブル化させて、恣意的に突然それを大暴落させるです。98年のロシアや東南アジアの通貨危機はその良い例です。つまり、彼らはわざと相場を不安定化させる事で、富を掻き集めるわけです。しかし、その富というのは一種のメンコのようなもので、ほとんど実体のない観念的なものに過ぎません。なぜなら、それは信用によって成立する貨幣を、金融的な操作によって収集しているに過ぎないからです。決して、実体的な生産活動を刺激しているわけではありません。これは小手先の金融テクニックを用いた貨幣の略奪行為であり、搾取の一種であると見て然るべきです。
 ちなみに、米国の私立大学はこの金融資本家から莫大な献金を受けています。例えば、経済学の最右翼に陣取るシカゴ学派を擁するシカゴ大学は、1890年にロックフェラー財閥から3500万ドルの寄附を受けて創設された大学です。この3500万ドルという金額は、当時の東京帝国大の予算の70年分、ベルリン国立大学の35年に相当する莫大な額です。そのため、米国の私立大学における経済学は、出資者である財閥にとって都合のいいものであると疑ってかかるべきです。例えば、金融工学では金利の極大化とリスク分散のために解析学と確率論を統合した高等数学(確率微分方程式)が用いられています。しかし、これは連銀で刷ったドルを用いて利殖するために造られたものです。これは確かに非常に高度な理論体系ですが、その本質は詐欺的なねずみ講です。結局、こういった経済学の正体とは、中央銀行を支配する金融資本家に利益誘導するためだけの虚構の学問です。
 そもそも、計量経済学においては各種の統計データから平均値を算出する作業が行われています。しかし、私はこのような統計データなどはずいぶん怪しいものだと考えています。なぜなら、企業や政府などの財務状態が著しく悪化した場合、その真実を公開すると社債や国債の暴落が起こってしまうため、どうしても財務状態を粉飾してしまうものだからです。特に、中国政府の発表するGDPや経済成長率は、地方の役人が自らの出世のために数字を水増しして中央に報告する例が非常に多いため、極めて信頼性が低いです。それ以外の視点からして見ても、経済成長率やGDPといった経済全体の平均値をはじき出した指標は、何の意味もなさないものです。なぜなら、市場における富は著しく偏在しているからです。例えば、自給6ドルで働くヒスパニックの資産と、ビル・ゲイツの持つ資産を足して二で割って平均値を出しても、その指標は現実の経済状態を反映したものではありません。

バブル化


 まず市場原理主義とは、富の再分配を行わない資本主義です。これは労働者に対する一方的な搾取構造であり、構造的に見た場合、ただのねずみ講です。なぜなら、経済規模を永久に拡大し続けないと、資本家への利払いを続けられないからです。その永久の経済成長ために発明されたのが、ケインズ経済学です。現在の日米の異常な赤字体質は全て、このケインズ政策に原因があると言えます。実はケインズ経済学の正体とは、貨幣の増刷で消費を刺激する事で、虚像の経済成長を演出し、市場原理主義の破綻を先延ばしにするトリックです。例えば、クリントン政権下でのITバブルも、ブッシュ政権下での不動産バブルも、消費によって経済を膨張させるために作られた恣意的なバブルです。しかも、それが破裂してしまえば、戦争を起こしてバブルを作るしか道がなくなります。現に、ブッシュ政権のアフガン攻撃やイラク戦争は、公共事業という意味合いも含まれた政策です。また、このケインズ経済学は、他の理由から見ても先進国では既に時代遅れになっています。なぜなら、先進国では既にインフラが飽和してしまったため、公共事業をやっても期待しただけの経済効果が現れなくなったからです。そして、今では公共事業は官僚による汚職の温床になってしまいました。
