彦根城跡

ひこねじょうあと


江戸時代に存在した城の跡。

姫路城とともに、当時の状態をよく残しており、特別史跡に指定されている。
天守も当時のものが現存しており、国宝に指定されている(国宝四城)。

所在地 滋賀県彦根市金亀町1-1
料金 500円
時間 8:30~17:00
休館日 無休
地図


概要

別名 金亀城
文化財区分 国指定特別史跡
城郭形式 連郭式平山城

彦根藩井伊氏の居城。
城郭の形式は連郭式平山城。
城の北側には玄宮園・楽々園という大名庭園が配されている。
国宝の天守を筆頭に、数多くの櫓・門が現存し国の重要文化財に指定されている。
1873年(明治6年)の廃城令で数多くの城が失われる中、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に破却を免れたとされる。
1951年(昭和26年)6月9日、国の特別史跡に指定された。

また、彦根市市制50周年の1987年(昭和62年)には御殿が復元され「彦根城博物館」として藩政時代の調度品・武具などが展示されている。

歴史

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、徳川四天王の一人・井伊直政は、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。しかし、三成の居城であったことを嫌い、城の縄張りとしては佐和山城城郭の方が数段優れていたが湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移そうと計画した。しかし、関ヶ原の戦傷が癒えず1602年(慶長7年)死去した。


1603年(慶長8年)直継が家督を継いだが幼少であったため、直政の遺臣が彼の遺志を継ぎ再検討の末、琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の建設を開始した。
工事には公儀御奉行3名が付けられ7ヶ国12大名(15大名の説もある)が手伝いを命じられる天下普請であった。佐和山城・大津城など近隣の城の遺材を転用した。特に天守は 4層の大津城天守を3層に縮小して移築したといわれている(天守がややずんぐりしているのはそのためであるという)。

1606年(慶長11年)二期までの工事が完了し、天守完成と同時に直継が入城した。

1616年(元和2年)彦根藩のみの手により第三期工事が開始され、この時に御殿が建造された。

1622年(元和8年)全ての工事が完了し彦根城が完成した。その後、井伊氏は加増を重ね最終的に1633年(寛永10年)には譜代最高となる35万石の大封を得るに至った。

幕末の大老として有名な井伊直弼は、藩主となるまでの不遇の青春時代をこの城下で過ごしている。直弼が青春時代を過ごした屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」として現存している(昭和60年度から6年間にわたって修復)。


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