国家社会主義の綱領-第ニ章


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第二章 国家社会主義による復興計画


はじめに


 これまでの主張を総論すると、日米の市場原理主義はその原理的な限界から近々破綻すると言う事です。これは大東亜戦争の敗戦に匹敵する、未曾有の国難です。したがって、今後求められるのは、維新でも、革命でもなく、復興という事業です。私は祖国の復興が不可能であるとは思っていません。諦めずに突破口を見出し、正しい思想と、国家百年の大計に基づいた適切な政策をとれば、復興は十分に可能であると私は信じています。この綱領におきましては、第一節と第二節で、政治思想と教育理念について最初に説明させていただきます。そして、第三節から具体的な政策内容について論じさせていただきます。また、この復興計画の最終目標は、東亜条約機構(EATO)の発足です。

第一節 政治思想


協力主義


 国家の復興とは、人がなし得る事業の中でも、最も困難な事業の一つです。したがって、揺るぎのない信念を基に、確固たる政治思想を築かねばなりません。元来、政治とは個人では出来るものではなく、当然ながら人々の相互の協力によって行われるものです。これはただの私見ではなく、客観的事実です。そもそも、人間が個人の能力だけで、たった独りで立つのは物理的に不可能です。したがって、社会的な分業によって人間は存在しているのであり、人間はあくまで相互に依存しあって存在している社会的な存在なのです。
 しかし、現代の日本社会においては価値観が余りにも多様化しすぎために、共通認識や常識というものが余りにも失われてしまいました。特に、現在では個人間の競争ばかり過剰に奨励される風潮があるため、相互の協力が余りにも軽視される風潮が出来ています。したがって、日本人は協調性を大切にするのが昔からの国民性でしたが、最近ではそれが本当に薄れてしまいました。これは敵対勢力の工作員が国内に潜入し、内部分裂を促すために破壊工作を行ってきた成果ではないかと私は疑っています。そのため、国家を再建するためには、まずは協力の精神を社会に敷衍させる事から始めねばなりません。誤解されがちなのですが、協力とは「みんな一緒に仲良くしましょ」といった幼稚園のお遊戯などではありません。そのため、くだらない宴会やお遊びを強要し、それに付き合わせるのを「協力の精神」だとのたまうのは稚拙な偽善です。そうではなく、協力とは組織的な分業体制を築き、戦略目標を共有した上で、効率的に仕事を処理する事を指します。そのため、協力の重要性を理解するというのは、組織の歯車としての自覚を持つと言う事でもあります。
 また、協力とは個人の殻に閉じこもる内向きの姿勢から、他者との関係性を重視する外向きへの姿勢への抜本的な転換を促す事でもあります。そのため、この協力の精神を認識の種として、ここから政治思想を演繹させて頂きます。協力の思想とは、何も無償の奉仕を求めるような単純なものではありません。なぜなら、他者から協力を引き出すというのは、言い換えれば他者を巧みに誘導・操作する事であるとも言えるからです。例えば、他者から協力を引き出すために、人類が昔から用いてきた手段が、賄賂と脅迫です。こちらに協力してくれるのであれば報酬を支払うというのは、辛辣な表現をすれば賄賂であると言えます。なぜなら、人間はあくまで報酬がなければ動かない存在だからです。そのため、成功報酬や交換条件という形で、つねに交渉相手に報酬を約束するのが、政治と商売の鉄則です。