 歴史的に見た場合、日米の赤字体質が始まったのは、1970年代の初頭からです。まず、米国では1971年8月のニクソン・ショックで、ドルが兌換紙幣から不換紙幣に変わり、管理通貨制と変動相場制に移行した結果、通貨の増刷が無制限に行われるようになりました。そして日本では1972年の日本列島改造論で、建設国債が濫発され始めた結果、通貨の増刷が無制限に行われるようになりました。そして、両国とも財政支出をやり過ぎた結果、70年代から累積債務が幾何級数的に膨れ上がり始めたのです。また、返済不可能な累積負債を抱えれば破産するのは単純な話です。したがって、ニクソン・ショックによって将来的に米国の破綻は既に運命づけられていました。一方で、日本の側も80年代頃の人口統計と財政状態を分析すれば、戦後のベビーブーマーが引退する2010年前後に日米が破産するのは火を見るより明らかだったのです。そのため、超マクロ的にみれば、現在の日米に見られる経済現象は、不思議な事でも何でもありません。
 現代のケインズ経済学に基づく管理通貨制度の問題点は、安易に貨幣を増刷してしまうため、貨幣の増殖に生産物の増大が追いつかなくなる点にあります。そのため、サービス産業や貨幣を商品化するデリバティブ経済などが生まれて来てしまうわけです。同時に、これは立場が下の貧しい人に仕事をさせて虚飾塗れの奢侈享楽にあけくれた結果、国民精神が空洞化する事であるとも見なせます。加えて、自国の通貨高を背景に他国からモノを輸入して消費する習慣がつくと、国の産業が空洞化しはじめます。いわゆる経済のソフト化や、ニューエコノミー論と呼ばれる経済理論は、産業の空洞化を正当化するために学者が捏造した欺瞞に過ぎません。これは第一節「勝者の傲慢」で説明した内容とまったく同じ事です。現に、米国は自由貿易の枠組みの下で輸入して消費をやりすぎた結果、産業の空洞化で米国の製造業は壊滅状態になってしまいました。こういった、貨幣の増刷で消費を刺激する金融政策は、結果として図体だけ大きな消費経済を作り出します。しかし、これは工業主体の筋肉質な生産経済ではなく、水ぶくれの消費経済であると言えます。そのため、これは経済成長というよりも、経済膨張という表現が的確です。仮に国が破産すれば、貨幣の増刷で膨張させてきた第三次産業と、それに属するホワイトカラーの職種は全滅です。したがって、これから日米が財政破綻した際には、従来では考えられないほど失業率が急上昇する事が考えられます。そのため、財政破綻後における最大の難題は、間違いなく失業問題となる事でしょう。
 加えて、ケインズ経済学に基づく過剰な財政支出が原因となって生まれた化け物が、貨幣を商品化するデリバティブ経済です。以下の主張は名著『国家の品格』における藤原正彦氏の指摘を参考にしたものです。このデリバティブ経済は、母集団の膨張を前提として設計されたシステムであり、これもまたねずみ講である事に変わりはありません。しかも、このデリバティブ経済は、既に数京円規模にまで膨張しています。しかも、デリバティブは主に米国の大手金融機関の数社によって運営されているため、その中の一つでも破綻すればデリバティブ市場全体が破綻すると言われています。すなわち、現在の米国系金融機関は運命共同体ですので、仮に一つでも破綻する企業が出た場合、連銀がすぐさま公的資金を注入するのです。しかし、こんなものが永久に膨張しつづける事は絶対にありえません。著名な投資家であるウォーレン・バフェット氏も、デリバティブが時限爆弾であるという趣旨の発言をしています。なぜなら、取引している商品である通貨の価値自体が、ドル崩壊で喪失してしまうからです。したがって、ドル崩壊でマネーを取引するデリバティブ経済は消滅し、米国系の大手金融機関は全て倒産に追い込まれる事が予想されます。

デフレ化


