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*足助 あすけ &FURIGANA(あすけ) [[愛知県]][[豊田市]]にある、宿場町の町並みを残す地区。 三河湾から信濃へ塩を運ぶ、三州街道(伊那街道)の重要な中継地点として栄えた。 三河湾でとれた塩は、矢作川の古鼠(ふっそ)、矢作川支流の巴川の平古(ひらこ)まで川船で運び、そこから馬の背で足助の塩問屋に送られた。 そこでは、産地によって目方が異なる塩を山道に適するように、7貫目(約26㎏)の俵にした、江戸時代後半には塩問屋は14軒あった。 明治時代中期には年間2万俵を越える塩が信濃へ運ばれたとされる。一頭の馬の背に,4俵ずつ乗せて運んだので、年間延べ5000頭を越える馬が必要とされた。 明治後半に中央線が全通し、足助の繁栄は終わった。 |所在地|[[愛知県]][[豊田市]]足助町| ---- **参考サイト ・[[足助観光協会 足助の町並み>>http://www.mirai.ne.jp/~asuke/machi/machinami.html]] ・[[愛知エースネット 中馬街道>>http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei035.htm]] ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----
*足助 あすけ &FURIGANA(あすけ) [[愛知県]][[豊田市]]にある、宿場町の町並みを残す地区。 三河湾から信濃へ塩を運ぶ、三州街道(伊那街道)の重要な中継地点として栄えた。 三河湾でとれた塩は、矢作川の古鼠(ふっそ)、矢作川支流の巴川の平古(ひらこ)まで川船で運び、そこから馬の背で足助の塩問屋に送られた。 そこでは、産地によって目方が異なる塩を山道に適するように、7貫目(約26㎏)の俵にした、江戸時代後半には塩問屋は14軒あった。 明治時代中期には年間2万俵を越える塩が信濃へ運ばれたとされる。一頭の馬の背に,4俵ずつ乗せて運んだので、年間延べ5000頭を越える馬が必要とされた。 明治後半に中央線が全通し、足助の繁栄は終わった。 |所在地|[[愛知県]][[豊田市]]足助町| ---- **参考サイト ・[[足助観光協会 足助の町並み>>http://www.mirai.ne.jp/~asuke/machi/machinami.html]] ・[[愛知エースネット 中馬街道>>http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei035.htm]] ---- **関連項目 #RELATED ・タグ &TAGS() ----

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