ツバサはヒーローだった。自分はヒーローだと信じ込み、まだ幼い右手を握り締めた。弱いものが強いものをいじめている、それがツバサにはどうしても許せなかったのだろう。「おい、ヒロキをいじめるのはやめろよ」「なんだ、チビ。なんか文句でもあるのか」その瞬間、ツバサはガキ大将に殴りかかった。彼の頭の中には体格差なんて微塵もなかったのだろう。自分より一回りも大きいガキ大将の左頬に、小さなツバサの拳が不器用にヒットした。「く、くそ」もちろん、ガキ大将にダメージはほとんどなかった。およそ怪獣のような巨体が、猛然とツバサに向かっていく。風をきるようなダッシュに体重が加わって、ツバサは空中に吹き飛ばされた。まるで、静止画のように鮮明にツバサの体が軌道を描いていく。クラスの誰もが、その光景に目を奪われ、恐怖と興奮で周りが埋め尽くされる。水を打ったような静寂の中、訪れる喧騒と共にツバサの体が机の団塊に吸い込まれていく。
「ガッシャーン」再び、教室の中に静けさが訪れた。ツバサは、大丈夫だろうか。どうしよう、先生を呼びに言った方がいいのだろうか。誰もがそう思い始めたとき、崩れ果てた机を押しのけ、血だらけになったツバサが立ち上がった。きっと、その時のツバサを突き動かしていた衝動はこんなものだったんだろう。「ヒーローは悪に負けてはいけない」ツバサは弱弱しく震える両手で、彼にとっては重く、大きな椅子を握り締めた。悪を倒すため、ただそれだけのために。一方、ガキ大将の方は動くことができなかった。血だらけになったツバサの姿を見て、急に現実が彼に差し迫ってきたからだ。後悔や、反省はもちろん、もうどうすればいいのかさえわからなかったのだ。ツバサは凶器を振りかざし、獲物へと駆け寄っていく。それから、ものの数秒たっただろうか、凶器は獲物の頭を貫くように打ち付けられ、ガキ大将は地面に崩れ落ちた。
終わった。ツバサがそう思った瞬間、鮮血ににじむ二人の姿と教室を見て、女生徒が大きく悲鳴を上げた。男子生徒も大差なかった。誰ひとりとして状況が飲み込めず、誰ひとり揺さぶり溢れてくる感情を抑えることができる者はいなかった。ガキ大将は意識を失い、痙攣を起こしていた。ツバサはというと、疲れたのか、貧血の為からか放心状態でその場に立ち尽くしていた。ツバサが振りかざした正義は、いつの間にか凶器になり。ガキ大将が打ち出した暴力は、たった一瞬で後悔へと変わった。
照りつける秋の夕日は、赤く染まる教室と二人の少年を、モンブランのように不恰好に包み込んでいた。
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