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*東大寺 とうだいじ &FURIGANA(とうだいじ) #ref(東大寺.jpg) [[奈良県]][[奈良市]]にある、華厳宗大本山の寺院。 「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」ともいう。 本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。 現境内を含む約12ヘクタールが東大寺旧境内として国指定史跡になっている。 多くの建造物、工芸品が国宝、重要文化財に指定されている。 [[古都奈良の文化財]]の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されている。 |所在地|[[奈良県]][[奈良市]]雑司町406-1| |料金|境内自由、大仏殿・法華堂・戒壇堂は各500円| |時間|8:00~16:30(季節により30分前後する)| |URL|[[>>http://www.todaiji.or.jp/]]| |地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205510817128870103752.00048acf1225c65441a83&hl=ja&brcurrent=3,0x6006c72a378527d3:0xea476003f6e9c172,0&ie=UTF8&ll=34.699425,135.843544&spn=0.049396,0.084114&z=13&iwloc=00048acf1cf0569af17ce&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205510817128870103752.00048acf1225c65441a83&hl=ja&brcurrent=3,0x6006c72a378527d3:0xea476003f6e9c172,0&ie=UTF8&ll=34.699425,135.843544&spn=0.049396,0.084114&z=13&iwloc=00048acf1cf0569af17ce&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">奈良県</a> を表示</small>)| ---- **伽藍 ***南大門 [[国宝]] ・竣工:1199年(正治元年) 平安時代の962年に台風で倒壊したものを再興。 俊乗坊重源が宋から伝えたといわれる[[大仏様]]を採用した。 門内左右には金剛力士像(国宝)と石造獅子1対(重文)を安置する。 ***中門 [[重要文化財]] ・竣工:1716年(享保元年) ・屋根形状:入母屋 ・階数:2階 金堂(大仏殿)の手前にある[[楼門]]。 ***金堂(大仏殿) 国宝 ・竣工:1691年 ・屋根形状:寄棟、一重[[裳階]]付 ・屋根材:瓦葺 ・規模:高さ46.8m、間口57m、奥行50.5m 近年まで世界最大の木造建築であった。現在でも木造軸組建築としては世界最大。 ***念仏堂 重要文化財 ・竣工:鎌倉時代 地蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置する。 ***鐘楼 国宝 ・竣工:鎌倉時代、13世紀初頭 吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。 ***法華堂(三月堂) 国宝 ・竣工:743年(天平15年)以前 境内の東方、若草山麓にある。東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の羂索堂(けんさくどう)として建てられたもので、記録により743年(天平15年)までには完成していたと思われる。 ***二月堂 国宝 ・竣工:1669年 旧暦2月に「お水取り」が行われることからこの名がある。 平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったが、1667年(寛文7年)お水取りの最中に焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。 本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも秘仏である。 ***開山堂 国宝 ・竣工:内陣1200年(正治2年)、外陣1250年(建長2年) 開山(初代住職)良弁(ろうべん)の肖像を安置するための堂。 南大門とともに、大仏様建築の数少ない遺作。 本尊木造良弁僧正坐像(国宝)は平安初期9世紀の作品で、良弁の命日の12月16日のみ公開される。 ***三昧堂(四月堂) 重文 本尊千手観音像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。 ***大湯屋 重文 ・竣工:鎌倉時代 内部に鉄湯船(重文)が残る。 ***転害門 国宝 境内西北、正倉院の西側にある八脚門。 平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火に焼け残った寺内で数少ない建物の1つ。鎌倉時代に修理されているが、基本的には奈良時代の建物である。 ---- **歴史 ・733年(天平5年):若草山麓に創建された金鐘寺(こんしゅじ)が東大寺の起源であるとされる。 ・742年(天平14年):前年の国分寺建立の詔(みことのり)により、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ、金光明寺と改められた。 ・747年(天平19年):大仏の鋳造が始まる。この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われる。 ・752年(天平勝宝4年):大仏開眼会(かいげんえ)が挙行され、その後大仏殿の建設工事が始められる。 ・758年(天平宝字2年):大仏殿竣工 ・1180年(治承4年):平重衡の兵火で、近隣の興福寺とともに壊滅的な打撃を受け、大仏殿をはじめとする多くの堂塔を失った。 ・1190年(建久元年):大仏殿を再建 ・1567年(永禄10年):三好・松永の戦いの兵火により、大仏殿を含む東大寺の主要堂塔はまたも焼失した。 ・1691年(元禄4年):大仏の修理が完成 ・1709年(宝永6年):大仏殿を再建。この3代目の大仏殿(現存)は、高さは天平時代とほぼ同じだが、間口は天平創建時の3分の2に縮小されており、徳川幕府の援助をもってしても、当初の規模を再現することは不可能だった。また、講堂、食堂、東西の七重塔などは近世以降はついに再建されることはなく、今は各建物跡に礎石のみが残されている。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----
