国家社会主義の綱領-第一章-第四節


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第一章


第四節 民主主義批判

衆愚政治化


 日米の市場原理主義の崩壊とは、すなわちアメリカ合衆国の全面崩壊であると言えます。ここで、アメリカ合衆国の崩壊原因を究明し、それを今後の教訓にせねばなりません。まず、アメリカ合衆国という国家の根幹を成すものは、民主主義と、私有財産制度を基にする資本主義です。米国が崩壊した原因は、やはりこの国家の根幹を成す自由平等を是とする民主主義に欠陥があったという事ではないでしょうか。特に自由平等という原理原則には問題があります。なぜなら、自由と平等は両立する事が出来ず、原理的に矛盾したものだからです。米国のように自由をとれば平等が損なわれ、ソ連にように平等をとれば自由が損なわれます。したがって、現実にはどちらか一方しか選択できないのです。
 しかし、自由主義を突き詰めた市場原理主義は、個人に争いを余りにも煽り過ぎるため、結果的に破綻するのは明白です。なぜなら、資本主義の枠組みの中で私利私欲が全肯定された結果、それが同義の頽廃を招き、社会の荒廃につながるからです。したがって、絶対自由主義とはその実、私欲の全肯定であると言えます。また、市場原理主義崩壊の根本原因は、無制限の私有財産制度の中で、労働者への搾取が苛烈になり過ぎ、結果的に労働者が疲弊して倒れてしまった事にあります。そもそも、努力して働いても利益は資本家の懐に転がり込むだけなので、勤労意欲が減退するのも当然の事です。したがって、アメリカ合衆国の極端な自由主義に基づく市場原理主義は、最終的には瓦解する運命にあります。
 一方で、平等主義を突き詰めた共産主義も崩壊してしまいました。なぜなら、極端な平等主義は、嫉妬から他者に濡衣を着せて失脚させる結果平等主義につながるからです。したがって、絶対平等主義とはその実、嫉妬の全肯定であると言えます。また、共産主義崩壊の根本原因は、労働者の勤労意欲が減退してしまった事にあります。そもそも、努力しようがすまいが結果が同じでは、勤労意欲が減退するのも当然の事です。したがって、ソ連に代表される極端な平等主義に基づく共産主義は、既に崩壊してしまいました。したがって、極端な自由主義も極端な平等主義も、中庸の徳を欠くため、必ず崩壊する運命にあります。しかし、同時に自由と平等を理念として両立する事は原理的に不可能です。これはパラドックス以外の何物でもありません。
 考え得る限りで最悪な事態は、こういった私欲と嫉妬に染まった大衆を操る事で、悪意を持った煽動家が政治権力を掌握してしまう事です。いつの時代も煽動家は詭弁を弄し、一般大衆の持つ私欲と嫉妬を煽るものです。そもそも、民主主義においては、最終的には多数決で意志決定がなされます。したがって、真の意味で民主主義の多数決の原則が厳守され、国民の意見が正確に政治に反映されるのであれば、どう考えても最終的には社会民主主義的な政治体制が選択されなければおかしいのです。なぜなら、国民を構成しているのは大多数の労働者だからです。仮に、そうならないのであれば、それは煽動家が詭弁を用いて大衆を愚弄し、民意を歪めているからに他なりません。
 仮に、過った政策を数の論理で強引に押し通した場合、それは民主主義ではなく単なる衆愚政治となります。それは民主主義の自殺とも表現できる現象です。『世論の政治心理学』の著者ドナルド・R・キンダー氏は、大衆を構成する個人の著しい無知や不寛容を指摘しながら、集合としては適正な判断ができると結論づけています。しかし、現実には大衆が集合として過った判断を下し、民主主義が自殺を選択した実例は多々あります。古くはソクラテスの弁明として知られる逸話や、近年では小泉政権のポピュリズムがよく引き合いに出されます。この小泉首相の政治が日本の自滅を招いた事は、現在ではあながち否定はできないはずです。しかし、民主主義の法的手続に則って、彼に政治を委任して来たのは他でもない日本国民です。そのため、自業自得とも言えます。これは民主主義という政体がいかに頼りなく、容易に衆愚政治へと陥りやすいものであるかを端的に表しています。率直に申し上げますと、私は日本の戦後民主主義に対して、嘔吐感を催すほどの深い嫌悪を抱いています。したがって、こういったアメリカ合衆国の崩壊、「自由と平等」の思想の欺瞞、煽動家による衆愚政治などを受けて、第二章の冒頭部では「協力と相続」という思想を基に、伝統的な幕府制度の復活を提唱しています。これは新しい思想でもなんでもなく、伝統を重視する封建的な価値観に過ぎません。詳細な内容は第二章で説明させていただきます。