また一方で、協力を拒むのであれば暴力に訴えるというのが、脅迫という行為です。これは暴力などという形で、何も直接的な手段に訴える必要はありません。なぜなら、こちらの交渉に対して乗らなければ、将来的に不利益を被ることになると思わせればよいのです。つまり、将来の不安を煽るというのも一種の脅迫です。実はこの二つの手段によって、社会も政治も動かされていると言っても過言ではありません。非常に露骨な表現をすれば、賄賂と脅迫が巧みな政治家が優れた政治家であるとさえ言えるわけです。したがって、政治とは、片手で握手しながら、もう片方の腕で包丁を握り締める行為なのです。
 また、人間社会において賄賂と脅迫が用いられるのと、国際政治において経済力と軍事力が用いられるのは全く同じ構図です。実は、国際社会における勢力均衡とは、常に経済力と軍事力のみによって決定されています。そのため、外交とは経済力と軍事力を利用して同盟国を増やす作業なのです。また、同盟国は常に対等なものであるとは限らず、現実には同盟の正体とは、経済力と軍事力の強大な大国が、小国を飲込む事であると言えます。例えば、冷戦期のワルシャワ条約機構とはソ連が東欧の衛星国を強制的に飲込むものでした。そのため、いかに日本人が嫌悪しようとも、軍事力の強い国が世界を支配する構造は厳然と存在しているのです。そのため、他国からの武力侵攻を前提とした国づくりをするのは、世界の常識です。また、外部からの武力侵攻のみならず、内部からのテロ事件、NBC兵器の使用、自然災害、経済危機などの有事に対して平時から備えておくのも、世界の常識です。こういった内外からの有事に備える事が、危機管理です。そのため、財政破綻後の日本は、有事を大前提とした国づくりをしながら、同時に多国間での共存共栄の道を探るべきです。
 結びに、国外逃亡という選択肢について触れておきます。これまで申し上げて来た通り、祖国を復興するためには、何よりも同胞の結束が大切です。これは危険な軍国主義や民族主義だと言われて否定されがちですが、紛れも無い事実です。しかし、現在の日本の危機的状況を理解している方の中には、安易に同胞を見捨てて、国を棄てて国外逃亡を計画している方々も多々見受けられます。私は彼らの事を「逃亡組」と名付けています。国外逃亡とは、自らの国家や社会と真剣に向き合う努力を放棄して、安易に海外に逃げるという事です。しかし、彼ら逃亡組はカネさえあれば個人の力で生きていけると錯覚しているようです。こういった考えは、生意気な自惚れ以外の何ものでもありません。どうやら、国を持たない放浪の民であるユダヤ人がどれだけ辛酸を舐めて来たか、彼らにはそれを想像する能力もないようです。彼ら逃亡組は、現地の人間と仲良くやればいいと妄想を抱いているようですが、彼らが現地で共同体の一員として認めてもらえるわけがありません。例えば、日本以外の国では、侵略された場合には武器をもって自国を防衛するのが常識ですが、安易に国を棄てて逃げた逃亡組の日本人にはそんな覚悟などあろうはずがありません。結局、よそ者扱いされて冷遇されるのは火を見るより明らかです。実際には冷遇どころか、雇用を奪う元凶と睨まれてしまい、現地で苛烈に弾圧される可能性さえも否定できません。実は、命からがら海外に脱出すると言うのは、惨めな難民になるという事なのです。そのため、大概の人々は、海外に出て始めて、国家の庇護のありがたさを知る事になります。安易に国外逃亡した場合、現地で悲惨な運命をたどる事になるだけなので、私は国外逃亡はおすすめしません。

