扶桑皇国海軍

扶桑皇国海軍Imperial Fusolese Navy、通称皇国海軍)とは、東洋最強国・扶桑皇国の偉大なる守護神にして精強無比を誇った軍事組織である。 空母機動艦隊、戦闘攻撃機、戦略潜水艦など革新的な戦術、兵器を大胆に導入するなどし米帝と主に太平洋で対決し、深刻な環境破壊活動を行った。 皇国海軍と双璧を為す存在として、無敵皇軍の扶桑皇国陸軍が存在する。両組織とも、19世紀後半から20世紀初頭の地球に於いて、世界最強の軍隊として三千世界にその名を轟かせた。 また、建軍からほぼ10年おきぐらいの頻度で近代海戦を経験している、世界史的に見ても珍しい軍隊でもある。
なお、金曜日に必ずカレーを作る組織として有名である。これは金曜日に在庫の食料を一掃する目的もあるが、一部では伝統行事であるとの意見もあり、はっきりとはしない。他にカレーを食べる理由として壊血病予防と言う説、おせち料理に飽きてきた説、木曜日にシチューを作ろうとして失敗した説などが有力ではある。



特徴・戦術


時たまオラーシャ方面から飛来するネウロイからの脅威に対抗するため、対空能力が非常に高い。 その性質はウイッチ達の活躍によってほぼネウロイを撃滅させた現在においても続いており、異次元ともいえる防空性能を誇っている。
また、仮想敵国としているユークに対抗するためと中の人が大艦巨乳主義もとい大艦巨砲主義なためか戦艦の数が異常に多い。 これまでの経験や練度もあり、真っ向での殴り合いなら勝てる国はいないとまで言われている。
半面必要性がなかったため対潜能力は比較的低く、最近になってようやくユークトバニアの潜水艦隊に脅威を抱いたのか戦力強化に集中している。
戦術としては対艦ミサイルの飽和攻撃を基本戦術とするほかに水上砲雷撃戦を重視している。 ミサイルをぶっ放した後は最大戦速で敵艦隊に突入し、主砲と魚雷で敵艦隊を撃滅するという戦法を好んでいる。 そのため、現代艦艇としては珍しくほぼすべての駆逐艦に長魚雷が搭載されている。


艦隊編成


扶桑海軍は第二から第六までの序数艦隊に加え第五水雷艦隊という6個艦隊を有しており、これらで連合艦隊を編成している。
人員はおよそ20万人いて、戦艦14隻、正規空母11隻、軽空母6隻、重巡洋艦16隻、軽巡洋艦11隻、駆逐艦60隻、護衛艦12隻、潜水艦45隻を保有している。
線が引かれているのは沈没したか、損害を受け戦列を離れた艦である*1

  • 第二艦隊
渋谷凛中将の直率する艦隊で、戦艦を主力とした水上打撃艦隊である。 主に呉や横須賀等の内地に展開している。
戦艦8隻、重巡6隻、軽巡1隻、駆逐艦12隻、護衛駆逐艦6隻


第一戦隊 戦艦<尾張>(小破)<近江>
第二戦隊 戦艦<常陸><駿河><志摩>(敵潜水艦の魚雷が3発命中し大破戦線離脱、のちに触雷して沈没)<若狭>
第三戦隊 戦艦<水戸>(敵潜水艦の魚雷が2発命中、機関停止状態にて復旧中)<出雲>(第二戦隊に合流)
第六戦隊 重巡<筑波><十勝><磐木>(第一次攻撃隊のミサイル4発命中、中破し戦線離脱)<吾妻>(第二次攻撃隊のミサイル1発命中、中破)
第七戦隊 重巡<浅間><高妻>
第一水雷戦隊 軽巡<阿武隈>
 第六駆逐隊   <暁><響><雷><電>
 第十一駆逐隊  <朝霧><夕霧>(アレクサンドルの狙撃が命中、爆沈)<天霧><秋霧>
 第十三駆逐隊  <有明>(十一駆へ合流)<夜霧>(第二次攻撃隊のミサイルが命中、大破)<時霧>(<志摩>の護衛のため離脱)<時雨>(<志摩>の護衛のため離脱)
 第二十七駆逐隊 <雲霧><狭霧><初霧><冬霧> 
第三護衛艦隊 護衛駆逐艦6隻


  • 第三艦隊
空母を主力とした機動部隊で、リベリオンに睨みを効かせるため現在は遣布艦隊としてハワイに派遣されている。 大型空母を中心とした、扶桑海軍の切り札である。 司令長官は如月千早中将。
空母6隻、戦艦2隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦8隻、護衛駆逐艦6隻


第一航空戦隊 空母<鳳翔><鳳凰>
第三航空戦隊 空母<雲龍><蒼龍><海龍><神龍>
第五戦隊第一分隊 戦艦<妙義><高千穂>
第八戦隊 重巡 <阿蘇><穂高>
第一防空戦隊 軽巡<石狩>
 第二十一駆逐隊 駆逐艦<八重雲><雪雲><絹雲><棚雲>
 第三十一駆逐隊 駆逐艦<紅雲><横雲><綿雲><雷雲>
第一護衛艦隊 軽巡<吉野>、護衛駆逐艦6隻

  • 第四艦隊 
第三艦隊と同じく空母を主力とした機動艦隊。 
空母5隻、戦艦2隻、重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦8隻、護衛駆逐艦4隻


第二航空戦隊 空母<飛鷹><隼鷹>
第四航空戦隊 空母<白龍><紅龍><飛龍>
第五戦隊第二分隊 戦艦<赤城><天城>
第九戦隊 重巡 <六甲><祇王>
第三水雷戦隊 軽巡<黒部>
 第二十五駆逐隊 <天津風><時津風><太刀風><五十風> 
 第二十八駆逐隊 <吹雪><白雪><初雪><美雪> 
第二護衛艦隊<仁淀>、護衛艦4隻


  • 第五艦隊
大河内中将率いる、超大型戦艦を主力とした艦隊。
戦艦2隻、軽巡1隻、駆逐艦16隻

第三戦隊 戦艦<秋津洲><和泉> 
第四水雷戦隊 軽巡<由良>(大破、のち自沈処分)
 第十九駆逐隊  <秋風><谷風><浦風>(沈没)<旗風>
 第十八駆逐隊  <萩風><舞風><沢風>(沈没)<夏風>(<由良>の護衛のため戦線離脱)
 第七駆逐隊   <波風><梅風><夏疾風><玉風>
 第二十四駆逐隊 <海風><山風><川風>(大破のち総員退艦、沈没)<島風>


  • 第六艦隊
潜水艦を主力とした艦隊。 主に通商破壊や後方錯乱等に当たる。

独立旗艦:軽巡<鬼怒>
第一潜水戦隊:潜水母艦<日枝丸>、4個潜水隊12隻
第二潜水戦隊:潜水母艦<黒鯨>、4個潜水隊12隻
第三潜水戦隊:潜水母艦<平安丸>、4個潜水隊12隻
第四潜水戦隊:軽巡<天塩>、3個潜水隊9隻


  • 第五水雷艦隊
菊地真中将率いる、5隻の重巡と2個水雷戦隊からなる水雷艦隊。 水上砲雷撃戦では世界最強と呼ばれるほどの実力を持つ。
重巡6隻、軽巡2隻、駆逐艦20隻

第十戦隊 重巡<伊吹><鞍馬>
第十一戦隊 重巡<祇王><乗鞍><穂高><戸隠>
第二水雷戦隊 軽巡<物部>、駆逐艦12隻
第六水雷戦隊 軽巡<>、駆逐艦8隻



艦艇紹介

戦艦
  • 尾張型

同型艦
2隻 尾張 近江
性能諸元
基準排水量 95,600t
全長 307.6m
全幅 43.8m
最大速度 30.0kt(公称)
機関 蒸気タービン方式、4軸推進 520,000馬力
KHI重油専焼ボイラー 12基
蒸気ギヤードタービン 4基
航続距離 10,500海里/18kt
武装 46cm45口径三連装砲 4基12門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 2基
ハープーン4連装発射筒 4基
Mk.41 mod.34 VLS&br; ・ESSM 短SAM 前部:29セル、後部:45セル
RAM Mk.31 GMWS 4基
Mk.15 Block1B CIWS 6基
搭載機 零式水上観測機 4機

他国に配備されるであろう新型戦艦を圧倒することを目的に君塚商事に2隻が発注された新型戦艦。
主砲こそ46cm砲ながら、できうる限りの自動化がなされ、異次元ともいえる速さでの砲撃が可能となっている。
余談ではあるが、渋谷長官がこの艦を連合艦隊旗艦に選んだ際、「『尾張』は『終わり』に通じ、縁起が悪い」と反対する声があったが、渋谷長官は「終わるのは、敵の命運だということにすればいいじゃない」とすました顔で答えたという逸話が残っている。

