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*松山城跡 まつやまじょうあと &FURIGANA(まつやまじょうあと) &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765688.v1181850012.jpg) 愛媛県松山市にある、江戸時代に存在した城の跡。[[国指定史跡]]。 現在は松山市城山公園となっている。 遺構としては[[現存十二天守]]の一つである[[天守]]を始め、多くの櫓・門・塀、石垣、土塁、堀が残っている。 明治維新後にほとんど破却されなかったため、多くの建造物が残っている。また、放火や戦災で焼失した建造物も図面等を作成していたことから、正確な木造による復元が行われている。 松山の中心部、132mの勝山に構えられている連郭式平山城。日本三大平山城に数えられる。 別名、金亀城、勝山城。 |所在地|[[愛媛県]][[松山市]]丸之内| |料金|500円(ロープウェイ500円)| |時間|9:00~17:00&BR()(8月は17:30まで、12・1月は16:30まで)| |URL|[[>>http://www.matsuyamajo.jp/]]| |地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a61b36e69e3e38f3&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=33.858585,132.762222&spn=0.049893,0.084114&z=13&iwloc=00048a61dc391f95e9de5&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a61b36e69e3e38f3&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=33.858585,132.762222&spn=0.049893,0.084114&z=13&iwloc=00048a61dc391f95e9de5&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">愛媛県</a> を表示</small>)| **城郭 ・本丸 勝山山頂の南北二つの峰を平らに削って南北に長い郭としている。 本丸北端に本丸より高く、天守郭である本段が築かれている。 ・二之丸 ・三之丸 ・天守 |文化財区分|[[重要文化財]]| |天守構造 |連立式層塔型| 築城当時の天守は5層であったが、後に3層に改築されている。(これには多くの説があるが、基礎が弱いため3層に改築されたとされている) 1784年(天明4年)に落雷により焼失。 1854年(安政元年)時の藩主・松平勝善により再建。 **沿革 1602年(慶長7年)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)により築城開始。なお、加藤嘉明はこの時を持ってこの地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。 その後、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)、松平定行に代わり、明治維新まで松山藩は松平家の所領だった。 天守は昭和に入り放火・空襲による焼失が2回あったが、戦後の昭和40年代に復元され現在に至る。 1923年(大正12年)久松家(明治に入って松平家が姓を返上し旧姓に戻した)より松山市に寄贈し、以後、松山市の所有となっている。 1955年(昭和30年)ロープウェイが設置された。 1968年(昭和43年)登山リフトが設置された。 ---- **[[2007年3月6日]] &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765670.v1181076021.jpg) 県庁裏登城道を上る。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765672.v1181305854.jpg) 戸無門。 戸が無いので戸無門。形式は高麗門。現存の門で[[重要文化財]]に指定されている。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765674.v1181305852.jpg) 左に180度まわって、筒井門。 木造で復元。この門をくぐると、本丸。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765684.v1181559126.jpg) 太鼓門。木造で復元。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765686.v1181305852.jpg) その右側、巽櫓。 太鼓櫓、太鼓門、巽櫓が連なり、本丸前の防衛線。 これらは松山空襲で焼けたが、木造で復元されている。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765688.v1181850012.jpg) 本丸の南部から見た天守曲輪(本壇)。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765689.v1181305856.jpg) 正面が大天守。左が小天守。 右の一ノ門から入る。 大天守、小天守、一ノ門櫓の三方向から攻撃できる堅い守り。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765692.v1181305856.jpg) 一ノ門。 脇戸付きの[[高麗門]]で、現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765694.v1217065540.jpg) 左に曲がって、ニノ門。 脇戸付きの薬医門で、現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765701.v1181305858.jpg) 左に180度回って、三ノ門。 [[高麗門]]で現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765709.v1181439035.jpg) 三ノ門をくぐって、右を見る。小天守と筋鉄門。どちらも木造の復元。 小天守の手前の塀、筋鉄門東塀は現存で、[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765729.v1181305866.jpg) 筋鉄門をくぐって、中庭へ。 大天守と内門。どちらも現存で、[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765731.v1181439041.jpg) 玄関。木造による復元。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765719.v1221045352.jpg) 小天守から見た、南櫓。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765720.v1221045352.jpg) 大天守から見た、本丸南部。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765724.v1221045352.jpg) 大天守から見た、小天守と南櫓。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765732.v1181439042.jpg) 本壇から出て、紫竹門。[[高麗門]]で現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765734.v1184254333.jpg) 本壇石垣と南櫓。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765741.v1181305868.jpg) 乾門。木造による復元。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765743.v1181305870.jpg) 古町口登城道で下る。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765744.v1181439044.jpg) 三之丸北側から見た堀。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----