拝金主義


 私は上で管理通貨制度とケインズ経済学の欺瞞について触れました。これは通貨制度のみならず、政治にも関係してくる重要な問題です。この管理通貨制度の最大の問題点は、意外な事に国民精神のバブル化にあると私は考えております。これは、拝金主義による国民精神の自己愛化であると定義できます。そもそも、管理通貨制度とは政府への信用から成立しているものです。そのため、政府への信用失墜は即、通貨価値の暴落へ直結してしまいます。したがって、政府はいかに財政状況が逼迫しようとも、情報統制を通じて国民に対して徹底的に楽観論を宣伝し、通貨の信用維持に努めます。これは大東亜戦争の末期に、国民の戦意喪失を恐れた大本営が嘘の戦果を発表していた状態と同じです。そのため、政府に騙された国民は、自国を傲慢なまでに過大評価するようになります。この傲慢なまでの自国への過信とは、何の根拠もない自惚れ、虚栄心、自己陶酔の類のものです。これは精神分析学で定義すれば集団ナルシシズムであると言えます。したがって、経済のバブル化とは、国民精神のバブル化以外の何物でもありません。
 ここでナルシシズムによる異常心理の形成について詳細に説明しておきます。このナルシシズムとは、自己への自信の無さの反動形成として、表面的に空威張りをする異常心理の事です。いわばナルシシズムとは、惨めな自己を正当化するために、「自分だけは特別」という倒錯した選民思想の事です。この「自分だけ特別」という選民思想は、「自分さえよければそれでいい」という利己心につながり、一方で「自分の世代さえよければそれでいい」という現世利益主義にまでつながります。
 この歪んだ選民思想を守るために、ナルシシストは必死で他者を価値下げするようになります。この価値下げとは、要は侮辱または罵倒する事で、他者の自信を傷つけると言う事です。つまり、ナルシシストは常に他者を見下す事で、自己愛妄想を守ろうとします。したがって、自分よりも少しでも優れた存在が居た場合、それは自己の選民思想を脅かす存在であるため、何としてでも視界から消し去ろうとします。これは病的な嫉妬心以外の何物でもありません。彼らは病的な嫉妬心から、異常な攻撃性と敵意を常に抱くようになります。そのため、彼らは弱肉強食の論理の信奉者で、常に競争心だけしか抱けない存在です。決して、共存共栄や協力といった建設的な論理を抱く事はありません。
 こういったナルシシズムに冒された人は、認識能力にも障害がでてきます。まず、ナルシシストとは競争心の塊であるため、彼らの対人関係は優劣による上下関係だけしかなく、対等な協力関係は全く築けません。そして、上下関係を決定するために、常に自己と他者を比較し、優劣を格付けします。したがって、ナルシシストの認識においては、勝ちか負けか、100%善か100%悪かという極端な白黒二元論だけで物事を解釈します。一方で、敵意を抑圧して他者に投影するため、病的な被害妄想を抱くようになります。したがって、根拠もなく他者が悪意を持っていると一方的に決めつけて常態的に攻撃するようになります。これは他者に濡衣を着せて攻撃する行為であるため、周囲の人間からは非常に嫌がられます。
 こういった一連の行動によって他者からの信用に傷がつくため、彼らは更に精神的孤立を深めるようになります。そのため、彼らは共時的にも通時的にも、精神的には誰ともつながって居らず、絶対的な孤独者です。したがって、異常な空虚感、孤独感を埋めるために、常に他者からの賞賛か注目を求めます。そのため、ナルシシストは他者から注目してもらうために、恣意的に他者を激怒させる言動をとります。彼らが常に派手な演技を行うのは、他者から注目して欲しいという愛情欲求の裏返しです。これは、相手が怒ると知った上でやる恣意的な挑発行為です。したがって、倒錯した選民思想の持ち主は、周囲の人々を侮辱して挑発しながら、それと同時に無条件の賞賛を周囲の人間に強要します。これは極めて支離滅裂で分裂した精神状態であると言わざるを得ません。
 そもそも、このように罵倒されてでも注目されたい、構って欲しいという心理は、病的なマゾヒズム以外の何物でもありません。したがって、ナルシシストが他者を傷つける言動を常習的にやる背後には、病的なマゾヒズムが潜んでいるのです。このマゾヒズムが更に深刻化すれば、自己を傷つける自傷行為を常習的に繰り返す事で、他者からの注目を求めるようになります。正確な統計はとられていないのですが、近年の日本の中学校では一クラスに一人はリストカットを行っている生徒がいると言われています。したがって、自傷行為を行っている若者は水面下では膨大な数にのぼっている事が考えられます。
 通常の人々は、他者と協調して自己を確立しているものです。しかし、ナルシシストはあくまで他者からの略奪に依存して自己を維持している存在です。こういった自己陶酔やナルシシズムとは、言い換えるなら精神的な負債と呼べます。もちろん、精神的な負債にも利子がつきますので、利子で負債は幾何級数的に膨れ上がり、いずれは破産してしまいます。具体的には自己愛性人格障害、境界性人格障害という過程で病状は悪化し、最後には統合失調症に至ります。これは見栄を張るためについた小さな嘘がどんどん膨れ上がり、もはや本人さえ嘘をついている自覚がなくなっている心理状態です。いわば、非現実的な誇大妄想に歯止めが利かなくなっている状態です。
 そして、病状が悪化して精神的な統合性が著しく損なわれて来ますと、思考そのものにも重篤な障害が出てきます。具体的には、論理的な思考が崩れ始め、物事を統一して解釈する事ができなくなります。その状態が更に悪化すると、次には言語的な思考が解体しはじめます。その結果、何の意味も成さない単語の羅列を口走る「言葉のサラダ」という状態になります。これは統合失調症の陽性症状です。一方で、正反対の症状もあります。それは精神的に完全に自閉する陰性症状です。これは他者に対して抱いた期待や信頼が執拗に裏切られてしまった結果、完全に他者へ期待する事をやめてしまい、精神的な疎通を諦めてしまった状態です。この陰性症状とは、感情鈍麻(感情が平板化し、外部に現れない)、疎通性の障害(他人との心の通じあいが無い)、自発性の低下、意欲低下、無関心などです。顔には表情がなく、声にも抑揚がなく、何とも形容のしようのない機械的な雰囲気が漂うようになります。こういった一連の認識能力の障害は、気質的にみれば前頭葉機能の障害であるとみなせます。ここまで来れば、廃人であると言わざるをえません。
 そもそも、資本主義が確立されれば、貨幣という社会制度に依存して生きる事が出来るため、他者との関係性を断つ道を選択できる側面もあります。つまり、人間よりも貨幣を信用するようになるので、非常に個人主義的な価値観が生まれるわけです。しかし、貨幣の増刷で貨幣価値が薄まるにつれて、貨幣に対する信用だけが一人歩きした結果、この個人主義がただの歪んだ利己主義に変質した側面があるは否めません。そして、現在では拝金主義に冒された大衆が、参政権を与えられているため、民主主義が衆愚政治と化すのも当然の事です。したがって、資本主義は拝金主義に堕ち、自由と平等は私欲と嫉妬に堕ち、更には民主主義は衆愚政治に堕ちてしまいました。その上、現在の日米の財政状況は悪化の一途をたどっているため、日米中の経済が連鎖破綻する事はもはや不可避な既定路線と化しています。これは資本主義と民主主義を基盤にした近代文明そのものの自壊以外の何物でもありません。この近代文明の崩壊の根本原因は、この節で説明した拝金主義です。すなわち、人類は驕った私利私欲によって自らの文明を滅ぼしてしまったという事です。