 仮に、バブルを作るのを止めてしまえば、その次にはデフレが必ず起こってしまいます。このデフレの原因は、新古典派経済学に基づいた過当競争による企業の共倒れにあります。新古典派経済学とは、自由競争によって予定調和的に市場が最適の状態に導かれると言う理論です。しかし、市場原理による予定調和の理論は、右肩あがりの高度経済成長(すなわちバブル)の時代にしか期待できないものです。確かに、高度経済成長の時期には、市場原理による予定調和が作動します。なぜなら、高度経済成長の時期には、市場そのものが拡大していくため、経済というゲームに参加するプレイヤーは全員儲ける事ができるからです。しかし、高度経済成長が終われば、市場に参加しているプレイヤーが全員儲かる事は物理的にあり得なくなります。また市場が縮小している状況下でも、各企業は銀行への金利の支払いのため、「今期売上10%増」といった目標を掲げざるをえません。しかし、市場の成長が0%である場合、そういった売上目標を達成できる企業はほとんど無いのです。そして競争という名の元で、各企業が経営体力を削って潰し合いをする結果、どんどん共倒れしてしまいます。この経営体力を削る、というのは人件費を減らすという事です。その結果、労働者の給与が減って消費が冷え込み、デフレスパイラルが起こります。つまり、過当競争による共倒れがデフレの原因です。これはゲームに参加する個人が最善と思われる選択をした結果、皆が損をしてしまう状態にあると言えます。これはゲーム理論から見ると、非協力ゲームにおける「囚人のジレンマ」の状態です。したがって、一旦人口減少で高度経済成長が終われば、利子によって貨幣が自己増殖するどころか、利子によって貨幣が自己収縮し始めてしまうのです。これを計量化する事は、恐らく可能なはずですが、どこの大学もやっていないのは不自然な事この上ありません。
n デフレのもう一つの原因は若い労働者への過剰な搾取にあります。古今東西、資本家とは老人で、労働者とは若者です。特に、日本においては老人が国富の八割を所有し、若者は二割の富を分け合っている状態です。現在の日本では、新自由主義の枠組みの下で金持ちが優遇されています。これはすなわち老人を優遇する政治であると言えます。しかし、この政治の下で、満足に育児さえ出来ないまでに若者を苛烈に搾取した結果、将来不安から出生率が更に低下し、人口減少が始まったため、経済縮小が更に加速し始めています。その流れの中で、若者による消費が冷え込んでデフレ不況が更に深刻化しています。労働者は労働者であると同時に消費者でもあるため、労働者を搾取しすぎると消費が冷え込んでデフレ不況に陥るのは当たり前の事です。つまり、労働者への過剰な搾取はデフレ不況と少子化を深刻化させるだけです。これは完全な悪循環なのですが、もはやこの流れから抜け出すのは不可能です。なぜなら、富の大部分は老人が独占している上、日本国民の四分の一が老人であるため、議会では若者の権益は無視される傾向にあるからです。まして、一切の経済力を持たず、参政権もない子供の権益は完全に無視されています。
 現在では、デフレ不況から脱却するためにインフレターゲットを設定して、日銀が貨幣を積極的に刷るべきだという議論が盛んに行われていますが、あれは詭弁です。いくら貨幣を刷っても、それが労働者にプールされないであれば、内需が振興されないため、デフレ不況から脱却する事はできません。労働者保護を訴える人物は、時代遅れのマルクス経済学の信奉者で、社会主義者だと言われて嗤われるのが関の山です。しかし、難解な経済理論を用いながら、最終的には「金利を下げて貨幣を刷りさえすれば全て解決する」と平気で結論づけるマネタリズムの信奉者の方が、実際には遥かに滑稽で蒙昧であると言えるでしょう。どれだけ難解な経済理論を用いようとも、最後には常に同じ結論に収まる様は間抜けとしか言いようがありません。そもそも、ゼロ金利政策などをとれば、引退して利子生活をしている老人は生活が出来なくなります。若い労働者への搾取をやり過ぎると、結果として金利がつかない経済になる上、政府の税収減で年金制度まで破綻してしまうのです。
