「祐徳稲荷神社」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

祐徳稲荷神社」(2013/06/06 (木) 21:36:21) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*祐徳稲荷神社 ゆうとくいなりじんじゃ &FURIGANA(ゆうとくいなりじんじゃ) 佐賀県鹿島市にある神社。 |所在地|[[佐賀県]][[鹿島市]]古枝乙1855| |料金|祐徳博物館 大人300円、大高生200円| |時間|境内自由、祐徳博物館8:30~16:30| 鹿島藩主・鍋島直朝夫人、花山院萬子媛が、朝廷の勅願所だった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。 1687年(貞享4年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していた。 1705年(宝永2年)、石壁山窟の寿蔵で断食し、入定した。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。 明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。 現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年に焼失したあと、伊勢神宮造営局長の角南隆氏が設計して昭和32年(1957年)に再建されたもので、3代目。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----
*祐徳稲荷神社 ゆうとくいなりじんじゃ &FURIGANA(ゆうとくいなりじんじゃ) 佐賀県鹿島市にある神社。 |所在地|[[佐賀県]][[鹿島市]]古枝乙1855| |料金|祐徳博物館 大人300円、大高生200円| |時間|境内自由、祐徳博物館8:30~16:30| |地図|&HTML(<iframe width="485" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="https://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;msid=205510817128870103752.00048ac5319225d1fa306&amp;hl=ja&amp;brcurrent=3,0x3541d2a1e2f15555:0x300bd46c1f1ef1da,0&amp;ie=UTF8&amp;t=m&amp;ll=33.142151,130.126877&amp;spn=0.201229,0.333023&amp;z=11&amp;iwloc=00048ac53559e8989225a&amp;output=embed"></iframe><br /><small>より大きな地図で <a href="https://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;msid=205510817128870103752.00048ac5319225d1fa306&amp;hl=ja&amp;brcurrent=3,0x3541d2a1e2f15555:0x300bd46c1f1ef1da,0&amp;ie=UTF8&amp;t=m&amp;ll=33.142151,130.126877&amp;spn=0.201229,0.333023&amp;z=11&amp;iwloc=00048ac53559e8989225a&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">佐賀県</a> を表示</small>)| 鹿島藩主・鍋島直朝夫人、花山院萬子媛が、朝廷の勅願所だった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。 1687年(貞享4年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していた。 1705年(宝永2年)、石壁山窟の寿蔵で断食し、入定した。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。 明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。 現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年に焼失したあと、伊勢神宮造営局長の角南隆氏が設計して昭和32年(1957年)に再建されたもので、3代目。 ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: