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*脇町
わきまち
#ref(脇町卯建.jpg)
江戸時代から明治時代にかけて、交通の要衝として藍の集散で栄えた町。
町並みの中心の南町は、水運で栄えた豪商の[[町屋]]が軒を連ねる。通りに面した主屋は[[塗屋造り]]で、[[虫籠窓]]や格子をもつ。
一階屋根部分に稲田氏によって奨励された、[[卯建]]と呼ばれる、分厚い[[漆喰]]塗りの防火壁が取り付けられている。
商人達は誇示するように、重厚な町屋に卯建をあげた。
脇町南町伝統的建造物群保存地区として、[[重要伝統的建造物群保存地区]]に選定されている。
|所在地|[[徳島県]][[美馬市]]脇町|
**歴史
13世紀中頃東林寺前に城が築かれ[[城下町]]となる。
1533年(天文2年)三好長慶が脇城に入り、前代からの町に北・中・南の町割りを加え、現在の町並みの骨格を作った。
撫養街道と讃岐街道の交差と、吉野川の水利により、交通の要衝であり、商業町として発展した。
江戸時代、脇城が廃城となり、阿波藩直轄の在郷町となる。
阿波藩の重臣稲田氏により藍作りが奨励され、阿波の代表産業として広がり、脇町は藍の集散地として、明治中期を最盛期として1929年ごろまで栄えた。
1914年に開通した鉄道は対岸を走り、産業の中心が対岸に移ったことから、脇町は歴史的な町並みを残すことになった。
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**関連ページ
#RELATED
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*脇町
わきまち
&FURIGANA(わきまち)
#ref(脇町卯建.jpg)
徳島県美馬市にある、歴史的町並みが残る地区。
江戸時代から明治時代にかけて、交通の要衝として藍の集散で栄えた。
町並みの中心の南町は、水運で栄えた豪商の[[町屋]]が軒を連ねる。通りに面した主屋は[[塗屋造り]]で、[[虫籠窓]]や格子をもつ。
一階屋根部分に稲田氏によって奨励された、[[卯建]]と呼ばれる、分厚い[[漆喰]]塗りの防火壁が取り付けられている。
商人達は誇示するように、重厚な町屋に卯建をあげた。
脇町南町伝統的建造物群保存地区として、[[重要伝統的建造物群保存地区]]に選定されている。
|所在地|[[徳島県]][[美馬市]]脇町|
|地図|&HTML()|
**歴史
13世紀中頃東林寺前に城が築かれ[[城下町]]となる。
1533年(天文2年)三好長慶が脇城に入り、前代からの町に北・中・南の町割りを加え、現在の町並みの骨格を作った。
撫養街道と讃岐街道の交差と、吉野川の水利により、交通の要衝であり、商業町として発展した。
江戸時代、脇城が廃城となり、阿波藩直轄の在郷町となる。
阿波藩の重臣稲田氏により藍作りが奨励され、阿波の代表産業として広がり、脇町は藍の集散地として、明治中期を最盛期として1929年ごろまで栄えた。
1914年に開通した鉄道は対岸を走り、産業の中心が対岸に移ったことから、脇町は歴史的な町並みを残すことになった。
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