老人支配


 現代の市場原理主義と議会制民主主義を無修正のままで放置すれば、最終的には老人が若者を徹底的に搾取する悪循環の構造に陥って、国民経済は破綻する運命にあります。皮肉な事に、最初からそのように設計されているとしか言いようがありません。まず、市場経済においては、二割の人間が八割の富を握るという現象が必ず起こります。これはパレードの法則としてよく知られたものです。また、古今東西どこでも、長く働いてきた老人が資本を握り、働いてきた期間の短い若者は労働者となるものです。そのため、富の偏在を放置しておけば、国富の大半を老人が独占する事となり、若者は貧困状態へと追いやられてしまいます。そして、消費と育児に従事する若者が貧困状態に陥るため、デフレ不況と少子化が深刻化してしまいます。しかも、若者は満足に育児もできないほど搾取されるので、急速に勤労意欲を失っていきます。本来、育児とは国の未来に関わる事なのですが、それを過剰な搾取で食い潰しても平気な顔をしているのは、老人の堕落以外の何物でもありません。しかも、少子高齢化が進めば、数の上でも老人の方が必ず優位に立ちます。その結果、議会では老人を優遇する政治が自然にとられ、若者への支配は法的に正当化されます。そのため、老人天国が完成し、若者はただの奴隷にされます。特に、現在の日本では老人支配によって政治が余りにも保守化・硬直化したため、国全体から若々しい活気がどんどん失われ始めています。
 最近では、「働けば働くほど豊かになる。日本が貧しくなるのは若者が怠惰だからだ!」という意見がよく聞かれます。また、老人の側は苦労して蓄財して来たので、それを若者に再分配する義務などないと断言する人も多々います。しかし、現代の若者は就職難に苦しみながら、一方で天文学的な負債を背負わされ、同時に老人福祉のために増税を求められ、しかも育児も出来ないほど劣悪な労働環境に置かれながら、怠慢だと言われて一方的に老人から罵倒されている状態です。これでは勤労意欲を失うのも当たり前の話です。それにも関わらず、理不尽な若者叩きを行う人々は、どうやら団塊世代の方に多いようです。高度経済成長期を生きた団塊世代は、本気で経済成長が永久に続くと本気で信じて来ました。しかし、働けば働くほど豊かになる状態というのが、人口増大という環境下でしか実現されないのは当たり前の事です。そのため、団塊世代の一般認識に反して、日米の経済成長は実質的には70年代の時点で既に終わっていました。後は、国債の濫発で孫から借金をする事で、経済規模を水増しして来ただけの事です。しかも、余命の短い老政治家は、孫の世代から借金をする禁じ手を安易に行ってしまう傾向にあります。そのため、天文学的な累積債務が生み出され、それが複利で幾何級数的に殖え始めるようになります。いずれは債務の膨張も限界に達して、国家財政が破綻するのは避けられません。そのため、団塊世代は孫の世代から借金をして国を破産させたのですから、本来ならむしろ申し訳ないと謝まるのが道理です。
 一方で、一部の若者は目先の小銭に目が眩んで堕落した老人に媚びを売り、老人の側の詭弁を弁護し、同じ仲間であるはずの若者を罵倒する事さえあります。これは極めて卑劣な裏切り行為であり、同時に子供達の未来を食い潰す卑劣な利己主義です。そのため、儒教的な敬老思想を盾に詭弁を弄して、養老ばかり主張して育児を軽視する若者は、最悪な偽善者です。そもそも、彼らは口先では老人を尊敬しているフリをしていますが、現実には老人と人して見ずに、金儲けの道具とみなしている側面があります。例えば、老人福祉の名目に行われている末期医療とは、医者と製薬会社が儲けるために行われている経済行為であり、その内容は極めて非人道的なものであると言わざるをえません。例えば、末期医療の現場では、余命いくばくもない昏睡状態の老人を管だらけにし、高価な薬物を大量に投入する事が常習的に行われています。私はこういった末期医療は、倫理面でも財政面でも誤ったものだと考えます。したがって、安楽死は早急に合法化すべきであると主張します。
 そもそも、社会的地位において勝る老人が、下の世代の若者に苦言を呈すのは簡単です。しかし、若者が堕落する原因は上の世代が模範を示して来なかったからに他なりません。いくら謙虚になれ、尊敬しろと下の世代に一方的に命令した所で、それがただの理不尽な驕りに過ぎなければ、若者の側は態度を硬化させるだけです。そのため、口で説教を言うのではなく、なるべく身を以て下の世代に模範を示すべきです。つまり、早期退職して利子生活に入りたがるより、身体が動く限りは生産活動に従事して社会貢献しつづける意志を持つ事が大切です。少なくとも、国家破産後は老人の側が若者の重荷になる事を恥じて、孫の世代のために米を作るといった奉仕精神を持って頂かなければ、一国の財政が持続できるわけがありません。私自身、定年退職後は孫のために米をつくる事を現時点で既に覚悟しています。いつの時代でも、最優先すべきは子供の未来であり、若者の育児です。したがって、私もいずれ必ず老いるのですが、ギリギリまで若者の育児を支援する老人でありたいと願います。そして、もし私が堕落した老人となった場合には、正義感のある若者に刺し殺されるのが本望です。なぜなら、そういった気骨のある若者が育ってくれているのであれば、この国の将来は安泰だからです。