*松山城跡 まつやまじょうあと &FURIGANA(まつやまじょうあと) &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765688.v1181850012.jpg) 愛媛県松山市にある、江戸時代に存在した城の跡。[[国指定史跡]]。 現在は松山市城山公園となっている。 遺構としては[[現存十二天守]]の一つである[[天守]]を始め、多くの櫓・門・塀、石垣、土塁、堀が残っている。 明治維新後にほとんど破却されなかったため、多くの建造物が残っている。また、放火や戦災で焼失した建造物も図面等を作成していたことから、正確な木造による復元が行われている。 松山の中心部、132mの勝山に構えられている連郭式平山城。日本三大平山城に数えられる。 別名、金亀城、勝山城。 |所在地|[[愛媛県]][[松山市]]丸之内| |料金|500円(ロープウェイ500円)| |時間|9:00~17:00&BR()(8月は17:30まで、12・1月は16:30まで)| |URL|[[>>http://www.matsuyamajo.jp/]]| |地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a61b36e69e3e38f3&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=33.858585,132.762222&spn=0.049893,0.084114&z=13&iwloc=00048a61dc391f95e9de5&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a61b36e69e3e38f3&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&ll=33.858585,132.762222&spn=0.049893,0.084114&z=13&iwloc=00048a61dc391f95e9de5&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">愛媛県</a> を表示</small>)| **城郭 ・本丸 勝山山頂の南北二つの峰を平らに削って南北に長い郭としている。 本丸北端に本丸より高く、天守郭である本段が築かれている。 ・二之丸 ・三之丸 ・天守 |文化財区分|[[重要文化財]]| |天守構造 |連立式層塔型| 築城当時の天守は5層であったが、後に3層に改築されている。(これには多くの説があるが、基礎が弱いため3層に改築されたとされている) 1784年(天明4年)に落雷により焼失。 1854年(安政元年)時の藩主・松平勝善により再建。 **沿革 1602年(慶長7年)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)により築城開始。なお、加藤嘉明はこの時を持ってこの地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。 その後、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)、松平定行に代わり、明治維新まで松山藩は松平家の所領だった。 天守は昭和に入り放火・空襲による焼失が2回あったが、戦後の昭和40年代に復元され現在に至る。 1923年(大正12年)久松家(明治に入って松平家が姓を返上し旧姓に戻した)より松山市に寄贈し、以後、松山市の所有となっている。 1955年(昭和30年)ロープウェイが設置された。 1968年(昭和43年)登山リフトが設置された。 ---- **[[2007年3月6日]] &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765670.v1181076021.jpg) 県庁裏登城道を上る。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765672.v1181305854.jpg) 戸無門。 戸が無いので戸無門。形式は高麗門。現存の門で[[重要文化財]]に指定されている。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765674.v1181305852.jpg) 左に180度まわって、筒井門。 木造で復元。この門をくぐると、本丸。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765684.v1181559126.jpg) 太鼓門。木造で復元。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765686.v1181305852.jpg) その右側、巽櫓。 太鼓櫓、太鼓門、巽櫓が連なり、本丸前の防衛線。 これらは松山空襲で焼けたが、木造で復元されている。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765688.v1181850012.jpg) 本丸の南部から見た天守曲輪(本壇)。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765689.v1181305856.jpg) 正面が大天守。左が小天守。 右の一ノ門から入る。 大天守、小天守、一ノ門櫓の三方向から攻撃できる堅い守り。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765692.v1181305856.jpg) 一ノ門。 脇戸付きの[[高麗門]]で、現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765694.v1217065540.jpg) 左に曲がって、ニノ門。 脇戸付きの薬医門で、現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765701.v1181305858.jpg) 左に180度回って、三ノ門。 [[高麗門]]で現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765709.v1181439035.jpg) 三ノ門をくぐって、右を見る。小天守と筋鉄門。どちらも木造の復元。 小天守の手前の塀、筋鉄門東塀は現存で、[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765729.v1181305866.jpg) 筋鉄門をくぐって、中庭へ。 大天守と内門。どちらも現存で、[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765731.v1181439041.jpg) 玄関。木造による復元。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765719.v1221045352.jpg) 小天守から見た、南櫓。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765720.v1221045352.jpg) 大天守から見た、本丸南部。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765724.v1221045352.jpg) 大天守から見た、小天守と南櫓。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765732.v1181439042.jpg) 本壇から出て、紫竹門。[[高麗門]]で現存。[[重要文化財]]。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765734.v1184254333.jpg) 本壇石垣と南櫓。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765741.v1181305868.jpg) 乾門。木造による復元。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765743.v1181305870.jpg) 古町口登城道で下る。 &REF(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2765744.v1181439044.jpg) 三之丸北側から見た堀。 ---- **関連項目 #RELATED この項目のタグ  &TAGS() タグ「松山市」がついた項目 &list_by_tagsearch(松山市,100,sort=furigana2,option=nolist,nolistspace=/) タグ「城跡」がついた項目 &list_by_tagsearch(城跡,100,sort=furigana2,option=nolist,nolistspace=/) ----

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