  • 秋津洲級

同型艦
2隻 秋津洲 和泉
性能諸元
基準排水量 384,200t
全長 582m
全幅 97m
最大速度 29.0kt(公称)
航続距離 8500海里/18kt
武装 46cm45口径三連装砲 10基30門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 8基
ハープーン4連装発射筒 8基
Mk.41 mod.34 VLS&br; ・ESSM 短SAM 140セル
RAM Mk.31 GMWS 14基
Mk.15 Block1B CIWS 16基
搭載機 SH-60J/K 46機

扶桑海軍がユークのトバチェフスキー級戦艦に冷戦の真っ最中ということもあり見栄と意地のために対抗すべく建造した、30万トンクラスという化け物みたいな戦艦。 トバチェフスキー級とともにこの艦をみたリベリオン上層部をして「こいつらアホだろ」とあきれさせている。
その防御力はユーク自慢のシクヴァルMk.Ⅱを数発喰らってもビクともしない(海軍広報部報)と言われる。 最近主砲塔を4基ほど降ろし、ハープーンやシースパローなど各種ミサイルを積載。 レーダー等も最新鋭のものに交換され交戦能力が大幅に向上している。

  • 常陸級

同型艦
4隻 常陸 駿河
志摩 若狭
性能諸元
基準排水量 13.5000t
全長 352.1m
全幅 44.3m
最大速度 28.0kt
航続距離 8700海里/18kt
武装 51cm45口径三連装砲 4基12門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 4基
ハープーン4連装発射筒 4基
Mk.41 mod.34 VLS&br; ・ESSM 短SAM 80セル
RAM Mk.31 GMWS 18基
Mk.15 Block1B CIWS 10基
搭載機 SH-60K 4機

水戸級に続き、80年代に入ってから建造された戦艦。 ガングート級と同時期に建造されたが、こちらは航空戦艦ではなく純粋な戦艦として建造された。




  • 水戸級

同型艦
2隻 水戸 出雲
性能諸元
基準排水量 109,500t
全長 326m
全幅 46m
最大速度 27.8kt(公称)
航続距離 7800海里/18kt
武装 51cm45口径三連装砲 3基9門
20cm60口径3連装砲 6基18門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 4基
ハープーン4連装発射筒 4基
RAM Mk.31 GMWS 10基
Mk.15 Block1B CIWS 4基
搭載機 SH60K 2機

ユークトバニアとの冷戦時代真っ只中の60年代に建造され、前級である紀伊級の退役に伴い扶桑海軍最古参となった戦艦。
主砲には紀伊級で初採用された51cm砲を採用。これは、紀伊級に採用された連装45口径51cm砲を改良した三連装の51サンチ砲である。砲身そのものには変化は無いが、三連装化にあたって砲身の追加によるもの以上に砲塔サイズは巨大化している。これには装弾関係に用いられる機器の容量を向上させ、またこの当時としては自動化、機械化を極限まで推し進めることで発射速度を短縮させるためである。
原型である紀伊型の連装砲では、前弾の発砲から最短40秒で次弾装填が完了したが、水戸型では46サンチ砲を搭載した大和型と同等の30秒で次弾装弾が完了している。また機器のサイズ向上と同時に薬室の構造強化も図られており、安定した長時間砲撃を可能とすると共に、将来的には強装での発砲を考慮している。
もっとも、導入された新技術や兵装はそれほど多くは無い。その巨大な船体寸法こそが水戸型の特徴であって、基本的には既存の技術や兵装を手堅くまとめられているといえる。
例えば、射撃指揮は47式射撃指揮装置が戦艦として始めて採用されているが、これも黒姫型重巡洋艦でその有用性が認められてから正式に採用が決定されており、一番艦は従来の測距儀を搭載する計画も平行で進められていた。
結局製作途中の測距儀はキャンセルされた。扶桑光学がすでに製作していた測距儀の部品自体は海軍により買い取られて、海軍兵学校に隣接する資料館で後に展示されている。
打撃力のみならず、水戸型は強力な砲撃能力に対応する防御力も有していて、舷側で傾斜500ミリ、水平甲板でも最大250ミリとなっており、自身の主砲弾に対して二万五千程度の主砲戦距離で安全距離が取れるようになっていたが、46サンチ砲に対しては二万程度まで踏み込まれない限り計算上貫通されなかった。
初期計画では舷側装甲の外側、最外部にも被帽破壊用の装甲板を設ける計画であったが、重量が過大となることや、現状の装甲でも十分に敵砲弾を防御できるという計算から、就役時は主装甲内部にスプリンター防御用の装甲板を設けるにとどまっている。
これらの追加の装甲は、対艦誘導弾や米海軍の大重量砲弾SHSの脅威が戦訓によって明らかにされた後に必要性が訴えられ、後の改装時にさらなる追加が計画されている。

  • 妙義型戦艦

同型艦
4隻 妙義 高千穂
赤城 天城
性能諸元
基準排水量 t
全長 m
全幅 m
最大速度 34.0kt
航続距離 9500海里/18kt
武装 35.6cm50口径三連装砲 3基9門


  • 大和型戦艦

性能諸元
基準排水量 69,500t
全長 275m
全幅 40.1m
最大速度 30.5kt(公称)
航続距離 7800海里/18kt
武装 46cm45口径三連装砲 3基9門
37式4連装巡航誘導弾発射機 4基
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 4基
54式汎用導弾発射管 64セル
RAM Mk.31 GMWS 10基
搭載機 SH60K 4機

扶桑海軍が現在建造中の新鋭戦艦。防空設備の統合化および運営体系の自動化、46センチ砲の高性能化等、考えられる限りの新機軸が搭載されている。


空母
  • 鳳翔級

同型艦
2隻 鳳翔 鳳凰
性能諸元
基準排水量 115,600t
全長 365.5m
全幅 47.5m
最大速度 30.0kt(公称)
航続距離 ほぼ∞
武装 41式8連装対空誘導弾発射機 4基
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 2基
48式近接防空装置 4基
RAM Mk.31 GMWS 4基
搭載機 120機

扶桑海軍の最新鋭にして、主力を担う超大型正規空母である。 海軍艦上航空部隊は航空機80機をもって1航空団とし、この1航空団を搭載可能な空母を正規空母と定義しているのであるが、この<鳳翔>型はその搭載機数なんと120機、即ち1個半航空団を運用可能であった。この艦の登場により、我が連合艦隊は海上航空戦闘能力を大幅に向上することができました。また、重心移動装置の搭載により極めて揺れの少ないこの艦は、第二次大戦後から主流だった斜め降着甲板を廃止し、軸平行降着甲板を船体左舷に配置。これにより、甲板上での発進、着艦作業完全独立運営が可能となり、航空攻撃能力が各段に強化されている。


  • 飛鷹級

同型艦
2隻 飛鷹 隼鷹
性能諸元
基準排水量 59,600t
全長 325m
全幅 39.5m
最大速度 34.0kt
航続距離 18ノットで9500浬
武装 シースパロー短SAM8連装発射機 4基
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 3基
48式近接防空装置 4基
搭載機 CTOL機 80機

扶桑海軍待望の、1個航空団を搭載可能な大型空母。巨大な排水量(満載排水量約80,000t)、アングルド・デッキ(斜め着艦用飛行甲板)の採用巨大なアイランド、強力な航空団(80-100機のジェット機)の搭載など鳳翔級の原型となった艦でもある。 

  • 雲龍級
同型艦
7隻 雲龍 蒼龍
白龍 飛龍 海龍
神龍 紅龍
性能諸元
基準排水量 57,800t
全長 268m
全幅 29m
最大速度 31.5kt
航続距離 7500海里/18kt
武装 41式8連装対空誘導弾発射機 2基
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 3基
RAM Mk.31 GMWS 8基
ハープーン4連装発射筒 2基
30mmCIWS 6基
搭載機 回転翼機・垂直離着陸機・艦上固定翼機 計56機

扶桑海軍が船団護衛及び艦隊防空を目的に建造した正規空母。なお、排水量自体は飛鷹級と大差ない模様。 就役直後は6隻すべてが海護総隊に配備されていたが、護衛空母の数がある程度そろったため現在はすべて連合艦隊に編入されている。 3個半飛行中隊が搭載可能で、艦隊制空はもとより島奪還作戦等中規模な機動作戦にも投入することができるため期待がされている。
また扶桑海軍の空母としては珍しく最低限の対艦攻撃能力を有しており、より柔軟性のある運用が可能となっている。