 また、インフレターゲット論に並んでよく見られるのは、公務員を減らすべきだという主張です。これは公務員が諸悪の根源だとし、公務員を減らして減税を実施し、民間経済を活性化させる事で経済再建が可能になるという考えです。こういった減税と積極財政で民間セクターを活性化させて経済を再建するというのは、レーガノミックスの論理です。この経済理論では、公共セクターは富を搾取するだけの寄生虫だと定義されるため、徹底的に極小化する事が善だとされます。しかし、この経済政策を続けた結果、アメリカの国家財政は完全に破綻してしまいました。そもそも、民間で雇用がない時代に、公務員のクビを切った場合、彼らが民間に再就職した後には給与が激減するのは間違いありません。そのため、彼らによる消費が冷え込んでしまうため、内需が破壊されてしまいます。したがって、実際にこの政策ををやれば、内需崩壊でデフレ不況が起こるため、財政再建されるどころか、歳入減と積極財政で政府の累積債務が爆発的に増えてしまいます。また、公務員を減らせば減税が出来るというのも極めて疑わしい話です。現在の日本は税収で国家予算を組んでいるわけではなく、国債の濫発で予算を組んでいる状態です。そのため、公務員を減らしたからといって、それがすぐに減税につながるとは到底考えられません。なぜなら、元々税収で国家予算を組んでいるわけではないからです。もちろん、公務員や官僚による汚職や腐敗は犯罪ですので、監査法人を設けて厳しく取り締まり、無駄遣いは是正せねばならないのは事実です。それで、余った予算は有効活用すべきだと思います。しかし、いたずらに公務員を削れば、彼らの消費が落ち込むため、デフレ不況を誘発するだけです。まだしも、公務員一人頭の給与を減らして、一人でも多くの人間を雇用するというロジックなら分かります。現に、欧州において低所得の公務員がたくさんいるのは、一人でも多くの人に雇用を与えるためであり、これは福祉政策の一巻であると言えます。そのため、公務員を諸悪の根源だと定義していたずらに攻撃するのは、国民の福祉を削る政策だと言えます。したがって、公務員を異常に敵視して攻撃するのは、正気の沙汰だとは思えません。
 実は、金貸しの側からしてみても、こういったデフレ不況は最悪な状態です。なぜなら、労働者が貧困の悪循環に嵌り込んでしまっているため、借り入れを返済できなくなってしまうからです。そのため、貸した金が返ってこずに、どんどん焦げ付いてしまうようになります。例えば、米国においては、不動産バブルを演出するためにサブプライムローンを大々的に始めましたが、あの貸し付けは最初から焦げ付く運命にあったのです。これは、搾取のし過ぎで国民経済を食い潰してしまい、結果的に銀行までもが共倒れしてしまったと言う事です。そのため、日本では余り知られていませんが、米国の貧困層では既にデフレ不況が急激に進んでいます。特に、ウォルマートストアなどによる労働者の搾取と極度な値下げ合戦はその良い例です。
 ちなみに、それらの諸問題を避けるため、欧州の社会民主主義や福祉国家においては、富の再分配が徹底されています。富の再分配で労働者を保護する事で内需を確保する政策は、デフレ不況の予防になります。この富の再分配を重視する社会民主主義とは、貸し付けの焦げ付きを防ぐために、積極的に債務者を保護育成する経済機構であると言えます。また、富の再分配により一つの系の中で富が循環させるため、市場規模を拡大する必要はなくなります。なぜなら、資本家が利子によって得た不労所得は、富の再分配で労働者に返還されるため、利払いのために富の総量を増やさなくて済むからです。その結果、無理な通貨の増刷は必要なくなります。つまり、富を再分配すれば、一つの系の中で富が循環するのです。すなわち、一方的な搾取をやめて、労働者に富の再分配をしさえすれば、経済全体のバランスが調整されて資本がうまく循環して行くのです。そのため、私は富の再分配を行う資本主義(すなわち社会民主主義)を支持します。

補足説明 進化論の誤謬


 余りにも堅苦しくて暗い話ばかりなので、ここで休憩として小咄を一つ差し挟んでおきます。くだけた話なので、読み飛ばして頂いても結構です。上記のような形で、競争の非合理性を主張した場合には、必ず大きな批判の声がのぼります。そして、競争の正当性を裏付ける理論として常に用いられるのが、ダーウィンの進化論です。そして、このダーウィンの進化論は、弱肉強食を是とする市場原理主義を論理的に補完する役割も担っています。ちなみに、この考えは人種差別や優生政策の科学的根拠になっている側面もあります。しかし、私はこの進化論には懐疑的な立場です。彼の学説によれば、環境適応に失敗した劣った種は自然淘汰され、優れた種が生き残る事で生物が進化するという事になっています。したがって、生物は非常に長い時を経て、徐々に進化すると言うのが進化論の定説です。
