松山城跡

まつやまじょうあと


愛媛県松山市にある、江戸時代に存在した城の跡。国指定史跡
現在は松山市城山公園となっている。

遺構としては現存十二天守の一つである天守を始め、多くの櫓・門・塀、石垣、土塁、堀が残っている。
明治維新後にほとんど破却されなかったため、多くの建造物が残っている。また、放火や戦災で焼失した建造物も図面等を作成していたことから、正確な木造による復元が行われている。

松山の中心部、132mの勝山に構えられている連郭式平山城。日本三大平山城に数えられる。
別名、金亀城、勝山城。


所在地 愛媛県松山市丸之内
料金 500円(ロープウェイ500円)
時間 9:00~17:00
(8月は17:30まで、12・1月は16:30まで)
URL http://www.matsuyamajo.jp/
地図
より大きな地図で 愛媛県 を表示

城郭

  • 本丸
勝山山頂の南北二つの峰を平らに削って南北に長い郭としている。
本丸北端に本丸より高く、天守郭である本段が築かれている。

  • 二之丸

  • 三之丸


  • 天守
文化財区分 重要文化財
天守構造 連立式層塔型
築城当時の天守は5層であったが、後に3層に改築されている。(これには多くの説があるが、基礎が弱いため3層に改築されたとされている)
1784年(天明4年)に落雷により焼失。
1854年(安政元年)時の藩主・松平勝善により再建。

沿革

1602年(慶長7年)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)により築城開始。なお、加藤嘉明はこの時を持ってこの地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。

その後、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)、松平定行に代わり、明治維新まで松山藩は松平家の所領だった。

天守は昭和に入り放火・空襲による焼失が2回あったが、戦後の昭和40年代に復元され現在に至る。

1923年(大正12年)久松家(明治に入って松平家が姓を返上し旧姓に戻した)より松山市に寄贈し、以後、松山市の所有となっている。

1955年(昭和30年)ロープウェイが設置された。
1968年(昭和43年)登山リフトが設置された。


2007年3月6日



県庁裏登城道を上る。


戸無門。
戸が無いので戸無門。形式は高麗門。現存の門で重要文化財に指定されている。


左に180度まわって、筒井門。
木造で復元。この門をくぐると、本丸。


太鼓門。木造で復元。


その右側、巽櫓。
太鼓櫓、太鼓門、巽櫓が連なり、本丸前の防衛線。
これらは松山空襲で焼けたが、木造で復元されている。


本丸の南部から見た天守曲輪(本壇)。


正面が大天守。左が小天守。
右の一ノ門から入る。
大天守、小天守、一ノ門櫓の三方向から攻撃できる堅い守り。


一ノ門。
脇戸付きの高麗門で、現存。重要文化財


左に曲がって、ニノ門。
脇戸付きの薬医門で、現存。重要文化財


左に180度回って、三ノ門。
高麗門で現存。重要文化財


三ノ門をくぐって、右を見る。小天守と筋鉄門。どちらも木造の復元。
小天守の手前の塀、筋鉄門東塀は現存で、重要文化財


筋鉄門をくぐって、中庭へ。
大天守と内門。どちらも現存で、重要文化財


玄関。木造による復元。


小天守から見た、南櫓。


大天守から見た、本丸南部。


大天守から見た、小天守と南櫓。


本壇から出て、紫竹門。高麗門で現存。重要文化財


本壇石垣と南櫓。


乾門。木造による復元。


古町口登城道で下る。


三之丸北側から見た堀。



関連項目










最終更新:2011年05月29日 14:14