  • 白鳳級

同型艦
6隻 白鳳 海鳳
瑞鳳 祥鳳
天鳳 神鳳
性能諸元
基準排水量 18,800t
全長 231m
全幅 36m
最大速度 32kt
航続距離 4500海里/18kt
武装 ファランクス20mmCIWS 6基
Mk 56 VLS ESSM 36セル
搭載機 回転翼機・垂直離着陸機・艦上固定翼機 計21機

戦時にとりあえず空母の数を確保するため建造された軽空母で、艦隊防空及び対潜哨戒任務を主目的としている。








重巡洋艦


  • 伊吹級

同型艦
6隻 伊吹 鞍馬
祇王 乗鞍
穂高 戸隠
性能諸元
基準排水量 36,500t
全長 255m
全幅 29m
最大速度 33.0kt
航続距離 8000海里/18kt
武装 35.6cm50口径三連装砲 3基9門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 4基
ハープーン4連装発射筒 2基
RAM Mk.31 GMWS 8基

扶桑海軍においてはもはや伝統となっている巡洋艦以上戦艦未満の艦。 お前のような巡洋艦がいるか。
就役した6隻すべてが第五水雷艦隊に配備され、対水上戦闘における切り札として期待されている。


  • 筑波級

同型艦
6隻 筑波 十勝
磐木 吾妻
浅間 高妻
性能諸元
基準排水量 32,800t
全長 250m
全幅 29m
最大速度 31.5kt
航続距離 8500海里/18kt
武装 35.6cm50口径三連装砲 3基9門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 4基
90式4連装61cm長魚雷発射管 2基
Mk.41 VLS 46セル
Mk.141 ミサイル4連装発射筒 2基
ハープーン4連装発射筒 2基
高性能40ミリCIWS 6基
SH-60J 3機

他国の中型戦艦に対抗するため計画された超大型汎用巡洋艦。
また、伊吹型に続く艦としての面も強いが、本来は高雄型の代艦として計画されている。 その運用目的の第一は、水雷戦隊に所属して艦隊の旗艦任務と敵砲撃部隊の排除にあった。
また、その高速と重武装を活かして空母機動部隊の護衛、主力艦隊の補助戦力などあらゆる機動的任務に投入されることを想定されていた艦。このため、機動巡洋艦という言い方をされる事もある。
扶桑海軍の新しい戦略思想の申し子と言っても過言ではない存在。


  • 黒姫級

性能諸元
基準排水量 33,600t
全長 248m
全幅 27.5m
最大速度 34kt
航続距離 8500海里/18kt
武装 41cm45口径連装砲 3基6門
オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 8基
90式4連装61cm長魚雷発射管 2基
Mk.41 VLS 46セル
Mk.141 ミサイル4連装発射筒 2基
ハープーン4連装発射筒 2基
高性能40ミリCIWS 6基
SH-60J 2機

もともと筑波型の当初の運用目的は、水雷戦隊に所属しての艦隊の旗艦任務と敵砲撃部隊の排除にあった。また、その高速と重武装を活かして空母機動部隊の護衛、主力艦隊の補助戦力などあらゆる機動的任務に投入されることを想定されていた艦でもある。
だが、7番艦の黒姫は、北海道戦争の勃発に伴い建造を急いだ事から主砲の手当が間に合わず、やむなく保存状態にされていた旧式の41cm45口径 連装砲を手直しして搭載している。さらに、主砲に似合った装甲を持たせようとしたり、艦尾の延長をしたりと、主砲に似合った形に近づけようと建造中に強引に設計を変更し、他の艦とは違った仕様となっている。このため、黒姫を世界最強の水雷戦専用艦という言い方をする者もいる。




軽巡洋艦、護衛艦


  • 石狩

性能諸元
基準排水量 12,550t
全長 193m
全幅 27.5m
最大速度 34.5kt
航続距離 8000海里/18kt
武装 Mk.45 mod.6 62口径5インチ単装砲 2基
Mk.50 mod.10 VLS(64+64)
17式 SSM-2B SSM4連装発射機 4基
HOS-303 3連装短魚雷発射管 2基
SH-60KR 3基

扶桑海軍が初めて建造した、最新鋭大型ミサイル巡洋艦である。 本艦の特徴として、まず新型の対空レーダーである『FCS-5CL』にある。
これは現在最新鋭の『AN/SPY-3レーダー』と『FCS-3/4』を複合させることによって、双方の長所をかなわせつつ、イージス艦並みの同時捕捉能力を持ちつつ、かつ〝より確実な撃墜能力の保持〟を目的として開発され、結果その目標撃墜能力はいかなるときでも90%以上を保つ記録を出すにいたる。
これにより、ある意味ではイージス艦以上の盾となりうるようになった。
また、最新鋭の装備を兼ね備え、弾道ミサイル能力も大幅に向上。
最新の衛星データリンクをフル活用することにより、宇宙空間からの誘導支援を受けつつより確実な弾道ミサイル防衛能力を手に入れることに成功した。
対空装備では、今まで使用していたSM-2の後継としてSM-6を採用。輸出用なのでダウングレードされ、弾道ミサイル迎撃能力は削除されているものの、それでも搭載されているFCSシステムと掛け合わせることにより、SM-2の代わりを担うには十分な性能を発揮した。
弾道ミサイルに関しては現状どおりSM-3の改良型を活用することになった。
VLS装置も最新のものを乗せているが、後部VLSに関しては左右両舷に32セルずつ、格納庫側によるかたちで分かれており、これは下の甲板下にしまうことが出来る。これは甲板上の艦載ヘリの離着陸に支障をきたすための処置だったが、普段は甲板の下にふたをされており、パッと見は全然見えないのだが、いざ使用するときは甲板が山のように折れて開き、そこからVLSが競りあがり、そしてふたをしていた甲板は内側に起用にしまわれる。そして、しまうときはその逆である。
これは技術としては革新的で、この装置を見た諸外国関係者を驚愕させた。
AGSシステムのように単装砲を格納部にしまう技術はあったが、VLS自体を甲板下にしまうというか、もはや隠すことは想像していなかったのである。
また、本艦が就役したのは12月24日。そう、クリスマス・イブの日であり、ネット内では非公式の愛称として『ChristmasクリスマスDCG(またはカタカナでクリスマスDCG)』と呼ばれていたり、『サンタからの国防のプレゼント』と呼ばれたりしている。

  • 吉野級

同型艦
4隻 吉野 物部
仁淀 那珂
性能諸元
基準排水量 12,900t
全長 206m
全幅 20.4m
最大速度 33.1kt
航続距離 8400海里/18kt
武装 65口径8cm両用単装砲 1基
30mmCIWS 4基
垂直誘導弾発射機 2基120セル
3連装53cm魚雷発射管 2基
SH60K 1機

吉野型は、扶桑海軍が1940年代に建造した米代型防空巡洋艦や、同時期に重巡洋艦より改装された防空艦を代替する目的で建造した防空巡洋艦である。
それまでの防空艦とは異なり、完全に誘導弾を主兵装として設計された点は原子力防空巡洋艦である黒部型と同じだが、艦型などは同時期に建造された久慈型軽巡洋艦の設計と一部を共有している。
原子力機関の採用によって、政治的、財政的に建造、運用が制限された黒部型の全面的な見直しから吉野型の開発計画は開始された。
本来であれば黒部型を大量建造する予定だった扶桑海軍は、原子力艦が運用を開始してすぐにその計画を見直さざるを得なかった。原子力艦隊の想定以上の運用コストをうけて次期防空艦は主機関の通常動力化は勿論、コストの低減も求められていた。
久慈型軽巡洋艦との設計共有もコスト削減を狙ったものである。また、哨戒回転翼機一機の搭載や対潜短魚雷の搭載に加えて連装対空誘導弾発射機からは対艦、対潜誘導弾発射機も発射可能であることから黒部型と比べて汎用性は著しく向上しており、航空分艦隊の汎用性向上に寄与することが出来た。
その技術的な特徴は艦橋と一体化した巨大なフェーズドアレイ式の75式対空捜索電探と合計五基装備された対空誘導弾誘導用のイルミネーターからなる75式高射装置の搭載である。
黒部型で搭載された66式対空捜索電探が、巨大なマスト形状から風雨の影響を受けやすかったことから、久慈型ではより軽量の71式捜索電探が搭載されたが、吉野型では黒部型を凌駕する捜索能力を求められたため、久慈型のように捜索電探を小型化することは出来なかった。そのため巨大マストの装備とそれに伴う重心の上昇を避ける苦肉の策として上部構造物そのものに電探素子を貼り付けるというスタイルをとったのである。
黒部型や久慈型とは逆に艦橋は捜索電探のアンテナよりも上部に設けられている。これは扶桑海軍独自というわけではなく、米国海軍ではロングビーチ級の頃から防空巡洋艦に用いているデザインである。また、吉野型と同時期に竣工した米国海軍の改ヴァージニア級も同様に巨大な艦橋構造物と貼り付け方のフェーズドアレイレーダーを有している。
イルミネーターは対空誘導弾誘導用の五基のほかに、両用砲の射撃統制用の対空対水上両用のものがもう一基搭載されている。このイルミネーターは両用砲の射撃統制に用いられる他に、近距離のみでは有るが対空誘導弾の誘導も可能となっており、吉野型は最大六発の対空誘導弾を誘導可能となっている。
対空誘導弾による迎撃網をすり抜けてきた敵誘導弾に対する最後の備えとして30mm機銃が両舷に二基ずつ配置されている。銃搭は各舷側180度を担当するようになっているが、フェーズドアレイレーダーの装備によって巨大となった艦橋への誤射を避けるため、前方への射界は制限されている。そのため艦首に装備される両用砲は、近接防空火器をかねて軽量の速射砲が採用されている。