 そして、この進化論を論理的に補完しているのが、地質学です。現在では、地層の中に年代別に生物の化石が埋まっている言う理論が定説です。そして、一つの地層が形成されるのに数千万年かかるとされています。しかし、そこまでの長い期間に渡って同じ環境が継続する事は、どうしても考えられません。何より、全世界どこの地域でも、同じパターンの地層が同時期に形成されるという前提そのものが、到底信じられない事です。私は地質学というものに根本的な疑念を抱いているため、それによって論理的に補完されている進化論にも懐疑的です。これから下に書く学説を信じるか否かは各人に任せますが、私は下の主張を支持する立場をとります。
 ほとんど世間からの脚光を浴びていないのですが、進化論を覆すある学説が、実は戦前から存在しています。それは、15000年前に巨大彗星が地球に衝突したという説です。この説は、オーストリアのヘルビガーと呼ばれる技師が提唱していたようですが、文献が残っていないためどうとも評価しかねる所です。そのため、以下の主張は2004年初版出版の浅川嘉富氏著『恐竜と共に滅びた文明』の内容を要約したものです。まず、15000年前に巨大彗星が地球に衝突し、その中に詰まっていた氷河が地表に降り注ぎ、海面水位が急激に上昇しました。その結果、移動速度の遅い生物は高台への避難ができないため、土砂に埋もれて化石化したのです。そのため、三葉虫の正体とはつい最近まで生きていた深海生物です。
 加えて、巨大彗星が衝突した際の摩擦で、地球の自転速度が下がり、遠心力が弱まった結果、地表では相対的に重力が強くなりました。その重力の増大によって、大型の恐竜は自重を支え切れなくなって絶滅したのです。そして、一部の恐竜は短期間のうちに鳥類へと進化していったとされています。また、地球に衝突した巨大彗星は、そのまま跳ね返って地球の周回軌道に乗り、現在の月となりました。そして前述の通り、その巨大彗星は中に詰まっていた氷河が地球の引力で吸い取られたため、現在の月の内部は中身が空洞になっているのです。そのため、月で地震が起こった場合には、異常に長い時間それが継続するのです。また、その巨大彗星は地球と接触した際の衝撃によって、彗星内部の金属からなるコアが一部の地点に偏ってしまいました。そして、その金属が偏っている地点が、地球の引力によって常に寄せ付られるため、月は地球に対して常に同じ顔を見せるのです。
 この学説では、人間と恐竜がつい最近まで共存していたと言う事になります。その上、彗星衝突以前の重力が弱い時代においては、人間の体は現在よりも遥かに大きかったとされています。にわかに信じがたい話です。これは余りにも突拍子もない内容ですので、稚拙なオカルティズムと嗤われても仕方のない内容です。しかし、古代ギリシア神話や古代エジプト神話においては、太古の昔には、巨人族と呼ばれる非常に体の大きな人類が居たという逸話があります。また、洪水神話は全世界のほぼ全ての神話に登場しています。それだけではなく、ドラゴンや龍の神話は、世界中に存在しているのです。例えば、日本書紀にはヤマタノオロチという怪物が登場しています。こういった神話の内容と、上記の学説の間には、内容に高い整合性が備わっているのです。そのため、私はこの学説を支持する立場をとります。しかしながら、余りにも内容が荒唐無稽ですので、大学において研究予算が組まれるとは考えられません。そのため、この学説が科学的に証明されて、世間一般の常識となるのは、かなり先の事になりそうです。
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  • ほげ -- (名無しさん) 2008-05-05 10:09:12
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