第五節 日本経済批判

土地私有制


 ここからは、日本国内の資本主義の問題点について指摘させて頂きます。以下の土地本位制の金融制度についての指摘は、2006年初版発行の平松朝彦氏著『亡国マンション』を参考にしたものです。まずは、土地私有に関する問題です。前提として、日本の銀行は、融資の際に土地を担保として提出する事を債務者に要求する商慣行を持っています。そのため、過去には日本の事業主は銀行に融資して貰うために、土地を血眼になって確保して来たわけです。これが土地バブルにつながったのは言うまでもありません。それに加えて、三代相続すれば無一文になると呼ばれたほどの高い相続税によって、日本の私有地は権利者が代替わりするたびに細分化されました。特に地価の高い都市部では土地の細分化が進んでしまっています。そのため、空港建設など計画的な国土開発が非常に困難になりました。その結果、再開発には常に暴力団による地上げが必要な構造が出来上がったのです。このように、土地私有の容認は、社会の中で世代交替が進むたびに国土開発を困難なものにさせる原因にもつながるのです。
 この日本での土地私有の歴史を遡ると、明治政府による地租改正にまでたどり着きます。明治政府は近代国家を築く上で、米によって年貢を支払う従来の税制から、貨幣によって税金を支払う新しい税制を導入せねばなりませんでした。そのため、地価の一部を税金として現金で支払う仕組みを作ったのです。この地価というのは、市場における需給関係で決定されたものではありません。これは、官僚が期待した税収を得るために、全国を回って一方的に土地の評価額を決定し、その土地の地価と定めたのです。つまり、地価があがればそれに比例して税収が増える構造が明治政府によって作られたのです。言い換えれば、日本では税収確保のために国策で地価を上昇させてきた側面もあるのです。この構造があるため、日本の銀行は土地を最も確実な金融商品とみなし、融資の際には土地を担保として提出することを、債務者に求めたのです。そのため、日本の銀行は土地の質屋の異名を持ち、日本の金融制度は土地本位制と呼ばれてきたのです。
 その結果、日本では経済成長と地価の上昇がほぼ完全に比例する構造が出来上がりました。むしろ経済成長率よりも、地価の方が日本の経済状態を表す指標としては信頼性が高いのではないでしょうか。例えば、土地バブル崩壊後に、日本の地価が下がり続けている点から見ると、日本の経済が確実に衰退している事が伺えます。この事実から演繹すると、日本が財政破綻した場合には、土地私有を基本とした金融制度が破綻してしまうため、恐らく地価が劇的に暴落する事が予想されます。これは原油バブルの破裂によってドルが信用崩壊する構造に非常によく似ています。これらが、土地私有を基にした日本式資本主義の正体です。
 そのため、日本においては、資本主義とはそれイコール土地私有であるとさえ言えます。しかし、この制度がいかに欠陥だらけであっても、日本の国民はこだわり抜くはずです。特に団塊の世代で、マイホームをもっている人は断固として土地私有に固執するはずです。それもそのはずで、団塊世代の多くは三十年の住宅ローンを組み、毎日往復三時間の通勤に耐えて、マイホームを手に入れて来たからです。私は土地の評価額が目減りしてマイホームの価値が一挙に毀損する問題を、マイホーム問題と名づけています。これは日本の金融や財政に直接根ざした構造的な問題であるため、米国のサブプライムローンの焦げ付きなどとは全くわけの違う、非常に深刻な問題です。かの三島由紀夫は、マイホーム主義を小市民的な夢として蔑視し、当時顰蹙を買ってきました。しかし、彼は東大法学部卒で大蔵官僚の経歴を持ち、日本の法律と金融に知悉していたため、マイホームが将来日本を揺るがす大問題に発展する事を既に予知していたのです。それは彼の作品である『豊饒の海』のシリーズ最終作で『五人五衰』における描写から分かる事です。
 ちなみに、欧州では国土はもともと国王のものであり、現在でも国民は土地を一時的に政府から占有する形をとっています。そのため、土地バブルが起こる素地が最初からなく、しかも政府による計画的な国土開発が行えるのです。その結果、欧州では後世の世代に不動産という形で財産を残す事ができるのです。転じて、私有地が細分化する一方の日本では、土地の上に載っている建物の殆どは使い捨てであり、孫の世代まで残る建物が驚くほど少ないです。そもそも、フランスの人口は約六千万人で日本の約半分であり、ドイツの人口は約八千万人で日本の約三分の二です。加えて、日本は国土が山がちで、人口の大半は沿岸部の土地に集中しています。こういった理由から、非常に人口密度の高い日本で土地私有を容認するのは、物理的にも問題が多すぎます。そのため、土地私有に対しては制限を加え、国有地化して政府の管理下に置くべきです。これらが土地私有に関する批判ですが、日本の金融にはそれ以外にも大きな問題があります。それはリコースローンと連帯保証人制度です。

