丸亀城跡
まるがめじょうあと
香川県丸亀市にある、室町時代から江戸時代に存在した城の跡。
現在は亀山公園として整備されている。
江戸時代に建てられた天守が現存し、
現存十二天守のひとつ。
石垣の高さは60mで
日本一高い。
所在地 |
香川県丸亀市一番丁 |
料金 |
200円(天守) |
時間 |
9:00~16:30(天守) |
休館日 |
12/25~2/末(天守) |
地図 |
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城郭
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、60mの石垣が扇の勾配と云われる手法で組まれているのが特徴的。縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りは堀(内堀)に囲まれている。
外堀は明治頃まで周回していたが、年とともに減少し、一部残されていた南側(丸亀高校の南側)の箇所も今はなく外濠緑道公園として整備されている。
別名 |
亀山城、蓬莱城 |
文化財区分 |
国指定史跡 |
城郭構造 |
輪郭式平山城 |
遺構 |
天守・門・長屋・番所、石垣、内堀 |
遺構
城全域は天守のほかに大手一の門・大手二の門・御殿表門・番所・長屋が現存しており、天守・大手一の門・大手二の門は国の重要文化財に指定されている。
歴史
- 室町時代初期、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築く。
- 1597年(慶長2年) 豊臣政権の時代、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、亀山に支城を築く。
- 1602年(慶長7年) 6年の歳月を要し、ほぼ現在の城郭が完成。
- 1615年(元和元年) 一国一城令により破却の危機にさらされるが、時の藩主・生駒正俊は要所要所を樹木で覆い隠し立ち入りを厳しく制限。城を破却から守った。
- 1640年(寛永17年) 生駒氏、お家騒動(生駒騒動)のため出羽国矢島(現・秋田県由利本荘市)に転封となる。
- 1641年(寛永18年) 山崎家治が肥後国富岡(現・熊本県天草郡苓北町)より5万石で入封。丸亀藩が立藩。
- 1642年(寛永19年) 城の改修に着手。
- 1658年(万治元年) 山崎氏、3代で断絶し改易となる。代わって播磨国龍野(現・兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で入封。以後、明治時代まで京極氏の居城となる。
- 1660年(万治3年) 現在の3層3階の天守が完成。
- 1673年(延宝元年) 32年の歳月を要し大改修が完了。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。
- 1869年(明治2年) 三の丸の戌亥櫓が火災により焼失。
- 1873年(明治6年) 名東県の広島鎮台第2分営が設置される。
- 1877年(明治10年) 現存の建物以外の櫓・城壁等の解体が始まる。
関連項目
最終更新:2011年05月29日 14:03