相続主義


 ここまでは、同世代での協力に関する話です。次は、協力という行為の目的である、相続について論じます。この相続とは世代間での協力も意味します。相続という行為は、一世代で完遂する事のできない巨大な事業を行う上で何よりも重要視されます。そもそも、大きな事業を実現する際、個人だけでは何も出来るわけがなく、また現世だけでは短すぎますので、協力と相続が必要なのです。そのため、協力主義と相続主義は両輪の思想なのです。この世代間の協力とは、親から子へと遺産を相続する事を意味します。言うまでもなく、後世に遺すべきものは、負債ではなく財産です。したがって、「日本国民は互いに協力し、後世の子孫のために国富を築く義務を有する」と憲法に明記すべきであると主張します。転じて、今の自分の世代さえよければそれでいいという無責任な現世利益主義は、決して許されてはならない無責任な利己主義です。なぜなら、そういった価値観は社会の持続可能性を明らかに毀損してしまうからです。ちなみに、この相続の思想は大乗仏教の輪廻思想と唯識論において構築されて来たものです。
 また、相続という行為は、歴史と伝統と密接な関係にあります。まず、後世の子孫のために働く行為は、歴史への関与を意味し、祖先から受継いだ遺産を後世に相続させる行為は、伝統の継承を意味します。したがって、相続主義とは歴史と伝統の保守という意味があります。長い歴史の中で培われた伝統文化を再認識する事が、民族の自覚につながります。したがって、伝統墨守と非難されるほどまでに伝統の重要性を再認識すべきです。また、伝統文化は農業と深い関わりがあるものです。そのため、文化は英語でcultureで、農業は英語でagricultureなのです。例えば、日本酒は米から作られる物であり、日本の陶芸品は水田の土から作られる物です。これは伝統文化と農業が密接につながっている事の現れです。したがって、伝統文化の修復とは、農業の復興をも意味します。
 また当然の事ですが、国家の存続のためには国家の主体たる国民の生命を尊重しなければなりません。したがって、「人命そのものが国富である」とも重ねて憲法に記載するべきです。そもそも、人命まで個人の私有財産とみなすのは、非常にゲゼルシャフト的な考えです。しかし、共同体に属している人命は、あくまで共有財産ではないでしょうか。したがって、国家に属する人々の生命は、個人の私有物ではなく、国家の共有財産であると私は考えます。だからこそ、己の意志で身勝手に死を選ぶのは、国家に対する罪です。「私の命だから、どう扱おうと勝手でしょう」と考えるのは間違いです。この自殺禁止説は、プラトンの著書『パイドン』の内容と相通じるものです。私はヘレニズムとルネサンスの信奉者であるため、このプラトンの思想を支持します。
 ちなみに、後世に遺すべき経済的な財産は、主に建築物です。不動産でも、土地の権利証や謄本などは戦争で仮に役所が焼けてしまえばなくなってしまいます。また、貨幣や証券などは国家財政が破綻すれば紙切れになるので、これも財産として不適格です。やはり、孫の代まで確実に遺せる財産は頑強に作られた建築物です。次に、学問的な財産として最も重要なものは、数学です。なぜなら、数学はその世代において金銭的利益に直結するものではないのですが、百年後に役立つ可能性を持ったものだからです。近年では、イギリスの牧師兼数学者のトーマス・ベイズが発明した主観確率理論が脚光を浴び、ハイテク産業を支えています。そのため、相続の観点から、理系の研究においては建築学と数学に力を注ぐべきです。
 これらを踏まえて、この「協力と相続」の政治思想から演繹される政治的判断について論じておきます。政治の現場では、冷徹な計算から即座の判断をくだす事が要求されます。また、あらゆる事態を想定して、事前に決断をしておく事で、緊急時において迅速な判断が可能になります。そのためには、物事を判断する上での思考回路を明確にしておく必要があります。政治的判断とは、大を活かすために小を犠牲にする保険定理を指します。仮に、航空機内で全乗客が新型のエボラ出血熱に感染してしまったとします。そして、私が為政者であれば、事実関係を十分に確認した上で、その航空機を地対空ミサイルで撃墜しろと命令をくだします。なぜなら、仮に新型ウイルスの保菌者に本土の土を踏まれて、国民が感染したら大惨事になるので、それは未然に防がないといけないからです。加えて、何が「大」で何が「小」かの判断基準も重要になります。その判断基準も「協力と相続」の原則から演繹されます。まず、協力という観点から見れば、自由を求めた独立運動による国家の分裂は絶対に避けねばなりません。なぜなら、こういった独立運動は、実際には他国からの間接侵略である例が非常に多いからです。同時に、相続という観点から見れば、老人よりも子供を優先せねばなりません。すなわち、国家の統合性を維持して子供を養うのが、政治という行為なのです。