  • 久慈級

同型艦
6隻 久慈 阿武隈
夕張 由良
天龍 高瀬
性能諸元
基準排水量 6,500t
全長 165m
全幅 19m
最大速度 30.5kt
航続距離 5600海里/18kt
武装 オットー・メラーラ127/54 単装速射砲 4基
八連装大型誘導弾発射機 1基
連装対空誘導弾発射機 1基
53.3cm3連装魚雷発射管 2基
SH-60J 3機

久慈型は、40年代後半に建造され70年代になって老朽化が叫ばれてきた阿賀野型を代替するために建造された軽巡洋艦である。 
阿賀野型と同様に駆逐艦部隊の指揮艦として運用することを目的としていたが、その指揮する駆逐艦は阿賀野型建造当初とは大きく異なった艦種になってきていた。つまり大型化、汎用化である。実際、阿賀野型軽巡洋艦よりも指揮下の駆逐艦のほうが大きいものまで出てきていたほどだった。
この頃の巡洋艦は直接的な装甲を持たず、防弾繊維製の内張を乗員保護のために艦内部に施している程度であったから、防護力も駆逐艦とさほどの違いはなかった。久慈型では3機を運用する哨戒回転翼機も、新型駆逐艦でも小型ながら格納庫を有して1機ないし2機の運用が検討されていた。
巡洋艦と駆逐艦を明確に区別しうる唯一の方法は指揮能力、すなわち司令部要員を収容する十分な空間と通信能力にあったが、駆逐艦部隊が構成艦の大型化に反比例して所属艦艇数が減少していたため(一隻あたりの戦力、建造価格向上のため)駆逐戦隊司令部の規模が縮小されていたためそれまでの巡洋艦と比べて司令部要員の収容人数は減少していた。(通信能力は格段に向上している)
実際のところ久慈型に求められていた能力は、哨戒回転翼機の複数運用による艦隊レベルでの哨戒能力をのぞけば、駆逐艦でも十分にまかなえるものであった。本型の任務は、駆逐隊の突入を自らの火力で制圧しながら援護を行うかつての軽巡洋艦のそれではなく、むしろ嚮導駆逐艦と呼ぶにふさわしいものだった。
久慈型は黒部型原子力防空巡洋艦の影響を受けており、黒部型で採用された巨大なフェーズドアレイレーダーを洗練、小型化した71式対空捜索電探をセンサーとする72式高射装置を搭載している。72式高射装置は優れた防空システムであり、「和製イージス」などとマスメディアなどで俗称された。しかし扶桑海軍では72式高射装置及びその発展型に特別の愛称は付けられていない。


駆逐艦

  • 朝霧級

同型艦
12隻 天霧 夕霧
朝霧 狭霧
雲霧 時霧
秋霧 夜霧
初霧 冬霧
有明 時雨
性能諸元
基準排水量 4,300t
全長 152m
全幅 16.5m
最大速度 34kt
武装 Mk.45 62口径6インチ単装砲 1基
90式SSM 4連装発射筒 2基
Mk.41 mod.29 VLS 32セル
高性能40mmCIWS 2基
90式4連装61cm長魚雷発射管 2基
SH60K 1機

対艦攻撃を目的に建造された扶桑海軍の新鋭駆逐艦で、12隻すべてが第一水雷戦隊に配備されている。 

  • 太刀風級

同型艦
15隻 太刀風 浦風 浜風
五十風 夕風 沢風
河風 山風 時風
冬風 海風 天津風
時津風 梅風 真風
性能諸元
基準排水量 4,550t
全長 151m
全幅 17.5m
最大速度 30kt
武装 Mk.45 62口径76mm単装砲 1基
90式SSM 4連装発射筒 2基
Mk.41 mod.29 VLS 16セル
高性能40mmCIWS 2基
90式4連装61cm長魚雷発射管 2基
SH60K 1機

凡用型駆逐艦として設計された本型は、パッシブ対潜戦に対応して水中放射雑音の一層の低減を求められたほか、航空運用能力の強化や居住性の改善を図った結果として、船体は汎用護衛艦としてはかなり大きくなり、58DDと比べると、全長で14メートル、幅で2.8メートルの大型化となった。概算要目作成時には、更に大型の4,700トン型とされていたが、大幅な縮小が行われたことから、要求の具現化には困難が伴ったが、最終的に4,400トン型として設計された。航走雑音の低減を考慮して、船型は細長くなっており、これにより凌波性・砕波性は優れたものとなっている。
またレーダー反射断面積(RCS)低減のため、船体・上部構造物ともに傾斜が付されており、船体舷側は外側に、上部構造物や煙突壁面は内側にそれぞれ7度傾けられているほか、壁面の合わせ目は鋭いエッジとしている。また大型のラティスマストにも電波吸収体が貼り付けられている。

  • 吹雪級駆逐艦
同型艦
24隻 吹雪 白雪 麻雪
初雪 深雪 玉雪
根雪 細雪 淡雪
小雪 沙雪 花雪
餅雪 瑞雪 米雪
叢雲 東雲 白雲
性能諸元
満載排水量 9,980t
全長 171m
全幅 21m
最大速度 34.5kt
武装 Mk45 62口径127mm連装速射砲 2基4門
90式SSM 4連装発射筒 4基
高性能40mmCIWS 2基
Mk.41 mod.29 VLS 116セル
90式4連装61cm連装魚雷発射管 4基
SH-60K 2機

扶桑海軍水雷戦隊の中核を成す駆逐艦。 



  • 八重雲級駆逐艦

同型艦
8隻 八重雲 雪雲
絹雲 棚雲
紅雲 横雲
綿雲 雷雲
性能諸元
満載排水量 6,850t
全長 152m
全幅 16.5m
最大速度 32kt
武装 Mk45 62口径127mm連装速射砲 1基
高性能40mmCIWS 2基
Mk.41 mod.29 VLS 106セル
90式4連装短魚雷発射管 2基


航空母艦の防空支援を専門に行う防空特化型駆逐艦。 比較的小型の軽艦艇ながら最新鋭の艦隊防空システムを装備し、強力な防空性能を持っている。
そのかわり対艦攻撃能力は持っておらず、単艦での行動は不向きとされている。

  • 暁型駆逐艦




潜水艦

  • 伊号

  • 伊115型


性能諸元
基準排水量 1,650t
水中排水量 2,250t
全長 88m
全幅 8.2m
最大速度 水上16kt/水中18ノット
武装 HU-601長魚雷発射管 (艦首) 6門
HU-201長魚雷発射管 (艦尾) 2門

ユークやオーシアといった国が次々と新型潜水艦を建造していくのを見て、今後の研究開発の参考にすべく60年代に君塚商事から購入した潜水艦。 いわゆるリアル世界におけるあさしお型である。
この艦の導入により、ようやく扶桑海軍は満足のできる性能の潜水艦を手に入れることができた。 同型艦は6隻で、現在は老朽化により全てが練習艦となっている。



  • 伊131型

性能諸元
基準排水量 1,850t
水中排水量 2,450t
全長 72m
全幅 9.9m
最大速度 水上12kt/水中20ノット
武装 HU-602長魚雷発射管 6門

伊115型に続いて扶桑海軍が君塚商事に発注した通常動力形潜水艦である。 いわゆるうずしお型。
水上航行能力を相応に重視していた在来型船型を改め、水中性能を重視した涙滴型船型を採用した初の艦級である。 これにより限定的ながら、対潜水艦戦闘も行うことが可能となった。 同型艦は10隻、もう2隻を国内で建造する予定であったのがオイルショックによる建造費高騰の影響で中止されている。
4隻ずつで第33潜水隊、第34潜水隊を編成し第二十五潜水戦隊に配備されている。 残り2隻は第六艦隊直属で訓練艦として使用されている。

