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*海中道路
かいちゅうどうろ
&FURIGANA(かいちゅうどうろ)
沖縄県うるま市にある道路。
沖縄県道10号伊計平良川線の一部、勝連半島から平安座島を結ぶ4.7kmの部分。
大部分が海上に築かれた堤防上を通り、船舶航行のための橋1か所と海水汚染防止のための水路2か所が設けられている。
**歴史
・勝連半島の屋慶名地区と平安座島の間には浅瀬が広がり、古来より干潮時には徒歩で行き来していた。
1956年から、アメリカ軍より払い下げられた水陸両用トラックが半島と島の間を往来していた。
1960年、島民が海中道路建設期成会を結成し、翌1961年に建設を始めたものの台風の被害に遭い頓挫した。
1970年、アメリカの石油会社であるガルフ社(後にシェブロンに吸収合併される)が平安座島に進出することになった。この時に建設されたのが沖縄石油基地である。そしてガルフ社は島民に対する見返り事業と、沖縄本島までのパイプライン敷設のために、ガルフ社の負担で海中道路を建設することになった。
1971年(昭和46年)5月に着工し、翌年の4月22日に2車線の道路として開通した。
1974年(昭和49年)、与那城村(当時)に無償譲渡され、村道となった。
1991年(平成3年)には沖縄県道に昇格した。
1999年(平成11年)に4車線化が完了した。
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**関連項目
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*海中道路
かいちゅうどうろ
&FURIGANA(かいちゅうどうろ)
[[沖縄県]][[うるま市]]にある道路。
沖縄県道10号伊計平良川線の一部、勝連半島から平安座島を結ぶ4.7kmの部分。
大部分が海上に築かれた堤防上を通り、船舶航行のための橋1か所と海水汚染防止のための水路2か所が設けられている。
**歴史
勝連半島の屋慶名地区と平安座島の間には浅瀬が広がり、古来より干潮時には徒歩で行き来していた。
1956年から、アメリカ軍より払い下げられた水陸両用トラックが半島と島の間を往来していた。
1960年、島民が海中道路建設期成会を結成し、翌1961年に建設を始めたものの台風の被害に遭い頓挫。
1970年、アメリカの石油会社ガルフ社が平安座島に進出することになり、島民に対する見返り事業と、沖縄本島までのパイプライン敷設のために、ガルフ社の負担で海中道路を建設することになった。
1971年(昭和46年)5月着工。
1972年(昭和47年)4月22日2車線の道路として開通。
1974年(昭和49年)与那城村(当時)に無償譲渡され、村道となった。
1991年(平成3年)沖縄県道に昇格した。
1999年(平成11年)4車線化が完了。
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