国粋主義


 復興の志を完遂するためには、安定した政体が必要です。特に、財政破綻後は社会秩序が崩壊し、一時は混乱状態に陥ります。したがって、秩序の回復のために、まずは安定志向の権威主義的な政体を築かねばなりません。これは国家権力の明確な肯定です。したがって、私は国粋主義者であり、無政府主義やリバタリアニズムには反対の立場をとります。無論、反体制を掲げて体制転覆のために暴力革命を目指す共産主義者とも政治的には反対の立場です。具体的には、帝国憲法を復活させた後に、天皇制はあくまで国家統合の象徴とした上で、大統領制を導入するべきだと私は考えます。そして、その大統領に対して、帝国憲法における天皇の権限を与えます。これは、朝廷の権威の下で、幕府の将軍が政治を執り行う過去の封建的な政体に近いものです。
 政治思想を固めて次に問われるのは、経済機構です。個人間の競争を奨励する米国の資本主義も、悪平等を助長するソ連の共産主義も、結果的にはうまく行きませんでした。したがって、現在の欧州で実施されている中道左派の社会民主主義が最も妥当な経済機構であると演繹されます。これは大きな政府を通じて、行政による積極的な介入を行い、福祉の充実を志す政治体制です。この欧州流の社会民主主義に、国粋主義を組み込んだものは、国家社会主義です。したがって、財政破綻後に祖国を復興するためには、国家社会主義が最適な経済機構であると演繹されます。
 加えて、私は国粋主義の観点から、伝統文化を保守するための諸運動を展開すべきだと主張します。手始めに、言語の面においては片仮名語の使用制限を行うべきです。知的虚栄心の強い似非知識人は、やたらに片仮名語をつかいたがる傾向がありますが、これは後世に遺すべき国語を歪める行為なので容認すべきではありません。極力、片仮名語を控えて、漢字表記をする運動を徹底的に行うべきです。まるで戦時中のような考え方ですが、私は「コンピュータ」などの片仮名語は、いっそのこと「電脳」等と言い換えた方がいいと考えます。あくまで日本語は漢字を基盤にして表現される言語であるため、その基本的な原理原則を遵守すべきです。かのショウペンハウエルは、ドイツ語を正確に用いない文士を徹底的に批判していましたが、文化を担保する言語に対してはそれほど保守的な姿勢を持って然るべきです。
 また、伝統的規範を重視する観点から、私は男尊女卑の徹底を主張します。まず、フェミニズムといえば、フランスにおいてはボーヴォワールが思いつきますが、日本において真っ先に思いつくのは田嶋陽子です。ここに日本のフェミニズムの程度が現れています。私は現代の日本社会におけるフェミニズムほど理不尽なものはないと考えます。現代の日本人女性は、消費経済の中で徹底的に持ち上げられているため、これ以上ないほど付け上がった腹立たしい存在になってしまっています。一方で、独立や自立といった言葉に騙された人権思想の塊のような女性ほど、男性のように組織の歯車になる事を求めた場合に、それを差別だと言って反発する側面があります。どうやら、日本の女性は本質的に男性が築く上意下達的な組織力学を理解していない部分があるようです。そもそも、最終的には女性には責任が問われない場合が多いため、権限がそれ相応のものに限定されるのも当たり前です。そのため、中途半端な形で女性の社会進出が行われ、無能で驕った女性が無責任に暴れ回った結果、男性の職場が荒らされる例が多々あるのではないでしょうか。あの田中眞紀子氏による外務省の騒ぎはその典型であると言えます。そのため、私は男尊女卑の徹底を断固として主張します。強い反対の声があろうとも、法的に女性の権利を厳しく制限すべきです。まず、女性参政権撤廃し、男女雇用機会不均等法を実施すべきです。この法律は、職場から女性を排斥し、女性には育児と家事を法的に強制すべきという内容のものです。加えて、女性が四年生大学へ進学するのも制限すべきです。率直に申し上げますと、女子学生は勉強もせずに遊んでいるだけなので、四年制大学に行く必要はありません。せいぜい短大で上等です。そして、一部の天才的な能力を持った女性にだけエリートの道を与え、それ以外の平均的な女性は育児と家事に専念させるべきです。

