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*丸亀城跡 まるがめじょうあと &FURIGANA(まるがめじょうあと) #ref(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2784407.jpg) 香川県丸亀市にある、室町時代から江戸時代に存在した城の跡。 現在は亀山公園として整備されている。 江戸時代に建てられた天守が現存し、[[現存十二天守]]のひとつ。 石垣の高さは60mで[[日本一]]高い。 |所在地|[[香川県]][[丸亀市]]一番丁| |料金|200円(天守)| |時間|9:00~16:30(天守)| |休館日|12/25~2/末(天守)| |地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a245fc663b721403&brcurrent=3,0x3553dcd4acb77eaf:0x2d81d6b2899bdab1,0&ll=34.300621,133.798199&spn=0.049633,0.084114&z=13&iwloc=00048a24a832c65b6930e&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a245fc663b721403&brcurrent=3,0x3553dcd4acb77eaf:0x2d81d6b2899bdab1,0&ll=34.300621,133.798199&spn=0.049633,0.084114&z=13&iwloc=00048a24a832c65b6930e&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">香川県</a> を表示</small>)| **城郭 丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、60mの石垣が扇の勾配と云われる手法で組まれているのが特徴的。縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りは堀(内堀)に囲まれている。 外堀は明治頃まで周回していたが、年とともに減少し、一部残されていた南側(丸亀高校の南側)の箇所も今はなく外濠緑道公園として整備されている。 |別名|亀山城、蓬莱城| |文化財区分|[[国指定史跡]]| |城郭構造|輪郭式平山城| |遺構|天守・門・長屋・番所、石垣、内堀| **遺構 城全域は天守のほかに大手一の門・大手二の門・御殿表門・番所・長屋が現存しており、天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財に指定されている。 ・天守 |文化財区分|[[重要文化財]]| |天守構造|独立式層塔型| **歴史 ・室町時代初期、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築く。 ・1597年(慶長2年) 豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く。 ・1602年(慶長7年) 6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。 ・1615年(元和元年) 一国一城令により破却の危機にさらされるが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守った。 ・1640年(寛永17年) 生駒氏、お家騒動(生駒騒動)のため出羽国矢島(現・秋田県由利本荘市)に転封となる。 ・1641年(寛永18年) 山崎家治が肥後国富岡(現・熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封。丸亀藩が立藩。 ・1642年(寛永19年) 城の改修に着手。 ・1658年(万治元年) 山崎氏、3代で断絶し改易となる。代わって播磨国龍野(現・兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で入封。以後、明治時代まで京極氏の居城となる。 ・1660年(万治3年) 現在の3層3階の天守が完成。 ・1673年(延宝元年) 32年の歳月を要し大改修が完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。 ・1869年(明治2年) 三の丸の戌亥櫓が火災により焼失。 ・1873年(明治6年) 名東県の広島鎮台第2分営が設置される。 ・1877年(明治10年) 現存の建物以外の櫓・城壁等の解体が始まる。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----
*丸亀城跡 まるがめじょうあと &FURIGANA(まるがめじょうあと) #ref(http://art2.photozou.jp/pub/293/106293/photo/2784407.jpg) 香川県丸亀市にある、室町時代から江戸時代に存在した城の跡。 現在は亀山公園として整備されている。 江戸時代に建てられた天守が現存し、[[現存十二天守]]のひとつ。 石垣の高さは60mで[[日本一]]高い。 |所在地|[[香川県]][[丸亀市]]一番丁| |料金|200円(天守)| |時間|9:00~16:30(天守)| |休館日|12/25~2/末(天守)| |地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a245fc663b721403&brcurrent=3,0x3553dcd4acb77eaf:0x2d81d6b2899bdab1,0&ll=34.300621,133.798199&spn=0.049633,0.084114&z=13&iwloc=00048a24a832c65b6930e&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=205510817128870103752.00048a245fc663b721403&brcurrent=3,0x3553dcd4acb77eaf:0x2d81d6b2899bdab1,0&ll=34.300621,133.798199&spn=0.049633,0.084114&z=13&iwloc=00048a24a832c65b6930e&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">香川県</a> を表示</small>)| **城郭 丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、60mの石垣が扇の勾配と云われる手法で組まれているのが特徴的。縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りは堀(内堀)に囲まれている。 外堀は明治頃まで周回していたが、年とともに減少し、一部残されていた南側(丸亀高校の南側)の箇所も今はなく外濠緑道公園として整備されている。 |別名|亀山城、蓬莱城| |文化財区分|[[国指定史跡]]| |城郭構造|輪郭式平山城| |遺構|天守・門・長屋・番所、石垣、内堀| **遺構 城全域は天守のほかに大手一の門・大手二の門・御殿表門・番所・長屋が現存しており、天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財に指定されている。 ・天守 |文化財区分|[[重要文化財]]| |天守構造|独立式層塔型| **歴史 ・室町時代初期、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築く。 ・1597年(慶長2年) 豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く。 ・1602年(慶長7年) 6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。 ・1615年(元和元年) 一国一城令により破却の危機にさらされるが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守った。 ・1640年(寛永17年) 生駒氏、お家騒動(生駒騒動)のため出羽国矢島(現・秋田県由利本荘市)に転封となる。 ・1641年(寛永18年) 山崎家治が肥後国富岡(現・熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封。丸亀藩が立藩。 ・1642年(寛永19年) 城の改修に着手。 ・1658年(万治元年) 山崎氏、3代で断絶し改易となる。代わって播磨国龍野(現・兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で入封。以後、明治時代まで京極氏の居城となる。 ・1660年(万治3年) 現在の3層3階の天守が完成。 ・1673年(延宝元年) 32年の歳月を要し大改修が完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。 ・1869年(明治2年) 三の丸の戌亥櫓が火災により焼失。 ・1873年(明治6年) 名東県の広島鎮台第2分営が設置される。 ・1877年(明治10年) 現存の建物以外の櫓・城壁等の解体が始まる。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----

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