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*流刑小屋
るけいごや
[[富山県]][[南砺市]]にある、加賀藩の流刑小屋。
1769年(明和5年)に田向集落が大火で焼けた後に新築されたものという。集落内に三棟あったうちの一つ。
六畳板敷三方板かこいの内に、便所があり、食物を出し入れする蓋付の穴があった。
廃止後は民家の一部に利用され、長年月に朽ち、昭和38年の豪雪に倒壊した。全国的にも流刑小屋の遺構がないので、原寸に随って腐触材を取替え昭和40年5月復元された。全国唯一の珍しい民俗文化財である。
[[五箇山]]地方の庄川の断崖絶壁に隔離された東岸は、加賀藩の流刑の適地として、多くの政治犯が送られ、この田向集落もその一つ。
1690年(元禄3年)に藩士安見与八郎が流されてから1853年(嘉永6年)まで約24名の人たちが流されてきたことが集落文書で知られる。
加賀騒動で名高い大槻朝元の生男七之助も、1759年(宝暦9年)からここに流された。
住民との交友を許されていたので、学問や社会知識の指導者として慕われているものもあった。しかし重い罪人は、3.6m×2.7mの「お縮(しま)り小屋」に入れられ、住民と語ることもできなかった。
|所在地|[[富山県]][[南砺市]]田向|
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**関連項目
#RELATED
・タグ &TAGS()
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*流刑小屋
るけいごや
&FURIGANA(るけいこや)
[[富山県]][[南砺市]]にある、加賀藩の牢屋として使われていた建物。
|所在地|[[富山県]][[南砺市]]田向|
|地図|&HTML()|
1769年(明和5年)に田向集落が大火で焼けた後に新築されたものという。集落内に三棟あったうちの一つ。
六畳板敷三方板かこいの内に、便所があり、食物を出し入れする蓋付の穴があった。
廃止後は民家の一部に利用され、長年月に朽ち、昭和38年の豪雪に倒壊した。全国的にも流刑小屋の遺構がないので、原寸に随って腐触材を取替え昭和40年5月復元された。全国唯一の珍しい民俗文化財である。
[[五箇山]]地方の庄川の断崖絶壁に隔離された東岸は、加賀藩の流刑の適地として、多くの政治犯が送られ、この田向集落もその一つ。
1690年(元禄3年)に藩士安見与八郎が流されてから1853年(嘉永6年)まで約24名の人たちが流されてきたことが集落文書で知られる。
加賀騒動で名高い大槻朝元の生男七之助も、1759年(宝暦9年)からここに流された。
住民との交友を許されていたので、学問や社会知識の指導者として慕われているものもあった。しかし重い罪人は、3.6m×2.7mの「お縮(しま)り小屋」に入れられ、住民と語ることもできなかった。
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