金融制度


 これも日本に限っての事例ですが、金融における法的責任に関して大きな問題があります。実は日本の銀行は焦げ付きの際に、損失を自腹で補填する法的義務がなく、債権者とその連帯保証人が全てのリスクを負う形が常態化してしまっています。これでは債権者と債務者の法的責任があまりにも不平等です。これは法の下の平等という近代法の大原則に反する事であり、本来許される事ではありません。そもそも、銀行の側がリスクを被る構造がないと、銀行が無謀な貸し付けを行って、不良債権を山のように築く結果にもつながりかねません。この日本の金融制度の事をリコースローンと言います。実は、バブル経済の後に、膨大な不良債権の山が残された原因は、このリコースローンにあると言われています。
 加えて、もう一つの問題は連帯保証人制度です。この連帯保証人制度とは、全くもって前近代的で、非合理極まりない制度です。そもそも、ただ連帯保証のサインを書いただけで負債を全額肩代わりさせられる事になるため、これは常識的に考えてみても明らかに異常です。法的に見た場合、民間経済における契約は、双方の合意の下で行われるという事になっています。そのため、連帯保証人も合意の上でなっているため、法的責任が課せられるという事になってします。しかし、実際に融資を受けたわけでもない人物が法的責任を問われるのは、どう考えてもおかしいのではないでしょうか。転じて、欧米においては貸し付けが焦げ付いた際には、提出された担保を銀行の側が没収して終わりです。それで焦げ付きが補填できなくても、銀行の側が自腹を切るのが常識です。これは債権者と債務者が対等にリスクヘッジする仕組みです。これはモゲージローンと呼ばれています。これが資本主義経済の中での正常な金融です。そもそも、貸し付けを焦げ付かせないために、債権者が債務者を支援する方が、銀行にとっても長期的な利益につながるのです。そのため、債権者と債務者との法的な関係は、対等な協力関係にすべきです。

おわりに


 このように、マクロ面では米国中心のグローバル経済、ミクロ面では日本での連帯保証人制度に至るまで、日米の経済機構は包括的な行き詰まりに直面しています。これは高度経済成長が終焉した結果、富を再分配しない資本主義が従来どおりに稼働しなくなってしまったことに原因があります。そのため、日米の市場原理主義は近々決定的な破局を迎えることが結論づけられます。これにより、日本は経済大国としての地位を決定的に失う事となります。
 しかしながら、2008年現在において、米国の破産は認めるものの、日本の実質的な破産を認めない人が非常に多い事には今更ながら驚きます。これは政府による情報統制も原因としてあるのでしょうが、日本人の隠れた自惚れも原因として潜んでいるのではないでしょうか。この自己への買い被りは、独力で経済復興を成し遂げたという認識が元にあります。確かに日本人の優秀性、勤勉さは疑いようがないのは事実ですが、完全に独力だけで経済復興を成し遂げたと見るのは早計です。
 そもそも、日本は反共の防波堤として優遇されて来た過去を持つ国です。そのため、円安レートで固定されて対米輸出でドルを稼ぐ事が許され、米国の核の傘に守られて軍事費負担もまぬがれる事が出来たのです。加えて、朝鮮戦争とヴェトナム戦争という米ソの代理戦争で、日本は大きな利益を得た経緯がありました。したがって、ここまで好条件が重なれば、経済が繁栄して当然です。そのため、戦後の日本が経済的繁栄を独力で成し遂げたと見るのは、率直に申し上げると同意しかねる部分があります。現実には、戦後の日本は米国の下請として発展して来たの事は否定できないのです。したがって、米国が破産すれば日本も破産するのは当然の事です。そして、日米の破産は世界秩序の再編と、日本の内政の変化へとつながるのは言うまでもありません。したがって、第二章ではその後の世界における復興計画について包括的に論じさせて頂きます。
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