育児重視


 次に、復興の理念と先への見通しについて明記させて頂きます。最重要の理念は、安心して育児のできる社会環境を築く事です。なぜなら、孫の世代のために働く事が政治だからです。また、前述の通り人命は国家の共有財産であり、子供の命は国家の宝です。したがって、育児への徹底的な支援を国策として行い、出生率の向上を目標とすべきです。なぜなら、子供の数を増やして、将来的に若者の比率を増やしていかねば、財政面でも日本は絶対に立ち行かなくなってしまうからです。ここで警告させて頂きますが、これ以上の出生率の低下は、亡国に直結する大問題であるため、絶対に避けなければなりません。仮に、人口減少を自然現象とみなすにしても、国家の急速な衰退を和らげるために出生率を上昇させねばなりません。そのため、出生率の向上は最優先の課題です。
 そのため、若者の育児を支援するために、労働者保護を目的とした税制を導入すべきです。前提として、全世界どこの国でも、資本家とは老人で、労働者とは若者です。そのため、金持ちを優遇する政策とは老人を優遇する政策であると言えます。その政策が過剰になると、老人による搾取によって、若者が育児をする余裕を失うため、少子化が進行してしまうのです。そのため、子持ちの中産階級を保護育成する累進課税を導入せねばなりません。ちなみに、フランスや北欧などで行われている、育児手当も富の再配分と同じ事です。また、若者にカネが回る構造をつくれば、消費が刺激されて景気がよくなります。すなわち、最もカネを遣う若者へきちんとカネが回る経済構造を作れば、経済が活性化して税収増も期待できるのです。
 加えて、育児手当の給付のために、育児支援には限界まで大きな国家予算を組むべきです。この育児支援には、老人福祉に匹敵するかまたはそれ以上の国家予算を組むべきです。その上で、女性の雇用機会を均等にするばかりではなく、女性に育児を奨励する国策宣伝も行うべきです。そもそも、女性の人権を尊重するとは、雇用の機会を与えるばかりではないはずです。それだけではなく、子供を産む権利を尊重する事も、女性の人権を尊重する事であるはずです。また、出生率の維持のためには、育児給付の拡大ばかりではなく、中産階級の保護育成が絶対に必要です。なぜなら、育児に従事する二十代?五十代までの中産階級を保護育成する事で、間接的に育児を支援する事が出来るからです。
 そして、恒常的に高い出生率を維持するためには、安定した賃金、広い住宅、長い余暇といった社会環境が総合的に整備されなければなりません。その社会環境の整備にあたって、市場に任せる従来のやり方では限界があります。現実に、新自由主義に基づいて各種の公社を民営化する政策は、全世界で大失敗に終わっています。例えば、アトランタや南アフリカの水道は、民営化した結果料金の値上げとサービスの質の低下が顕著です。また、英国と日本の鉄道では、民営化した結果、鉄道事故が起こって貴重な人命が失われてしまいました。更には、カリフォルニアやニューヨークにおいては大停電が発生し、しかもカリフォルニア大停電は電力料金の値上げを狙ったエンロンの自作自演であった事が現在では明らかになっています。このように、民営化した結果大失敗に終わった例は枚挙にいとまがありません。そのため、これからは政府主導で長期的な開発計画を推進せねばなりません。その目標を達成する上では、社会主義と国家主義を折半した国家社会主義が最適な体制です。この綱領においては、この国家社会主義に基づく政策を詳細に提唱させて頂きます。
 また、国が破産した後には、失業率の上昇から捨て子が増える事が予想されます。現代の資本主義においては、産業の空洞化によってホワイトカラー労働者が多数派を占めているのですが、国家が破産した際には貨幣が紙切れになるため、ホワイトカラー労働者は全て職を失う事になります。したがって、従来では考えられないほど失業率が急上昇し、膨大な数の捨て子が出る事が予想されます。そのため、応急処置として孤児院の整備拡充が急務です。そして国家レベルで大規模な孤児院を創設し、何としてでも孤児を養わねばなりません。したがって、失業対策と並んで、孤児の扶養は最優先課題の一つです。
 また、育児と家庭の内容に関する事なのですが、やはり幼い子供を育てる上で、夫婦は仲睦まじいに越した事はありません。育児とはあくまで夫婦の共同作業であるため、互いに協力しあう姿勢が求められます。反対に、夫婦喧嘩の絶えない家庭は、子供の健全な発育を阻害してしまいます。加えて、保護者の側は幼い児童が健康に育つ環境を整備する義務があります。したがって、幼い児童に対しては暴力描写や性描写に満ちたテレビ・ビデオゲーム・インターネットに触れさせる事を厳しく規制するべきです。なぜなら、インターネットを利用すれば海外のポルノサイトをいくらでも閲覧できるため、これは青少年の育成上好ましい事ではないからです。また、ゲームやネットよりも、身体を使った運動を奨励し、心身の発達を促すべきです。
 この項目の結びとして、移民問題に触れておきます。資本主義経済を延命するために、移民の受入によって経済成長を促すべきだという議論が盛んになっています。しかし、これは全くもって論外な主張です。私は文化や価値観などの観点から移民の受入を拒否するのではなく、経済的な観点から移民の受入に反対です。なぜなら、雇用が枯渇している時代に移民を受け入れれば、日本人の側の雇用が足らなくなるのは目に見えているからです。その結果、移民の受入で失業率が上昇し、それに伴って犯罪率が上昇する事が考えられます。そのため、現在求められている政治は、移民受入などで労働者のパイを増やす政策ではなく、むしろ現存する労働者に対して雇用を薄めて再分配する政策です。何より、若者の育児と結婚を支援する支援体制を構築する方が先決です。そのようにして、日本人そのものの個体数を増やす努力をしないと、最終的には日本人という民族そのものが消滅してしまう結果になります。したがって、私は移民の受入は断固として反対します。

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