  • 伊156型

性能諸元
基準排水量 2,750t
水中排水量 3,600t
全長 82m
全幅 8.9m
最大速度 水上18kt/水中22ノット
武装 HU-605長魚雷発射管 6門

おやしお型潜水艦を参考に作られた、国産としては扶桑にとって久しぶりとなる通常動力型潜水艦。  元よりも若干速力が向上している。
同型艦は12隻で、全艦が第11潜水戦隊に配属されている。


  • 伊214型

性能諸元
基準排水量 1,850t
水中排水量 2,450t
全長 72m
全幅 9.9m
最大速度 水上13kt/水中21ノット
武装 HU-606魚雷発射管 6門

扶桑海軍最新鋭の通常動力型潜水艦。 いわゆるそうりゅう級である。
同型艦は14隻、現在も4隻が追加建造中である。






採用兵器


  • 二式焼散弾
別名を二式焼夷弾というこの砲弾は敵艦に火災を発生させることを主目的とした弾である。ある程度の薄い装甲なら貫徹できるように作られた弾殻には、トリニトロアニソール(TNA)、アルミニウム粉末と酸化鉄粉末──所謂テルミット──、チオコール(人造ゴム)、エレクトロン(マグネシウム合金)屑が充填されている。炸裂すると数千度で燃えるゴム状の物質が辺りに飛び散り、さらに消火しようと水をかけると爆発をおこすという愉快、もとい厄介な代物である。 
既存戦艦でトハチェフスキー級を仕留めるにはどうすればいいか考えた結果開発されたもので、開発主任曰く「装甲がぶち抜けないならぶち抜かなければ良いじゃない」という代物である。主目的は榴弾による非装甲目標──艦橋や測距器、アンテナ、機銃、艦載機──や弱装甲目標──副砲、煙突──を破壊し安全に接近して徹甲弾なり魚雷なりで止めをさすことで、副次的な目標として火災を発生させて人員の消耗や速度の低下、あわよくば弾薬庫への引火を狙うというものである

北海道戦争での戦い


  • 岩手沖海戦

扶桑遠征艦隊着任後、メドヴェージェフ太平洋艦隊司令長官は扶桑第二艦隊が千歳を目指していることを知り、用意周到な罠を仕掛ける。まず、潜水艦部隊を使って執拗に雷撃を繰り返すことで扶桑第二艦隊の損耗を狙い、強制的に航路を変更させる。行き先の途中に訪れるであろう岩手県沖海域周辺の5つのポイントに艦隊を配置、そこから機雷網へ誘い込む。機雷網に引っかかった扶桑第二艦隊を捕捉次第、遭遇した部隊が足止めを行い、残る全部隊が終結して包囲、撃滅するというものであった。
この作戦は最初までは図に当たっていた。岩手沖を通過することをも見込んだ艦隊配置は的確なものであった。ユーク太平洋艦隊は運よく、扶桑第二艦隊と遭遇した。すぐに集結命令を出すと同時に、別働隊の試験艦隊で扶桑第二艦隊の後方から接近し包囲する。残る自分の部隊を真正面に配置することで、強制的に第二艦隊を自分の方向へ追い立てて包囲殲滅しようとした。
しかし、東北地方やその他航空隊から集められた航空軍の圧倒的な戦力差によってユーク太平洋艦隊の航空戦力の主幹となる第二航空戦隊は516機中443機が未帰還となった。善戦するも衆寡敵せず、「栄の二航戦」と呼ばれた機動部隊は壮絶な最後を遂げた。直衛機がいなくなった太平洋艦隊に航空軍が襲い掛かるが、太平洋艦隊は円陣を組むことで陣形を強固に保つ。しかし第二波攻撃で弾薬が尽きてしまい、近接防空火器で対処するも絶え間ない攻撃で沈没・離脱する艦が増えていった。扶桑側も損傷艦や撃沈艦を出すが、作戦を続行できるほどの戦力を残しており、後にユークは手痛い損害を被ることになる。

扶桑側
沈没:戦艦<水戸>、重巡<磐木>、駆逐艦<夜霧><夕霧>
大破:戦艦<志摩>
中破:護衛艦3号

ユーク側
沈没:巡洋艦<ユーリ・アンドロポフ>、駆逐艦<ポドヴィージュヌイ><スコールヌイ><ソヴェルシェンヌイ><アドミラル・トリブツ><ゴールドィイ><アドミラル・イウマシェフ>、フリゲート4隻
大破:フリゲート1隻
中破:戦艦<ポチョムキン・タヴリンスキー>

  • 道南沖海戦(夜戦)
千歳方面に展開するユーク第4極東戦線をたたくべく出航した扶桑第二艦隊を食い止めるべく、岩手沖海戦の損害から部隊を整えた太平洋艦隊は道南沖にて夜戦を仕掛け砲撃を阻止することを企む。海上からの巡航ミサイルの攻撃を防ぐために高濃度ECMを展開、あえて扶桑の十八番である砲雷撃戦で挑む。ミサイル艇部隊が護衛部隊を引き付けている間に駆逐戦隊が奥まで侵入し戦艦部隊がそれを艦砲射撃で支援するという戦術であった。世界標準的から見て、砲雷激戦が高い水準にあってそれなりに腕に自身があったユーク艦隊であったが、扶桑艦隊のそれは次元が違った。
常に動き回って的確な場所に攻撃を加えてすぐに離脱するという戦術を駆使して一糸乱れぬ包囲網を構築するも、ユーク駆逐戦隊は長射程と迎撃困難を誇るシクヴァル魚雷を使った雷撃の際にたった一回の雷撃戦で扶桑第七艦隊に一方的に砲撃されて全滅、ミサイル艇部隊は数の差で第六駆逐隊を翻弄するも第六駆逐隊によって全艦沈没、戦艦部隊に至ってはユーク側が照準に捉える前に直撃弾を与えFCSが故障、ご自慢の精密レーダー射撃を活かす機会もないまま完膚なきまで叩き潰された。
この一方的とも言える華々しい戦果は世界最強、無敵行軍の扶桑艦隊だからこそ出来た芸当であり、いくらユーク側の戦闘能力に自信があったといえど扶桑艦隊と比較すると、それこそ天と地ほどの開きがあった。特にユーク側の損害が急造し始めたのは艦隊距離が二万を切ってからの損害が殆どであり、この辺りがやはり海軍国扶桑と力を入れ始めたとはいえ元々陸軍国家であったユーク海軍との違いと言えるのではないだろうか。第二次扶桑海海戦?しらんな 砲撃精度、駆け引き、戦場の読み、どれを取っても扶桑側が大きく上回っていたのである。苦戦が続いていた序盤の扶桑海軍にとって唯一完勝できた戦いであると後の戦史には残されている


扶桑側
沈没:重巡<高妻>、駆逐艦<暁>
大破:戦艦<出雲>
中破:戦艦<近江><駿河>、駆逐艦<響><天霧><有明>

ユーク側
沈没:巡洋艦<カリーニン>、駆逐艦<アドミラル・スピリドフ><マルシャル・シャポシニコフ><ブイストルイ>、フリゲート2隻、032型ミサイル艇10隻
大破:戦艦<ウポール>、<エスターフィイ>、巡洋艦<キーロフ>、駆逐艦<オクルィリョーンヌイ>、フリゲート4隻
中破:戦艦<イオアン・ズラトウースト>、巡洋艦<ユーリ・アンドロポフ>、駆逐艦<セヴェロモルスク><アドミラル・イサコフ>、フリゲート1隻



  • 第二次扶桑海海戦
まずはトハチェフスキー級4隻による精密艦砲射撃で斉射を行った後に航空攻撃で側面から集中攻撃、突破口を開いた後に水雷戦隊が突入し奥深くから撹乱するというユークの基本戦術がようやく発揮できた戦闘といえるだろう。
扶桑海軍はユーク海軍の戦術に翻弄され続け、完敗と言えるほどの打撃を被った。 特に新鋭駆逐艦として艦隊配備も始まっている最新鋭の<夕雲>型駆逐艦12隻を装備していたはずの第五水雷艦隊の被害には海軍上層部を唖然とさせたという。 


扶桑側
沈没:軽巡<由良>、駆逐艦<浦風><沢風><川風><海風>他五水艦の駆逐艦6隻
大破:戦艦<和泉>、重巡<穂高><戸隠>、駆逐艦<波風>、五水艦の駆逐艦2隻
中破:戦艦<秋津洲>、重巡<祇王>、軽巡<物部>、他五水艦の駆逐艦1隻

