長浜城跡
ながはまじょうあと
滋賀県長浜市にある、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて存在した城の跡。
現在は
豊公園として整備されている。
天守は1983年に模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館として運営されている。
歴史
- 1573年(天正元年)羽柴秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した。
1575・6年頃完成し入城。城下町は小谷城下からそのまま移した。現在でも城下町には当時の面影や名残がある。本能寺の変後、清洲会議で柴田勝家の甥の柴田勝豊が入城するも、直後に秀吉に攻められ落城した。賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城し、内藤信成・信正が城主になる。
1615年(元和元年)に廃城になり資材の大半は
彦根城の築城に流用された。秀吉公が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した所でもある。
関連項目
最終更新:2012年06月08日 21:57