「足助」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「足助」(2011/05/15 (日) 16:43:05) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
*足助
あすけ
&FURIGANA(あすけ)
[[愛知県]][[豊田市]]にある、宿場町の町並みを残す地区。
三河湾から信濃へ塩を運ぶ、三州街道(伊那街道)の重要な中継地点として栄えた。
三河湾でとれた塩は、矢作川の古鼠(ふっそ)、矢作川支流の巴川の平古(ひらこ)まで川船で運び、そこから馬の背で足助の塩問屋に送られた。
そこでは、産地によって目方が異なる塩を山道に適するように、7貫目(約26㎏)の俵にした、江戸時代後半には塩問屋は14軒あった。
明治時代中期には年間2万俵を越える塩が信濃へ運ばれたとされる。一頭の馬の背に,4俵ずつ乗せて運んだので、年間延べ5000頭を越える馬が必要とされた。
明治後半に中央線が全通し、足助の繁栄は終わった。
|所在地|[[愛知県]][[豊田市]]足助町|
----
**参考サイト
・[[足助観光協会 足助の町並み>>http://www.mirai.ne.jp/~asuke/machi/machinami.html]]
・[[愛知エースネット 中馬街道>>http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei035.htm]]
----
**関連項目
#RELATED
・タグ &TAGS()
----
*足助
あすけ
&FURIGANA(あすけ)
[[愛知県]][[豊田市]]にある、宿場町の町並みを残す地区。
三河湾から信濃へ塩を運ぶ、三州街道(伊那街道)の重要な中継地点として栄えた。
三河湾でとれた塩は、矢作川の古鼠(ふっそ)、矢作川支流の巴川の平古(ひらこ)まで川船で運び、そこから馬の背で足助の塩問屋に送られた。
そこでは、産地によって目方が異なる塩を山道に適するように、7貫目(約26㎏)の俵にした、江戸時代後半には塩問屋は14軒あった。
明治時代中期には年間2万俵を越える塩が信濃へ運ばれたとされる。一頭の馬の背に,4俵ずつ乗せて運んだので、年間延べ5000頭を越える馬が必要とされた。
明治後半に中央線が全通し、足助の繁栄は終わった。
|所在地|[[愛知県]][[豊田市]]足助町|
----
**参考サイト
・[[足助観光協会 足助の町並み>>http://www.mirai.ne.jp/~asuke/machi/machinami.html]]
・[[愛知エースネット 中馬街道>>http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/seisan/sei035.htm]]
----
**関連項目
#RELATED
・タグ &TAGS()
----