  • 第二次道南沖海戦
岩手沖海戦、第一次道南沖海戦で被害を受けつつも陸軍を援護するため進撃を続けた扶桑軍は、ついに苫小牧の橋頭堡を目視できる位置まで進撃。
第3極東戦線が確保していた沿岸部へ猛烈な砲撃を開始、それを阻止するべく追いついてきたユーク潜水艦隊やユーク太平洋艦隊との戦闘が始まった。
初日こそ釧路に展開していた四航軍の援護があり優勢な戦闘を行いユーク軍を撃退するが、段々と四航軍の稼働機数が目減りしていき、3日目にはついに攻撃を耐えきれず、沈没していく艦が続出。 ここにきて渋谷提督は作戦続行を断念するも、もはや扶桑第二艦隊には満足に戦える戦力は残されていなかった。
最終的に旗艦である戦艦<尾張>にはミサイル14発、魚雷13発が命中、期待を受けた新鋭戦艦は目と鼻の先にある内地にたどり着くことはできず初陣で苫小牧の沖に没することになった。 なお、波間に沈みゆく<尾張>の艦橋には渋谷提督と艦長の姿があったとかなかったとか。 
ここで特筆すべきは一水戦の旗艦として道南沖夜戦を生き抜いた軽巡<阿武隈>であろう。 <尾張>の前方に陣取った彼女は持ち得るすべての対空火器を総動員しての対空射撃を開始。 後にユーク軍パイロットからドン引きされるほどの対空戦闘で、奮戦するも3日目にはついにミサイル2発と魚雷1発を被弾。 すべての火器が沈黙するまで射撃を続けたあと、さも戦うことに満足したかのように沈没していった。  なお、あまりにも沈没が早かったため生存者はいなかったという。


扶桑側(予定)
沈没:戦艦<尾張><駿河><若狭>、重巡<十勝><吾妻>、軽巡<阿武隈>、駆逐艦<雷><初霧><冬霧>、護衛艦14号、25号
大破:戦艦<近江><常陸>、重巡<浅間>、駆逐艦<電>
中破:駆逐艦<雲霧>

  • 宗谷湾突入作戦

第二次扶桑海海戦において、第五水雷艦隊の指揮権を大河内提督に預けた菊地提督は、乱戦の最中に揮下の第十戦隊の伊吹級重巡2隻を率いて海域を離脱。  途上、ある程度察知した星井提督の命により初戦の陸奥湾空襲を生き延びた大湊警備隊(海防艦3隻、ミサイル艇2隻)並びに戦艦<水戸>を護衛していた駆逐艦<時霧><時雨>と合流。 この戦力で1軍を形成した菊地提督は、苫小牧の制海権を握り続ける第二艦隊を尻目に一路26ノットの速力で宗谷湾に上陸していた敵船団を目指して北上を開始した。 
艦隊は運が良かったのか侵入航路がよかったのか、ユーク軍に発見されることなく上陸船団と奇襲的に会敵する事ができた。AWACS?偵察衛星?ナンデスカソレハ まさしく僥倖であろう。 菊地提督の艦隊はまず突進してきた敵駆逐艦部隊を正確無比なる砲撃でもって撃破。正しく鎧袖一触。 その勢いのまま上陸地点に突入し、豪勢にも敵輸送船に対して駆逐艦は魚雷を惜しげもなく打ち込んだ。
外洋に逃げる艦も護衛艦部隊がこれを逃がさず追跡し、殆どを撃沈させた。
<伊吹>らは観測機を打ち出し、陸上の物資集積所に対して砲撃を開始。 宗谷湾上空の敵機はほぼすべての目が第二艦隊に向いていたため一切おらず、観測機の適切な指示をもって有効な砲撃を続ける。外洋に追跡していた駆逐艦も戻り、ミサイル艇らも砲撃に参加しだし物資集積所はもちろんの事、敵砲兵陣地、車両、歩兵陣地などに対しても砲門を向け、これを砲撃し続けた。
居座る事2日。
陸上の戦闘状況が少しづつながら扶桑軍に優勢に変わり始めた。その日の夕刻には、完全にユーク軍上陸部隊の侵攻は止まり、逆にユーク軍は橋頭堡確保の防御戦に入るはめとなる。
艦隊は砲弾補給の為、一部の艦艇を残し一旦大湊に帰還するべく宗谷を離れ南下し始めるが、小樽西方30マイル地点においてちょうど燃料の切れかかった観測機の収容の為、<伊吹>が速度を落としそれの収容作業中、ユーク軍潜水艦からの雷撃を受け2発の魚雷が命中。その結果、<伊吹>は大破し艦を傾けながらも何とか近くの小樽に入港する事になる。
<伊吹>が2度と海上に出る事はなかったが、彼女らが実施した2日間にわたる艦砲射撃の効果は絶大であり、結局その4日後、ユーク軍上陸部隊は多くの捕虜を出して第五師団に対して降伏する事になる。
その際、降伏したユーク軍指揮官は扶桑軍の兵力の少なさに驚いたと言う。結局ユーク軍は補給が枯渇し、降伏するのだが、もしも<伊吹>らの艦隊が現れなければ宗谷半島の戦いは全く逆の結果になっていたのは言うまでもなく、守備兵団長名において連合艦隊司令部に対して『感謝電』が打たれた。
菊地提督の艦隊を見落としたことは、第二次扶桑海海戦で武勲を立てたパブロヴナ提督唯一にして最大のミスであると言われている。

扶桑側
大破:重巡<伊吹>
中破:駆逐艦<時霧>

  • 第三次道南沖海戦

扶桑は第二艦隊の任務を引き継ぎ、陸軍の増援2個兵団を使用して苫小牧への逆上陸作戦を行うべく扶桑海軍最後の切り札であり扶桑機動部隊の根幹を担う第三艦隊と第四艦隊を向かわせた。しかし、北太平洋海域はユーク軍の制海権となっており、海中はユークの通常動力潜水艦が跋扈する魔の海域となっており、道中で護衛駆逐艦と補給艦を失うことになる。
扶桑機動部隊がユーク機動部隊と交戦可能な距離まで近づくと、扶桑機動部隊は各個撃破されることを覚悟で少数の航空機による波状攻撃を提案し、第三四三航空戦隊の支援の元、攻撃を行う。
ユーク海軍航空隊は多勢に無勢で、岩手沖海戦の航空戦の痛手を回復し切れていないこともあって始終扶桑航空隊に押されることになった。しかし、ユーク航空隊は「寡兵よく大軍を破る」の諺どおり、96機もの大軍で攻撃してきた最精鋭と名高い第三四三航空隊を33機の新型制空戦闘機で打ち破ることになる。結果、11機の損失を被るも第三四三航空隊に24機の損害を与えることに成功した。
また、艦爆隊の猛攻もこのとき使用されたのが対艦ミサイルではなく長距離航空魚雷だったため、迎撃が容易だったとされている。しかし、六回にわたる攻撃は流石のユーク軍もこたえたのか、要の防空駆逐艦2隻と駆逐艦2隻を損失する。

  • 北太平洋海戦
ユーク海軍の総司令官であるパブロヴナの思惑としては、後方から艦隊を突撃させることで航空戦力を分散させることにあった。しかし、既存のユーク艦隊が扶桑艦隊と比較して水上打撃能力が高くとも、機動部隊に対して水上戦を挑むということは無謀を通り越して自殺行為といわれても仕方がないほど無茶な作戦であった。また、この作戦は扶桑軍に事前に察知されており、第三艦隊と第四艦隊の空母を集結させ輪陣形を編成し、さらに機動部隊を囮にして数少ない戦力で包囲するつもりでいた。
しかし、射程に関してはユーク側にアドバンテージがあり、さらに扶桑艦隊の動きは偵察衛星によって事前に察知されていたため扶桑軍の目論みは功を成すことはなかった。
如月提督は陸軍兵団を苫小牧ではなく室蘭に揚げさせることで陸軍兵団を送り届ける事に成功。 直ちに輪形陣を再編すると、包囲網の突破を図った。
かつて「鉄壁」と称された扶桑型防空輪形陣はほぼ完璧と言ってよい働きをして、ユーク軍の攻撃を2度ならず弾き返す。 しかし敵潜水艦による攻撃までは防ぎきれず、ついに旗艦の<鳳翔>が被弾。 堅牢とは言えども対艦ミサイルを立て続けに5発も喰らうような事態は想定されておらず、新鋭空母は乗員1700名と如月提督を道連れに被弾から21分で轟沈。如月提督は望んでいた死に場所を得た。

