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*瑞龍山 南禅寺(太平興国南禅禅寺)
ずいりゅうざん なんぜんじ(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)
&FURIGANA(なんぜんじ)
&REF(http://art19.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31092604.v1262018178.jpg)
[[京都府]][[京都市]]にある寺院。境内は[[国指定史跡]]となっている。
臨済宗南禅寺派の大本山であり、京都五山及び鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を持つ。
|所在地|[[京都府]][[京都市]]左京区南禅寺福地町86|
|URL|[[>>http://nanzenji.com/]]|
**文化財
・国宝:方丈
・重要文化財:勅使門、三門、
・史跡:境内
・名勝:方丈庭園
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**伽藍
勅使門
1641年(寛永18年)御所の日ノ御門を移築したものと伝わる。
[[重要文化財]]
法堂
1909年(明治42年)再建
三門
1628年(寛永5年)[[重要文化財]]
五間三戸(正面柱間が5間で、うち中央3間が出入口)の二重門(2階建ての門)。
藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進した。
上層は「五鳳楼」といい、釈迦如来と十六羅漢像のほか、寄進者の藤堂家歴代の位牌、大坂の役の戦死者の位牌などを安置する。
天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆。
知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられている。
方丈
国宝。
大方丈と小方丈からなる。
大方丈は慶長度の御所建て替えに際し、天正年間建設の旧御所の建物(女院御所の対面御殿)を移築したもの。
接続して建つ小方丈は寛永年間の建築とされる。
大方丈の間取りは六間取で、南側が西から順に花鳥の間(西の間)、御昼の間、麝香の間、北側が西から順に鶴の間、仏間(内陣)、鳴滝の間である。建物の東端は幅一間半の細長い部屋で、柳の間と呼ばれる。仏間を除く各室に桃山時代、狩野派の障壁画があり、計124面(附指定4面を含む)が重要文化財に指定されている。これらは旧御所の障壁画を引き継いだものであるが、建物の移築に際して襖の配置構成が大幅に変更されており、本来ひと続きの画面であった襖が別々の部屋に配置されているものも多い。
小方丈の障壁画は狩野探幽の作と伝えられるが、作風上からは数名の絵師による作と推測されている。名勝に指定されている方丈前の枯山水庭園は小堀遠州作といわれ、「虎の子渡しの庭」の通称がある。
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**歴史
南禅寺建立以前は、1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が造営した離宮の禅林寺殿があった。
この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した(現存する南禅寺の[[塔頭]]南禅院の前身)。
1291年(正応4年)に亀山法皇が、禅林寺殿を寺にあらため龍安山禅林禅寺と名づけた。無関普門を開山とした。
1299年(永仁7年)に二世住職の規庵祖円により[[伽藍]]が整った。
正安年間(1299 - 1302年)に寺号が「太平興国南禅禅寺」に変わった。
1393年(明徳4年)と1447年(文安4年)の火災により主要伽藍を焼失したがほどなく再建。
しかし1467年(応仁元年)、応仁の乱の市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建は進まなかった。
1605年(慶長10年)徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わった以心崇伝が入寺してから復興が進んだ。
明治時代に建設された、境内を通る琵琶湖疏水[[水路閣]]は、古都の景観を破壊するとして反対があった一方、見物人が殺到したという。現在では京都の風景として定着している。
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[[2009-12-05]]
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参道
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勅使門 重要文化財
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三門 重要文化財
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**関連項目
#RELATED
・タグ &TAGS()
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*瑞龍山 南禅寺(太平興国南禅禅寺)
ずいりゅうざん なんぜんじ(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)
&FURIGANA(なんぜんじ)
&REF(http://art19.photozou.jp/pub/293/106293/photo/31092604.v1262018178.jpg)
[[京都府]][[京都市]]にある寺院。境内は[[国指定史跡]]となっている。
臨済宗南禅寺派の大本山であり、京都五山及び鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を持つ。
|所在地|[[京都府]][[京都市]]左京区南禅寺福地町86|
|URL|[[>>http://nanzenji.com/]]|
**文化財
・国宝:方丈
・重要文化財:勅使門、三門、
・史跡:境内
・名勝:方丈庭園
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**伽藍
勅使門
1641年(寛永18年)御所の日ノ御門を移築したものと伝わる。
[[重要文化財]]
法堂
1909年(明治42年)再建
三門
1628年(寛永5年)[[重要文化財]]
五間三戸(正面柱間が5間で、うち中央3間が出入口)の二重門(2階建ての門)。
藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進した。
上層は「五鳳楼」といい、釈迦如来と十六羅漢像のほか、寄進者の藤堂家歴代の位牌、大坂の役の戦死者の位牌などを安置する。
天井画の天人と鳳凰の図は狩野探幽筆。
知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つに数えられている。
方丈
国宝。
大方丈と小方丈からなる。
大方丈は慶長度の御所建て替えに際し、天正年間建設の旧御所の建物(女院御所の対面御殿)を移築したもの。
接続して建つ小方丈は寛永年間の建築とされる。
大方丈の間取りは六間取で、南側が西から順に花鳥の間(西の間)、御昼の間、麝香の間、北側が西から順に鶴の間、仏間(内陣)、鳴滝の間である。建物の東端は幅一間半の細長い部屋で、柳の間と呼ばれる。仏間を除く各室に桃山時代、狩野派の障壁画があり、計124面(附指定4面を含む)が重要文化財に指定されている。これらは旧御所の障壁画を引き継いだものであるが、建物の移築に際して襖の配置構成が大幅に変更されており、本来ひと続きの画面であった襖が別々の部屋に配置されているものも多い。
小方丈の障壁画は狩野探幽の作と伝えられるが、作風上からは数名の絵師による作と推測されている。名勝に指定されている方丈前の枯山水庭園は小堀遠州作といわれ、「虎の子渡しの庭」の通称がある。
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**歴史
南禅寺建立以前は、1264年(文永元年)に後嵯峨天皇が造営した離宮の禅林寺殿があった。
この離宮は「上の御所」と「下の御所」に分かれ、「上の御所」に建設された持仏堂を「南禅院」と称した(現存する南禅寺の[[塔頭]]南禅院の前身)。
1291年(正応4年)に亀山法皇が、禅林寺殿を寺にあらため龍安山禅林禅寺と名づけた。無関普門を開山とした。
1299年(永仁7年)に二世住職の規庵祖円により[[伽藍]]が整った。
正安年間(1299 - 1302年)に寺号が「太平興国南禅禅寺」に変わった。
1393年(明徳4年)と1447年(文安4年)の火災により主要伽藍を焼失したがほどなく再建。
しかし1467年(応仁元年)、応仁の乱の市街戦で伽藍をことごとく焼失してからは再建は進まなかった。
1605年(慶長10年)徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わった以心崇伝が入寺してから復興が進んだ。
明治時代に建設された、境内を通る琵琶湖疏水[[水路閣]]は、古都の景観を破壊するとして反対があった一方、見物人が殺到したという。現在では京都の風景として定着している。
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[[2009-12-05]]
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勅使門 重要文化財
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法堂
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境内を通る[[水路閣]]。
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**関連項目
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