*東大寺 とうだいじ &FURIGANA(とうだいじ) #ref(東大寺.jpg) [[奈良県]][[奈良市]]にある、華厳宗大本山の寺院。 「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」ともいう。 本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。 現境内を含む約12ヘクタールが東大寺旧境内として国指定史跡になっている。 多くの建造物、工芸品が国宝、重要文化財に指定されている。 [[古都奈良の文化財]]の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されている。 |所在地|[[奈良県]][[奈良市]]雑司町406-1| |料金|境内自由、大仏殿・法華堂・戒壇堂は各500円| |時間|8:00~16:30(季節により30分前後する)| |URL|[[>>http://www.todaiji.or.jp/]]| |地図|&HTML(<iframe width="490" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205510817128870103752.00048acf1225c65441a83&hl=ja&brcurrent=3,0x6006c72a378527d3:0xea476003f6e9c172,0&ie=UTF8&ll=34.699425,135.843544&spn=0.049396,0.084114&z=13&iwloc=00048acf1cf0569af17ce&output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=205510817128870103752.00048acf1225c65441a83&hl=ja&brcurrent=3,0x6006c72a378527d3:0xea476003f6e9c172,0&ie=UTF8&ll=34.699425,135.843544&spn=0.049396,0.084114&z=13&iwloc=00048acf1cf0569af17ce&source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">奈良県</a> を表示</small>)| ---- **伽藍 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。 ***南大門 [[国宝]] ・竣工:1199年(正治元年) 平安時代の962年に台風で倒壊したものを再興。 俊乗坊重源が宋から伝えたといわれる[[大仏様]]を採用した。 門内左右には金剛力士像(国宝)と石造獅子1対(重文)を安置する。 ***中門 [[重要文化財]] ・竣工:1716年(享保元年) ・屋根形状:入母屋 ・階数:2階 金堂(大仏殿)の手前にある[[楼門]]。 ***金堂(大仏殿) 国宝 ・竣工:1691年 ・屋根形状:寄棟、一重[[裳階]]付 ・屋根材:瓦葺 ・規模:高さ46.8m、間口57m、奥行50.5m 近年まで世界最大の木造建築であった。現在でも木造軸組建築としては世界最大。 ***念仏堂 重要文化財 ・竣工:鎌倉時代 地蔵菩薩坐像(重要文化財)を安置する。 ***鐘楼 国宝 ・竣工:鎌倉時代、13世紀初頭 吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。 ***法華堂(三月堂) 国宝 ・竣工:743年(天平15年)以前 境内の東方、若草山麓にある。東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の羂索堂(けんさくどう)として建てられたもので、記録により743年(天平15年)までには完成していたと思われる。 ***二月堂 国宝 ・竣工:1669年 旧暦2月に「お水取り」が行われることからこの名がある。 平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったが、1667年(寛文7年)お水取りの最中に焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。 本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも秘仏である。 ***開山堂 国宝 ・竣工:内陣1200年(正治2年)、外陣1250年(建長2年) 開山(初代住職)良弁(ろうべん)の肖像を安置するための堂。 南大門とともに、大仏様建築の数少ない遺作。 本尊木造良弁僧正坐像(国宝)は平安初期9世紀の作品で、良弁の命日の12月16日のみ公開される。 ***三昧堂(四月堂) 重文 本尊千手観音像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。 ***大湯屋 重文 ・竣工:鎌倉時代 内部に鉄湯船(重文)が残る。 ***転害門 国宝 境内西北、正倉院の西側にある八脚門。 平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火に焼け残った寺内で数少ない建物の1つ。鎌倉時代に修理されているが、基本的には奈良時代の建物である。 ---- **歴史 ・733年(天平5年):若草山麓に創建された金鐘寺(こんしゅじ)が東大寺の起源であるとされる。 ・742年(天平14年):前年の国分寺建立の詔(みことのり)により、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ、金光明寺と改められた。 ・747年(天平19年):大仏の鋳造が始まる。この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われる。 ・752年(天平勝宝4年):大仏開眼会(かいげんえ)が挙行され、その後大仏殿の建設工事が始められる。 ・758年(天平宝字2年):大仏殿竣工 ・1180年(治承4年):平重衡の兵火で、近隣の興福寺とともに壊滅的な打撃を受け、大仏殿をはじめとする多くの堂塔を失った。 ・1190年(建久元年):大仏殿を再建 ・1567年(永禄10年):三好・松永の戦いの兵火により、大仏殿を含む東大寺の主要堂塔はまたも焼失した。 ・1691年(元禄4年):大仏の修理が完成 ・1709年(宝永6年):大仏殿を再建。この3代目の大仏殿(現存)は、高さは天平時代とほぼ同じだが、間口は天平創建時の3分の2に縮小されており、徳川幕府の援助をもってしても、当初の規模を再現することは不可能だった。また、講堂、食堂、東西の七重塔などは近世以降はついに再建されることはなく、今は各建物跡に礎石のみが残されている。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----

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