如月提督戦死から30分後、菊池提督率いる別働隊が戦場に到着。直後に菊池艦隊はカディロフ提督率いる艦隊の歓迎を受けるも、乱戦からの殴り合いに持ち込み辛勝。 カディロフ提督を戦死させる。 この報を受けパブロウナ提督は扶桑艦隊への総攻撃を決断、機動部隊中央部をボロジノフ提督率いる部隊が後に「芸術的」「伝説」と称される中央突破を敢行し扶桑艦隊は総崩れとなり撤退を開始した。 菊池提督は高垣提督に残存戦力の集結と陸奥湾要塞への撤退の指揮を依頼すると共に、戦艦1隻・駆逐艦3隻にまで打ち減らされた自らの艦隊を殿としユーク軍の前に立ち塞がった。ユーク軍は圧倒的な兵力を以て菊池艦隊を包囲するも菊池艦隊との戦闘で戦力が弱体化していた旧カディロフ艦隊が穴となり完全な包囲網を敷くことはできなかった。菊池艦隊は機動部隊の撤退を見届けた後、カディロフ艦隊を突き崩し脱出に成功した。

扶桑側
沈没:空母<鳳翔><神龍>、重巡<黒姫>、駆逐艦6隻
大破:空母<紅龍>
中破:戦艦<大和><天城><妙義>、空母<海龍>、重巡<穂高>、駆逐艦2隻

  • 紅号作戦

参加艦隊
第一艦隊(天海春香大将)
戦艦:<高千穂><赤城><天城>
空母:<鳳凰><隼鷹><飛鷹><雲龍><蒼龍><飛龍><白龍><神龍><海龍><瑞鳳><祥鳳>
重巡:<筑波><十勝>
軽巡:<石狩><那珂>、駆逐艦8隻、護衛駆逐艦6隻

第二艦隊(菊地真中将)
戦艦:<秋津洲><和泉><大和>
空母:<天鳳><海鳳>
重巡:<祇王><穂高><鞍馬><乗鞍>
軽巡:<久慈><天龍><高瀬>、駆逐艦16

第三艦隊(十時愛梨中将)
特設艦49隻
ヘリ空母2隻
海防艦、護衛駆逐艦12隻

天海提督の着任と扶桑艦隊の一大攻勢作戦を耳にしたパブロヴナは、扶桑艦隊の残存兵力の掃討を目標に、他国からの干渉を受けないよう短期決戦を臨んだ。ユーク太平洋艦隊全ての艦艇を動員したこの戦いは本戦争の中で最大の戦いである。 元ネタとしてはマル・アデッタ星域会戦+回廊の戦い。
パブロヴナは本国にいる太平洋艦隊と極東艦隊から増援艦隊を呼び寄せ、戦艦9隻、空母12隻、大型巡洋艦8隻、防空駆逐艦23隻、ミサイル駆逐艦31隻、防空フリゲート28隻、フリゲート35隻、コルベット43隻、ミサイル艇24隻、海上警備艦36隻もの大艦隊と航空機1,000機近くのを動員する。扶桑軍の狙いはイトゥルップ島(扶桑名:択捉島)にある海上油田基地及び大型軍港であるとよんだパブロヴナは、道東沖にこれらの艦隊を配置した。
イトゥルップ島を拠点にパブロヴナ率いる本隊を中心に右翼にプラトーノフ機動艦隊と太平洋増援艦隊、左翼にチェーホフらと極東増援艦隊との連合艦隊、後方にザハルチェンコ機動艦隊、予備兵力に国境軍海上警備艦隊、前衛にボロジノフ率いる旧太平洋艦隊を並べ、総数249隻の大軍で陣を敷いた。一方天海提督率いる扶桑艦隊は総数80隻という、圧倒的兵力差を前に戦うこととなった。
しかし、これらの情報は天海提督の策略で、扶桑軍の真の狙いは宗谷市の対岸に位置するクリリオン要塞の陥落と、それによる道北からの補給線を断つことであった。扶桑軍が扶桑海沖にいないことを把握していたユーク軍は油断しきっており、4隻の警備艦と数隻の3隻の駆逐艦、6隻のフリゲートを置いて全ての海上戦力を道東沖に展開したのであった。
天海提督はこの戦いを「大人の宴会」と称し、30歳未満の未来ある若い士官の参戦を認めなかった。また、海護総隊を連合艦隊に組み込むよう命令を下した。

扶桑艦隊が動きを見せたのは3月11日。 大湊を出撃した菊地艦隊が前回宗谷湾へ突入した時と同じコースで北上するのを、ユーク軍は偵察衛星により把握する。 戦艦3隻に空母2隻という「何をしたいのかよくわからない」戦力に戸惑うユーク軍であったが、参謀の「あれは敵です。 敵ならば、とにかく叩き潰すべきです」の一言により攻撃を決断。 基地航空隊による総攻撃を開始する。
延べ3日間続いた攻撃により扶桑側は26機の航空機と軽空母2隻、駆逐艦4隻を失い撤退を開始。 しかしその時にはウラジオストック・ナホトカの両軍港を天海艦隊が急襲。
28機の艦載機喪失と引き換えに両軍港を壊滅させ、後方の安全を確保した扶桑艦隊は3月16日に大湊へと帰還した。

  • 津軽海峡の戦い
パブロヴナ提督は、扶桑艦隊が大湊基地に帰還し補給を行う時を見計らい、津軽要塞に強襲を仕掛けた。手始めに扶桑海側に配置していた潜水艦隊による機雷封鎖を敢行、敷設型機雷のほか、津軽暖流を用いた浮遊機雷を200基を敷設し、扶桑艦隊の動きを封じた。
そして、大湊基地攻撃隊と三沢基地攻撃隊の二手に分かれ、合計500機近い大部隊が連日爆撃した。
扶桑側は初日は有効的な反撃ができなかったものの、体勢を立て直し数日間の猛攻から艦隊を護りきった。
この戦闘の結果、双方の航空戦力は失われ、ユーク側は防空艦3隻、フリゲート4隻が沈没した。扶桑側もある程度の艦艇に損耗が出た他、ドックや弾薬庫、レーダーサイト等を潰され、大湊基地は基地として機能しなくなった。
また、三沢基地も管制塔や武器庫、滑走路を破壊され、壊滅的な状況に陥り、扶桑航空軍は松島基地まで後退することとなった。
なおこの際、挑発に乗ったユーク軍機がトンネルへ突入、見事に通り抜けて生還を果たし観戦していた敵味方双方から喝采を浴びるというエピソードもあったりするがそれはまた別の話である。

  • 陸奥湾沖海戦(本戦)
ここに至って、パブロヴナ提督は自身が直接出馬しての天海提督との直接対決を決意。自身の持つ戦力を一個艦隊相当の直属部隊(北方艦隊)にまで手薄にすることで天海艦隊を誘出することを企図した。麾下の艦隊に対し津軽要塞攻略時に大湊基地にいなかった第二艦隊と規模が把握しきれていない第三艦隊の襲撃に備え艦隊を分散させた。
そして各方面に分散した各艦隊は時期を図って一挙反転、戦場に駆けつけ天海艦隊を包囲殲滅することとされていた。 しかし、ユーク艦隊が本隊の孤立を偽装した罠を仕掛けてくることをすでに予測し、分散したユーク諸艦隊が本隊からもっとも離れたタイミングで本隊との戦闘に突入、反転した諸艦隊の到着までに撃破するプランを組んでいた。
各分艦隊の航路上に潜水艦戦隊を複数配備し本艦隊との合流を遅らせるように動いた。ここまではユーク分艦隊も織り込み済みで対潜戦闘を開始した。しかしまさか民間船舶や標的である輸送艦まで戦闘に直接加わってくることは想定外であり、対応に手間取ることで本艦隊との合流が大幅に遅れてしまった。
尤も、ユーク側も輸送艦の武装化は北海道戦争の初期に実施していたことであり、戦争序盤の作戦が見事に回収された形となった。


3月25日、ユーク軍諸艦隊が最も離れたのを確認した扶桑艦隊は、出撃を決断。 駆逐艦5隻と巡洋艦1隻を蝕雷により失うが、外洋へ脱出しユーク軍北方艦隊と対峙することに成功する。

  • 経緯
扶桑側は先遣偵察隊を展開して情報を収集・分析した一方、ユーク軍も先行偵察衛星と早期警戒機からなる索敵網によって進路の偵察を実施した。
両軍の索敵行動が30時間に及んだころ、海域FO2においてユーク軍主力部隊を発見。ユーク軍も時を同じくしてFO2にて扶桑先遣偵察隊を探知し、迂回航路をとって帰投する先遣偵察隊の進路から扶桑軍主力の位置を解析。対応にあたったマスロフスキー艦隊司令部を通じて総旗艦に通報された。
両軍はそのまま接近を続け、ついに正面決戦に突入する。


3月25日、ユーク軍諸艦隊が最も離れたのを確認した扶桑艦隊は、出撃を決断。 駆逐艦5隻と巡洋艦1隻を蝕雷により失うが、外洋へ脱出しユーク軍北方艦隊と対峙することに成功する。
天海艦隊は、まずは定石どおりに北方艦隊へ航空攻撃を開始。 開始時点では両軍の司令官はともに相手に先制させてその出方を見るという方針で一致しており、開戦は極めて正統的な形のものとなった。しかし、開戦後30分程度のうちに前線は両司令官どちらにとっても不本意な形で無秩序な激戦へと雪崩込み、両軍はその収拾に精力を傾けざるをえなくなってゆく。
激戦が続いた後、ユーク軍では指揮の不徹底から第一陣の突出に第二陣のカヴェーリン艦隊が後続する形となり、秩序を失った両部隊には大きな混乱が生じた。パブロヴナ提督は指揮統制の再復に努めたが、これに乗じた天海提督は巧妙な指揮によって凹形陣の焦点にカヴェーリン艦隊以外のユーク軍前方部隊を誘引、一斉砲撃をくわえて大打撃を与えた。しかし最終的には、なし崩し的に消耗戦へと落ち込むことを避けるため、両者ともに戦線の収拾に努めることとなった。
3月27日にはいると、扶桑軍は混沌としていた前線を整理して艦隊を再編成し、円錐陣をもって正面からの速攻に打って出た。迎撃の命を受けたユーク軍前線部隊は扶桑艦隊、というよりは菊地提督が得意とする火力の一点集中により一挙に撃ち崩され、ユーク軍前線は扶桑艦隊によって完全に突破されることとなった。しかし、前述したようにユーク軍は複層的な防御陣を用意しており、突進する扶桑軍は30分足らずの間にユーク軍第二陣の迎撃を受けた。扶桑軍は菊池提督の部隊を最先陣として突破に成功したが、間をおかずしてユーク軍第三陣が出現。以後、ユーク軍防御陣の出現と扶桑軍による突破が繰り返され、3月29日には第九陣の迎撃を受けることとなった。
このころになると流石に天海提督以下首脳部も違和感を感じるようになる。 一度艦隊を引いて戦列を立て直し、中央に第一艦隊、右翼やや後方に第三艦隊、左翼に第二艦隊という布陣でユーク艦隊と睨みあうこととなった。 


  • 戦闘中盤

3月30日、扶桑軍は進撃を中止し、そのまま240km後退して陸前丘陵の蔭に入ると、武装商船を自軍右翼方向へと振り向けた。ユーク軍艦艇のレーダーはこの部隊を50隻弱の艦艇と誤認したため、ユーク軍はこの兵力が主力であるか囮であるかを確定できず困惑することとなった。しかし最終的にパブロヴナ提督はこれを囮と見せかけた実兵力であると判断した。
ユーク軍は、戦力の分散を避けつつこの兵力を撃滅するため、本隊直属を除く主力艦隊を再編成し左翼方向へと前進を開始。扶桑軍主力はその隙をみて武装商船隊を突っ切り突撃を開始し、ユーク軍主力の後方をユーク軍本隊めがけて猛進する。一方接近したことで囮に気づいたユーク軍主力も、本隊を護るべく扶桑軍武装商船部隊からの攻撃を無視して急遽反転し、扶桑軍主力右側面に迫った。これを予測していた天海提督は、ユーク軍の攻撃に合わせて扶桑軍主力中央部を左側に湾曲させることで艦列の崩壊を擬装、扶桑軍主力を横撃したというユーク軍諸提督の錯覚を利用し、変形凹形陣を形成してユーク軍主力をその内側へと引きずり込んだ。
この結果、ユーク軍主力は武装商船部隊と合流した扶桑軍の完全な包囲下に置かれて本営から切り離され、全方位からの攻撃により掃滅の危機に瀕することとなった。ユーク軍本隊にも扶桑軍の砲火が迫り、4月1日にはパブロヴナ提督に旗艦<ニコライ・ヴァツーチン>からの退艦が進言されるほどの危機的な戦況に至ったが、そこにユーク軍にブラーギン艦隊が来援して扶桑軍横面に猛砲撃を加えたため、ユーク軍本営は一度危地を脱することができた。

  • 扶桑艦隊の壊滅、戦闘の終焉

その後、天海提督はユーク軍主力が包囲網を突破しようとしている事に気がついてその部分の包囲網を解き、クラーギン艦隊が逆に味方を救出するため包囲網に入るように仕向けた。ユーク艦隊主力とクラーギン艦隊が逆方向から殺到して混乱状態になった瞬間、菊地艦隊は一点集中砲火を仕掛けた。

4月2日15時30分、両軍艦隊が乱戦状態に入り混乱したわずかな隙をついて、星井提督と天海提督の率いる艦隊*2が乱戦を突破しユーク軍本陣に迫った。 
ユーク艦隊総旗艦<ニコライ・ヴァツーチン>についていた護衛艦隊を星井提督得意の釣り野伏戦術で撃退すると、いよいよ<ニコライ・ヴァツーチン>を射程に収めるところまで進撃した。 ただしこの段階で乱戦から無理やりひきかえしてきたアルトゥール・ブラーギン提督率いる部隊が天海艦隊を側撃し、ついには扶桑側の突撃戦力が枯渇してしまう。 <鳳凰>はパブロウナ提督をあと一息の所まで追い詰めながら降伏を余儀なくされ、最後は引き返してきたユーク艦隊の手で撃沈させられた。
天海提督は退艦を拒否し運命をともにしようとするも部下に説得されて退艦。 後にユーク軍によって救助されている。

事ここに至って勝利を得られることができなくなったと判断した扶桑艦隊は高垣提督の指揮のもと撤退を開始。 最も作戦行動期間の長かった艦においてはなんと2週間にも及んだこの大海戦はこうして幕を閉じた。 この海戦以降扶桑艦隊が外洋に出ることはなく、その間に北海道戦争は大きな転換点を迎えることとなる。



  • 東京急行0326
極東連邦管区の都市であるウラジオストクとマガダンへの攻撃により、ユーク極東方面参謀本部は次世代艦隊に特命し東京急行を実行させる。扶桑政府を降伏させ、天海提督および扶桑軍へと停戦を命令させるべきであるという提案を容れてのものであった。大型空母1隻を主力とする次世代艦隊は、自前のステルス性を活かして密かに東京に向かっていた。
扶桑軍の索敵網に入らないように大回りな海路で進行したため攻撃が遅れるが、扶桑艦隊は北陸方面に集結していたため、ユーク艦隊を遮るものはいなかった。
5個航空中隊と海兵大隊4個を載せた次世代艦隊は、ウラル級情報艦による広範囲ジャミングと同時に攻勢を開始する。
機動戦力のほぼすべてを北方へ向けていたため海上での邀撃こそできなかった扶桑軍であったが、扶米戦争時に横須賀を奇襲された経験のある扶桑軍は警戒を怠っていなかった。 ジャミングと同時に警急体勢に入っていた765戦隊と戦闘機1個戦隊がスクランブル発進、果敢に立ち向かった。関東一円の飛行場が破壊され不時着によりほぼ全機の戦闘機を失うものの、その戦いぶりは敵将をして称賛せしめた。

上陸を果たした海兵大隊4個のうち、2個大隊が皇居と国会議事堂まで到達。 扶桑政府に終戦を迫るも代理をつとめていた秋月副総理はどこその煽動政治家とは違い天海提督が勝利を得るまで徹底抗戦することを決断。 近衛師団と海兵大隊が激戦を繰り広げるが、そのさなかに天海艦隊敗北の知らせと、もう一つの重大な報告が届きついに扶桑政府は停戦を決断する。
一進一退の攻防を続けていたユーク海兵隊も、ある報告を受けたことにより戦闘を中断。 前線指揮官の激しい抗議も封殺し結局そのまま兵を退くことになり、これが実質的な同戦争のカーテンコール、またはカウント・ゼロとなった。
なおこの時の海兵隊の生き残りがゲリラとなって破壊工作を行うといった出来事が戦後数年にわたって発生し、政府は首都機能を京都へうつす決断をすることになる。


扶桑側損害
沈没:戦艦<秋津洲><和泉><大和><妙義> 空母<鳳凰><飛鷹><蒼龍><白龍><祥鳳> 重巡<穂高><十勝><浅間> 軽巡<天龍><那珂> 駆逐艦18、特設艦25、ヘリ空母1、海防艦2、護衛駆逐艦4
大破:戦艦<赤城><天城> 空母<隼鷹><飛龍> 重巡<鞍馬> 駆逐艦2、海防艦4、ヘリ空母1、特設艦12
他すべての艦が中破、もしくは中破に近い小破

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最終更新:2020年08月08日 23:10

*1 一部めんどくさくなったので観通のほうでは省略しているものあり

*2 両艦隊合計戦艦<大和>、空母<鳳凰>、重巡<十勝><浅間>、駆逐艦6